25章 全ての終わりを呼ぶ扉
「アルドフッドさん!」
マドーサとの戦いを終えたクロたちが、診療所へと戻ってきていた。
診療所にはアルドフッドとワム、アイと子供たちがみんな揃っている。どうやらみんな生き延びたことを安堵し、クロは胸を撫でおろす。
「よかった、みんな無事に……」
言い放った言葉は、ワムの凄惨な姿を見て絶句に変わった。
もはや生きていることすら奇跡と思えるほどの重傷を負い、彼女はベッドの上でか細い息を繰り返している。意識はないはずなのにその顔は苦悶に歪み、時折唇の端から鮮血の筋を零していた。
全身に治療魔法による治療痕が見られるが、あまり効果が出ているようには見えない。そもそも欠損した肉体を再生させることはアルドフッドでさえ手を焼くほどの大手術だ。それが脳の一部にまで及ぶとなれば、生存は絶望的だろう。
……しかし縋るものがあるとすれば、彼女は再生能力を保有する化物なのだ。死のカウントダウンさえ食い止めていれば、やがては完全に回復するビジョンも見えてくるかもしれない。
「おぉ、お前ら……無事だったか、なぁ。奮闘してもらったところ悪いが、あんまり喜んでいられる場合でもねぇ」
どこか沈んだ口調でアルドフッドは言い放つ。彼はワムに治療魔法をかけながら、目の前に聳えるMDウィルスの魔法陣を見て、解毒方法を探っているようだった。
ワムは生死の境目、子供たちはMDウィルスのタイムリミット中、児童ホームは大半が炎上して無残な有様。……敵を撃退したとは言えども、これでは損害が大きすぎる。こちらとしては辛勝、いや、ほとんど痛み分けと言うべき結末だ。
それにワムを獣から元に戻す方法は分からないのだ。仮に彼女を治療したとて、再び獣として暴走する可能性は高いだろう……。
「おいお前ら、朗報があるぞ」
そう言いながら部屋に立ち入ってきたのはベリアスだった。彼のことを知らないアルドフッドとアイが誰だと言いたげな視線を向けたので、クロが慌てて彼についての説明をしている。
「ゼロ共は神成島から引き上げたようだ、恐らく島内に残っている敵兵はいないだろう。……これからオリジンの支部に連絡を取り、衛生班と災害派遣班を召喚する。MDウィルスの治療と鎮火、それと魔法の痕跡を消すために記憶操作を行う予定だ」
「……誰だか知らねぇが、兄ちゃんよぉ……ガキ共は助かるのか?」
「発症からの経過時間は短い。恐らく後遺症なく治療できるだろうな」
「そうか……」
アルドフッドが不意に立ち上がり、ベリアスに向かって深く頭を下げた。
「兄ちゃん、恩に着る。ダウナ・ローティエンションにも恩義の意を伝えてほしい」
「礼など不要だ。それより我が団長は『自爆魔法』を相手に接収されていないかを気にしている様子だった。抜かりないな?」
「ああ。敵の侵入は許したようだが、物色されたとしても大量のダミーに惑わされただろうからな。本物の研究資料は地下に保管してある。あの短時間で発見されるわけがねぇな、おう」
「え……」
その話を聞いて、小さく声を漏らしたのはアイだった。
そして足音を出さずに窓際へと移動し、窓越しに児童ホームの廊下を見る。
……火事で燃えた痕跡こそあるが、床が二つに割れていない。あの時、鬼龍は地下から登場して敵を斬り伏せたというのに、まるで最初から斬撃が無かったかのような――いや、むしろ斬られた床の断面がくっついたかのように、床には裂傷一つ残っていなかった。
どうして鬼龍が地下から現れたのか、それだけが分からなかった。でも、もし、地下に存在する研究資料の存在を知っていたとしたら?
あの時、既に作戦が遂行されていたとしたら……?
「――――――――!??!」
その瞬間、突如として色濃い魔力の圧力が世界を包み込む。
暴力的なまでのそのプレッシャーたるや、クロやハルなどの化物に全身全霊の殺意を向けられたかのよう。自分が今、生きているのかどうかすら分からなくなるほどの緊張感が漂い、空気までもを震わせていた。
重圧の発生源は、空。……天から降り注ぐ雨のように、正気とは思えない程の緊張感が天から舞い落ちていた。
「何だ……!?」
異常を感じ取ったクロたちは、急いで診療所の外に出て、空を見上げる。
「…………………………!」
神成島の快晴は消え失せ、天には巨大な『扉』が顕現していた。
扉の背後には、ゼロの面々がゲートとして使用していた紫色の渦が高速回転している。それを鑑みるに、扉の接続先はゼロの軍事基地だろう。その渦の存在を知らないクロたちでさえ、扉から漂ってくる物々しい魔力の色を感じるだけでそれを理解できた。
扉の大きさは、神成島をゆうに包み込める程だ。もしもそこから兵士が雪崩れ込んでくるとすれば、その数は千、いや万を超えるだろう。例え相手が化物であろうとも、物量差によって一方的に惨殺できる兵数だ。
「あいつら、こんな手を残していやがった……ッ!」
あの扉が開けば全ては終わるだろう。ここまで護り抜いてきた全てが死に絶え、誰一人生き残る者はいない。
扉は鳴動を続け、いつ開いてもおかしくない状態だ。恐らく数十分もしないうちに、地獄へのゲートが開いてしまう。
彼らに残された寿命は、僅か1時間もない……。
「ねえクロ、早くあの扉を破壊しないとマズいんじゃない!? ……あんなの開いたら、全員死ぬわよ……?!」
「分かってる! ……けど、破壊できると思うか!?」
あれほどまでに巨大な扉を破壊するためには、島一つを消し去れるほどの威力が必要だ。しかしそんなこと、弱体化した化物であるクロたちは愚か、今のアルドフッドにだって出来やしないだろう。
そう、彼らは最初から詰んでいたのだ。迎える末路は確定事項、後はその道中をどう演じるかだけ。どれほど懸命に足掻こうとも、結局は確定した最後へと収束していく。
ある者は呆然と空を見上げ、ある者は自らの死を悟って地面を見つめた。ある者はかつて故郷が死地と化した瞬間を思い出し、ある者は本土にいる恋人のことを想い、ある者は最後に団長への忠義を誓う。
そして、ある者は――人知れず、笑った。
「……お前に語った通りだな、スカーレット」
思い返せば、相棒と拳を交えた時、アルドフッドは己の末路を語っていた。
『悪いが俺の死に様は決まっている。魔力を失い、塵と成りて消えてみせよう。最後の一瞬まで抵抗し、果敢なる死を甘んじて享受してやる』
まさか、それが現実になるとは。……奇妙な巡り合わせに、彼は可笑しさを堪えきれない。
「おう、聞けガキ共。あの扉を破壊する手段が一つだけある」
いつもよりも凛とした声で、アルドフッドが全員に告げる。
その表情は何かに満たされたかのように、そして何かを諦めたかのように穏やかだった。
「普通の攻撃じゃ破壊できねぇってんなら、己の全てを懸けた禁術に依れば良い。……自爆魔法を用いて、この俺自体が爆弾と化してみせよう」
「な……!」
何をバカなことを言っているんだ、とクロの口から言葉が出ていた。しかし内心では、それしか方法がないことに気づいていた。
あの扉を破壊するには、アルドフッドの爆発魔法では不十分だ。しかし禁術を用いて、己の魔力全てを破壊力に変換できたならば可能性はある。アルドフッドは稀代の化物、その保有魔力量も半端ではないのだから。
しかし――当然、自爆という名称を冠する時点で、犠牲は避けられない。アルドフッドが命を賭さなければ、この島を救うことはできないのだ。
……つまり、ゼロは最初からアルドフッドを始末する算段を付けていたのだ。
幹部や構成員で直接殺害できれば最善。それがダメなら魔力を費やして扉を使えば『アルドフッドの自爆』か『雪崩れ込ませた兵士による惨殺』のどちらかで殺害できるので次善。どのような道筋を辿ろうとも、絶対にアルドフッドを始末できる計画だったのだ。
「……団長に聞いた話によれば、自爆魔法は未だ完成させられていないとのことだったが?」
この中で唯一、アルドフッドとの関わりが薄いベリアスが冷静にそう言い放つ。
「機構自体は完成してらぁ。ただ他の魔法使いでも理解できるように理論を言語へと変換するのが骨でな、そこで詰まってるだけのことだ。……理論を全て理解している俺なら、過不足なく自爆することができるぜ」
「でも……そんなことしたらアルドフッドさんは死ぬのよね……?」
想像もしたくない事実を告げたのはハルだった。アルドフッドは言葉で返答を寄越さないが、どこか達観したような笑顔を浮かべる。それだけでもう、彼が覚悟している末路はありありと伝わってきていた。
「全員が死ぬか、俺だけが死ぬか。天秤にかけりゃ誰だって犠牲が少ない方を選ぶだろうが。単なる数の問題だ、お前らが気に病む必要なんざねぇよ」
アルドフッドの言葉は正論だ。扉が開けばアルドフッドも例外ではなく全員死ぬ。それなら彼だけが犠牲になる方法が、誰にとっても最善手であることは明らかだろう。
……しかし、最善だからと言って容易に選べるほど、人は効率だけで生きている生物ではない。
「……アルドフッド、自爆魔法についての詳細を伺いたい。可能性は低いかもしれないが、仕様の抜け穴を突いて貴方を生還させることができるかもしれないのだから」
「…………お前はここに来た時に比べて、随分変わったな」
努めて平静を装っているナイリンを見て、アルドフッドが静かに笑う。若者の成長を瑞々しく思うような、大人としての余裕を持った笑みだった。
そして依頼主であるオリジンに属するベリアスに承諾を取り、自爆魔法の詳細を話し始めた。
「自爆魔法は爆発魔法の亜種みたいなもんでな、自分の魔力を全て爆発力に変換する魔法だ。爆破魔法との違いは、禁術が故に性能が高く、爆発魔法とは比較できない程のエネルギーと化すこと。しかし当然、全ての魔力を費やすということは魔法使いにとっての死だ。魔力を失えば存在を維持できなくなって消えちまう」
2ヵ月前、俺たちは時が巻き戻る前の世界で、魔力を失って塵になる委員長を目の当たりにした。魔力は魔法使いの肉体を維持するために必要な基礎概念、自爆魔法を使えばアルドフッドもあの時の委員長みたいに消えてなくなってしまうだろう。
その時、アイが何かに思い当たったかのように顔を上げた。
「あのっ、素人だから間違ってるかもしれないんだけど……魔力が無くなるから死んじゃうんだよね? 魔力が無くなった瞬間に補給すれば大丈夫になったりしない……?」
「……確かに、それなら存在を維持できるかもしれない」
彼女の意見を肯定しながら、クロは顎に手を添え思案する。
魔法界にいた頃は、他人に魔力を与えるなんてことは不可能だと思っていた。しかしフェンネル国が生み出した魔力聚合術は、魔力を物体に宿らせる力を持つ。それを用いれば人間に魔力を与えることだってできるだろう。
「そう甘くはねぇよ、小さい姉ちゃん」
しかしアルドフッドは、せっかく出してくれた案を無碍にすることに申し訳なさを覚えているような顔で苦笑した。
「魔力を貯蔵する体内器官から、無理矢理全ての魔力を引きずり出すんだぜ? 当然そんなの無茶な動作だ。それを実現するためには、体内器官を破損させて放出口を広げるしかねぇのさ。……魔法を発動しちまったら俺の器官は役割を為さなくなる、罅割れたコップに水を注ぐようなものだ」
つまりそれは体の殆どが吹っ飛んだ相手に輸血をするようなものだ。いくら魔力を注ぎ入れようが、そんなもの命を数秒間伸ばすだけの徒労に過ぎない。
「……爆発が発生した時、アルドフッドはどうなるんだ? そもそも爆発に巻き込まれて死ぬんじゃどうしようもないぞ」
「爆発は前方への指向性を持つからな、密閉空間でもなければ巻き込まれんだろうな。爆発魔法の兄弟分みたいなもんだから、そこは同じはずだ」
……クロの頭の中には、一つだけ解決の手段が浮かんでいた。
それは『時を戻す魔法』を自爆後のアルドフッドに使い、消えてしまう前に自爆前の状態へと回帰させることだ。爆発で木端微塵に消えてしまえば対象を失って不可能になってしまうが、巻き込まれないならば十分成立させられるだろう。
しかし致命的な欠点が一つ。それは時を戻す魔法も禁術であるため、膨大な魔力を要することだ。時の停止ならまだしも逆転となると、世界を元に戻すために弱体化した今のクロとハルには、発動させることすら不可能だろう。
「……くそっ……!」
どれだけ悩もうが無理なのだ。何も手段が思いつかないことよりも、手段だけは思いつくのに実現させられないことのほうが重く心に圧し掛かる。
どうしようもない無力感に、自責の念を禁じ得ず――。
「……ここまでだな。扉がいつ開くか分からない以上、無理だと分かったら決断するしかねぇ」
バカでかい杖を肩にかけ、アルドフッドは空に聳える扉を睨んだ。
1歩、2歩と歩いていき、浮遊魔法を使って自らの体を少しだけ浮かせる。……あとはその身を空へと飛び立たせれば、自爆魔法を撃ち放つ準備は完了するのだろう。
妙案が思いつかなかった以上、今この時が永遠の別れなのだ。
「ワムやガキ共のこと、頼んだぜ」
どこか寂しさを纏わせながら、アルドフッドが空へと飛び立とうとして――。
「……一つだけッ、助かる方法があるわッ!」
ハルがあらん限りの大声を発し、その背中を呼び止めた。
全員が縋るような視線を向ける中、ハルは少しだけ荒れた息を整えながら、振り向いたアルドフッドと視線を合わせる。
「……ハルモニアの嬢ちゃん、引き留めてもらったところ悪いが――ありえねぇよ。今の今までどうにもできなさそうな表情を浮かべてたじゃねぇか。どんな魔法を使っても無理だって分かってるんだろ……?」
「確かに私の使える魔法じゃ貴方を助けられないわ。……でもねッ、この中に一人だけ、貴方を助けるための魔法を知っている人がいる!」
まるで劇を演じているかのように大仰に、ハルはその該当者へと指先を向ける。
指し示したのは同じ化物である俺ではなく、中立国家の知識を持つナイリンでもなく、オリジンの叡智を知るベリアスでもなく――。
「アイ! ……貴女だけが、アルドフッドを助けられる!」
その指は、この中で最も魔法に精通していないアイに向けられていた。
「……えっ、ええっ!? あたし!? でも、使える魔法なんて断裂魔法くらいしか……!」
「使える魔法じゃないわ、『使われた魔法』よ! 思い返してみて、貴女もかつては魔力なんて持っていなかったでしょう……!?」
そこまで言及され、彼女の事情を知るクロが可能性に思い至る。
「まさかお前、デースマースの『人間を魔法使いにする魔法』を使って……?!」
「『魔法使いを人間にする魔法』へ改造する! 魔力が無くたって、人間なら生きていられるから!」
魔力が無ければ存在を維持できない、それは魔法使いだけに与えられた原則だ。無人界を生きる者たちは体内器官を持たず、魔力無しに生きている。もしもアルドフッドを人間に変化させられるならば、魔力の枯渇なんて何の意味もない。
しかし、案を語るだけならば易いのだ。
「でもあれは禁術だぞ、俺たちの魔力で賄えるか!?」
「ゼロっていう組織で開発された禁術でしょ、消費魔力の最適化は為されているはず! そうでもなければ、並の使い手であるデースマースがあれだけの兵士を用意できるわけがないわ!」
「でも俺たちはそもそも理論の原案すら知らない! 設計図があっても時間が足りないのに、どうやって禁術を創り出すつもりだ!?」
「アイの体には禁術を受けた痕跡が残っているはず! 電気信号でその痕跡を引っ張り出すわ!」
「できるのかっ、そんなこと!」
「一度、自分の脳で試してみたからやり方は分かるわ! ……私を信じて、絶対やってみせるから!」
当時死んでいたクロは知らないが――確かにハルは、自分の脳内に棲みついた委員長の人格を探り出し、時間操作の禁術の理論を引きずり出したことがある。デースマースの禁術の影響を受けているアイから、その理論を探り当てるのも不可能ではないだろう。
でも、例えそれができたとしても――時間がない。
「でも! 禁術を引きずり出して! それを改造するなんて幾ら見積もっても時間が足りなさすぎるだろ! 魔法理論の研究職であっても、そんなこと――!」
「時間が無くても! やらなきゃ仲間が死ぬだけよ! ……私はバカだから一人じゃ無理だけど、クロが一緒にいてくれるなら! ……クロとなら、やってみせる!」
2人の声が途切れ、1秒間の静寂が流れる。
いつ扉が開くか分からない今の状況では、たった1秒でも無限の空白時間だ。それを費やしながら、ハルは視線を合わせて決意を伝播させる。
クロは――彼女の確かな視線を受けて、唾を飲み込んで。
「……くそッ、やるぞハル! お前の作戦、最後まで付き合ってやる!」
空に浮かんだ扉は、内側からの圧力を受けているかのように何度も軋んでいる。もう、時間は幾ばくも無い。
「あたしも可能な限り協力するよ! 何をしたらいい!?」
「ここに座って! 痛いかもしれないけど体に害はないはずだから!」
情報を抜き取るためにハルがアイを座らせている。そんな光景の近くで、ベリアスがクロの肩を叩いた。
「おいガキ、コイツをくれてやる」
「なんだ?」
彼が手渡したのは琥珀色に光る小さな宝石のようなものだった。宝石の奥底では彗星が何筋も流れ、小さな宇宙をぐるぐると彷徨っている。当然、無人界で手に入る代物ではない。
「我々がデースマースの遺体を宇宙で発見した時に、脳から抜き取った情報の圧縮体だ。恐らく禁術についての情報も含まれているだろ。ソートはされてねぇが、今のお前らにとっては是が非でも縋るべきデータのはずだぜ」
「……これ、どう考えてもオリジンの機密情報だろ。いいのか、こんなものを俺に渡しちまって」
「完璧な情報漏洩だな、後で処罰は受ける。……でも団長からお前らの生き様を見届けろって命じられているからな」
握り拳をクロの胸にぶつけて、ベリアスは髪の隙間からクロの顔を見据えた。
「さっさと見せてみろよ、あの王女が言う化物の幸せな末路ってやつを。期待外れのモンだったら承知しねぇぞ」
「……恩に着る!」
そこからの動きは同時だった。
ハルがアイの頭に手をかざして、その掌から黄蘗色の電流を迸らせる。電気はアイの脳を駆け巡り、その中に潜む禁術の適用痕を探し出していく。
クロはベリアスから受け取った記憶媒体を展開し、生命の樹のような紋様を空間に映し出す。それは人類の脳に込められた記憶と知識の結晶体。紋様を読み進めていく作業は、デースマースの人生を辿る旅のようなものだ。
片方はアイの脳中を巡り、片方はデースマースの記憶を探る。決して相容れることのない2人の脳を照らし合わせ、禁術の深淵へと迫り行く。
「クロっ、出たわ! これが禁術の方程式!」
アイの脳から情報を吸い出し終えたハルが、虚空に魔法陣を映し出す。通常の魔法ならば扇風機の羽根1枚分のサイズが基本なのだが、禁術ともなれば話は別だ。
クロの眼前に突き出された魔法陣の大きさは、二階建ての一軒家にも相当する。当然、陣の面積が大きいほど情報量に富んでおり、その分内容を把握するのも難しくなっていく。
「……!」
想像を超える大きさに、クロは一瞬怯み――すぐに表情を引き締め、魔法陣と向かい合った。
「デースマースの記憶媒体を参照する限り、変容魔法をベースとした術式だ! 変容の定着化から探れば早い! ハルは体内器官を生じさせた時に、どの部位が置換されるのかを調べてくれ!」
「分かったわ!」
化物2人が協力して禁術の中身を探っていく。
その後ろではナイリンとベリアスが、デースマースの記憶媒体を探って手掛かりがないか探していた。アイもそれに参加しようと立ち上がったが、電気信号で脳内を調査された影響か、目の前が回って上手く立てないでいる。
アルドフッドは――空の扉を睨みながら、杖先に魔力を込め続けていた。いつ扉が開いても、すぐに自爆魔法を放てるように。
「クロ、術式の言語が特殊だわ! 私じゃ呪文工程がよく分からない!」
「じゃあ追記履歴を探ってくれ! 最適化された回数が多い箇所が肝要な部分だ!」
魔法にも何十種類もの言語があり、それを読み解かなくてはならないのだが――ハルが匙を投げた部分も、クロには読み取ることができていた。
それもそのはず。ハルはメース国から単なる兵器として扱われていたが、クロは兵士としての教育を受けてきたのだ。それも咒術軍大将としての地位を冠するほどの高等な教育を受けてきていた。
(クソッタレな父親だと思っていたけど! ……今だけは頭を下げてやりたい気分だ!)
生まれて初めて、クロは父親の教育方針に感謝する。
高等兵士としての教育を叩き込まれてきた彼は、禁術であっても解読することができる程度の知識を備えていた。だからこれほどまでに難解な魔法陣であっても、目を通していけばその全貌を理解していくことができる。
しかし、だとしても、圧倒的に時間が足りない。他人が書いた術式を刹那で読み解き、あまつさえ改造しなければならないのだ。
「……タイムオーバーだ」
その時、アルドフッドが空を見て呟いた。
天に降臨する扉が、僅かに開き――黄金よりも眩い光を漏れ出させていた。もう一刻の猶予もない、今すぐに破壊しなければ敵兵が通行できるほどの隙間が開いてしまうだろう。
「もう時間はねぇ。俺は行く。……この命、預けてもいいんだよな?」
アルドフッドが空へと旅立ち、扉を破壊して、砂となって消えるまで1分も無いだろう。その僅かな間に全てを完遂しなくてはならない。
クロは自問する。……できるのか、本当にやれるのか。まだ魔法陣のどこを書き換えれば仕様を逆転させられるのか皆目分からない。あと1分以内にやり遂げられるとは思えない。本当に間に合うのか。俺なんかにできるのか。
…………やり遂げるしかない。
「預けてくれ、その命! 絶対にもう一度、ワムたちに会わせてやるから!」
「……おう、頼んだぜ。クロスエッジ王子」
最後に小さく笑って――アルドフッドが空へと飛び立っていく。
消滅までのカウントダウンは既に始まってしまった。残された時間は僅かしかない。
クロは――呼吸すら止めて、集中の深淵へと潜っていく。
(魔法使いになるためには魔力を貯蔵する体内器官の生成が必須。つまり今まで存在していなかった臓器が1個増えたようなもの。……その前後で、何か変化があるはずなんだ)
体内の環境が変化したならば、誰だって違和感を覚えるはずだ。その微細な不自然を紐解けば、魔法の術式を理解することができるはず。
思い出すんだ。……1ヵ月前、デースマース事件の時。アイに不自然な箇所は無かったのか?
今まで見せていなかった行動、癖、言動。……きっと何か手掛かりがあったはずなんだ。
――クロの中で記憶が巡っていく。それは意識を保ったまま夢に落ちていくような、現実と夢現が交差する不思議な感覚だった。
『アイは右手で頭を押さえながら、疑問符をボディランゲージするように、かくんと横に倒す』
『納得がいかないというふうに首を捻り、右側頭部をぽりぽりと掻いている』
『彼女は顔色を真っ青に染め、右手で頭を抱えながら荒い息を吐いた。その瞳は毒々しいまでの憤怒に染まり、瞳孔が開いていき――』
『アイは膝から崩れ落ち、頭痛を堪えるように右側頭部を押さえて蹲った。小さな体が小刻みに震えて、その瞳が見開かれていく』
……あの時、アイは何度も右側頭部に手を当てていた。委員長が暗躍していた時は見せていなかった仕草が、魔法使い化以降に頻発していたのだ。
それはきっと、本人自身も気づいていなかった違和感。魔法使いになる前と後で、彼女の側頭部に何らかの変化が生じていたのだ。
きっとその違いは、体内器官の生成に纏わっていて……。
「ハル! 右側頭部だ! 魔法陣の中から、そこへ作用する箇所を探してくれ!」
「……!」
返事する時間すら惜しみ、彼女は無言で魔法陣の中身をサーチする。彼女が杖を振り上げると同時に、魔法陣の一部が淡い光を放ち始める。
光に示された箇所には、脳の一部を圧縮し、空いた隙間に体内器官を創造する術式が記されていた。脳幹との接続によって魔法を発現させる仕組みや、血流を利用した魔力の循環機構についても綴られている。
まさにこれこそが、クロの探していた術式の根幹。
しかし、彼が欲していた術式を見つけた頃、既にアルドフッドは扉の前にまで迫っていた。
青空を覆い隠す扉の向こうからは、1万人を超える魔法使い達の魔力が蠢いている。大量の魔力が扉を解放する鍵となり、扉は軋む音を立てながら少しずつ開いていた。
「……」
アルドフッドは、ほんの少しだけ――刹那とも呼べる時間だけ、地上を見下ろした。
眼下に広がる神成島には、たった数年しか住んでいなかった。しかし彼はこの島で人間として生きる喜びを知り、誰かを助ける尊さを理解し、子供たちを慈しむ生き甲斐を知った。
……そして、未来に希望を抱く2人の化物と出会い、生き別れたはずの娘と再会して、敵対したとはいえ相棒と再び巡り合うこともできた。
それだけでもう、十分だった。
「なんだ……結構、幸せだったな……俺……」
最後に脳裏に過ったのは、愛する妻の顔。
最愛のあの人の元へ、今行こう。迎えるあの世はきっと楽園に違いないから。
……もしも、島の人たちを救って死んだと聞いたら……サラサは喜んでくれるかな……?
「ああ……いい人生だった!」
そう高らかに言い放ちながら、アルドフッドが杖を掲げる。彼の胸からは木漏れ日のような光が萌芽し、魔力のオーロラとなって杖を包み込んだ。
彼の体に秘められた体内器官が力ずくで解放され、溢れんばかりの魔力が周囲に解き放たれる。やがて魔力は粒子となり、爆発を誘うための原動力となって。
――凄まじき爆発を引き起こす。
地球上のどんな爆弾でも再現できない程の大爆発が、天上に聳えし扉を容赦なく打ち砕いた。扉は渦と共に爆破され、燃え盛る破片となって海の上に降り注ぐ。
扉の向こうには――雲一つない快晴が広がっていた。まるで全ての脅威が去ったことを示すかのように、今日の神成島の空は今年一番の青さを誇っている。
天から差す光は、まるで祝福の御来光のよう。どこまでも透き通って美しく、アルドフッドの瞳を潤ませた。
全ての魔力を失った彼の手が、少しずつ罅割れていく。罅の間からは流砂のような粒が流れ落ち、彼の肉体を少しずつ世界に散らしていた。
それと同時に巻き起こる疼痛、込み上げる喀血。……そんな拒絶反応を抱えながらも、アルドフッドは満足気に微笑み、瞳を閉じた。
「王子! ……今ッ、地上へ降ろします! 禁術をかける準備を!」
アルドフッドの一撃と同時に虚空へと跳び上がっていたナイリンが、天と地の狭間から、地上にいるベリアスとアイコンタクトした。そして全力で転移魔法を打ち放つ。
その瞬間、地上にいたベリアスと、天からゆっくりと落ちてきていたアルドフッドの位置が入れ替わる。地表へ落下するまでのタイムラグを無くし、後は全てを化物2人へと託した。
「クロ! アルドフッドが来たわ!」
ハルがアルドフッドの元へと駆け寄り、全力で巨体の上半身を持ち上げる。そして頭部をがっしりと掴んで固定し、クロへと視線を向けた。
アルドフッドの体は、もはや半分が砂状に変換されて消えかけている。罅は全身に広がり、いつ崩れ落ちてもおかしくない状態だった。
禁術は――完成したかどうか分からない。恐らく直すべき箇所を直したはずだが、その検証作業を済ませている時間が無かった。
後は自分を、そして共に解読してくれたハルを信じるだけ。
「アルドフッド! ……戻ってこい! お前がいなくちゃ寂しがる子供たちがいるだろッ!」
クロが掲げた杖先から、ドス黒い光が拡散されていく。光は肉体を取り込むようにアルドフッドの体を包み込み、地面を揺らすほどの衝撃を周囲に解き放った。
魔法の光が彼の体に変化を齎していく。
体内で破損した器官が静かに溶けていき、空いた空間に肉が埋め込まれていって。
血の流れと共に巡っていた魔力が薄れ、最初から無かったかのように消えていく。
魔力の枯渇によって発生した罅が少しずつ再生されていき、粒子と化していた肉体があるべき形を取り戻して――。
役割を終えた暗黒の光が、空気の中に溶けていった。
光の中から現れたアルドフッドの体は……もう、塵と化して世界に消えていったりはしない。
代償に魔法の全てを失って、彼は新しき存在へと変化している。
人間という、魔力のない脆弱な存在へ。
「………………」
「アルドフッド……?」
全てを終えて尚、瞳を閉じ続ける彼に向かって、クロが小さく呼びかける。ハルもその顔を覗き込んで、彼の表情に生気が宿るのを待った。
気づけばアイも、ナイリンも、ベリアスも彼の周囲へと寄ってきている。そして同じように、彼が意識を取り戻すのを待って――。
「……………………俺は……くたばり損なったのか」
喉の奥まで焼け付いたような、しわがれた声が響く。
アルドフッドがゆっくりと瞳を開けて、クロたちの顔を順に眺めていった。
その目に光は宿っていなかったが、次第に生気を取り戻し、鈍い光が差し込んでいく。薄く霞んだ視界の中で、彼は再び雄大な青空を見た。
「……」
彼は、心に穴が開いたかのような感覚を得ていた。
それは比喩的なものだけではない。彼の胸に存在していた体内器官が消え去り、無用の空間と化したのだから。アイが右側頭部に違和感を覚えていたように、今の彼も胸骨の奥に不自然な感覚を覚えていた。
……そんな胸の穴に、込み上げる感情が2つ。
自分が生きていたという驚きと……もう一度、ワムに会えるという喜び。
獣に染まってしまった心を治すことができたなら、きっとまた――親子としての日々を始めることができるだろう。
「……ワムに……会いてぇなあ……」
一陣の風が吹き、ツワブキの花が静かに揺れていた。
その花びらが風に乗り、空高く舞い上がり。
遥かな空から、アルドフッドたちを見守っていた。
そして、天の向こうへと昇って行って。
彼の代わりに天国へ向かったかのように、消えてなくなった。
それが、業火の佳日と呼ばれた本事件の全てだった――。




