20章 地獄に集いし人間紛い
「はぁ……はぁっ……! くっそ、どこに行っちまったんだ……!」
ワムの捜索に乗り出した俺たち3人は、徒歩で探し回るにしては広大すぎる島を駆け回っていた。怪我人とはいえ職業護衛のナイリンは余力を残しているようだが、単なる学生と化してしまった俺とハルは大粒の汗を流しながら息を荒げている。
効率よく捜索するには、自分に不可視の魔法をかけて空から一望するのが望ましいのだが、ゼロとかいう犯罪組織が蠢いている以上そんな隙を晒すことはできない。不可視の魔法を無効化されたら単なる的になってしまう。
だからこうして、足を使ってワムを探す他ないのだが――当然ながら困難を極める。
雄大な自然を保有する神成島は舗装された道が少ない。その上、自然ならではの急勾配もある。平らな道がどこまでも続く都会とは環境がまるで異なるのだ。レンタサイクルでもなければ、島を一周することすら厳しいだろう。
さりとて散り散りになるのも安全上の問題が発生してしまう。結局、これが最適解なのだ。
「ワム……っ」
狂暴化したワムの咆哮が聞こえないかと耳を澄ませるも、隣で死にそうな顔をしながらえづいているハルの声にかき消されてしまう。
「……!?」
俺がハルの背中をさすっていると、突然ナイリンが杖を振るい、近くに転がっていた岩を浮かび上がらせ、老朽化した廃民家に向かって発射した。
錆びれまくったトタン壁に握り拳大の穴が開き、炸裂音が木霊して辺りに響き渡る。木々の上で身を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたき、辺りに琥珀色の羽が舞い散った。
「なに、どうしたの……!?」
「杖を持った不審な輩を目撃しました。……警戒してください」
大穴を開けられた古民家からは、何の物音も聞こえてこない。しかし何者かが潜んでいるような息遣いが、穴の向こう側から聞こえてきている。
それは人間の呼吸というよりは獣に近い荒さだった。熊、オオカミ、イノシシ辺りを彷彿とさせる、時として人間に危害を及ぼすタイプの獣らしさだ。
しかし、俺たちが警戒して杖を向けると……荒くれた息遣いは消え失せた。それと同時に、まるで最初から誰もいなかったかのように、うらぶれた民家から人の気配が無くなっている。
「……逃げた……?」
「いえ、こちらにおります」
聞き覚えの無い声の出所は――俺たちの真後ろだった。
勢いよく振り返ると、そこには明らかに普通ではない男が立っていた。一般人とはかけ離れた鋭い目つき、何度も視線を潜り抜けてきたことによって身に染み付いた血の臭い、あらゆる方向へ咄嗟の回避行動が取れるように細かな体重移動をする様子。
そして何より彼の頭には、精悍な顔つきには似合わず、犬のような耳が生えていた。とてもかわいい。
「お初にお目にかかります。私の名前はベリアス・ワンチアン。ダウナ・ローティエンション団長の命令により帰還用ゲートをご案内しに参りました」
「ダウナさんの……」
わざわざ団長という役職付きで呼ぶということは、この男は『オリジン』とかいう組織の一員なのだろう。ただでさえゼロとかいう組織への対処で手一杯なのに、これ以上ヘンな組織に出てこられても困ってしまう。
「現在、神成島はゼロという大規模犯罪組織の計略によって包囲され、弩級の危険地帯と変貌しています。第一陣は小手調べにも等しい小規模な進攻行動でしたが、第二陣では相当の被害が及ぶでしょう。……既に目的は果たしている様子ですので、この島が戦場と化す前に本土へ脱出しましょう」
こちらに手を差し伸べながら、ベリアスという男は誘いをかけてくる。
「……」
元々、この島へ来たのはハルの傷を治療するためだ。確かに彼らにとっては、これ以上ここに滞在させる理由など無いだろう。
しかし、既に動機付けられてしまったのだ。要件が済んでいようがどうだろうが、俺たちはこの島から離れられない。
「誘いはありがたいが、それは無理だ。俺たちは全員MDウィルスという奇病に侵されている。治療無しに脱出すれば未曽有の感染が発生するんだ」
「MDウィルス? ……ああ、マドーサとかいうデブが開発したみみっちい感染症のことですね。それなら結構、脱出先を本土ではなく我々のアジトに変更しましょう。そこで適切な処置を経てから日常に戻る、これなら問題ありますまい」
「アジトで治療ができるのか!?」
これは願ってもいない僥倖だ。治療の余地があるならば選択肢が幾らでも増える。
それどころか――脱出用のゲートを用意してもらえたということは、それを活用して人員を増やすことも可能だろう。オリジンという得体の知れない組織に恩を売るのはいささか怖いが、どうにか頼み込んで兵士を送り込んでもらえれば、ゼロ相手にも五分の戦いができるかもしれない。
「ベリアス……さん! 頼みがある、ええと、まずそのゲートを使って子供たちを……」
「……先に申し上げておきますが、我々の所持するゲートが無尽蔵に動かせると思わないで頂きたい。通行可能なのは登録された5名、貴方がた3名と朝霞愛美、そして私だけです。そこはご理解のほど宜しくお願い致します」
「……!」
俺の表情を見て発言内容を悟ったのだろう。ベリアスは先んじて全ての希望を潰し、再び俺たちに向かって手を差し伸べる。
俺は、俺たちは。……差し出された手を見つめたまま、握り返すことができない。
このまま逃げればアルドフッドは死ぬ。養護施設で暮らす子供たちも、この島に生きる人々もみんな死ぬ。そしてワムはゼロに回収され、再び地獄の日々を過ごすだろう。
惨劇の未来が予見できているのに、腹の傷が治ってよかったと思いながら、ここぞとばかりに逃走することなんて……そんなことできるはずもない。
もしも、そんな裏切りを平然とできるならば、それこそ本物の化物だ。
「……目的を果たしたというけど、ダウナさんの企ては達成されたのか?」
「何?」
その質問は想定外だったのだろう。ベリアスの表情が意外そうなものに変わる。
「今、自分で言っただろう? アジトに行けばMDウィルスを治せるって。じゃあオリジンは医療系魔法使いを抱えているってことだ。……それなら、わざわざ俺たちを神成島に向かわせる必要なんてない」
それも、わざわざ魔法界で化物と呼ばれていた男の元へ行かせたのだ。腹の傷一つを治療させるために出向かせるにはあまりにも大仰、異様でしかない。
「ダウナさんの……あんたたちの目的は、俺たち2人をアルドフッドに引き合わせることなんだろ? 巡り合わせて数日ばかり会話をさせるだけで、本当に目的は満たされたのか?」
誘致された先に同じ境遇の化物がいて、しかも話によればダウナからの手引きを受けて亡命したという。更にゼロという犯罪組織の侵攻。
どれだけ鈍いヤツでも、これだけの事象が重なれば偶然なんて言葉を口にしない。全ては仕組まれていた。
「………………」
ベリアスという男は、眇めた目で俺の顔を見つめて――小さなため息を零す。
「……団長曰く、『化物の余生を教えられれば良い』とのことです」
「化物の余生だと?」
「私見による推察ですが……戦場にしか居場所の無かった化物が、平和な世でどう生きているのか。そして仮初めの平和もゼロがいる限り永くは続かない。……いつか同じような立場になるのかもしれないのだから、後学のために知るべきだと団長はお考えのようですね」
「…………」
将来の参考にする為という考えは理解できる。ただ、そんなことをする動機は何一つ理解できない。
ありえるとするならば、アルドフッドと同じパターン。
「ダウナさんは……俺たちを亡命させようと企んでいるのか?」
かつてダウナが告げた言葉を思い出す。
『わたしは立場としては君の敵だが、心境としては君の味方だ。どうしても敵にならなくちゃいけない時が来たら伝えるから、それまでは味方だと思ってくれていいよ』
シロガラ国とメース国の兵器である化物を亡命させようと画策しているならば、明確に国家の敵だと言えるだろう。しかしその動機が化物に余生を与える為だというなら、国家の敵だが化物の味方と言える。
禁術の研究を対価に、ダウナは俺たちに無人界での居場所を作ろうとしているのではないだろうか?
何故そこまでして禁術を研究させたいのか、という疑問にさえ目を瞑れば、それは筋の通った推測だろう。……亡命してもゼロとかいう頭のおかしい組織につけ狙われるかもしれないというデメリットを享受できるならば、だが。
しかし――。
「本意を述べるわけには参りませんが、貴方の推察は甘すぎる――とだけ言っておきましょう」
筋が通っているはずの予想は、一閃に叩き切られる。
「人にそれぞれの役割があるように、化物にも各々の役割があります。アルドフッドと貴方がたは別種。貴方たちに求められているものがアルドフッドと同義であると思わない方が宜しいかと」
そう言い放ち、ベリアスはふところから懐中時計を取り出して時刻を確認した。そして、その表情を少しだけ焦らせる。
ゼロの第二陣が攻め込んでくるまで、もう幾ばくも無い。……彼の表情は、黙しつつもその事実を物語っていた。
「さて……この島を脱出しましょうか。我々に残された時間は僅かです」
「……」
もう何度目になるかも分からない誘いに、やはり俺たちは頷くことができない。
暫し、気持ちの悪い静寂が俺たちの肌を撫でる。
そこへ徐々に混じり込む威圧感。俺たちの思考を読んだベリアスが、少しずつ、実力行使を厭わないような表情へと変わっていく……。
「ねえ、申し訳ないんだけど、なんで成人男性の頭に獣耳が付いてるの?」
一触即発の気配を感じ取っていなさそうなハルが前に出て、全く申し訳なさそうではない口調で言い放った。
突如として獣耳に言及されたベリアスは不意打ちを受けた兵士のような表情をし、無意識的に耳を動かしていた。
「………………キャラ付けに存じます」
「ふうん」
謎に妖艶な表情を浮かべ、ハルは軽快なステップを刻みながらベリアスの周りをぐるぐると回り、様々な視点から耳を観察している。治安によっては挑発行為としてブン殴られそうな行動だ。
「人の耳、無いのね。側頭部が毛しかなくてふさふさだわ」
「………………耳が小さいもので。コンプレックスなので触れないでいただきたい」
「うそつき」
ハルが背伸びし、四文字の言葉を獣耳の近くで囁いた。耳が著しく敏感なのだろうか、ベリアスは腰が砕けそうになりながら数歩距離を取り、犬歯を剥き出しにしながら低く唸る。
「あなた、化物なんでしょう? きっと製法は私たちやワムちゃんとおんなじ、人に造られた存在なのね」
威嚇を受けてもハルは怯まず、余裕の微笑を浮かべながら一歩分近づいていく。
「暴走したワムちゃんは獣のようだった。そしてあなたの耳も獣そのもの。……不審に思って魔力の色を探ってみたら案の定、あなたの色は私たちやワムちゃんにそっくりだったわ」
「おいハル、お前……そんなこと判別できるのか?」
「え、クロ、できないの?」
「できるかよ、そんな器用なこと……!」
いや、でも、思い返してみれば前例がある。
2ヵ月前の夜に、委員長が両親と戦っていた時、ハルは魔力の色を見分けて性別と人数を当てていた。しかも焼却炉の奥に潜む膨大な魔力の存在にも一番に気づいていた。
魔力を感知する能力については、俺を遥かに凌駕しているのだろう。俺には魔力の色など、禍々しいかそうでないかくらいしか見分けることができない。
「……やはり、正統なる化物とは悍ましい」
忌々し気に舌打ちを放ち、ベリアスは頭を掻いた。手が頭に触れるたびに耳が揺れ、なんだか鉄火場だというのに和む光景だ。
「如何にも。私はオリジンによって作られた化物です。……ゼロがカーニヴォラス・ワ=ムーを製造したのと同様に、オリジンも化物の開発に取り組んでおりました。その研究結果が私、貴方がたのような化物を再現しようと目論んだが再現しきれなかった失敗作です」
「……」
真剣味のある表情からして嘘は言っていないのだろうが、なんだか……少しだけおかしい気がする。
ベリアスは俺たちよりも年上、おおよそ20代くらいだろう。ならば当然のことだが、俺たちよりも先に産まれたことになる。
俺たちよりも先に産まれた存在が、『俺たちのような化物を再現しようとした存在』であるのは明らかにおかしいのではないか。順番が逆だ、まだ存在していない化物を再現することなどできるはずがない……。
「……ふーん、私たちと同じ化物なのねぇ」
ベリアスの言葉を聞いて、ハルは意味深な笑みを浮かべる。今の彼女はいつもよりも狡賢そうで、どこか理知的だった。
「じゃあ化物さん、ダウナさんに伝えてもらえるかしら? 貴方たちのお誘いは謹んでお断りしますって」
「……む」
今までは表面上だけでも友好的に見せようとしていたベリアスの表情が変わる。
戦場で何度も見てきたような冷酷な瞳。反抗的な捕虜と相対した兵士のように、冷淡さと残酷さを感情へと焚べていく。
「貴方たちの見せようとした『化物の余生』は存分に堪能させてもらったわ。亡命の手助けで恩を売られて、その対価として禁術を研究させられて、ゼロからの侵攻を受けても助けてもらえずに死ぬ。反吐が出るくらい素敵な人生ね、是非とも御免被るわ」
「……元々死ぬはずだった命を助けただけでも恩賞ものだと思わないのか?」
いつの間にか取ってつけたような敬語は失われ、互いの間には威圧感が漂う。更にはお互い言い争いしている時間など無く、焦燥感も混じり込んでいた。
「生憎とね、私は終わり方に拘るタチなの。……確認なのだけど、貴方はこれでいいと思っているの?」
ハルが1歩ずつ歩みを進め、ベリアスへと接近していく。相手がどのような戦闘スタイルであっても射程圏内に入ってしまうほど、彼女の位置は近い。
迂闊と取るか、余裕と取るか、それとも敵愾心の無さを示すパフォーマンスと取るか。ベリアスは彼女の真意を測りかねているようだった。
「これが化物の余生だというならば、『化物は結局、最期には誰にも助けてもらえずに死んでしまう』ということになるわ。アルドフッドも、ワムちゃんも、私もね」
もはや二人の距離は、互いの首を手で絞められるほど近い。行動に移せるだけの殺意さえあれば、相手の命さえ奪うことが可能な間合いだ。
そんな危険極まりない距離感で、ハルは意地悪く、俺をおちょくる時のような小悪魔的表情で――ベリアスに囁いた。
「貴方も、そうね」
「……」
至近距離で放たれた挑発を跳ね飛ばすように、ベリアスが腕を振って払いのけようとするが、ハルは彼の腕を掴んで離れようとしない。
「……時間がないことくらい分かるだろ、女。挑発なら避難した後に――」
「貴方は最後まで死なずにいられるのかしら? ダウナさんの下についているから安全だと錯覚してるけど、どうせいつかはアルドフッドみたいに見捨てられちゃうんじゃないの? 貴方たちの描く化物の余生は姑息だわ、そんな甘言にも満たない餌で私たちを釣ろうなんてね」
世間に対する無知と子供っぽさが先行しているせいでバカだと思われがちだが、実際のところハルはそこまで頭が悪いわけではない。戦場で生き残るためには様々な謀略や思考を巡らせる必要があり、その為の教育なら受けてきているはずなのだ。
積み上げられた砂を崩すように、挑発と煽動を相混ぜにしながら、ハルがベリアスの心を指で掻いていく。
「私なら、化物の末路としてもっと相応しいものを用意するわね。『化物が力を合わせて敵を撃退し、最終的に幸せになりました』って。……この島にいる化物たちの力を合わせれば実現できるかもしれないのに、貴方は目を逸らしちゃうの?」
当然――彼女の言動は詭弁だ。仮にアルドフッドが幸せな余生を送れたとして、俺たちがそれに準じられるとは限らない。人にも各々の末路があるように、余生が定型であるわけがないのだ。
しかし、まだ俺たちは、幸せな終わり方を迎えた化物を見たことが無い。誰もが地獄のような過去を持ち、幸せになろうと足掻いている。
誰かが幸せになれたのならば、自分も幸せになることができるかもしれない。絶望の中に可能性という希望を見出すことくらいはできるのだ。
……もしもベリアスが、幸せのままに死んだ化物を見たことが無いのならば……アルドフッドを守ることに意味を感じてくれるかもしれない。
「………………」
一縷の望みをかけて返答を待つも、彼の表情からは何も読み取ることができず――。
『時間がないのになんで言い争いしているのさ、君たち……』
代わりに、彼が腰に付けていた大型の無線機から聞き覚えのある声が響いてきた。
「え、ダウナさん?」
『そうだよー……』
無線機から聞こえる彼女の声は、まるで敵国の通信を傍受しているかのようにノイズまみれだ。その無線機は無人界と魔法界を繋ぐだけにしては必要以上に大仰で、もっと遠くの――俺たちには想像も及ばないような遠距離から連絡を試みるための設備に見えた。
「団長、このガキ生意気!」
「ダウナさん、部下が堅物!」
途端に、ベリアスとハルが同時にクレームを申し入れた。ハルが生意気なのはダウナに言ってもどうしようもないと思う。
『うん、あのね、そっちの状況が緊急だろうから手短に伝えるねー……まずね、わたしとしてはクロスエッジ王子とハルモニア王女には避難してもらいたいんだけど、だめかなぁ……』
「やだ!」
一気に知能レベルが下がったハルが、合唱団を思わせる声量で断固拒否した。
『だめかぁ……じゃあ仕方ないか。ベリアス、この子たちを手伝ってあげて……』
「どうしてそんなことをっ。この際もう、ガキ共のドタマにパチキ捻じ込んで無理矢理ゲートに押し込んだ方がいいでしょう! 特にこの生意気な女には二発捻じ込む!」
『まあ落ち着いて。実はね、化物の余生を教えたかったのは少年たちにだけじゃないんだよね……。少年たちにはアルドフッドという魔法界から脱出した化物のその後を教えてー……ベリアスにはね、無人界に来た少年たちの姿を見せたかったんだよねー……』
「え……?」
想像だにしていなかった事実を告げられ、ベリアスが素の声を上げてしまう。隣にいる俺も全く同じような声を上げそうになっていた。
ダウナはこの男に、俺たちの姿を見せたかったなんて。こちらには年上に啓蒙できることなど無いのだが、一体何を見せつければよいのだろう。
『君は少々、実利主義で道理に則ったきらいがある……。もう少し青臭く夢物語を語ったり、自分の最大幸福を追って欲しいんだよ……。その為には、年頃の少年少女を監視することが丁度いいと思ったんだよねぇ……』
「……こんなに未熟な子供から、気構えを学べと言うのですか」
『そうだね……同じ化物の大言壮語に加担して、果たして現実的な手段が真に正しいのかを学ぶといいよ。さっきハルモニア王女が語った夢みたいな末路が叶えられるなら、君もそれに越したことはないだろう……?』
「…………」
明らかに納得しかねる表情をしているが、上司の言うことに逆らうことはできないのだろう。ベリアスは憮然としながらため息を零した。
「しかしオリジンがゼロへ直接関与することは契約違反です。ラナンキュラスからの糾弾は避けられないと思いますが」
『幸か不幸か、我々には口実がある。君からの監視報告にも載っているよ、敵に拉致されたハルモニア王女が足の指を5本負傷させられたと……』
昨晩の嫌な記憶を呼び起こされて、ハルが眉間に皴を寄せた。治療魔法をかけてもらったとはいえ、昨日の今日なのでまだ痛みは残っているだろう。
『ハルモニア王女への攻撃は紛れもない契約違反だ。指5本分、堅実な仕事をしてあげなさい……』
別れの言葉や前触れもなく、ブツ、と通信が切断された。これ以上の問答は時間のムダだと言うことだろう。
厄介な使命を下されたベリアスは苛立ちを隠さずに髪を掻き、俺たちに獣特有の鋭い視線を向けてくる。
「……ガキ共、聞いての通りだ。上官命令によってお前らに力を貸してやる。共に戦うとなれば立場は平等だ、慇懃な態度を求めるなよ」
「ああ、問題ない。俺たちも相当に無礼だからな」
握手も自己紹介もなく、俺たちは共に作戦を遂行する戦友として頷き合う。
「しかし聞いた通り、俺たちオリジンは特殊だからな。ゼロの奴らへの攻撃は好ましくねぇ。それ以外で必要なことはあるか?」
「ワムを探してくれ。中学生くらいの子供で、俺たちと同じ造りの存在だ。今は暴走しているが仲間に引き込めれば勝率を上げられる」
「あのガキか。引き込むっつっても敵の一派に属しているんじゃ――」
その時、地面に不思議な形の影が顕現した。
木々の梢が揺れ動く影ではなく、炎によって映し出された建物の影でもない。鳥でも雲でもなく、日常に見られる影なんかではなく……。
直後、影の上に一人の人間が落下してきた。
どれほどの高所から落ちてきたのだろう。地面の土が跳ね上がり、赤茶けた土煙が立ち昇る。
煙の向こうに灯る紅の眼光は、獣の唸りと共に揺れていた。呻吟のようにも聞こえるその声には、有り余るほどの聞き覚えがある。
カーニヴォラス・ワ=ムー。……いや、ワムだった。
「向こうから来やがったぞガキ共。説得できる雰囲気じゃねぇみたいだがどうすんだ……?」
ワムの移動は四足歩行、口から漏れる音は全てが獣の威嚇声。目は眼前の獲物をねめつけ、牙先からは熱の籠った涎を垂らす。
どこからどう見ても獣そのものだ。動物園やふれあい広場で出会う獣ではなく、野生化した人慣れしていない危険な動物。
こんな状態の彼女に、言葉など届くのだろうか。……どうにかして届けなければならない。俺たちが生き残るには、彼女の力を借りるしかないのだから。
「ワムには悪いが、一旦拘束したい。ベリアス、できるか?」
「監視と狙撃が主な仕事でな、捕獲の自信はねぇ。でもやるしかないんだろ」
「ああ」
総員が杖を抜き、こちらの隙を窺うワムの姿を見据える。
開戦の狼煙となったのは、とある音。
どこか遠方から聞こえてきた、ゲートが開く音だった……。




