12話
「……見つけた」
エルビス村の入口に立つ女は、もう一度そう言った。
俺は村長の家の窓から、その女を見ていた。
白い服。
長い髪。
遠くて顔はよく見えない。
なのに――
なぜか、知っている気がする。
「お兄ちゃん?」
ユイナが俺の袖を掴んだ。
「どうしたの?」
「……分からない」
本当に分からなかった。
ただ、あの女を見ていると胸の奥が妙にざわつく。
そして――
右膝が痛む。
「……またかよ」
俺は膝を押さえた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ。ちょっと痛いだけだ」
「でも……」
「大丈夫だって」
そう言って、俺は立ち上がった。
「どこへ行く?」
村長が驚いた顔をする。
「話を聞いてくる」
「待て」
アンジェリカが俺の腕を掴んだ。
「一人で行くつもりか?」
「そうだけど」
「……やめとけ。あいつが何者か分からない」
「でも、俺のことを知ってるみたいだからな」
俺は窓の外を見る。
「あいつに聞けば、何か分かるかもしれない」
「私も行く」
「アンジェリカさん……」
ユイナも立ち上がった。
「私も行く」
俺はユイナを見る。
「……いや」
「え?」
「今回は俺が行く」
「でも――」
「ユイナ」
俺は少しだけ強い声を出した。
「ここにいてくれ」
ユイナが黙る。
俺はその顔を見ると、少し申し訳なくなった。
「危ないからじゃない」
「じゃあ、どうして?」
「……俺が知りたいんだ」
自分の過去を。
自分が何者なのかを。
そして――
なぜユイナが、その過去に関わっているのかを。
「初めてなんだ」
俺は小さく呟いた。
「自分のことを、ちゃんと知りたいと思った」
ユイナは、しばらく俺を見つめていた。
そして、ゆっくり頷く。
「……分かった」
「ありがとう」
「でも」
ユイナが指を一本立てる。
「絶対に帰ってきてね」
「分かってる」
「絶対だよ?」
「絶対」
「膝が痛くなったら?」
「……帰る」
「よし」
ユイナは笑った。
「約束ね」
「ああ」
俺が村の入口へ向かおうとすると、アンジェリカも後ろからついてきた。
「私も行くぞ」
「いいのか?」
「お前一人にしたら、また勝手なことをしそうだからな」
「そんなに信用ないか?」
「ない」
「……ひどいな」
「事実だろ」
「そうか」
俺たちはエルビス村の入口へ向かった。
女はまだそこにいた。
近づくにつれて、顔がはっきり見えてくる。
そして――
俺は息を止めた。
「……」
女の顔を見た瞬間。
頭の中に、また映像が流れた。
雨。
真っ暗な森。
誰かが俺を抱えて走っている。
『急いで……!』
女の声。
今、目の前にいる女と同じ声だった。
『このままでは、この子まで……』
そして、その腕の中には――
幼い俺。
「……っ」
俺は頭を押さえた。
映像が途切れる。
「ユイナの兄様!」
アンジェリカの声が聞こえた。
「大丈夫か?」
「……ああ」
俺はゆっくり顔を上げた。
「ただ、少し思い出した」
女は俺を見つめている。
「そう……」
どこか悲しそうな顔だった。
「お前は誰だ?」
「あなたは、覚えていないのね」
「だから聞いてる」
女はしばらく黙っていた。
そして――
「私は、あなたのお母様を知っています」
「……母?」
胸の奥が大きく揺れた。
俺に母親がいた。
当然のことなのかもしれない。
だが、俺にはその記憶がない。
「母はどこにいる?」
女は目を伏せた。
「……亡くなりました」
「……そうか」
思ったより、冷静だった。
悲しくないわけじゃない。
ただ――
悲しむための記憶がない。
それが、少し怖かった。
「父親は?」
「あなたのお父様も……」
女が言葉を濁す。
「死んだのか?」
「いいえ」
「じゃあ、どこにいる?」
女は答えなかった。
「教えてくれ」
「……できません」
「なぜ?」
「あなたがまだ、その力を制御できないから」
その瞬間。
ズキンッ!!
「……っ!」
右膝に激痛が走った。
俺はその場にしゃがみ込む。
「ユイナの兄様!」
アンジェリカがすぐに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
俺は右膝を押さえた。
「ただ、痛いだけだ」
女の視線が、俺の右膝へ向く。
「やはり……」
「何がやはりだ?」
「その力は、あなたの身体に封じられている」
「封じられている?」
「その膝は、ただの怪我ではありません」
俺は右膝を見る。
「……じゃあ、何なんだ?」
「鍵です」
「鍵?」
「あなたの力を閉じ込めている、最後の封印です」
アンジェリカが眉をひそめた。
「封印……」
俺は膝をさする。
「だから痛いのか?」
「力を使うたびに、封印が壊れかける」
女は俺を見る。
「そして、封印が完全に壊れたとき――」
「どうなる?」
女は答えなかった。
代わりに、俺の背後へ視線を向けた。
「……もう来ている」
「何が?」
振り返る。
遠くの森。
木々の間から、黒い影がいくつも見える。
魔物。
そして――
黒いローブを着た者たち。
その数は、かなり多い。
アンジェリカが杖を構えた。
「……囲まれたな」
女が静かに言う。
「私を連れて行くためではありません」
「じゃあ、何のためだ?」
女は俺を見る。
「あなたを殺すためです」
「……俺を?」
「はい」
「なんで?」
「あなたが完全に目覚める前に、消してしまうためです」
俺は少し考えた。
だが、すぐに気づいた。
黒ローブの連中の何人かが、俺ではなく村の方を見ている。
「……俺だけじゃないな」
女が頷く。
「ええ」
「村も狙ってる」
「そうです」
「ユイナも?」
「もちろん」
俺はエルビス村を見る。
その向こうには――
ユイナがいる。
トモヤも。
レイアも。
ミツルも。
そして、ここで暮らしている村人たちもいる。
「……それは困るな」
俺は右膝を押さえながら立ち上がった。
「ユイナの兄様?」
アンジェリカが俺を見る。
「どうする?」
「ここで止める」
「ここで?」
「ああ」
俺は村とは反対方向を見る。
森の奥。
村から十分離れた場所がある。
「村の近くで戦うと、面倒なことになる」
「……なるほどな」
アンジェリカが杖を握り直す。
「なら、あいつらを村から引き離すんだな」
「ああ」
「ユイナの兄様一人で?」
「まあ」
「……またそれか」
「何か問題あるか?」
「あるだろ」
アンジェリカは呆れたように俺を見る。
「数十人いるんだぞ?」
「そうなのか?」
「見れば分かるだろ」
「まあ、いるな」
「……本当に緊張感がないな」
俺は右膝をさする。
「膝は痛いけどな」
「そこは緊張しろよ」
「痛いものは仕方ないだろ」
アンジェリカが小さくため息をついた。
「……私も行く」
「お前も?」
「当然だ」
アンジェリカは杖を構える。
「ユイナを狙ってるんだ。私が黙って見てるわけないだろ」
「……そうか」
「それに――」
アンジェリカは少しだけ口元を緩めた。
「私の大切な友達を殺そうとしてるんだ」
「友達、か」
「何だ?」
「いや」
俺も少し笑った。
「悪くないな」
「……変なところで喜ぶな、ユイナの兄様」
「そうか?」
「ああ」
俺は村を振り返る。
ユイナが、こちらを見ている。
小さく手を振っていた。
俺も手を上げる。
そして――
村とは反対方向へ歩き出した。
「来い」
黒ローブの集団が動く。
俺たちを追ってくる。
村から離れるように。
十分に距離を取ったところで、俺は足を止めた。
「ここならいいだろ」
アンジェリカも立ち止まる。
「……ああ」
黒ローブの集団が、俺たちを取り囲む。
数十人。
魔物もいる。
さらに森の奥には――
巨大な気配。
「ユイナの兄様」
「ああ」
「かなりいるぞ」
「そうだな」
「勝てるのか?」
俺は少しだけ首を傾げた。
「……何を心配してるんだ?」
「いや、お前なら大丈夫だとは思ってるけどな」
「なら大丈夫だ」
俺は右膝をさする。
ズキン。
「……痛い」
「またか」
「ああ」
俺はため息をついた。
「やれやれ」
黒ローブの男たちが一斉に武器を構える。
魔物たちも唸り声を上げる。
だが――
俺には、それほど脅威には見えなかった。
どれだけ数が多くても。
どれだけ大きな魔物がいようと。
俺がやることは変わらない。
村へ行かせない。
それだけだ。
「……来い」
俺が一歩踏み出した。
次の瞬間――
ドンッ!!
地面が大きく沈んだ。
俺の姿が、一瞬で消える。
そして――
最前列にいた黒ローブの男たちが、まとめて吹き飛んだ。
拳。
蹴り。
ただそれだけ。
俺は一人、また一人と敵を倒していく。
右膝は痛い。
けれど、それ以外は何も問題ない。
「……弱いな」
呟いた直後。
森の奥から――
ズズズズズ……。
地面が揺れた。
木々が倒れる。
黒ローブの者たちが、一斉に道を開ける。
そして――
巨大な何かが姿を現した。
アンジェリカが息を呑む。
「……なんだ、あれ」
俺は巨大な魔物を見上げた。
今まで見たどんな魔物よりも大きい。
その身体には、無数の黒い紋様が刻まれている。
そして――
胸の中心には、赤い光。
それは、俺の右膝から漏れている光とよく似ていた。
「……俺の膝と同じか」
女が震える声で言う。
「あなたを殺すために作られたものです」
「そうか」
巨大な魔物が、ゆっくりと腕を上げる。
大地が震える。
アンジェリカが杖を構えた。
「ユイナの兄様、来るぞ」
「ああ」
俺は右膝をさする。
ズキンッ。
「……やれやれ」
痛い。
けれど――
それだけだ。
俺は拳を握った。
「さっさと終わらせるか」
村には――
ユイナが待っている。
だから俺は、ここから一歩も敵を通さない。
たとえ相手が何者でも。
何体いようと。
俺には――
負ける理由がなかった。




