最終章 いつか人間と呼ばれる君へ
アルドフッドが治療を終えた頃、神成山私営診療の裏に水色のゲートが設置されていた。
それはクロたちの為にオリジンが設置した、島と本土を繋ぐゲートだ。船に乗って帰ろうとすると被災地からの帰還者として取材を受けてしまう可能性があったので、あまり魔法使い組が目立たないようにと急遽拵えられたものになる。
「……」
クロは現実感が薄いとでも言いたげな目で、そのゲートを見つめていた。
これを潜れば全ては終わり、日常へと帰れるだろう。つい4日前まで通っていた学園生活も、今となったらなんだか懐かしいものに思えてしまう。
「いやー、ホントに世話になったわねぇ。色々と学ばせてもらった気がするわ」
足の指の怪我がすっかり治ったハルが、ちょっと大人びた言い方でアルドフッドに礼を言っていた。口調こそ礼儀がなっている風に見えるが、その手にはアルドフッドから託された土産をたくさん抱えて子供のようだ。
「俺のほうこそな! ガキの面倒見てもらったりと色々世話になったな! おう、おめぇらまた遊びに来いよ! そん時はサービスしてやるよ、末梢静脈から点滴打ってやる!」
健康体な人間に点滴を打つのは果たしてどうなのかは別として、アルドフッドは親戚の親父のように笑ってそう言った。
ふざけていられない鉄火場にいたせいで随分シリアスな姿を見てきたが、ようやく彼にも対子供用の豪快な口調が戻ってきていた。あまりにド迫力な笑いのせいで縫合した傷口が解けて血が噴き出ているが、本人はあまり気にしていなさそうだ。
「子供たちに宜しくお伝えくださいね! あと、もしワムちゃんに携帯電話を与える機会があったら、是非このアイの連絡先を伝えてください!」
「おお?! こりゃいい連絡先だな! 分かった、機会が来たら教えとくな! ついでに地元商工会の連中にも教えとくからな! 祭りのたびに手伝いの勧誘電話が夜な夜な鳴り響くぞ!」
「あぁっ、やめて……!」
連絡先を渡したことを半ば後悔しているアイは、あれほどまでに危ない目に遭ったというのに元気そうだ。自分よりもよっぽど酷い目に遭ってきたワムのことを思い、こんなことでへこたれている場合ではないと自戒しているのだろう。
「それじゃあ俺たちはここで。4日間、本当にお世話になりました」
「ああ……」
別れの言葉を聞いたアルドフッドは、一転して上の空みたいな返事をしてしまう。
最後の最後に、彼はダウナと交わした電話を思い出していた。それはクロたちが訪れる少し前、まだこの島が平和だった頃に告げられた言葉――。
『あのさー……もうすぐ神成島に怪我した魔法使いが行くから、治療してあげられないかな……?』
『あぁ? なんだ、おめぇらオリジンは医療系魔法使いくらい抱えてんだろ? わざわざ俺に頼むってこたぁ、何か裏があるってのか?』
『鋭いねぇ……。まあ、なんだ……少々複雑な過去を持つ子たちでね、辛い過去を持つ先輩として幸せな余生を教えてあげて欲しいんだよ……』
『……体だけじゃなくて、心の治療までしろってか。でもいいのか? 俺ぁ口がジジイの肛門括約筋くれぇゆるゆるだぜ、もしかしたら余計なことを喋っちまうかもしれねぇぞ』
『ああ、話す必要がありそうなら全然構わないよ……ゼロのこともオリジンのことも、好きに語ってくれて問題ない……。まあ、そこは当人を見て好きに決めなよ……』
『はあ。よく分かんねぇが、その口ぶりからして面倒くせぇ事情を押し付けられたってこた分かるな。まあお望み通り好きに決めてやらぁ。治療するかどうかも俺が決めるぜ、いいな』
……ダウナの望み通り、アルドフッドはクロたちを招き入れて、世界の在り方を語った。そして子供たちと過ごす日常を伝え、化物が余生を生きるための心構えも教えた。
やれることは全てやった。後はもう、この小さな化物たちが人間として生きるか、化物として消えるかを選ぶだけだ。
全てをやり遂げたことを実感したアルドフッドは――満足そうに笑う。
「おう! 元気でな! 風邪ひくなよ! 来たけりゃいつでも空飛んで来いよな! 胃袋が反旗を翻すようなメシ作ってやるからよ! あばよ!」
別れの言葉はとても彼らしく、豪快でワイルドな句だった。
そして、クロたち4人は、最後にアルドフッドとベリアスに手を振って――ゲートの中を潜り抜けていく。
ゲートの感覚は得も言われぬもの。まるでムービングウォークを進んでいるような加速感と、夢の中を走っているかのような停滞感が同時に襲い掛かる。あまりの奇天烈な感覚に、初体験のアイが「うわ!」と驚愕したような声を上げている。
それでも前へ前へと進んでいき、やがて道の先に光を見つける。
淡い光に向かって歩いていくと、不意に視界が白く覆われて――気づけば4人は、クロとハルが住む家の前へと転送されていた。
懐かしい匂いと生活音、遠くから聞こえてくる子供たちのはしゃぐ声。神成島に漂っていた観光地特有の緩やかさは無く、とても身に馴染んだ雰囲気が彼らを出迎える。
旅行先から地元へ帰ってきた時の独特な安心感を得ながら、彼らは周囲を見回した。もうどこを見ても海は見えやしない。
「……」
ようやく帰ってきたというのに、誰も解散の挨拶をしようとしない。4日間一緒にいたせいか、なんだか別れが惜しくなるようなむず痒い気持ちがあるのだ。
そんな流れ解散的な雰囲気の中、口火を切ったのはアイだった。
「……それじゃ、お疲れ様だね! なんか色々あったけど友達ができたりして楽しかったよ!」
ハルの抱えていたお土産から一部を受け取って、アイが自宅への一歩を踏み出す。
「また今度、どこか遊びに行こうねー! 次は敵が来ないところとかで! あとリンちゃんは今度カフェ行くよ! 新作のカフェラテ飲ませたい!」
そう言って、彼女は手を振りながら走り出し、曲がり角を曲がって見えなくなる。
……3人の視界から外れた彼女は、片手でお土産を抱えながら、もう片手で携帯電話を取り出した。
しばらく会えていない幼馴染兼恋人に、たくさん話したいことがあるのだ。きっと今日は寝落ちするまで電話をかけ続けるだろう。明日は登校日だというのに、きっと随分な夜更かしをしてしまうはずだ。
それでも今日は、今日だけは……いつまでも語り明かしたいと願う。
……そして残された3人は、再び謎の沈黙に包まれるが――次はナイリンが口を開いた。
「王子殿。私は今回の事件について報告しなければならないため、一度魔法界へと戻りたく存じます。代理の護衛はすぐ参りますので、何かありましたらそちらへ申し付けください」
「ああ……ナイリンにも色々助けられたよ。ありがとう」
「いえ、護衛の責務ですから」
「……ちなみにどうして俺たちを恨んでいたかは、最後まで話さないままか?」
「ええ、秘密です。だって……今更、どうでもいいことですから」
最後にそう告げて、彼女は不可視の魔法を使って2人の前から姿を消した。
これから彼女は中立国家の派遣員と合流し、帰還ゲートを開いてもらうだろう。そして魔法界に帰った彼女は、報告を終えた後、故郷にある家族の墓へと足を運ぶはずだ。
長く長く続いた復讐の旅は、もう終わったのだ。これからは彼女自身が目標を見つけ、自分を幸せにするための日々が始まるはずだ。
それにあたって、まず一つやりたいことがあった。
『悩んでいないで上司に聞いてみろ、絶対許可を出すから。……お前ら中立国家が化物の量産を計画し、やがては魔法界随一の大国へ成り上がろうとしていることは分かっている。化物についてのデータ収集は喫緊の課題、この機会を逃すはずがねぇ』
ベリアスの言い放った言葉は、彼女の知らない自国の姿だった。今まで自分が加担していたものは何だったのか、秘密裏に調べてみたいと思ったのだ。
もしもそれが、世界を混乱に導く導火線だとするならば――自分の手で消し去らなくてはいけないと誓って。
「……さて、俺たちも帰るか」
「うん!」
残されたクロたちは、一度大きな背伸びをしてから――自宅へと帰っていく。
扉を開けて漂ってきた我が家の香りが、彼らにとっては胸に染み渡るほど懐かしくて。
「ねえクロ、そういえばさ、今回の一件で『魔法使いを人間にする魔法』を使えるようになったのよね?」
「まだ不安定だがな」
電気の点いていない廊下を歩いていく。意図せず2人の歩調はぴったり合って、並んだ肩は離れない。
「それじゃあ、私たち、いつでも化物から人間になれるんだよね?」
「……まあ、そういうことになるかな。多分」
「じゃあ、いつか……全部やり終えて、この世界から化物が要らなくなった時は……一緒に人間になろうね」
「………………」
戦争を止めて争いが消えた世界では、化物は無用の存在だ。それはアルドフッドの過去が証明している。
平和な世界に化物の居場所なんかない。化物として生まれてしまったら、争いの世界でしか生きていられないのだ。
しかし、化物という身分を捨てられるならば。
平和を取り戻した世界でも、普通に生きることが叶うはず。
……化物として生まれた彼ら2人でも、普通の幸せを得ることが許されるのだ。
「ああ、そうだな」
クロが肯定すると――ハルは、嬉しそうに笑った。
そして彼女は、大きく一歩を踏み出した。クロを追い抜かしてリビングへの扉に接近し、そのレバーを降ろして真っ先にリビングへと入っていく。
そこでくるりと振り返って、クロのほうへと向き直る。その顔には不敵な笑みが浮かび、なんだよ、というクロの声に堪えきれない笑いを零して。
「おかえり、クロ!」
そう言って、彼女はクロを出迎える。
その瞬間、クロは――なんだか、とても長い遠征が終わったかのような気持ちになった。
自分の背に圧し掛かっていた疲労感をようやく自覚して、同時に家へと帰ってきた時の安心感も過らせて。
生まれて初めて、旅の終わりの満足感を知る。
「ただいま、ハル」
クロが返事をすると、ハルは嬉しそうな笑顔を見せて――。
誰よりも楽しそうに、笑った。
夢。……そう、夢を見ていた。
どこまでも白が続く無限の世界、ありとあらゆるものが純白に塗り潰された夢の世界。どうせ夢だというならば気を利かせてもっと豪華絢爛な装飾でも飾り付けてくれればいいのに、世界はあまりにも簡素で無味無臭だった。
きっとそれは、無駄な情景で脳の容量を消費したくはなかったから。
目の前にいる妻の――サラサの存在を、この上なくリアルに描写するために、ありとあらゆるものを省いているのだ。
「………………久しぶりだな」
喉から零れ落ちた声は、まるで自分のものではない他人の声であるかのよう。骨伝導で伝わる己の声だけではなく、純白の世界に反響した声がこの耳からも聞こえてきているのだ。
だから己の声色が嫌でも分かってしまう。
こんなにも穏やかな声を出すなんて、きっと彼女と過ごした日々以来だろう。
「――――――――」
穏やかな笑顔を浮かべながら、サラサが何かを喋っていた。きっといつもの調子で優しい言葉をかけてくれたのだろうが、その言葉は誰にも届かない。
彼女を失って、最初に忘れてしまったのは声だった。1年、2年と経つごとに彼女の声色が朧気になって、今ではもうどんな声だったのかを思い出すことすらできない。街中で偶然似たような声色が聞こえてきて、なんだか既視感を覚える程度のことしかできないのだ。
だから夢の中で彼女がいくら言葉を発しても、俺には聞き取ることができないのだ。
かつてはそれを嘆き、悲しみの底に沈んだこともあったが――もう乗り越えた。戦火によって故郷を焼かれた人々の中には、愛する人の写真を失ってしまった者だっていたはずだ。それを思うと、数枚の写真を持っているだけでも自分は幸運なのだと思える。
「……」
言葉では伝え合えない。だから俺はいつも、彼女に歩み寄って抱きしめるのだ。
化物に対してあまりにも小さすぎる、たった一人の女性の体を。……忘れられない暖かさと共に。
「……ようやく、ワムに――ヴィオに逢えたよ。随分遅くなったけど……またいつか、家族として一緒に暮らせる日が来るんだ」
「――――――」
俺の体を抱きしめて、サラサは何かを呟いた。言葉は伝わらない。しかし背中に添えられた手が俺の背を優しく撫でてくれた。
「あいつには……ずっと地獄を見せてしまったみたいだ。子供には過ぎたる地獄を、嫌になるほど。……これから俺は、それを帳消しにしてやれるくらいあいつを幸せにしてやらなきゃならない」
「――――」
「……俺みたいな化物にできると思うか?」
「――――――、―――――――」
百の言葉も千の誓いも、今では誰にも届かない。それでも握り合った手だけは届くだろう。
握りしめた手に力が込められれば込められるほどに、色濃く想いは刻まれる。自分を化物だと自重する俺を、いつもサラサは叱りつけてくれていた。たった一つの行動で、万感の思いは容易に届くのだ。
「……そうだな、俺はあいつのお父さんだもんな」
「――」
化物であっても人間であっても、親に与えられた本懐は変わらない。絶えなく愛情を注ぎ、間違った道に進もうとすれば止め、いつか大人になる日までその手を引き続けるのだ。
一度離れてしまった手は再び繋がれた。
十数年の時を経て、親子としての絆が縒り合ったのだから、もうこの手を離すことなんてできない。今度こそ親としての全てをやり遂げるしかないのだ。
「………………お前が死んでから、ずっと結論を出せずにいたんだ」
不安げに揺れる自分の声さえ、白妙の世界は反射する。思い知りたくもない情けない語調に耳を塞ぎたくもなるが、そんなもの、彼女を抱きしめること以上に重要なことだとは思えなかった。
「化物と人間が恋をすることなんて許されないのではないかって。……あの時、恋をしてしまったから……俺たちに罰が下ったんじゃないか、ってな……」
サラサとの誓いを忘れずに、どれだけ人助けを繰り返しても――心の根底にある不安は揺れ動き続けていた。
化物と人間の恋は、果たして許されるのか。
全ての恋が許されるわけではない。この世界には許されない恋なんていくらでもある。
例えば近親、例えば異種、例えば不貞。……そしてきっと、化物が抱く恋。
全ての悲劇は、恋のできない立場にいる自分が思いあがった結末なのだと、終わりのない自傷を続けてきた。
「……でも、あいつらが答えを見せてくれそうなんだ」
「――――?」
「クロスエッジ王子とハルモニア女王だよ。……あいつらだって化物と呼ばれているのに……しかも戦争中の王族同士だってのに、明らかに意識し合ってるんだ。化物と人間なんて立場よりもよっぽど困難な壁に立ち向かおうとしてるんだよ」
自分が立ち向かい続けた絶望に、若き二人が全力を持って抗おうとしている。自分の老いを感じると共に――頼もしくもあった。
どれだけ変えようとしても変わらなかった世界が、少しずつ変わろうとしている。きっとこれは全ての始まりなのだ。
「それにあいつらはさ、化物として地獄の幼少期を過ごしてきたんだよ。……だからヴィオに示してくれるさ。一度は絶望に落ちた子供だって、いつかは幸せになれることを」
化物に恋が許されるのか。俺とサラサでは答えを出せなかった問いに。
絶望の先に幸せを見つけられるのか。ヴィオがこれから挑む問いに。
あの二人なら範を示してくれるだろう。
世界の秘密を解き明かして――糸の切れた舞台装置の中で、在り得ない未来を紡いでくれるはずだ。
「……どうやら、俺が思うよりも少しだけ……世界は明るいらしいんだ」
「――――――」
「だから、もう少しだけがんばってみるよ。天国で一人にさせて悪いが……もう少しだけ、待っていてくれ」
「――」
不退転の決意と同時に世界は暗転し、全てが胡乱なる夢の混沌に呑み込まれていく。
あれだけ真白に染め上げられていた世界は闇に溶けて消え、彼女の姿さえ見えなくなってしまう。
それでも、抱きしめ合う温もりだけは、闇の中でさえ鮮明に――。
きっと俺が目を覚ました時、ここで交わした会話は全て忘れてしまっているだろう。
それでもいいのだ。大切なのは記憶じゃない、ここで胸に刻んだ決意なのだから。
記憶に残らなかったとしても、これからヴィオの手を引き続けることだけは覆らない。
だから、現実に持っていくのはその想いだけでいい。
「……うん。ずっと待ってるよ」
その時はっきりと、彼女の声が聞こえた気がした……。
恋する二人は許されないシーズン3 ~かつて化物と呼ばれた君へ~ 終わり
次回 恋する二人は許されないシーズン4 は4日後より毎日投稿です
明日、明後日、明々後日は番外編2本とTIPSを更新予定です
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