11話
少しずつ――
失われていた過去が、俺の中へ戻り始めていた。
そして、その数日後。
朝。
「お兄ちゃん、起きて!」
「……ん……」
「起きてってば!」
布団が引っ張られる。
俺は必死に掴んだ。
「寒い……」
「もう朝だよ!」
「朝は嫌いだ……」
「ご飯できてるよ」
「……」
一瞬で目が覚めた。
「おはよう」
「おはようじゃないよ!」
ユイナが呆れた顔をしている。
俺はゆっくり起き上がった。
「……膝は?」
「ん?」
「この前から痛いって言ってたでしょ」
「ああ」
右膝を動かしてみる。
「……少し痛いな」
「やっぱり」
「でも歩ける」
「無理しちゃダメだからね」
「分かってる」
そう答えながら、俺は昨夜のことを思い出していた。
炎。
燃える建物。
誰かに抱かれていた幼い自分。
そして――
『この子を、絶対に起こしてはいけない』
あれは夢だったのか。
それとも、本当にあったことなのか。
「お兄ちゃん?」
「……ん?」
「どうしたの?」
「いや」
俺は首を振った。
「変な夢を見ただけだ」
「どんな夢?」
「覚えてない」
嘘だった。
覚えている。
だが、なぜかユイナには話したくなかった。
理由は分からない。
ただ――
あの言葉を思い出すと、胸の奥が妙に重くなる。
朝食を食べ終える。
俺は特に予定もなかった。
村の復旧作業は、村人たちに任せている。
俺が手伝う必要はない。
むしろ、俺が力任せにやれば、余計に壊してしまうかもしれない。
そう考えて、いつものように家でのんびりしていた。
すると――
「お兄ちゃん!」
「今度は何だ?」
「アンジェリカさんが来た!」
「……」
俺は少しだけ嫌な予感がした。
あいつが来ると、だいたい面倒な話になる。
玄関へ向かう。
「お邪魔する」
「おはよう、アンジェリカさん!」
ユイナが嬉しそうに迎える。
「おはよう、ユイナ」
「どうぞ入って!」
「ありがと」
俺は小さく頭を下げた。
「……どうも」
「相変わらず愛想がないな、ユイナの兄様は」
「朝だからな」
「関係あるの?」
「ある」
「ないでしょ」
アンジェリカが呆れたように笑う。
そして――
「ところで、昨夜何か変わったことはなかった?」
「……」
俺はアンジェリカを見る。
なぜ、そんなことを聞く?
「特にない」
「本当に?」
「ああ」
アンジェリカは俺をじっと見る。
「……そう」
その視線が妙に気になる。
「何だよ」
「いや」
アンジェリカは少し考えてから言った。
「前の戦いのあと、お前の魔力が一瞬だけ異常な反応を示した」
「俺の?」
「そう」
「分かるのか?」
「私は魔法使いだぞ。それくらい分かる」
「ふーん」
俺は右膝をさすった。
「これのことか?」
「……やはりそこか」
アンジェリカの表情が変わる。
「昨夜、痛んだのか?」
「……まあ」
「どんな痛みだ?」
「普通に痛い」
「普通とは?」
「ズキズキする」
「他には?」
「赤く光った」
「……!」
アンジェリカが立ち上がった。
「赤く光っただと?」
「そんなに驚くことか?」
「……お前という奴は」
アンジェリカが頭を抱える。
ユイナも心配そうに俺を見る。
「お兄ちゃん、見せて」
「別にいいって」
「見せて」
「……はい」
俺がズボンを少し上げる。
右膝には何もない。
傷もない。
腫れてもいない。
ただ――
「……」
ユイナが膝に手を添える。
その瞬間。
ドクン。
「……っ」
膝の奥が脈打った。
赤い光が一瞬だけ浮かび上がる。
「お兄ちゃん!」
俺は反射的に右膝を押さえた。
「大丈夫だ」
「でも!」
「大丈夫」
アンジェリカは黙って俺を見ている。
「……今の魔力」
「何?」
「魔法じゃない」
「じゃあ何だ?」
「分からない」
珍しく、アンジェリカが即答した。
「私にも分からない」
「そうか」
俺は少し安心した。
分からないなら、考えても仕方がない。
「じゃあ、もういいだろ」
「よくない」
「なんで?」
「お前の力は危険すぎる」
アンジェリカが真剣な顔をする。
「この前の黒ローブも、お前のことを知っていた」
「……」
「そして、あの男は言った」
アンジェリカの声が少し低くなる。
「『まだ……目覚めていない』って」
俺は黙った。
その言葉だけは、俺も気になっていた。
俺の中に眠っているもの。
それが何なのか。
まだ分からない。
「アンジェリカさん」
ユイナが口を開く。
「お兄ちゃんに何があるんでしょう?」
「それを調べたい」
「どうやって?」
「まずは――」
アンジェリカが俺を見る。
「お前の過去を調べる」
「……過去?」
「ああ」
「無理だろ」
「なぜ?」
「覚えてないから」
「だから調べるんだ」
俺はため息をついた。
「面倒だな……」
ユイナが笑う。
「お兄ちゃんらしい」
「笑うな」
「だって」
ユイナは楽しそうだった。
「お兄ちゃんの昔が分かるかもしれないんだよ?」
「何が楽しみなんだ?」
「だって、お兄ちゃんが昔どんな人だったのか、知りたいもん」
「……」
俺はユイナを見る。
そう言われると、断りにくい。
「……分かった」
「本当?」
「ああ」
「やった!」
ユイナが嬉しそうに笑った。
アンジェリカも頷く。
「なら、まず村長に聞いてみよう」
「何か知ってるのか?」
「分からない。ただ――」
アンジェリカが続ける。
「お前たち兄妹が、この村に来たときのことを覚えている人間がいるかもしれない」
「……」
俺は黙った。
俺はいつから、この村にいた?
考えてみても、答えが出ない。
気がつけば、ユイナと一緒にいた。
それだけだ。
家があった。
生活があった。
そして、それを当たり前だと思っていた。
だが――
本当にそうなのか?
「……行くか」
俺は立ち上がった。
右膝が少し痛む。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫」
「ほんと?」
「ああ」
「ならいいけど……」
ユイナが俺の隣に並ぶ。
アンジェリカも後ろからついてくる。
三人で、エルビス村の中央へ向かった。
道の途中。
村人たちが俺たちに気づく。
「おお、ユイナちゃん」
「ユイナちゃんのお兄ちゃんも」
「この前は助かったよ」
「ありがとう」
村人たちは、まだ俺を見る目を変えたままだ。
以前なら、ただのユイナの兄として見られていた。
今は違う。
俺を見て――
何か特別なものを見るような目を向けてくる。
尊敬。
畏怖。
そして疑問。
俺自身、その答えを持っていない。
ただ、ユイナだけは違った。
「お兄ちゃん、行こう」
「ああ」
いつも通りだ。
それでいい。
俺たちは村長の家へ向かった。
家に着くと、村長が俺たちを迎えた。
「入れ」
俺たちは中へ入る。
村長は俺を見るなり、少し驚いた顔をした。
「……お前から来るとは珍しいな」
「聞きたいことがある」
「何だ?」
「俺とユイナが、この村に来たときのことを知ってるか?」
村長の表情が――
変わった。
ほんの一瞬だった。
だが、俺は見逃さなかった。
「……」
「知ってるのか?」
ユイナも不思議そうに村長を見る。
「村長さん?」
しばらく沈黙したあと。
村長は重い口を開いた。
「……覚えている」
俺の胸が少しだけざわついた。
「何があった?」
村長は俺を見つめる。
「お前たちは――」
そのとき。
外から、鐘の音が鳴り響いた。
カン!
カン!
カン!
エルビス村中に響き渡る、緊急を知らせる鐘。
村長が立ち上がった。
「何だ?」
窓の外を見る。
村の入口が騒がしくなっている。
だが、そこに魔物の姿はない。
一人の村人が、こちらへ向かって走ってくる。
「村長!」
「どうした!」
「村の入口に――」
男は息を切らしながら叫んだ。
「知らない女が一人、立っています!」
「女?」
俺は窓の外を見る。
村の入口。
そこに――
白い服を着た女が立っていた。
遠くて顔までは見えない。
だが。
なぜか分かった。
俺は――
あの女を知っている。
「……え?」
胸の奥が、強く締めつけられた。
右膝が――
ドクン。
強く脈打つ。
「……痛っ」
思わず膝を押さえる。
赤い光が、わずかに漏れた。
「お兄ちゃん?」
ユイナが俺を見る。
だが、俺は答えられなかった。
女が、ゆっくりとこちらを向く。
そして――
まっすぐ俺を指差した。
「……見つけた」
その声が、村の中まで響いた。
「ようやく……見つけた」
俺は、その場から動けなかった。
なぜだ。
なぜ、こんなに胸が苦しい。
なぜ、あの声を聞いただけで――
昔の記憶が、また一気に押し寄せてくる。
炎。
燃える建物。
泣き叫ぶ人々。
誰かに抱かれた幼い俺。
そして――
俺の手を握る、小さなユイナ。
「……違う」
俺は呟いた。
「ユイナは……」
隣を見る。
そこには、今のユイナがいる。
不安そうな顔で俺を見ている。
「お兄ちゃん……どうしたの?」
俺は、ユイナの手を握った。
「……何でもない」
そう答えた。
だが――
もう、何でもないでは済まされない。
俺とユイナが、この村に来たこと。
俺の右膝の痛み。
黒ローブの男。
そして、今現れた女。
全部が繋がっている。
俺は初めて――
自分の過去を知りたいと思った。
いや。
知らなければならない。
なぜなら。
俺の知らない過去が――
今度は、エルビス村にいるユイナの前へ現れたのだから。




