イリアナ・シックザントになります
私は今、ごとごとと馬車に揺られている。馬車なんて生まれて初めて乗った。魔界にいた頃は魔法で移動すれば良かったし、人間界に来てからはずっと移動手段は歩きだったから。
朝一番に孤児院の前に馬車が現れた。大通りで時々見かけるような乗り合い馬車じゃなくて、ちゃんとした豪華な馬車。ドアが開くと中からピシッとした服装の男性が降りてきて、エルマー院長先生に礼をすると、私に向き直った。どうしたのかと不思議に思っていると…
「イリアナお嬢様、お迎えに上がりました。さあ、こちらへ。」
って!にこやかな笑みを浮かべて手を差し出してきたんだよ?!既にお嬢様扱いって…。内心ビクビクしながらも差し出された手に自分の手を置くと、丁寧にエスコートされた。こんな子供、しかも初対面で(こっちの世界では)平民の孤児にそんなことをするなんて…!って驚いたのは無理もないよね。
あれよあれよと言う間に馬車に乗せられ、ドアが閉じると馬車が動き出す。でも良かった~。朝早く起きて先に皆にお別れを言っておいて正解だった。そうでもしなかったら、挨拶できなかったもんね。
ふと外に目をやると、洗い立ての太陽が街を優しく包み込んでいる。
────…綺麗。
「お嬢様?」
自分が呼ばれたことに気付かず、そのまま外を見続けようとして、思い出す。私のことか。
「何ですか?」
慌てて呼ばれた方に向き直ると、少し困った顔をされた。私、何か変なことしてたかな。
「…お嬢様。私は使用人の立場ですので、私にそのようなお言葉遣いはなさらないでくださいね。」
「…はぁ。」
そういうことかぁ。でも目上の人にそれって、良いのかな。どう見てもこの人の方が私より年上だよね。
そう思っていると、ゆっくりと馬車が止まった。着いたのかな。ドアが開いて、さっきの男性が先に降りる。すると降りたところで振り替えってまたもや手を差し出してきた。
「さあ、お嬢様。お手を。」
えっと…。階段を降りるだけなんですけど。しかも三段程度の短いの。これくらい自分で降りれるよ?
戸惑いながらもその手を掴むと先程同様優しくエスコートされる。馬車から降りるとそこには立派なお屋敷が鎮座している。左右には魔王城にあるような美しい花々が咲き乱れていて、柔らかな白いの建物に華やかさを演出している。お屋敷は…、魔界の家と同じぐらいの大きさ、つまり四大魔神のアダルジーザのお屋敷と同じ規模だ。うん。大きいね。
圧倒されていると、お屋敷の玄関らしき扉が開いて、中から二人の男女が出てきた。女性の方はグロリア様だ。じゃあ、隣の人は…。
「イリアナさん。いらっしゃい。」
「君がイリアナか。ようこそ、シックザント公爵家へ。」
グロリア様が優しく微笑んでくれる。ふわっとお花が咲いたみたい。グロリア様を隣に寄り添っている男性はニコリともせずじっと見つめてくる。何か…怖い。圧力が…。
「もう。少しは笑ってくださいませ。イリアナさんが怯えてしまっては元も子もありませんのよ。」
私の心を汲み取ったようにグロリア様が男性に文句を言う。でも、男性の表情はあまり変化しない。
「お初にお目にかかります。イリアナと申します。これからお世話になります。宜しくお願いします。」
人間界行きが決まってから、かつて人間界で暮らしていた人たちに人間のマナーを少しだけ教えてもらった。その中にあるカーテシーを行う。どうかな。今はただのワンピースだからあまり綺麗には見えないかも知れないけど、まあまあ様になってるはず。
チラリと様子を伺うと少し驚いたような顔をしている男性。グロリア様は何か微笑ましいものを見ているような顔をしている。
「ああ。宜しく頼む。私の名はチャーチル・シックザントだ。」
男性──もといチャーチル様──は淡々と答えてくれた。…ん?でも口の端がちょっぴり、ほんのちょっぴりだけど上がっているような…?
「あらあら。そんなに照れなくても良いではありませんこと?」
グロリア様は微笑ましいものを見るような目を私からチャーチル様に向ける。あれって照れてたんだ…。難しいね。
外で立ち話も何だからと中に案内される。一歩中に入るとそこは豪華絢爛。飾ってある花々は何処から見ても美しく見えるように飾られているし、その花瓶が置かれているコンソールテーブルはその存在を主張し過ぎず、互いにその魅力を引き出し合うように小さな宝石が散りばめられている。
入ってすぐ、真っ先に目に飛び込んできたのは大きな階段。白塗りの装飾の細かな手摺。完璧なる左右対称。段差には深紅のカーペットが敷かれていて、見るからにふかふかしている。そしてその上にはキラキラと光を放つシャンデリア。魔力を感じるから恐らく光魔法が使ってあるんだと思う。
この豪華さに圧倒されていると、先を進んでいたグロリア様に振り返られてクスクスと笑われた。赤面しながらその場から動き出す。
案内された部屋に入ると、ふかふかのソファーに座らされた。
「さて、改めて…。私はチャーチル・シックザント。シックザント公爵家の当主だ。」
そこまで言って口を閉じるチャーチル様。うん。それはさっき聞いたから分かるんだけど…。
「ですから…、照れていないで言って差し上げてくださいませ。会話が続けられませんわ。」
グロリア様がチャーチル様の腕をピシピシ叩く。えっと…。公爵夫妻ってこんな感じなの…?こんな感じで良いの…?
「君の義父となる…。」
視線を僅かに反らしながら消え入りそうな声で言われた。そうだったね。私はこの家の養女になるんだからこの人が義父様になるんだよね。
「もう…。ごめんなさいね。いつもはこんな感じでは無いのよ。もっと貫禄があって堂々としていらして、頼りになる方なんですの。でも、初めての我が子だから照れていらしてるのよ。」
やっぱり照れてるんだ…。分かりにくい。と言うか、子供に夫の自慢話するってどうなのかな…。何かこの夫婦大丈夫か心配になってきたよ…。
「そう…ですか…。」
「取り敢えず…、そうね。イリアナさんの呼び方を変えなくてはね。何にしようかしら。イリアナだからイル…?はあちらで呼ばれていたわね。イリーは何かしっくり来ないわ。アナ…も駄目ね。リアナ。よし。これにしましょう。私は今から貴女をリアナと呼びますわ。リアナ、私たちのことは義父様と義母様と呼んでくださいたさいまし。」
あっさりと決まっちゃったよ!っていうかチャーチル様じゃなかった、義父様入る隙無かったよ。もしかしてこの家のヒエラルキーはグロリア様、義母様の方が上なの?!
義母様がキラキラした目で見つめてくる。あ、もしかして呼ばれるのを待っているのかな。
「お、義母様…。義父様…?」
義母様は、まぁ!と声を上げて両手を胸に引き寄せた。そして…。いいのかな。お顔が盛大に破顔しているけど…。それに対して義父様はピシリと固まってしまった。も、もしかしてこれも照れてるの…?
「…む、娘が。娘が、イリアナが…リアナが。お、義父様と…。」
────…えっ?
驚いてるの?照れてるの?何かわなわなと震え出してるのだけど…。どうしたらいいの?!
こっちまでわなわなと震えそうになっていると、それに気付いたのか義母様が苦笑した。
「リアナ。貴女の義父様はとても喜んでいらっしゃるのよ。決して怒っているわけではないから、安心してちょうだい。」
そうなの…。これが喜んでいる姿…。やっぱり分かりにくい。当分は義母様の通訳が必要かも。
「そうだわ!貴女の専属執事とメイドを紹介していなかったわね。貴女の専属執事のトトリと専属メイドのシェリーよ。」
義母様が手を向けた方を見ると、私を迎えに来てくれて完璧なエスコートまでしてくれた男性と、それより少し若めの女性がいる。もしかして今まで待っていたんじゃ…。
「紹介するのが遅くなってごめんなさいね。危うく忘れる所だったわ。」
てへッと効果音が付いてきそうな笑顔を溢す義母様。
────公爵夫人それで良いの?!
さっきよりも危機感を覚えてしまった私は悪くないよ。これは断言できる。
トトリさんとシェリーさんは恭しく頭を下げる。えっ…。こんな子供にそこまでやるの?魔界のお屋敷では皆普通に家族みたいに接していたのに。
「ご紹介に預かりました、トトリ・ラングドックでございます。これから宜しくお願い致します、イリアナお嬢様。」
「同じくご紹介に預かりました、シェリー・ゲイルズでございますわ。これから宜しくお願い致しますわ、イリアナお嬢様。」
シェリーさん綺麗なカーテシーだ。今度教えて貰おっと。
「こちらこそ、至らないところばかりですが、宜しくお願いしますね。」
こうして私の、イリアナ・シックザントの生活が始まった。




