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恋する二人は許されない ~敵国王子と化物王女の現世青春~【毎日更新】  作者: 雪林りん
シーズン3 ~かつて化物と呼ばれた君へ~
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21章 最後通牒

 クロたちとベリアスが遭遇した頃。時を同じくして、アルドフッドの方にも異変が生じていた。


「……」


 彼は家の周りに張り巡らせた障壁に背を預け、杖先から魔法陣のようなものを映し出していた。

 それはMDウィルスを治療する魔法の素体だ。今はまだ風邪を治す程度の効力しか持たないが、ここからウィルスの特性をインプットし、標的となる菌を的確に破壊するよう特性を加えていく。


 しかし第二陣が侵攻してくるまで、あと幾許も無いだろう。アルドフッドも全力で治療魔法の開発を進めているが、ゼロを撃退しない限りは間に合う道理が無い。


「何だ……!」


 その時、彼の眼前に紫色の渦巻きのようなものが顕現する。どこまでも吸い込まれていきそうな渦の深淵には、色濃い魔法の気配が蠢く。

 渦の果てに潜むのは、ありふれた並程度の使い手ではない。恐らく化物と呼ぶに相応しい一騎当千の魔法使いに違いなく――。


「よォ! 相棒!」


 渦を模した簡易ゲートから姿を現したのはスカーレットだった。先日、家族を皆殺しにしたことを暴露したのを忘れでもしたのか、待ち合わせ場所に現れた彼氏の如く爽やかな笑みを浮かべて手を振っている。

 当然、アルドフッドは手を振り返さない。目の前にいるのはもはや相棒ではなく、自身から幸せな未来を奪い去った仇敵なのだ。


「……遂に第二陣が襲来したか。もう少し羽を伸ばしていればいいものを……」


 治療魔法を研究する魔法陣を消し去って、アルドフッドが億劫そうに首を回す。

 彼が握る杖からは、紅いオーロラのようなものが漂っていた。あらん限りの殺気が魔精反応と結びつき、形而下の概念となって気配を真紅に染め上げる。


 しかし、常人なら失禁する程の殺意を放たれたとしても、スカーレットは欠片も臆さない。むしろ心地の良い春風を受けるかのように飄々としている。


「いーや、第二陣はまだ先だァ。……本格的に進軍する前に、お前と話がしてェんだよ」


 何の話が始まるかなんて、告げられなくても全て理解できる。

 スカーレットの瞳には敵愾心が込められていないのだ。もしアルドフッドを殺しに来たのならば、そこまで感情を凪に出来るはずがない。彼は未だに、アルドフッドを殺すことを拒んでいる。


「悪ィな、さっきは久方ぶりの再会でテンション上がっちまってよォ。ホントに話すべきことをぜーんぶ忘れちまってた。前に家族の死体を見つけた時の様子とか、さっきのお前の様子とかを見て、俺もよーく考えたんだぜ?」


 スカーレットは柄にもない殊勝な口調でそう言い、バツが悪そうに荒々しく後頭部を掻いた。


「なァ、相棒。……怒ってんだろ? お前が大事にしていた家族を殺されてよォ。俺にはよく分からねェけど、人間とか人間ぶりたい化物には、家族ってモンがこの上なく大事なんだよなァ」

「………………」


 正直、少しだけアルドフッドは驚いていた。

 弱き者の気持ちを理解しようとしないスカーレットが、家族を大事にする他人の気持ちを慮っている。恐らく納得はできていないのだろうが、それでも彼が理解を試みようとするのは珍しいことだった。


「そんなお前の気持ちは、まあ、意味は分からんが汲んでやるこたできるわなァ。でもな、俺の気持ちも分かるだろ? せっかく出会えた同志が、目を離した隙に手緩くなってたら……寂しいだろォが」


 ……家族を殺されたアルドフッドが、スカーレットの行動に納得を示すはずがない。しかしスカーレット同様に、理解を試みることはできる。


 例えば――そう、不良仲間がしばらく会わないうちに子煩悩なパパになっていたら、一抹の寂しさを覚えるだろう。どれだけ友情は一生だと叫んだところで、もっと大切な存在ができてしまえば一番には君臨し続けられない。

 だからといって殺害に至る思考回路は理解しがたいが、相手の言い分も分からないでもないのだ。


「だけどな、俺たちの仲間になるってんなら、お前に家族ができても問題ねぇ。手緩くならないように俺が監視し続けられるからな。……だからな、手土産を用意したんだ。何かわかるだろォ?」

「手土産? ……お前のことだ。新しい女を宛がうから好きにしろなんて下劣なことでも……」


 不意に、嫌な予感がアルドフッドの脳裏を過る。

 例え監視ができるとしても、それしきのことでスカーレットが家族を認めるだろうか。守るべきものができれば優先順位が変化するのは当たり前だ。そんな変化を彼が容認するとは思えない。


 もしも認めるとするならば、それは同じ化物……。


「……貴様ッ、ワムか!」


 スカーレットが嗤う。もはや嘲笑を越えて哄笑と呼べるほどに。

 思い返せば、ワムはスカーレットから謎の命令を受けていた。


『す、スカーレット、さんからは……アルドフッドさんの元へ行って、ふつうの子供として保護されて……しあわせになってこいって、言われました……』


 課せられた任務の意図が読めないもの当然だ。彼女は抗争相手に献上するための贈答、ただそのために送り込まれた疑似家族でしかなく。


「カーニヴォラス・ワ=ムーとの日々は楽しかったかァ? そいつが俺からのギフトだ。よォく考えろよ、ゼロならあの化物の暴走を止められる。もう一度純朴な少女に戻してやることができるんだぜ」


 ゼロが再び彼女の意識に蓋をしなければ、彼女は人を食う蛆虫の化物として厄災を呼ぶだろう。人々を喰い荒らし、やがては機密事項の隠蔽のために魔法界から送り込まれた兵によって駆除されるはずだ。

 彼女に幸せを教えるためには、アルドフッドがゼロに入り、家族として抱き締めてやらなければならない。


「スカーレットッ……! こんなことの為に疑似家族を用意するとは、貴様、どこまで人の心を弄ぶつもりだ……ッ!」

「疑似家族? おい、あまり酷いことを言うなよ。……実の娘ちゃんが可哀想だろォ?」

「…………………………なに?」


 一瞬、何を言われたのか意味が分からなかった。

 しかし心の奥底では――脳より先に理解してしまっていた。脳裏に化物の製法を想起し、絶対に受け入れたくない可能性を見出してしまう。


「カーニヴォラス・ワ=ムーは、お前の娘の脳を使ってんだよ。化物の娘だ、いい脳を持ってたぜェ」


 ――化物の製造には、人外の身体と化物クラスの脳を要する。

 人外の身体は幾らでも用意できるが、至難なのは化物クラスの脳を用意することだ。そこらの魔法使いでは到底及び届かないほどの魔力を秘めた脳など、運が向かない限りは手に入らない。


 ……でも、化物の娘なら可能性はある。魔力の多寡が遺伝しやすいのは魔法界の常識だ。アルドフッドの娘ならば、化物の脳として相応しい魔力を秘めているかもしれない。

 そしてその仮説は、残酷なことに結実して……一人の不幸な化物が誕生した。


「…………………………………………………………………………」


 もはやアルドフッドは言葉を発することもできずに、決して信じたくない事実に惑うことしかできない。

 あの日、娘が殺された日。彼が掻き抱いて泣いた脳は、誰のものかも分からない偽物だった。きっとスカーレットが適当に見繕ったのだろう、本物の脳はゼロによって回収されて――。


 ……歪な存在であっても娘が生きていた事実を喜ぶべきか、娘が化物にされてしまった事実に憤怒を浮かべるべきか。錯乱した心はありとあらゆる感情を暴走させていく。

 吐瀉物のように雑多な心情が入り乱れる中、思い出すのはワムの身体に刻まれた傷跡。そして崖下で頭が割れて倒れている姿。他人に怯える様子。普通の子供が決して見せることのない、昏く澱んだ瞳の色……。


 自分の娘は、この男によって地獄の日々を生きてきたのだ。


「なァ相棒、礼儀を尽くして手土産も用意してやった。それに……島を燃やして居場所を無くして、新しい家族を用意して、お前のとこのガキ共にウィルスを感染させて時間の余裕を奪ってやった。……俺の要求を受け入れるための『言い訳』は、存分に作ってやったつもりだ」


 それは――スカーレットにとっては全面的な譲歩と言えるだろう。

 全てを欲しいままにしてきた化物が、相手の喜びそうなものを考えて土産を持参し、寝返るための言い訳まで用意しているのだ。これだけの手間をかけるような相手は、世界で唯一、アルドフッドだけ。

 相棒として、心の底から――アルドフッドを求めているのだ。


「最後通牒だ。……もう一度、俺の相棒になってくれ。また二人でバカなことして笑い合いてぇよ」


 声色に嘘や偽りはなく、誰しもが疑いようもない本音だけがそこにある。

 これが本当の本当に最後なのだ。この誘いを断れば、この地獄にゼロの第二陣が雪崩れ込んでくるだろう。


 ……しかし、アルドフッドに迷いなど無かった。


「スカーレット。……駄目だ。俺にはお前が許せん」

「……」

「本当にすまないが……相棒、死んでくれ。心の底から、お前に生きていてほしくない」


 全面的な拒絶を受けたスカーレットの表情が、日頃の狂気的な顔からは想像もつかない程の悲しみに包まれる。

 かつて相棒と呼び合った関係性は、もう、元には戻らないのだ。


 しかし……少しずつ、少しずつ……スカーレットの表情に、再び狂気的な笑みが戻ってくる。


「そうかァ……家族とかいうモンがなくても、変わるんだなァ……」


 あらん限りの諦観を込めて、彼の口からは自嘲的な笑いと共に言葉が落ちていく。既にその目には、かつての相棒に向けるような期待の色は浮かんでいない。

 末期の病に苦しむ家族を見るような、憐れみと哀しさが混じり合った目だ。


「じゃあよォ、お前が俺たちの敵になるってんならさァ……俺が、俺だけが、お前を殺してやるよ。他の誰にも手出しはさせねぇ、お前の最期を看取るのは俺だけでいい」


 感傷的な言葉と共に、スカーレットの身体が想像を絶するほど軽やかに、アルドフッドの目の前にまで肉薄する。彼の持つ杖からは純黒のオーロラが舞い、その腕に纏わりついて――。


「……!」


 爆発する拳が、アルドフッドへと叩き込まれた。

 真正面からの攻撃だったので、障壁で防御することには成功したのだが――発破の勢いは凄まじく、アルドフッドの身体が爆風に舞い上げられて空へと昇っていく。


 樹々の梢をへし折って、頼りなく揺れる雲に円状の穴をあけて、黒く染め上げられた大天空へと至り――。

 先回りしていたスカーレットと対峙する。


「なあ相棒、ヤろうぜェ」


 空の向こうに在る雲海の都は、誰にも邪魔されることのない化物だけの世界。


 どちらかが死ぬまで逃げることの叶わない、決戦場だった。


「化物として、相棒として……お前を殺(あい)してやる」





 同時刻、神成島北西 拿節温泉付近。

 暴走したワムからの攻撃を躱しつつ、俺たちは捕獲の隙を窺っていた。


 魔法を使えないワムの攻撃は、機動力を駆使して多角的ではあるものの、どうしたって敵に襲い掛かる以外のバリエーションを用意できない。一対一ならば攪乱されていただろうが、多人数ならば相手の動きを捕捉し、ピンポイントな位置に障壁を張り合って守ることが可能だ。


「王子ッ、入れ替えます!」


 特に役立っていたのは、ナイリンの転移魔法だった。

 いくら鋭い牙で噛み殺そうと画策しても、場所を変えられてしまえば無意味だ。縦横無尽に転移させられ、ワムはどうにも苛立っている様子だ。


 そしてもう一つ有用なのが、ベリアスという男の戦闘技術。

 杖を銃剣付きの狙撃銃という意味不明のオモシロ武器に変形させているが、意外にも武器として成り立っている。遠距離は狙撃、近距離は銃剣。そして肝心の中距離だが、走りながら腰だめ撃ちで狙撃銃をブッ放つという、映画で射撃技術を学んだのかと思うようなスタイルだ。

 それでも案外サマになっていて、先ほどから何度もワムへと非殺傷性のゴム弾を命中させているが……再生能力を持ったワムは、それしきの傷などすぐに完治してしまう。


「おいガキ共、ゴム弾じゃ話にならねえ! 実弾を使わせろ!」


 狙撃銃を撃ちつつスライディングしながら物陰に隠れる、なんてコミックヒーローにしかできない芸当をやってのけながら、ベリアスが大声で叫んでいる。効き目が薄いのだからその要求は当然ではあるが――。


「深手を与えすぎると仲間に引き入れても戦力にできないだろ! 動きを鈍らせることに徹してくれ!」

「じゃあ早く捕獲しろグズ!」


 言いたい放題言われているが、それが容易にできるなら既にやっている。

 俺とハルは杖を構え、ゴム弾を撃ち込まれた時や、ナイリンに位置を変えられて面食らった時に雷魔法を使って一時的に動きを止めようと試みているが――結果は芳しくはない。ワムの動きが素早すぎて、攻撃を当てることすら儘ならないのだ。

 もしも広範囲の雷魔法を撃っていいのならば、幾らでも命中させられるだろう。しかし『相手に怪我をさせずに』という絶妙な雷加減を保つには、杖先に雷を集めて出力を調整するしかない。結果として、魔法使いであるというのに棍棒で殴るような戦い方しかできていないのだ。


(せめて1秒でもいい、ワムの動きを止められれば……!)


 贅沢な悩みを吐露したのと同時、ワムが勢いをつけて走り出し、近くに聳える樹に襲い掛かる。

 ワムの化物染みた爪から一閃を受けた樹木は両断され、俺たちの方へと傾き、倒れてくる……。


「う、おっ……!」


 樹木伐採のように倒れてくる樹を避けるが、その拍子に土煙が舞い上がった。周囲一帯の視界が隠蔽され、仲間たちの居場所すら捕捉できなくなる。


「視覚助――、ッ!??」


 己の視覚を補助する魔法をかけようとした刹那、死の臭いが襲い来る。戦場で何度も感じてきた反吐の出るようなクオリアだ。


 不意に過った気配に対処するため、自分の周囲に堅牢な障壁を張る。

 それとほぼ同時に、ワムが俺へと襲い掛かってきた。彼女の爪が障壁に減り込み、その先端が俺のすぐ目の前にまで至っている。

 目論見が外れたワムが低く唸り、俊敏なバックステップで距離を取る。そして再び土煙に紛れて姿を消した。


(こいつ……っ! 工夫し始めやがった!)


 いくら獣のような意思に支配されていても、愚直な突撃連打は無意味だと悟ったのだろう。遂に彼女はこちらを狩るために知恵を駆使し始めた。

 化物染みたフィジカルに、人間の思考力が重なれば――もはやそこに隙は無い。


「ヴヴヴヴァ……」


 視界不良の中、彼女の低い唸り声だけが響いている。


「……」


 こうして視界を奪われ、聴覚に頼ってみて――初めて気づいた。

 彼女の声の中に在るのは、人を捨てた化物としての声色だけではない。苦痛、懊悩、窮愁……ありとあらゆる苦しみと嘆きの感情が込められている。


 もしも人格を取っ払われ、化物としての本性が剥き出しになっているのならば、狩りという行為に苦しみを覚えるはずがない。しかし狩りを拒むならば、わざわざ俺たちの前に出てきて殺し合いを仕掛けてこないはず。

 彼女は苦しみつつも、俺たちの前に現れた。それが意味するものとは……。


(何を……何を苦しんでいやがる、ワム……!)






「ほう、あの化物のことについてか」


 ゼロの蠢く場所、世界の何処か――。

 第二次進攻を控えるマドーサに、研究職時代の部下がワムについて質問を投げかけていた。食料に乏しい前線でも人肉を栄養として戦闘を続けられる次世代型の量産型兵士、その完成形であるワムに並々ならぬ興味を持っていたのだ。


「アレは人肉を喰らうために生み出された存在だ。元々は食糧難の前線でも駆動できる兵士を作るため、人肉を食べても平気な人間や可食性の人間を研究していたのだが、これが上手くいかなくてな。試しに人間を喰らう生き物を原料としてみたらこれが大当たり。へっへへへへ、養殖せずとも戦場なら無限に採取できる蛆虫だ。そこに人間の脳を乗せて、自立行動を可能とすれば簡単にできるワケ」


 至極容易そうに言っているが、実際はワム以外の成功例が無く、完成させるのは至難の業だ。肉体と脳の適合という問題や、肉体構成に僅かでも綻びがあると肉体が崩壊したり、ある程度自我を持った脳を使うと絶望して自殺したりと、様々な問題が発生する。


「1週間に1度は人肉を喰らわなければ、奴の身体には禁断症状が出てしまう。これが一番設定に苦労したところでな、へっへっへへへへへ。今までは小康状態にして禁断症状を押さえつけてきたが、化物としての本性を解放した今、すげぇことになってるぞォ……?」


 あまりにも下衆すぎる笑いを漏らしながら、マドーサがくしゃくしゃになった紙束を取り出す。それはワム――いや、自足型無限駆動兵士を作成する際に書き溜めた資料だ。


「無人界には依存性スコアというものがあってな、まあ、様々な依存物質の依存度を現した数値だ。アルコールが1.93、煙草が2.21、コカインが2.39、麻薬の王様とも呼ばれるヘロインが3だな。へへ、それと同じ基準で人肉への禁断症状を図ったら、なんと10とかいう頭のおかしい数値が出ちまったよ。くくく……」


 依存物質が体から抜け始めた時、人間には禁断症状というものが発現する。麻薬で言えば震えや発汗、嘔吐、頭痛、幻覚、譫妄などだ。その禁断症状の苛烈さが故に、麻薬に手を染めた人間は抜け出せなくなるという。

 では、麻薬よりも圧倒的に色濃い禁断症状が発現するワムには、どのようなものが発症しているのだろうか……?


 錐を頭蓋にねじ込まれて脳味噌を掻き回されるような頭痛、常に誰かから自殺を強要される幻聴、指をブツ切りにされるような激痛が末端部を襲い、血管の中を蚯蚓が這いずり回るようなむず痒さ、臓腑には内側から焼かれるような痛みが走り、耳の中に削岩機をぶち込まれるような耳鳴りと、常に首を絞められているような息苦しさ、周囲の全てが巨大な目に変化する幻覚、胃の中で数百匹のゴキブリが暴れ回るような嘔吐感、肉を切り裂かれて神経に直接酸をかけられるような痛みが四肢を襲い、肌は生きたまま火炙りにされるような熱に犯され、眼球は引きずり出されて解体されるような痛みに苛まれ、心臓は熱した槍に貫かれるような激痛を浴び続ける――。


 それは地獄だった。

 そして彼女は地獄と化した世界の中で、たった一つのことを理解している。


 人肉を喰らえば、この苦患と激痛は消え失せるのだ。


「あの化物は、今まで自分が何を食べさせられてきたかを知らんが……へっへへへ、化物の一面を解き放った今、自分が人肉を食わなければ狂ってしまう存在だと自覚しただろうな」


 今のワムには自我など無い。あるのはただ、己が本能に身を任せて、主食である人の肉を食らう意志だけ――。


「人として絶対に踏み越えてはならない一線の向こうでしか生きていけない、蛆虫未満の化物が……どれほどの力を見せるか、楽しみだな。へへへへへ……」


 上機嫌に笑い――部下にカーニヴォラス・ワ=ムーの製造資料を手渡してから、マドーサは目の前に鎮座する壺へと手を伸ばす。

 その壺はゼロのボスから直々に与えられた代物。作戦が失敗に終わりそうな時、扉を顕現させて全てを無に帰すためのキーパーツ。この壺が存在する限り、作戦の失敗はあり得ない。


 名実ともに、世界の終わりを呼ぶ扉だ。


「……………………」


 マドーサは周囲を窺い、誰も自分の一挙手一投足に関心を寄せていないことを確認する。そして手早く壺の中に手を突っ込み、煌めく何かを掬い上げて、己の口の中へと放り込んだ。

 まるで昇ってきたゲロを呑み込むように、マドーサは苦悶の表情を浮かべながら口を押え、吐きそうになりながらもなんとか嚥下する。それを胃に流し込んでも尚、胸糞悪さは消えないのだろう。膝に手をついて何度もえづき、指先を震わせていた。


 壺の中に収められていたのは、魔力聚合術によって蓄えられた上質な魔力だ。彼はその一端を身に取り込み、その身には過ぎたる魔力を身に有する。

 一時的に限界を超え、純然たる暴の力を得るために――。





「うおっ……!」


 ワムの猛攻は止まらない。

 ハルが風魔法を使って土煙を吹き飛ばしたのはいいが、既にその時にはワムの姿は消えていた。しかし撤退したのではなく、遠距離から樹や民家、車などを一方的に投げつけてくる遠距離戦へとシフトしていたのだ。


 恐らく、俺たちの杖から出ている雷魔法を受けてはいけないと感じ取ったのだろう。肉弾戦を避け、安全圏から一方的な攻撃を浴びせかけてくる。

 距離が空くと不利だ。雷魔法を当てられないだけではなく、ナイリンの転移魔法の射程外になってしまう。距離を詰めなければならないが、どう足掻いてもワムの機動力には敵わない。


「おいガキ! そろそろ決断しろ、実弾の許可を出せ! 俺なら相手を殺さずに無力化できる!」


 飛来してくる軽トラを避けながら、ベリアスが俺に向かって叫んでくる。

 確かに、このまま攻め立てられ続ければ敵の第二陣が来てタイムオーバーだ。それならワムを仲間に引き入れることを諦め、彼女を無力化し、第二陣に備えたほうが良いだろう。いつまでも彼女に拘っていては元も子もないのだから。


 しかし――どちらにせよ、侵攻してくるゼロに勝つ見込みがなければ同じことだ。

 ワムを諦めて、俺たちだけで生き延びる未来に賭けるか。それともギリギリまでワムを仲間にする選択肢に賭けるか。もう時間的な岐路に立っている……。


 その時だった。


「きゃあっ!」


 ハルの悲鳴と爆発音が同時に発生した。

 ワムの投げつけてきた樹が軽トラに命中し、車体がひしゃげ、ハリウッドのような大爆発を起こしたのだ。既に島自体が炎上しているため引火したことは特段気にならないが、あまりにも耳障りな爆発音が耳を劈く。

 車の近くにいたハルが耳を押さえて不機嫌そうな顔をし、飛んできた火の粉を振り払いながら遠ざかっていく。


「……?」


 その瞬間、樹を投げつけてきた張本人のワムが動きを止めていることに気づく。

 目を真ん丸に見開き、投擲するために拾い上げていたレンガを取り落とし、炎上する車に視線を奪われている。先ほどベリアスにゴム弾を当てられた時よりも、よっぽど隙を晒しているように見えて――。


「……ウヴァッ!」


 一秒弱の呆けから正気に戻ったワムが、再びレンガを拾いなおし、全力で投げつけてくる。しかしフォームがガタガタに崩れ、レンガは明後日へと飛んでいった。

 間違いなく変だ。何かに動揺しているとしか思えない。


「……」


 もしも彼女が獣としての本能に苛まれているというならば、動揺の理由もある程度説明がつく。獣にとって音や光は警戒対象、故に動きを止めたと考えれば自然ではあるが――。

 ――本当に彼女の全てが、化物の本性に塗り潰されているのだろうか? 人格の全てが獣に侵されているのならば、不利を感じて遠距離に切り替えるなんて真似ができるはずもない。


 …………………………まさか、彼女は……。


「みんな聞いてくれ! 一つ試したいことがある!」


 先ほどワムが放ったレンガを魔法で拾い上げ、彼女に向かって撃ち放ちながら、その場にいる全員に向かって叫ぶ。


「ワムが獣になっているのなら! その本能を狙え! 『音』、もしくは『光』で怯ませろ! これが効かないならベリアスの案に乗って制圧に移る、いいなッ!」


 ――俺がそう指示した瞬間、空に幾つもの渦が出現する。

 毒々しい紫色の渦からは、魔力を湛えし魔法使いが顕現していく。それが30、40……もはや数えることすら億劫になるほどの渦が、空に犇めいて光を放っていた。


 遂に第二陣が始まり、夥しい数の魔法使いが神成島に降り立っていく。

 この果て無き地獄をより凄惨なものにするために……。

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