1-7 門下生
安心安全商事の社屋は街の外れにある。
軽いカーブの外側に面して、広い砂利の駐車場があり、事務所は駐車場の奥に建つ一軒家。そのさらに奥が書庫になっている。
剣一は駐車場の隅に立った。竹刀は会社に持ってきている。上着を脱ぐ。シャツも脱ぐ。暑かったので、上半身裸になった。
「……よし」
竹刀を構える。
「せいっ!」
空気を切る音。剣一は黙々と素振りを続けた。
一振り、また一振り。踏み込み、振り下ろす。斜め上から、斜め下へ、袈裟斬り。逆袈裟斬り、横斬り、払い斬り、突き、他にも一通り行う。呼吸を整える。
やはりこちらのほうがいい。体を動かしていると、余計なことを考えなくて済む。
「……せいっ!」
そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「ん?」
剣一が竹刀を止める。道路の向こうからパトカーが走ってくる。そして、会社の駐車場に入ったところで急停止した。
「……うち?」
パトカーのドアが開き、若い警察官が飛び出してきた。そして、数歩も進まないうちに剣一の姿を視認した。
「――!」
上半身裸。汗だく。手には竹刀。そして、父親から色濃く受け継いだ、鋭い目つきの悪人顔。通報内容と目の前の人物が、若い警察官の頭の中で一瞬にして一致した。
「ぶっ、武器を捨てろ!」
警棒を抜きながら叫んだ。声が上ずっている。
「……え?」
剣一は竹刀を持ったまま固まった。
「竹刀ですけど?」
「それも武器だろう!」
「まあ……そうですけど」
言われてみれば、その通りだった。剣一は自分の手元を見る。確かに竹刀を持っている。しかも上半身裸で汗だく。道路沿いの駐車場で一人、黙々と竹刀を振っている。
通報した人間が「恐ろしい顔をした不審者」と言ったのも、無理はない。
剣一自身、顔が怖いことは自覚している。幼いころから何度も言われているので、今さらどうこう言うようなことでもない。
――武器を捨てろ、か。
剣一は少しだけ困った顔をした。しかしその顔も、若い警察官からすれば全く安心できるものではなかった。
そのときパトカーの反対側から降りてきた年上の警察官が、こちらへ駆けてくる。
「どうだ!」
よく通る、張りのある声だった。
「通報のあった不審者です!」
若い警察官が答える。
「武器を持っています!」
年上の警察官が剣一を見る。
「……あっ!」
そして、目を見開いた。
「師範代!!」
「えっ?」
今度は若い警察官が固まった。年上の警察官は、さっきまでの緊張した表情を一変させた。背筋を伸ばすと警棒を構えている後輩を横目に見ながら、剣一へ向かって深々と一礼した。
「お疲れさまです!」
「……ああ」
剣一も年上の警察官の顔を見て頷いた。
「先週も道場に来てましたね……」
「はい!」
年上の警察官は嬉しそうに頷いた。
「お仕事ですか! お疲れ様です!」
「まぁ、ここが新しい職場で……」
「そうでしたか!」
年上の警察官は納得したように何度も頷く。その隣では、若い警察官だけが状況についていけずに立ち尽くしている。
「えっ……」
「もう大丈夫だ」
先輩警察官が言った。
「この方は不審者じゃない」
「でも、さっき武器を――」
「あれは竹刀だ」
「でも……」
「竹刀だ!」
若い警察官は剣一を見る。剣一も見る。目が合った。若い警察官の手が、警棒を握ったまま微妙に震えている。
「……はい」
「騒がせてすまなかったな」
剣一が頭を下げる。
「いえいえ!」
先輩警察官は慌てて手を振った。
「通報者には私から連絡しておきますので、ご心配なく」
「助かる」
「では、失礼します!」
二人がパトカーへ戻っていく。剣一も軽く手を上げた。
パトカーのドアが閉まりエンジンがかかる。そして走り出す直前、助手席の若い警察官が先輩に尋ねた。
「先輩……」
「ん?」
「知り合いなんですか」
「ああ」
「……堅気じゃないですよね」
「何を言ってる」
「……いや」
若い警察官がちらりと剣一を見る。
「剣術の師範代だ」
「剣術?」
「そうだ」
先輩警察官は、当然のことのように答えた。
「恐ろしく強いぞ」
「……」
「顔のまんまだ」
「…………」
剣一には、二人の会話がはっきり聞こえていた。
パトカーが遠ざかっていく。
「……まあ」
剣一は顎を軽く撫でた。
「そうだよな」
別に今さら腹を立てるようなことでもない。剣一は竹刀を握り直した。
「……素振りでもするか」
そして、何事もなかったかのように構える。
「せいっ!」
砂利の駐車場に、再び竹刀の音が響き始めた。
次の話からいよいよ人ならざる者が出てきます。
先ずは天狗です。




