4章 疑わしき少女
「どうしたクロ、顔が悪いぞ」
「顔色だろ、しばくぞ」
心配しているのかいまいち分からない一言を鳳輔から貰うほど、俺の顔色は酷いようだ。
先日、例の魔法使い達の痕跡を探してハルと夜の街を駆け回ったが、個人の特定に繋がる物は愚か、服の切れ端すらも入手することはできなかった。
俺としては徹夜をしてでも探し出す腹積もりだったのだが、午前1時を回ったところでハルが完全なおねむになり、電柱にしがみついて寝るという呆れた離れ業をやってのけたので仕方なく帰宅を余儀なくされたのだ。
というわけで翌日になり、俺とハルは両目の下に色濃いクマを作りながら登校して、半ば夢うつつの状態で鞄の中身を取り出していた。
「おいおいなんだその気迫の無い表情は。全くお前たちときたら、昨晩どれだけナメクジのように愛し合えばここまでの寝不足になるというのだ」
俺たちがこんな惨状であるというのに、鳳輔は今日もお元気なようだ。日頃から鳳輔が不調の時で丁度いいくらいのテンションなのだから、これはしんどい。
「あのな、鳳輔は素敵な誤解をしているようだけど、別にいやらしい夜更かしをしたわけじゃないから。あのあれ、勉強。ハルが勉強してた」
「バカを言うな、ハルちゃんが勉強するわけないだろう」
確かにそうだ。俺、バカかも。
「いいから昨晩のハレンチな出来事をつまびらかに話してみろ。少しくらい語ってくれてもいいだろう、こちとらレスなんだ」
「そりゃ彼女いたことないもんな」
同居状態の2人が寝不足という事実に鳳輔は興奮し、どちらが押し倒したのかを執拗に効いてきやがり、答えるのが面倒臭くなったハルが「クロが獣と化したわ」という余計な一言を放ったせいで俺がケダモノにされてしまう事故はあったものの、なんとか熟睡せずに放課後を迎えることができた。ちなみにハルは1時間目から6時間目まで寝ていた。
「あ゛~……ガチ眠いホントもう……」
半分激怒を込めた呟きを落とし、隣の席で爆睡しているハルをつつく。
6時間目の授業が終わって数十分が経ち、クラスメートたちもそぞろに部活や委員会へと向かっていた。今や教室には俺とハルと鳳輔だけが残っている状態だ。
ちなみにくそねぼすけなハルの頬を人差し指でつついているのだが、隣の鳳輔が「そんな卑猥なものでつつくなよ」という誰も幸せにならない冗談を言ったせいで、ハルの寝顔が本当に寝苦しそうな形相へと変化している。俺の卑猥なものはこんなに細くない。
「ハルちゃんの寝息は鼻濁音が完璧で行儀がいいな~」
「寝息を専門的に評価するのやめてあげて」
そんな感じでフェティシズムな感想を言っていた鳳輔だが、やがてサッカー部に行く時間になったのか、席を立って荷物をまとめ始める。
「じゃあ俺は用事あるから、お先に退散させてもらうぞ。もし今夜も寝不足になるようだったら俺も混ざるから、ぜひ一報くれよな」
「そのような予定はないんすよねぇ」
去り際に殺傷能力の高い投げキッスを一つ飛ばし、鳳輔が去っていった。
「…………」
しばし、惰眠を貪るハルを眺める。あと5分経っても起きなかったら鼻にチョークでも捻じ込もうかな、と思いながら、ひと時の静けさに身を委ねた。
遠くから聞こえてくる野球部の掛け声、吹奏楽部が奏でる名も知らない旋律、廊下をはしゃぎながら過ごさっていく生徒たちの声、カーテンが風で揺れる衣擦れのような音。様々な音が遠くから聞こえてくるのに、この教室内だけはまるで時が止まったかのよう。
椅子の背もたれに体を預けた時の軋む音が、どうにも無粋に思えて。体勢を変えることもなく、まんじりともせずにハルを見ていた。
まるで、昨日の一件が夢だったかのよう。このまま平穏な日常が続いていくかのように錯覚する。
魔法使い同士の戦いも、あの日に目撃した謎の少女も、全てが白昼夢かのようで――。
「今! あなたが考えてることを当ててあげよう!」
「……!?」
突如、教室の扉を勢いよく開けて姿を現したのは一人の女子生徒だった。憂いの欠片も無い自信満々な表情を浮かべながら、彼女は俺たちに接近してくる。
肩まで届かないショートカットの赤髪に、吸い込まれるような濃いブルーの瞳。どう見ても高校生とは思えないほど幼い顔と、おおよそ150センチも無い身長のせいで、中学生が高校に迷い込んだかのように感じてしまう。笑った時に見える八重歯もどこか幼さを感じさせた。
いや、そんな身長や髪の特徴などどうでもいい。俺が彼女から目を離せなくなったのは、その顔に見覚えがあるからで……。
「あたしのことを考えてたんだよね! ……当たってるでしょ?」
その女子生徒は、昨晩――俺が目撃した少女だった。
間違えるはずもない。ガキのようなタッパのくせに、どこか大人びた表情をしていて、髪の合間からブルーマーブルのような瞳でこちらを見据えてくる。
今日も、あの日も。こんな視線を向けられて間違えられるはずもない。
同じ学校の生徒に向ける視線ではなく、初対面の相手に向ける視線でもなく……甚だ珍しい存在に向けて送られる奇異な視線。間違いなく、彼女は俺たちが魔法使いであることを理解しているようだった。
「んだコノ野郎……何者だテメーはッ!」
これ以上の接近を止めるように、柄にもなく荒れた口調で一喝する。
その声に驚いてハルが目を覚まし、困惑しながら周囲を見回して、俺が一人の女子生徒と相対していることを理解したようだった。しかし、昨晩に彼女の顔を目撃していないハルは、今目の前にいる相手が誰なのかまでは理解できていない。
「ナニモン言われてもねぇ。名乗るほどのモンでもないけど……」
彼女は己の背中に手を伸ばし、数度何かを手探って――。
「あたし、こういう人だね!」
勢いよく取り出した杖を、俺たちに向けてくる。
火災か落雷にでも遭ったかのように黒焦げた杖からは、魔法界特有の薄い魔精反応が漂っていた。魔法を使えない者には決して見えない化学反応だ、それだけで偽物ではないことが判別できる。
そして、その焦げ跡が真新しい時点で、昨日の戦闘に参加していたことがほとんど確定していて……。
「…………ッ」
あまりにも俊敏に、ハルが俺の前に躍り出る。ハルより一回り図体のデカい俺を身一つで庇えるわけもないが、とにかく俺を後ろに追いやって女子生徒を睨みつけていた。せめてもの武器としてなのか、片手にはトキントキンに尖った鉛筆が握られている。
日常生活においては赤子より僅かに性能が高いだけのポンコツだが、こと戦闘面においてはさすがの化物だ。今にも襲い掛かりそうに身を屈め、相手の目を狙っているかのように鉛筆が真っ直ぐ突き出されていた。
しかし、人殺しに慣れた化物に睨まれても女子生徒は臆さず、杖先をこちらに向け続けている。そして観察するかのように目を眇め、俺たちの手元を眺めていた。
「……ふーん、二人は魔法の使えない魔法使いさんかぁ。こりゃまた不用心だね、杖が無い状況で学校に通ってるなんて」
「……杖が無いと決めてかかるのこそが不用心じゃないか」
「無いでしょ。杖を持ってるなら即座に構えるだろうし、魔法使いが家に忘れてくるわけもない」
彼女の言う通り――マトモな魔法使いなら、臨戦態勢と同時に杖を構えるのが基本だ。杖を構えない魔法使いなど、戦場で棒立ちするマヌケな兵士に等しい。
しかし察されているように杖など持っていないのだから、こちらとしてはどうしようもない。できることと言えば、せいぜい居丈高に振る舞うことくらいだ。
メンタルだけでも優位に立とうとしてハルと共に女子生徒を睨み続けているのだが、奴はからからと鈴を転がすように笑う。
「それじゃ行こうか。二人を推薦してくれたバカも、もう待ちくたびれてるよ」
「俺たちを推薦……?」
「行けば分かるよ。さ、行こ行こ!」
はよー! と手招きをしながら、女子生徒は教室の扉を開け放つ。俺とハルは視線を通わせて、何も分からないまま誘導されていいのかを問い合った。
……怪しさはありえないほどに濃いが、何も情報が無い今、見過ごすわけにはいかないのも事実だ。
そもそも俺たちは目撃者であるあの女子生徒を探していた立場だ。ご丁寧にも向こうから来てくれたのだから、わざわざ逃す必要性はない。例え罠だろうが、虎穴に入らなければどのような戦果も得られない。
「しゃーねえ。覚悟キメんぞ、ハル」
「フンドシを絞めてかかるのよ!」
「お前どこからそういう慣用句仕入れてくんの?」
女子生徒の後を追い、廊下を歩いてく。
既に部活オア委員会中の時間帯になっているせいか、廊下にはほとんど人の姿が無かった。恐らく帰宅部と思われる生徒が何人かはしゃぎ合っているだけで、俺たちに気を配る様子は見受けられない。
もしここに生徒が犇めいていたなら、俺たちの様子を見て不審がるに違いないだろう。杖を隠した女子生徒は普通の様相だが、その後ろを歩く俺とハルは警戒心を弩級まで上げており、到底学校では拝むことのできないマジ顔になっているのだ。
そんな俺たちに向かって振り返り、女子生徒が嫋やかに笑いかける。
「あたしの名前は朝霞 愛美、アイって呼んでね! よろしゅう!」
「……俺ぁ高坂 黒」
「若葉 春よ」
アイとやらに倣い、俺たちも一応の自己紹介をする。
こちらの世界でシロガラ・G・クロスエッジなどという名前を名乗れるわけもないので、このような偽名を用いているのだ。尤も、日頃お世話になっている中立国家の構成員が適当に決めた名前なので、自分事ながら未だに全く慣れていない。
「早速だけど、取引しよう! ……クロくんにハルちゃんさ、昨日の戦いが気になるんでしょ? どうして戦っていたかとか、戦いに参加していたのは誰だとか」
「……まあ、そうだな」
あの日、俺たちが血眼になって戦闘の痕跡を探していたことを知っているのだろう。隠す必要のないことなので素直に首肯する。
「あの日、何があったか。あなたたちに教えてあげようか?」
「そりゃありがたいこって。で、対価は?」
「委員会の仕事を手伝ってほしいんだよねぇ」
委員会? と思わずハルと揃って首を傾げてしまう。
魔法使い同士の戦闘、突如現れた謎の少女。なんだか大事になりそうな気配が漂っているのに、途端に日常的な内容にシフトしたせいで混乱せざるを得ない。
「あたしの入ってる委員会さ、修羅場の時期なのに人手が足りないんだよね。魔法使いの手でも借りたいくらいに。だからヤマ越えるまで付き合ってもらいたいの」
「………………」
「あ! 今、訝しがってるね! あんまり疑うと泣くよ、涙腺だけは誰よりも脆いから!」
訝しがるなと言われても、この流れで愚直に受け入れるほうがイカれているだろう。あの日のことを教える対価としてはあまりにも意味不明すぎる。
「お前が納得……」
「アイ!」
「……アイが納得するまで仕事を手伝えば、昨日のことを話してくれるんだな?」
「ふふん、あたしが約束を破る女に見えて?」
「それを判断する関係性すらないんだけど……」
そんな探り探りの会話を交わしながらも、アイの背中に隠された杖に視線を向ける。
……二人がかりで杖を奪い取れるか?
いや、厳しいだろう。恐らくアイは服の下で杖を握っているだろうから、襲い掛かった瞬間に魔法を使われて俺たちは一巻の終わりだ。敵だけが武力を行使できる以上、こちらは穏便に済ませるしかない。
「……で、その委員会とやらは一体何なんだ。俺はまだいいとして、ハルには進捗を阻害する才能しかないぞ」
「体が大きいだけの赤ちゃんと言っても過言ではないわ……!」
なにやら隣でハルが誇っているが、そろそろ一回自分の不器用さを戒めてもらいたい。
「大丈夫! そんなに難しいことをするわけじゃないからさ」
本校校舎別館4階、南部廊下の突き当り。そこに辿り着いたアイが不意に立ち止まり、その扉に書かれた文字を指さした。
そこに書かれた文字は――学園祭実行委員会。……文字列だけで、何をする場所か理解できる。
「学園祭……の、運営を手伝えって言うのか……?」
「そ! ちょっと色々と事情があってね。どうする? 取引に応じないなら帰っちゃってもいいよ。そしたらあたしが知ってる情報も秘密にするけどね」
「……………………」
もし俺たちが魔法を行使できたなら、一旦ここで断って、後日捕縛した彼女に尋問を行うのが一番望ましい選択肢だ。
だが今、ひ弱な存在となってしまった俺たちが確実に情報を得たいなら、彼女の取引に応じるしかない。ハルも同じ考えのようで、俺に向かって頷き応じるように促してきた。
「……分かった、手伝おう。その代わり約束を破るなよ、不義理はハルの大暴れに繋がるぞ」
「いーよ、契約成立ね! そんなに怪しまなくても約束破るわけないじゃん。あたしをどこの誰だと思ってるんだい」
どこの誰だよ。
「まあ詳しくは中に入って聞いてよ、多分二人とも待ちくたびれててるからさ」
二人って誰だ? という俺の問いかけは見事に聞き流されつつ、アイは目の前の扉を勢いよく開け放った。




