15章 奪還
21時。都会よりも圧倒的に光源が少ない神成島は、深夜を迎えたかのような静けさと暗さに満ちていた。都会であれば学生が散見されるようなこの時間であっても、人の姿が夜に溶けるほどの闇を孕む。
そんな中――俺は懐中電灯の頼りない光を頼りに、神成島見晴台を訪れていた。
見晴台ということもあって、昼間は神成島の絶景が拝めるらしいこの場所も、夜分遅くでは闇の一色しか見ることが叶わない。だからこんな時間に誰も来ることなんか無いはずだが、今だけは人の気配に満ちている。姿こそ見えないが、恐らく10人以上の敵が潜んでいるのだろう。
「お待ちしておりました」
見晴台に設置された東屋の下に、ゼロの工作員が立っていた。どう見ても幹部クラスではない、単なる雑兵としか思えないような見て呉れだ。
奴は――縄で縛られたハルを連れていた。まるでハルをライオットシールド代わりにでもしているかのように、俺たちとの間に立たせている。
「クロ……」
ハルが弱々しい声で俺の名前を呼ぶ。俺は彼女の目を見据えながら、安心させるように強く頷いた。
「……グラシディア・アルドフッドの姿が見えませんが、交渉に応じないという返答で宜しいでしょうか?」
「早まるなよ、アルドフッドは連れてくるさ。……ただし、生憎と俺はお前たちを信頼していないからな。受け渡し方を少し工夫させてもらおう」
「工夫?」
俺は小脇に抱えていた分厚い書物を掲げる。その書物の表紙には淡い水色に輝く惑星が記されており、種も仕掛けも無いというのに映像が映し出されるかのように公転を続けていた。
それは魔法体系の理論が封じ込められていることを示している。……この書物を開けば、研究中の魔法を構成する全ての内部パラメータを参照することができ、今までの研究成果を解読することができるだろう。
「ここに自爆魔法の研究書がある。まずはこれをお前たちに引き渡すから、確認が完了次第ハルをこちらに引き渡せ。その後、アルドフッドを引き渡させてもらう」
「……残念ですが、その交渉には応じることができません。ハルモニアを引き渡した途端、約束を反故にして逃走するつもりでしょう」
「白々しい。お前たちが逃走させてくれるわけがないだろう」
この場所に来た瞬間から、何十もの目玉に見つめられる感覚が身を貫いている。奴らに取り囲まれれば、今の俺たちでは徒花と呼ぶべき抵抗しかできないはずだ。
「俺が約束を破れば、お前たちは拷問でも何でもして口を割らせるはずだ。それが分かっているのに裏切るわけがないだろ。ハルを取り返したとしても、俺たちには逃げるなんて選択肢はないんだ」
あくまでも強気に押す。敵に人質を取られたからといって、下手に出るのは足元を見られるだけの愚行だ。交渉事をする際は『お互いが対等である』と装わなければ、こちらの要求が一切通らなくなってしまう。
「……」
数秒、見晴台に森閑が訪れた。俺の言葉を咀嚼するかのように、工作員は黙りこくって思考を巡らせる……。
「アルドフッドの引き渡し方法は?」
「奴は今、ここから少し離れた場所にいる。杖を持たずに丸腰でな。その場所をお前たちに教えることで引き渡し成立としたい」
「引き渡しの成立は『丸腰のアルドフッドを我々が発見し、殺害する』ところまでとしましょう。それが完了するまではこの場に残りなさい。我々に嘘の居場所を告げたり、アルドフッドが武器を所持していた場合は、貴方たちを責め苦の果てに惨殺します。……それで宜しいでしょうか?」
「……ああ」
穏やかな口調と言えども、さすがにゼロの構成員だ。敵に圧力をかける場面では、残酷な言葉を用いてキッチリとプレッシャーをかけてくる。
「でも、本当にその受け渡し方法で宜しいのですか? アルドフッドの殺害後、用済みの貴方たちを殺すこともできるのですよ」
お節介とばかりに工作員が訪ねてくる。無論、敵国同士の交渉ならばそういったケースもあり得るだろう。
しかし今回の場合は状況が違う。俺たちを殺すメリットなど無いのだ。
「大国に喧嘩を売ることを厭わない奴らなら危惧したかもしれないけどな。……スカーレットとやらはそれくらいやりかねないけど、ゼロという組織自体はそこまで狂犬ではないだろ?」
「……よくご存じで」
「何も知らねえよ。でも、今まで存在を隠しながら水面下で動き続けていたってことは、意思決定の判断をする奴はある程度リスクを考えられる理知的な奴だ。そんな奴がアタマ張っているなら、組織の色もそれなりに判別できる」
こんな夜更けにゼロの組織トークなんてしたくはない。俺は手に持っていた麻紐留めの研究書を放り投げ、工作員の足元へと落とす。
「これがお望みの研究書だ。中身を精査するといい」
「勿論です」
工作員がしゃがみ込み、研究所を拾い上げる。その間にもこちらから視線を切らず、警戒を続けていた。
彼の指が、研究所に巻かれた麻紐を解いていく。その合間、忠告するように俺へ話しかけてきた。
「今回、一般工作員である私が交渉の矢面に立った理由は、かつて魔術の研究職に就いていたからです。……自爆魔法ではなく別の研究書を差し出したならすぐに分かりますのでご了承ください」
「承知の上だ。さっさと中身を検めるといい」
そして、研究書を縛り付ける紐を解いた彼は、躊躇なく最初のページを開く。
……そこには、なんとも奇妙な光景が広がっていたことだろう。
その研究書はページの真ん中が長方形に繰り抜かれていた。まるで犯罪者が麻薬や拳銃を隠すかのように、何かを仕込むスペースが空けられているのだ。
そこに格納されていたのは、可愛らしいピンク色の携帯電話だった。女の子が好みそうなストラップが付いた、どこからどう見てもカタギの女子高生が持つようなもの。
もしもページを開いた瞬間に起動する魔法が仕込まれていたならば、彼も即座に反応しただろう。だが、あまりにも意味不明なものが入っていたことで、彼の脳が一瞬思考を停止する――。
魔法界には携帯電話というものがない。だから、もしも彼が魔法界から派遣された工作員であるならば、きっと知らないはずだ。
携帯電話にはGPS機能があり、位置を捕捉することができると――。
「…………!?」
その地鳴りは、まるで大地震が起こったかのようだった。
周囲が闇に閉じられているから、本来それを目視することはできない。だがゼロの工作員ともなれば視覚支援の魔法を習得しているはずだ。だからきっと、今、何が起こったのかを正確に視ることができたに違いない。
突如、地面の内側から大爆発が起こり、周辺25メートルの地面が消失したのだ。まるで途方もない重力に潰されたかのように、巨大なドーナツ状の穴が地下深くまで続いている。
さながら逆ドーナツと言ったところか。俺や工作員が立っている場所が円形になり、それ以外の地面が全て穴と化している。
闇に潜み、俺たちを取り囲んでいた敵たちの悲鳴が、穴の奥底から聞こえてきていた。もうこれで、俺たちを縛り付ける監視の目は消えた。
「これは……ッ」
異常発生から数瞬後、彼も事態に気づいたらしい。
そう、これは爆発の魔法による現象。アルドフッドが最も得意とする、大規模破壊魔法だ。杖を持たず無力化しているなんて真っ赤な嘘、彼はこの付近に潜んでいる。
GPSを使って工作員共々ハルの位置さえ割れてしまえば、後は俺とハルを傷つけないように周囲を崩壊させるだけで一網打尽に出来る。敵の包囲網があることなど予測済み、対策は既に完了していた。
だが、敵もまた武器を所持している。ハルという人質だ。彼女の生殺与奪を握っている限り、敵にも反撃の機会が残されているだろう。
……しかし、視覚支援の魔法は、敵たちだけの専売特許じゃない。
「なに……っ!?」
ハルを人質として強行突破するために、敵がハルへと繋がった綱を引き寄せようとした瞬間――何処かから銀色の刃が飛来し、その縄を叩き切った。
刃の残した黒檀色の軌跡を辿っていくと――40メートルほど離れた木の上に、アイの姿があるはずだ。
デースマースとの一件で、彼女はハルに怪我を負わせ、自殺を望むほど自分を追い詰めた。それ以降、しばらくの間は魔法を使うことに恐れを抱くようになったが――やがては立ち直り、二度と仲間を傷つけないよう、俺たちの特訓を受けたのだ。
今の彼女の射程は、無風であれば50メートルにも及ぶ。……俺たちに視覚支援の魔法をかけられた彼女は、闇の中でも遥か遠くの目標を打ち抜くことが可能だ。
切断された縄が解け、ハルの体が拘束から解放される。
「ハルッ!」
「……!」
俺がハルの名を叫ぶと、彼女はどこか右足を庇ったような歩き方でこちらへ駆けてくる。
しかし敵とてそれを黙って見ているわけもない。……俺と工作員がふところの杖に手をかけたのは、まさに同時だった。
手をかける瞬間が同刻なのであれば――。
「遅いッ!」
僅かながら、俺の方が早く魔法を撃ち放つ。帯のように連なる火柱が杖から射出され、周囲を煌々と照らしながら敵を呑み込んでいった。
化物として戦場で戦い続けた男と、元研究職の男。経験の量からして、攻撃の速度に差が出るのは当然だ。
「ぎいいいいぃいいぁあぁあああッッッ……!」
炎に巻かれた敵の悲鳴が闇夜に轟く。当然、焼死するような火力に設定するわけもない。戦闘に復帰することはできないが、命に別条がない程度にこんがりと焼いている。
敵を無力化した俺は、思わず杖を投げ捨て、こちらへ向かってくるハルに向かって両腕を広げた。
「クロっ! ……めっちゃ怖かったっ!」
「ぐぉ……ッ」
直前で速度を緩めることもなく、もはや体当たりと言っても過言ではない勢いでハルが抱き着いてくる。何とか両腕で抱き留めることには成功したものの、腰から戦場でも聞いたことが無いような音が聞こえてきていた。
「拉致られるのって超怖いわ! 多分死なないと分かっててもおっかないの! これ全力で共感したいからクロも一回拉致られてみて!」
「やだよ、とんでもないこと抜かすな」
口ぶりだけはいつも通りだが、俺に抱き着く力はいつまでも緩むことが無く、彼女の華奢な体が僅かに震えていた。
俺はハルの背中をぽんぽんと叩き、できるだけ安心するような口調で言う。
「帰るぞ、ハル」
彼女は俺に抱き着いたまま、人の鼓膜をぶち破るような声量で。
「……うん!」
ようやく安堵したかのように、元気良く返事をした。
「偽物の研究書に騙されてくれて助かったな。おう」
戦闘が終わった見晴台に、アルドフッドとアイが集まってきていた。先ほどまでアルドフッドは穴の中に落ちた工作員たちを片っ端からボコボコにしていたので、身体の至るところに返り血が付いている。
「幹部どころか部隊長まで来なかったみたいだしな。敵が俺たちを軽んじてくれていて助かった」
ハルに抱き着かれ過ぎて半分首が絞まっている俺がそう言うと、アルドフッドが首肯した。
「さて、こいつをどうするかだな。なぁ?」
俺たちが取り囲んでいるのは、炎に焼かれたことで気絶している工作員だ。気絶している間に杖を奪われ、今は魔法の使えない単なる一般人と化している。
「拘束して情報を吐かせるべきだわ。今後ゼロが仕掛けてくる作戦を知ることができれば、相当優位に立てるもの」
未だに俺に引っ付いたままのハルが冷静な口調でそう言った。確かに、と俺も同意する。
「今後の作戦だけじゃなくて、ゼロの内情も吐かせたいな。可能な限り機密情報を漏らさせるのが吉だろう」
敵の軍勢に遭遇した際は、可能であれば1人を生かして、尋問で情報を引き出すのが定石だ。助かりたい一心で適当なことを言う場合もあるので、本来なら何十人単位で尋問して情報のすり合わせを行うのが最適だが、いざ戦闘となるとそう上手くはいかない。1人でも御の字だ。
「そうだなぁ。ふん縛って診療所まで連れて行くか。こん中で尋問とか拷問に慣れてるヤツぁいるか?」
アルドフッドが俺たちの顔を見回しながら問いかけるが、一様に目を逸らすことしかできない。そんなこと問われてお元気に手を上げる奴がいるか。
「まあ、多分……ナイリンなら心得くらいあると思いますよ。重症のところ悪いですけど、後でノウハウを聞きましょう。ちなみに俺は拷問とかすげえ嫌なのでパスで」
「あ、私も。人の肉とか見た日は夕飯がマズくなっちゃうわ」
「そうなりゃ、気ィは進まねぇが俺がやるしかねぇかぁ。なぁ?」
そう言いながら、アルドフッドが工作員の男を掴み上げようとする。
その指先が触れた瞬間、空気を切り裂く音が聞こえた。
工作員の側頭部に握り拳大の大穴が開き、体が痙攣するように跳ねる。血だけではなく、頭の中に詰まっている様々なものを撒き散らしながら、工作員は即座に絶命した。
着弾から発砲音が響き渡るまで、実に3秒もの時間を要していた。絶対にありえないことだが――この暗闇の中、1キロを超える長距離射撃が行われたのだ。
視覚支援魔法の効果範囲はせいぜい100メートルが限界だ。だからこのスナイパーは、何の支援も使わずに暗闇の狙撃を完遂したことになる……。
「伏せろッ!」
アルドフッドが巨大な障壁を張り、俺たち4人を覆う。次に放たれた凶弾が、俺たちの頭を貫くかもしれないのだ。
……しかし待てども、次弾は発射されなかった。
そもそも俺たちの命を狙っているならば、気絶している工作員より先に狙っているはずだ。最初から逃走する恐れのない男を狙ったということは、工作員の殺害だけが狙撃手の任務だったことになる。
情報の流布を防ぐために、ゼロの狙撃手が口封じを行ったのか?
「………………」
違う。そんなに優秀なスナイパーがいるなら、俺たちの作戦は通用しなかったはずだ。
ということは、ゼロに属する者ではない……?
「おいガキ共、恐らく狙われることはないだろうが、すぐ家に戻るぞ。正体不明の狙撃手がいる以上、闇の中を不用意に歩き回るのは得策じゃねぇ。なぁ?」
「……えぇ」
アルドフッドの言葉に同意し、俺たちはできるだけ射線を切りながら診療所へ向かって歩いていった。
足を怪我しているらしいハルを背負いながら、俺は謎の狙撃手について思案する。
……しかし、どれほど考えても、その正体を推測することはできなかった……。
「……」
遥か闇の先、何百メートルも離れた地点からスコープを覗いているのはダウナの右腕であるベリアス・ワンチアンの姿だった。
彼が手に持っている杖は狙撃銃の形に変化しており、銃口からは硝煙が仄かに漂っている。クロたちが捕らえた工作員を狙撃したのもこの銃だ。まさに運斤成風と呼ぶべき腕前で脳天を貫き、余計なことを喋らないように口を封じていた。
今はまだ、クロたちとゼロが言葉を交わす段階ではない。
何も知らない子羊達には、この上なくシンプルな関係図を思い浮かべさせておけばいいのだ。作為的に与えられた情報で、悪と善を綺麗に線引きすればいい。
化物共が世界の秘密を知るには、まだまだ時間を要するのだから――。




