15話
エルビス村に戻ってから、数日が経った。
あれから、森で見つけた大きな足跡について、特に変化はなかった。
魔物が村へ襲ってくることもない。
新しい足跡が見つかることもない。
だから――
「もう大丈夫なんじゃない?」
ユイナがそう言った。
「そうかもな」
俺は答えながら、村の外を見た。
森は静かだった。
風が木々を揺らしている。
鳥の声も聞こえる。
いつもと変わらない。
それでも。
俺は、何となく気になっていた。
「お兄ちゃん?」
「……いや」
俺は右膝をさする。
ズキン。
「痛い」
「また?」
「ああ」
ユイナが呆れたように笑う。
「最近、よく痛いって言うね」
「最近じゃなくても痛いけどな」
「そうだった」
そこへアンジェリカがやってきた。
「ユイナ、そろそろ訓練を始めますよ」
「はーい!」
村では、少しずつ訓練も始まっていた。
魔物がいつまた現れるか分からない。
だから、自分の身を守れるようにする。
アンジェリカが魔法を教え。
ユイナが身体の動かし方を教える。
俺は――
「お兄ちゃんも教える?」
「俺はいい」
「なんで?」
「面倒だから」
「もう……」
ユイナが頬を膨らませる。
アンジェリカが小さく笑った。
「それでこそ、ユイナの兄様ですね」
「褒めてるのか?」
「もちろんです」
「絶対違うだろ」
そんな会話をしていると――
「兄ちゃん!」
村の子供が走ってきた。
「なんだ?」
「森の近くで、変なの見つけた!」
「変なの?」
「ああ!」
俺は立ち上がった。
「案内してくれ」
「うん!」
俺たちは子供についていった。
村の外れ。
森へ続く道の途中に、小さな石が落ちていた。
黒い石だった。
「これ?」
「ああ。昨日はなかった!」
俺は石を拾い上げる。
「……」
冷たい。
普通の石にしか見えない。
だが――
ズキン。
「……っ」
右膝が痛んだ。
俺は石を落とした。
カラン。
「お兄ちゃん?」
「触らない方がいい」
アンジェリカが石を見る。
「魔力を感じます」
「やっぱりか」
「かなり微弱ですが……普通の石ではありません」
ユイナがしゃがみ込む。
「これ、魔物が持ってきたのかな?」
「分からない」
俺は石を見る。
黒い。
その中心には、ごく小さな赤い線が入っている。
まるで――
俺の右膝にある赤い光と同じような色だった。
「……気持ち悪いな」
俺は石から離れた。
その時。
森の奥から――
パキッ。
枝が折れる音がした。
「……」
全員が森を見る。
「誰かいる?」
ユイナが拳を構える。
アンジェリカも杖を握った。
俺は黙って森を見た。
何もいない。
「……気のせいかな」
ユイナが呟く。
「いや」
俺は答えた。
「いる」
「え?」
「見られてる」
俺は森の奥へ向かって声をかけた。
「出てこい」
返事はない。
「隠れてても分かるぞ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて――
森の奥から、一匹の小さな動物が飛び出してきた。
「……」
ユイナが目を丸くする。
「ウサギ?」
白いウサギだった。
こちらを見ると、そのまま森の中へ走っていった。
「……」
「……」
「……」
アンジェリカが俺を見る。
「……見られている、とは?」
「……今のは違う」
「本当ですか?」
「ああ」
ユイナが笑い出す。
「お兄ちゃん、ウサギに警戒してたの?」
「してない」
「してたじゃん!」
「してない」
「ふふっ」
アンジェリカまで笑っている。
「……お前らな」
俺はため息をついた。
だが。
笑いながらも、俺は森から目を離さなかった。
さっきの気配。
あれは確かにあった。
そして――
あの黒い石。
偶然とは思えない。
「アンジェリカ」
「あの石、持って帰れるか?」
「調べてみる」
アンジェリカが杖を使って石を浮かせる。
その瞬間。
石の中心にある赤い線が――
ほんの一瞬だけ光った。
「……!」
アンジェリカが表情を変える。
「今、光ったな」
「ああ」
俺の右膝も。
ズキン。
「……またか」
「お兄ちゃん?」
俺は膝をさする。
「この石と、俺の膝は何か関係があるかもしれない」
「……」
アンジェリカが真剣な顔になる。
「では、村長に報告しよう」
「そうだな」
俺たちは村へ戻ることにした。
だが――
森の奥。
誰もいなくなった場所に。
一人の男が立っていた。
黒いローブ。
手には、先ほどの石と同じ黒い石がいくつもある。
「……反応した」
男が呟く。
「やはり、間違いない」
その手の中で、黒い石が赤く光る。
「封印は残っている」
男はエルビス村を見る。
「だが……」
小さく笑った。
「少しずつ、目を覚ましている」
その時。
男の背後に、別の黒ローブが現れた。
「確認できたのか?」
「ああ」
「どうだった?」
「間違いない」
男は答える。
「右膝だ」
「……まだ、力は使えるのか?」
「使える」
「ならば――」
もう一人が続ける。
「次は、直接確かめるか?」
「いや」
最初の男は首を横に振った。
「まだ早い」
「なぜ?」
「今の段階では、あの男がどこまで自分の力を理解しているのか分からない」
「……」
「それに」
男は村を見る。
「妹がいる」
「ユイナか」
「ああ」
その名前を聞いた瞬間。
男の表情が少しだけ変わった。
「……あの妹が、あの男の記憶にどう影響しているのか」
「そこまで調べる必要があるのか?」
「必要だ」
男は黒い石を握り締めた。
「我々が探しているのは、力だけではない」
「では、何だ?」
男は答えなかった。
ただ――
エルビス村を見つめ続ける。
「もうすぐ分かる」
「何が?」
「……あの男が、何者なのか」
そして。
黒ローブの二人は森の奥へ消えていった。
その頃。
俺たちは村長の家にいた。
「黒い石、ですか……」
村長が石を見つめる。
「ああ」
俺は答えた。
「森で見つけた」
「以前から、この辺りでは見たことがありません」
「そうか」
村長は困った顔をする。
「魔物との関係があるのでしょうか?」
「可能性はある」
俺は石を見る。
赤い線。
俺の膝。
そして、さっきの記憶。
全部が少しずつ繋がっている気がする。
でも――
まだ何も分からない。
「……まあ」
俺は椅子から立ち上がった。
「しばらく様子を見ればいい」
「お兄ちゃん、そんなので大丈夫?」
「ああ」
俺は右膝をさする。
「何か来たら、その時考える」
アンジェリカがため息をついた。
「ユイナの兄様らしいですね」
「そうか?」
「ええ」
ユイナが笑う。
「お兄ちゃんは、いつもそうだよ」
俺も少し笑った。
――この時の俺は、まだ知らなかった。
森にいる者たちが。
俺のことを知っていることを。
そして。
この村が、ただの小さな村ではないことを。
その答えに近づくほど――
俺の失われた記憶も。
少しずつ、動き始めていた。




