16章 恋する2人は寄り添いたい
今日と明日が混じり合う、深夜の12時。
俺は静まり返った仮眠室の中で、ベッドに横たわって瞳を閉じていた。
一人ぼっちの仮眠室は必要以上に静かで、なんだか俗世と切り離されたかのよう。瞼の裏に広がる闇を見据え続ければ、まるで日中の騒動が夢現であったかのように錯覚してしまう。
……ハルの奪還後、アルドフッドにより足の骨を治す手術が行われた。普通の骨折程度なら数時間あれば完治するらしいのだが、どうやら骨を捻りながら折られたらしく、明日にならなければ完治しないようだ。
人質の機動力を奪うだけなら、わざわざ捻り折る必要はない。そこには蟲の羽を捥ぐ子供のような、意味も甲斐もない残酷さが込められている。
ゼロ。……例えどれだけ立派な大義を背負っていようが、絶対に相容れられない相手だ。
「……」
その時、仮眠室の扉が静かに開いた。廊下から差し込む一筋の光が、薄暗い部屋の中を一文字に照らす。
「寝てる? 寝てたら返事して」
どう返答したらいいのかいまいち分からないことを言われた。返事をしたら寝ていることになってしまうので、そのまま黙りこくってまんじりともせず不動を貫く。
「よっしゃ、寝てやがるわ」
声の主は――ハルは、自分の言ったことを忘れて人に熟睡判定を下しやがった。どうやって起きてることを示せばいいんだよ。
ハルの手で掛け布団が捲り上げられ、11月の寒気が差し込んできた。クーラーが設置されていない仮眠室には季節相応の気温が満ち満ちている。
さすがにこの嫌がらせは普通に嫌なので、頬しっぺの刑に処してやろうと思った刹那――不意に、背中に熱が灯る。
その熱源は俺の体温ではなく、暖房器具の努力でもない。
ハルが掛け布団に潜り込み、俺の背中に密着してきているのだ。
「……」
そしてあろうことか、絡みつく蛇のように俺の体へ腕を回し、背後から抱き締めてくる。
ハルに限って夜這いを仕掛けてくるわけがない。理由は何となく分かっている。
だから、口を閉ざし続けることなんてできない。
「……なに、どしたの」
そう声をかけると、背後のハルがWOW!と驚いていた。ネイティブな驚愕を示さないでほしい。
「起きてたの?」
「おう。で、どうした。眠れないのか?」
「……ん」
背中に少しだけ衝撃が伝わってきたのは、きっとハルがおでこを押し付けたからだろう。そのままぐりぐりと、動物がマーキングするかのように強く捩じり込んでくる。
「ま、ヤバめの組織に拉致られたんだからな。怖がるのも無理はない」
「……」
返事は無いが、頷いたような振動が背中越しに伝わってくる。
俺は体に巻き付いていたハルの腕を外し、そのまま体を180度回転させる。先ほどまで背中の向こうにあったハルの顔が、今は俺の胸の前にいた。
俺は少しだけ間をおいて、小さく一度だけ息を吐いた。そんな不要でしかない一連の動作を挟んだのは、俺にだって恥ずかしいとか照れくさいとか、そういう感情があるからだ。
意を決して、ハルの頭に腕を回し、その身体を抱きしめる。
華奢な体から伝わる朧な温もり。伝わる鼓動は平静より早く、触れた体はいつもより熱い。
「……怖かった」
「うん」
彼女の頭を撫でながら、優しい声色になるよう努めて返事をする。
「痛かった」
「ああ」
「もう二度と会えないかもって、少しだけ思った」
「そこは俺なら絶対助けに来てくれるって思っていてくれ」
「思ってたけど、でも、怖かったから」
まるで子供のように、ハルが俺の寝間着をぎゅっと握る。きっと皴になるだろうが、別にそれでもいいと思えた。
「……助けに来てくれて、嬉しかったわ」
「おう。存分に崇めるがいいぞ」
「うん、存分に暴れる」
「やめて、聞き間違えしないで」
少しだけ元気が出てきたみたいだ。彼女は撫でられている頭を上げ、俺と視線を合わせる。
この上なく無邪気な笑顔を向けられて、俺の心臓が少しだけ跳ねた。慰めモードに入ったことで落ち着いていたのだが、笑顔を見て恋する気持ちを思い出してしまったことで、ハルではなく俺の心臓が暴れだしている。
今、ハルの頭は俺の胸に密着している。どうかこのバカみたいに強い鼓動が聞こえないでくれ、と願うばかりだった。
「もしまたハルが攫われたりしたら、今度もすぐに助けてやる。だから安心しとけ」
「わ、頼もしい言葉」
ハルの顔が極めてだらしない顔になる。どう見ても一国の王女が浮かべるべき顔ではないが、めちゃくちゃ嬉しい時の顔だ。
「今日だって、生き馬の目を抜くような勢いですぐさま助けたろ。その勢いでなんとかしてやる」
「生き馬のなんとかってなに、聞いたことない」
「昔の人の言葉で、超素早いみたいな感じ」
「へえ、昔の人ってすごかったのね」
なんか昔の素早い人がみんな馬の目を抜く異常者だと勘違いされた気もするが、もしかしたら無人界がそういう世界だった可能性も否定できないので曖昧に頷いた。
「じゃ、私も……クロが攫われたら、馬の生き血を抜くような勢いで助けてあげるわね」
「ことわざをちゃんと憶えてくれ。まあ言葉自体はありがたいから痛み入るぞ」
「うん、もっと痛んでいいわよ」
返答が明らかに間違っている気もするが、本人が満足そうなのでいいか。
それからしばらく、いつもみたいなバカ話をハルと繰り広げた。
ショックを受けた相手を慰めてあげることも必要なことだが、気持ちを日常に戻してやるのも大切なことだ。
「……そういえば、ゼロってホントにヤバい組織だったのね」
話し始めてから15分くらいが経過し、少しずつ心臓の盛り上がりも治まってきた頃、不意にハルがそんなことを言いだした。
「そうだな。昨日アルドフッドに色々聞かされた段階では、さすがにちょっと盛り過ぎだろって思ってたけど……確かにありゃ、話通りの激ヤバ組織だ」
「世界の水面下で蠢いてるってのもホントみたいね。……だとしたら、あの話も本当ってことかしら」
「ああ……かもしれないな」
ゼロとオリジン。この2つの組織が、シロガラ国とメース国の戦争に深く関与している。
そして誰かが戦争に火をくべて、3000年間にも及ぶ戦争をいつまでも引き延ばしている。
ゼロに所属するデースマースが戦場に兵士を送り込もうとしていたことを考えると、ゼロの奴らが戦争を激化させようと考えているのは明らかだ。
「非現実的な話だけど、それが本当だとすると……俺たちの夢も現実味を帯びてくるな」
「ええ。あの組織を潰せば、戦争を止められるかもしれないわ」
今までは『戦争を止める』なんて大義を掲げつつも、それを遂行するための方法にまで行き着いていなかった。
なんせ3000年も続いた戦争だ。停戦へ持っていくだけでも長い年月を要するだろうし、互いの国家を停戦側に傾けるのにも多大な労力と時間を要する。
だが、組織が絡んでいたとなれば話は別だ。奴らを潰してこれ以上の暗躍ができないようにし、シロガラ・メース国の戦争を激化させていたことを証明できれば、戦争を終わらせることができるかもしれない。
シロガラ国とメース国の戦争は、今まで何度も小康状態に移行してきた。だから、それを燃え上がらせる原因さえ排除してしまえば、しばらくは怨みの連鎖が続くとしても――やがては鎮火するだろう。
ようやく、見えた気がする。
俺たちの目指す最終地点。そこへ行きつくための道筋を。
「…………………………でも、戦争を無くすと意気込んでも……戦争が消えると同時に、私たちの居場所も消えちゃうのよね」
それはアルドフッドが辿った末路と全く同じだ。
戦時中は猛威を振るう化物も、平和な世では大量殺人者。
何人もの人間を殺した罪深き化物が、無辜なる国民に受け入れられるわけがない。
いつか暴走して殺戮を行うかもしれない、恨みを買えば惨たらしく殺されるかもしれない。そんな危うい存在を野放しにしておくだけで、国民の大半は安心して夜を眠れないのだ。
どれだけ調教されていたとしても、ライオンの隣で眠れる人間はごく僅かだろう。……化物という認識がある限り、俺たちはその枠から抜け出せない。
戦争があるからこそ化物は生きられる。戦争だけが化物に許された居場所。
戦争が終われば、俺たちに帰る場所なんてなくなるのだ。
「…………」
俺はハルの頭を優しく撫でながら、音もなく唾を飲み込んだ。
想いを宿すことは簡単なのに、それを口に出すことは、きっと何よりも難しい。
「……もしもその時が来たらさ、俺たち2人で逃げないか?」
「え?」
「誰も俺たちを化物と呼ばない場所を見つけ出して……今までみたいに2人で暮らそう。それでアルドフッドみたいに誰かを救って生きていこう」
カーテン越しの月灯りが、小さな部屋を青褐色に染め上げる。世界が海に包まれたかのように深い青が全てを溶かして、もう、何も見えなくなる。
ただ、目の前にいるハルだけは。
夜を映して小さく瞬く彼女の瞳だけは、どんなに昏い青でも消えやしない。
「……そんな人生、嫌か?」
あどけなく、ささやかな夢を彼女に問う。
もしも彼女がこの手を取るならば、きっと俺は彼女を大切にし続けるだろう。
それはプロポーズにも酷似していて。一生をかけて目の前にいる女性と寄り添い続けることを誓う、乞いの言葉だ。
恋は成就しない限り、惨めな乞いでしかない。だからもしも叶うならば、確かにそれは恋に他ならなくて。
「……嫌なわけないでしょ」
表情を隠すかのように、ハルが俺の胸に顔を埋める。だから今、彼女がどんな表情なのかを窺い知ることはできない。
それと同じように、彼女の顔がどれほど紅潮しているのかも、俺には知る由の無いことだ。
「ずっと一緒にいてね、クロ」
その言葉は、もう、乞いの言葉ではなかった。
そして、意識が途切れるまで話をして。
まどろみ、少しずつ世界が歪んでいって。
俺たちは、互いの体を抱きしめ合ったまま――深い眠りに落ちていった。




