1-3 視えるという事
剣一はしばらく黙っていた。
師範代をクビになった。理由は、顔が悪人面だから。
普通なら、もう少し落ち込んでもいいところだ。しかし父親から「次の仕事を紹介してやる」と言われた。まあ、それならいいか……。剣一はそのくらいに考えていた。
だが、仲村家では昔から、妙なことが起こる。
例えば――。
「ところで剣一」
「なに?」
父の友和が、何でもないことのように言った。
「さっきから庭にいるあれは何だ」
「庭?」
剣一が庭を見る。居間の窓の向こう、庭の隅にある柿の木の下に、何かが立っていた。
身長は一メートルほど。ぼろぼろの着物のようなものを着て、少しずんぐりした体型をしている。
「あぁ……」
剣一は頷いた。
「まだ子供みたいだね」
「昨日からいる」
「そうなの?」
百恵が首を傾げた。
「私はぼんやりとしか分からないわ」
「母さんは、あまり視えないからな」
「失礼ね。少しくらいは視えるわよ」
百恵は頬を膨らませた。
「ほら、そこにいるんでしょう?」
「うん」
「なんとなく、なんだけどね」
百恵は目を細めた。やっぱりぼんやりとしか視えていないらしい。
綾斗が笑って、
「僕は形までなら視えるよ」
「表情までは?」
「そこは無理。背格好はわかるんだけどね。一メートルくらいだから、子供かな?」
「まぁそんなもん」
剣一が言うと、友和が腕を組んだ。
「俺も視えるぞ」
「父さんはかなり視えるだろ」
「ああ」
友和は窓の外を見た。
「ただ、剣一ほどではない」
その言葉に、剣一は少しだけ黙った。
仲村家では、こういう会話が珍しくない。幽霊。妖怪。悪霊。精霊。時には、神様と呼ばれているような存在。一般の人間には視えないものが、仲村家の人間には視える。
もっとも、その「視える」にも個人差がある。母の百恵は、気配を感じたり、ぼんやり姿が視えたりする程度。綾斗は普通に姿を認識できる。友和になると、かなりはっきり視える。
そして剣一は……。
「剣一」
「なに?」
「今、何人いる?」
「庭に?」
「いや、この家の周りだ」
剣一は少し考えた。
「……8」
「8?」
綾斗が目を丸くする。
「うん」
「そんなにいるの?」
「庭に二人。屋根に一人。向かいの電柱に一人。あと」
剣一は窓の外を見ながら、指折り数えていく。
「道の向こうに二人。あそこの木に一人。あと台所の窓の外に……」
「台所?」
百恵が台所の方を振り返る。
「うん」
「何かいるの?」
「さっきから覗いてる」
「いやぁね」
百恵は少しだけ身を引いた。それでも、そこに何かがいる姿は視えない。
「でも剣一」
友和が言った。
「昔からそうだったな」
「そう?」
「ああ」
友和は懐かしそうに笑った。
「お前が三歳くらいのころだったか」
「何かあったっけ?」
「誰もいない廊下に向かって、お前がずっと手を振っていた」
「ああ」
百恵が思い出したように笑った。
「そうそう。私が『誰に手を振ってるの?』って聞いたら、『あのおじさん』って」
「怖い話だね」
綾斗が苦笑する。
「で、父さんが見に行ったら?」
「いた」
「いたんだ……」
剣一は少し考えた。
「どんな人だった?」
「古い軍服を着た男だったな」
友和は答えた。
「玄関のところに立ってた」
「へえ」
剣一は特に驚かなかった。自分にとっては、それほど珍しい話ではない。むしろ――。
「三歳のころから視えてたんだ」
「三歳どころか、生まれたばかりのころから視えていたんじゃないかと思うぞ」
「赤ちゃんの頃から?」
「ああ」
友和は息子を見る。
「お前は昔から、普通じゃないくらい視える」
剣一は苦笑した。
「それ、褒めてる?」
「褒めてる」
「そうか」
剣一は窓の外を見る。庭にいる「何か」が、こちらを見ていた。剣一は軽く手を上げる。すると、それも小さく手を上げた。
「……かわいいな」
「何が?」
「庭のやつ」
「私にはぼんやりとしか視えないわ」
「母さんは無理しなくていいよ」
「なんだか悔しいわね」
百恵が笑う。その横で、綾斗も窓の外を眺めている。
「僕には、もうちょっと視えるよ」
「じゃあ、あれ何だと思う?」
「たぶん、子供じゃない?」
「当りだけど違う」
「え?」
「狸」
「……狸?」
「うん。たぶん妖」
綾斗が目を凝らす。
「どこが当りなの?」
「狸だけど子供っぽいから」
「視えないよ、そんなの」
「よく視て」
「お兄ちゃんの『よく視て』は信用できないんだよな……」
仲村家では、こんなやり取りが普通に行われる。だから剣一は知らなかった。
自分が異常なのだということを。
仲村家の人間は、一般の人間に比べれば、確かに「視える」。だが、それでも普通は、視えるものには限度がある。
百恵は少し。綾斗は普通。友和はかなり視える。
そして剣一は、
――異常なほど視える。
視えるだけではない。
相手が何者なのか、何を望んでいるのか。怒っているのか、困っているのか。人間に害を与えるつもりがあるのか。そういったことまで、剣一には何となく分かってしまう。
本人にとっては、それも昔から当たり前だった。だからこそ、自分が特別だという自覚は薄い。
「そういえば父さん」
「何だ」
「紹介してくれる仕事って、どんな仕事?」
友和は少し黙った。そして、いつもの怖い顔でニヤリと笑った。
その瞬間、庭の狸がびくっと身をすくめる。
「お前なら、すぐに分かる」
「……」
剣一は眉をひそめた。
「話をつけとくから、来週にでも新しい職場に行ってこい」
そう言うと、友和はずずっと茶をすする。
実は、友和が剣一に伝えていないことが一つあった。
剣一の「異常なほどの視える力」
それこそが、友和が紹介しようとしている仕事において、何よりも重要な才能だった。
次話、会社(安心安全商事)へ行きます。




