23話
森の中に、静寂が戻っていた。
さっきまで地下から響いていた轟音も、今は聞こえない。
俺は右膝を押さえながら、ゆっくり息を吐いた。
「……やれやれ」
痛い。
いつものことだ。
ただ、今日は少し痛みが強い。
地下で見たもののせいだろうか。
それとも――。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
隣からユイナが覗き込んでくる。
「大丈夫だ」
「ほんと?」
「ほんとだ」
「じゃあ、なんで膝を押さえてるの?」
「……癖だ」
「絶対うそ」
即答だった。
アンジェリカが杖を肩に担ぎながら言う。
「痛いのを痛いと言わない」
「いや、言ってるだろ」
「今も『痛い』って言った?」
「……」
「ほら」
アンジェリカが少し得意そうに笑う。
「面倒な女だな」
「ユイナの兄様にだけは言われたくない」
いつものやり取り。
なのに。
俺は、ふとアンジェリカを見た。
地下で、俺の前に立った姿を思い出す。
『今度は、私も一緒に戦う』
あのときの顔は、いつものからかうような表情ではなかった。
本気だった。
「……どうした?」
アンジェリカが首を傾げる。
「いや」
「何か言いたそうだな?」
「別に」
「そう」
アンジェリカはそれ以上聞かなかった。
ただ――。
少しだけ嬉しそうに笑った。
その理由を、俺は知らなかった。
* * *
村へ戻る途中。
森の入口で、ユイナが突然立ち止まった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「あれ……」
ユイナが指差した先。
地面に、赤い光が浮かんでいた。
小さな円形の紋章。
地下で見たものと、よく似ている。
「……またか」
俺が近づく。
すると――。
右膝が熱くなった。
「っ……」
赤い光が強くなる。
紋章の中心から、細い光が伸びた。
一本。
二本。
三本。
そして、最後にもう一本。
全部で――。
「……五つ?」
ユイナが呟いた。
だが。
俺には違って見えた。
五つの光の外側。
ほんの一瞬だけ。
もう一つの小さな光が浮かんだ。
六つ目。
俺が目を凝らした瞬間――。
消えた。
「……今、何か見えた?」
アンジェリカが聞く。
「六つ目の光があった」
「六つ目?」
「ああ」
アンジェリカは杖を地面に向ける。
しばらく調べてから、眉を寄せた。
「魔力の残滓は五つ。でも……」
「でも?」
「ほんの一瞬だけ、別の魔力が重なった形跡がある」
「六つ目ってこと?」
「分からない」
アンジェリカが珍しく真剣な顔をする。
「ただ、これは普通の魔法じゃない」
「地下の遺跡と関係あるのかな?」
ユイナが尋ねる。
「たぶんね」
アンジェリカはそう答えた。
俺は紋章を見下ろした。
胸の奥が、妙にざわつく。
六つ目。
それが何なのか。
なぜ俺だけが見えたのか。
分からない。
でも――。
何かが、俺たちを見ている。
そんな気がした。
* * *
村に戻ると、村長が待っていた。
「無事じゃったか!」
「ああ」
「地下で何があった?」
「面倒なものがあった」
「……それだけか?」
「それだけだ」
「いや、もっとあるだろう!」
村長の叫び声が響く。
俺は説明するのが面倒なので、適当に誤魔化した。
だが。
アンジェリカだけは違った。
「村長」
「何だ?」
「この村の近くに、昔から伝わる古い記録はありますか?」
「古い記録?」
「王家に関係するものです」
村長の表情が変わった。
ほんの一瞬。
だが、俺には分かった。
「……何か知っているな」
俺が言うと、村長は黙り込んだ。
やがて、小さく息を吐く。
「実はな」
村長は家の奥から、一冊の古い本を持ってきた。
表紙はボロボロ。
紙も黄ばんでいる。
「先祖代々、この村で保管されていたものだ」
机の上に置かれる。
俺が手を伸ばす。
表紙に描かれていたのは――。
王家の紋章。
ただし。
見たことのない形だった。
「……これ」
アンジェリカが息を呑む。
「知ってるのか?」
「完全には分からない。でも……」
アンジェリカはページをめくる。
そこには古い絵があった。
五人の子供。
その中央に、一人の子供。
周囲に四人の子供。
そして――。
その外側に、もう一つの影。
俺の右膝が、激しく痛んだ。
「……っ」
視界が揺れる。
赤い空。
燃える城。
泣いているユイナ。
そして――。
もう一人。
小さな少女がいる。
顔が見えない。
だけど。
俺を見上げている。
『兄様……』
その声。
俺は知っている。
いや。
知らないはずなのに――。
胸が痛くなる。
『約束して』
『何を?』
『私を……忘れないで』
「――っ!」
俺は目を開いた。
目の前には、ユイナがいた。
「お兄ちゃん!」
「……ユイナ?」
「大丈夫?」
「ああ」
ユイナが俺の手を握る。
その小さな手が、妙に温かかった。
アンジェリカは黙って俺を見ていた。
そして――。
そっと杖を握り直す。
「……ユイナの兄様」
「ん?」
「無理に思い出さなくてもいいから」
「……」
「でも」
アンジェリカは少しだけ笑った。
「もし、また何か思い出したら……私にも教えて」
「なんで?」
「気になるから」
「面倒だな」
「そう言うと思った」
アンジェリカが笑う。
だけど、その目は優しかった。
俺は知らない。
彼女がなぜ、そこまで俺のことを気にしているのか。
ただ。
その日からアンジェリカは、以前より少しだけ俺のそばにいることが増えた。
その時の俺は、
ユイナのため、
そう思っていた。
* * *
その夜。
村から少し離れた森の中。
黒いローブの男が、地面に浮かんだ紋章を見下ろしていた。
「……五つ」
男が呟く。
その横に、別の黒衣の男が立つ。
「しかし、もう一つ反応した」
「ああ」
「では、六つ目は――」
黒いローブの男は答えなかった。
ただ、森の奥を見つめる。
「まだ早い」
「ですが――」
「今は、あの男を起こすことだけを考えろ」
男の足元。
赤い紋章が一瞬だけ輝いた。
「五つの王家の血」
そして。
「それを守るために作られた――もう一つの存在」
男は小さく笑った。
「まだ、眠っている」
森の奥で。
何かが、ゆっくりと目を開いた。
――赤い光が、一つ。
そして。
もう一つ。
静かに灯った。




