13章 化物どもの攻防
二台の車が並走している。前方から吹きすさぶ木枯らしを一身に受け、舞い散る木の葉を掻き分けて、先行きの見えないほど深い森林の中を突き進んでいた。
スカーレットの車からは聞くに堪えないほど卑猥なゴスペルが選挙カーの如く響き渡るが、それを貫通する程の大声量で彼は笑う。その顔には久しぶりに盟友に会えた喜びと狂気に満ち溢れていた。
「久しぶりなんだから話でもしようぜェ。昔はあんなに熱く語り合ったじゃねぇかよ、相棒!」
この入り組んだ森の中を、片手のみで器用にハンドルを回しながら、スカーレットがアルドフットへと呼び掛けた。
「……」
スカーレットのギャハハという下品な笑い声を耳に入れながら、アルドフッドが渋い顔をする。
数年ぶりに出会った旧友、かつて相棒と呼んだ唯一無二の存在。そんな男と再会できたのだから、今すぐにでも車を停めて抱擁したい気持ちは十二分にある。
しかし――スカーレットがゼロの軍勢と関わりを持っているとすれば、彼はまごうことなき敵なのだ。親密そうな素振りを見せたとしても、その背には凶器を潜めているかもしれない。
「……クロスエッジ、運転を任せるぞ」
「えぇっ……!?」
突如として指名されたクロが目を剥いて驚愕する。
当然だ、彼は車の免許を所持していないどころか、この世界に来て初めて自動車というものを目にしたばかりなのだから。
「アクセルとブレーキさえ踏めりゃあ十分だ! なぁ! さっさと行け、止まるなよ!」
言うや否や、アルドフッドはシートベルトを外し、扉を開けて外へ飛び出た。
地面で転がるアルドフッドを見ながら、クロもシートベルトを外して運転席へと飛び乗り、見よう見真似でハンドルを握る。思わずブレーキを踏んでスピードを緩めたくなる気持ちを抑えながら、敵を振り切るため、目いっぱいアクセルを踏んだ。
「無茶苦茶やりやがる……!」
そして、クロたちを乗せた車は、樹海の奥へと消えていく――。
……一方、車から転がり降りたアルドフットの前には、未だアイドリングを続ける車が停車していた。そのウィンドウ越しに、スカーレットの凶悪な笑みが透けて見えている。
そして、ロールスロイス特有の観音扉が開き――二人が対峙する。
あの荒くれた戦場以降、実に数年ぶりの再会だ。本来であればお互いが親愛なる笑みを浮かべ、奇跡のような再逢を喜び合う場面なのだが――笑顔を見せているのは、スカーレット一人だけだった。
「よォ、御無沙汰ァ! 元気してたかよ相棒! おめー少し太ったか? ダメだぜェ、隠居したからってだらしねェ中年体型になるのはよォ!」
「……何故生きている、スカーレット……!」
この男は確かに、あの戦場で死んだのだ。凄惨な拷問を受け、首を切り落とされ、無念極まりない遺骸を晒したはず。
しかし――目の前にいるこの男は、間違いなくスカーレットなのだ。
「そもそも俺、死んでねェよ。筋書きくらい分かんだろ? 少しくらい脳があればよォ……」
「……」
スカーレットの正体がゼロの一員ならば、想像は容易だ。
スカーレットは流浪の傭兵ではなく、ゼロからペスパス国へと潜入した工作員だったのだ。そして傭兵として戦争に参加しつつも、ペスパス国の情報を不正に入手し――用が済んだところで、自分の死を偽装して姿を消した。
変だとは思っていたのだ。家族を失って戦争だけを寄る辺としたアルドフッドの活躍で、ペスパス国は諸外国との戦争に勝利したはず。しかしアルドフッドが追放されてから数ヵ月後に、突如として奇襲戦争を仕掛けた軍事国家に攻め込まれ、ペスパス国は落城した……。
その奇襲戦争を手引きしていたのがゼロだとしたら? スカーレットの集めた情報が、ペスパス国のウィークポイントだったとしたら……?
諸外国を取り込み、肥えに肥えたペスパス国を――最小の労力で刈り取る。
この上なく効率的で、この上なく無慈悲だ。
「なァ、相棒! 悦べよ、俺ァ生きてたんだぜェ! もう一度やり直せるじゃねえか、あの黄金時代をよォ!」
「……何を言っている……?」
「もう一度相棒として! 暴れ回ろうじゃねェか! ゼロに来いよ、歓迎するぜぇ!」
唐突で、あまりにも無謀な勧誘だった。何一つ心が躍らない、こんなに嫌な誘いがあるのかとアルドフッドは内心驚く。
「……それがお前たちの目的か?」
「あ゛ー、目的は別。言わねえけどな。これは俺の個人的な誘いだ、乗るってんならもう二度と襲われないように話付けてやるぜェ」
「……お前が神成島キズナ児童ホームの職員になる、って選択肢はねぇのか? なぁ」
「俺が? ガキウケしそうなエプロンでも付けて先公ごっこォ? おいおいおいおい、ガラじゃねぇなァ! 全員首を括らせちまうぜ!」
「……ダメそうだな」
ゼロに入る気などさらさら無い。さりとてスカーレットがカタギになる未来もあり得ない。
せっかくの誘いだが、残念なことに……再び相棒と一緒に過ごすことはできないだろう。
「お前らの仲間になどなれんな。……見れば分かるだろう、今の俺は単なる所長で施設の職員だ。もう戦争や殺し合いなんて御免なんだよ」
「丸くなっちまったなァ、相棒ォ。失望だ。お前の牙が抜けないように、せっかく妻と子を殺してやったってのに! あのガキ共を殺したら昔のお前に戻ってくれるか? あァ?」
「……………………何?」
その可能性は……必死に思考の外に追い出して、考えないようにしていた。
スカーレットと家族の死は同タイミングだ。だから、アルドフッドに怨みを持つ何者かが、彼の関係者を順に殺していったのだと思っていた。
当然だ、もし一連の犯行に関係性が無いとするならば『あまりにもタイミングが良すぎる』のだから。
だがスカーレットの死が偽装だというのならば、アルドフッドに怨みを持つ誰かの犯行という説は薄らぐ。
消えたスカーレット、死んだ家族。
まるで、家族を殺した犯人が雲隠れしたような構図ではないか。
「昔に言ったろ? 手緩くなンなよ、って」
恋人や子供ができて、戦果を挙げられなくなった兵士はいくらでもいる。何が何でも敵を打ち滅ぼしてやるという気概が消え、家族のために生きて帰るという保守的な思想へと変わっていく。
家族という大切な存在が――化物を、単なる凡夫へと変えてしまうかもしれない。
「俺がいなくなったら、お前は家族第一のアットホームなパパさんになっちまうかもしれないだろォ? それは困る、いつまでも俺と同じ化物でいてもらわなきゃ寂しいじゃねえか。いつまでも俺たちは相棒なんだからよォ」
「………………」
アルドフッドの脳内に蘇る、家族の無残な遺骸。
手足を毟られ、脳を撒き散らし、身体を割かれ、人間としての形すら残せない妻と娘。
漂う血と髄液の香り、遺体に群がる蛆と蠅、放射状に広がる黒ずんだ鮮血。
こんなにも残忍な犯行ができる奴に、人としての心があるとは到底思えなかった。
人としての心などあるものか。この蛮行は化物の所業なのだ。
……そして、自分も同じ化物なのだ。
「……逢えて嬉しいぞ、相棒」
「あァ、俺もだ! 相思相愛だな!」
「神は俺に、報復の機を与えてくださったのだな……」
二度とこの手で裁くことのできないと思っていた犯人。
それが今、こうして自らの意思で目の前に現れたのだ。
もしもこの世界に神という存在がいるならば、復讐の機会を与えているとしか思えない。果たせなかった仇討ちを行使せよと、上位なる命を下しているに違いない……。
「スカーレット。……久方ぶりの再会が、このような形になって悪いな」
アルドフッドが杖を振るうと、彼の周囲に存在している木々が崩れていく。まるでブロックで作られた偽物の玩具であるかのように、欠片を地面に撒き散らせながら崩壊していった。
崩れたのは樹木だけではなく、スカーレットが乗っていた車もだ。空を往く鳥も、木々の中で暮らす昆虫も、アルドフッドの周囲に在るものは全てが崩れ去っていく。化物の憤怒そのものである色濃い魔力が、周囲の全てを消し壊していく……。
「あ゛ー、いいってことよ。お前といっぺんヤってみたかったしなァ」
「負ければ死ぬぞ」
「負けねぇよ、負けたことねぇもん。俺が勝ったらおしおきの上で相棒に戻ってもらうからな」
一瞬の静寂が崩壊した森を包み込み――爆ぜた。
化物同士の戦いとなれば必然、周囲の全てが犠牲となる。鬱蒼とした密林は今や、無理矢理な開発事業で伐採し尽くされたような荒れ地と化していた。
今のアルドフッドが使用できるのは『爆発魔法』『治癒魔法』『修繕魔法』の3種類だ。後者2つは無人界に来てから学び、戦争で使用していた氷魔法と入れ替えで習得したもの。ただ爆発魔法に関しては、化物として戦場に君臨していた頃から使い続けていた。
周囲の何もかもを破壊する、禁術に片足を突っ込んだ非人道的な魔法だ。ゼロの工作員程度なら瞬き程の時間で爆殺できる。
しかし相手が同じ化物であるが故、その肉体は強固な障壁に守られていた。スカーレットを爆殺するには、この手で敵の障壁に触れ、全身全霊の魔力を投じて貫通させるしかない。
「相変わらずの爆発魔法か。変わらねぇなァ、オイ! 進歩がねェよ進歩が!」
スカーレットの哄笑と共に、虚空が大爆発を起こす。爆炎と閃光が辺りに放射し、アルドフッドの視界を晦ませた。
アルドフッドと同じく、スカーレットも爆発魔法を操る化物だ。彼らは爆発によって数多の戦場を焦土と化し、全てを薙ぎ倒してきた。
爆発魔法こそが彼らの繋がりであり……相棒と呼ぶに至る最大のピースだった。化物であることも得意魔法も全てが同じ、その事実こそが彼らを引き寄せ、心を通わせるまでに至らせた友情の魔法だ。
「……?!」
爆発を回避したアルドフッドの体が何かに引き寄せられる。まるで重力が横方向へと変化したかのように、彼の体がスカーレットに向かって一直線に『落ちていく』。
スカーレットの障壁に触れて直接破壊したいアルドフッドにとって、それは好機に他ならないが――。
「ッしゃァ!」
アルドフッドの差し出した手は容易に避けられ、すれ違いざまにスカーレットの拳が彼の顔面を捉え、撃ち抜いた。それと同時にスカーレットの拳が爆発し、アルドフッドの顔面を烈火で包み込む。
寸でのところで障壁を張ったから助かったものの、僅かでも防御が遅ければアルドフッドの顔面は破損し、頭蓋骨の一部が露出していただろう。
「化物だってよォ、微温湯に浸ってりゃ鈍ンだよボケがァ! 糞雑魚じゃねーか相棒! 『所長』!? 『先生』!? そんな呼び方されて忘れちまってんじゃねーのか! お前は単なる人殺しの化物だろうが! 自覚しろやゲロカスッ!」
当然――殺戮と戦闘の日々を過ごしてきたスカーレットと、診療所の所長と養護施設の先生に勤しんできたアルドフッドには差が存在する。それはたかが数年の差でしかないが、実力が肉迫した2人の間では、あまりにも大きな溝となるだろう。
一度現場を退けば、現役に及ぶべくもない。再び勘を取り戻すまで、気の遠くなるような時間と反復練習を要するだろう。スポーツマンシップに則った試合ならば経験を重ねてあの頃を取り戻せるかもしれないが、死合いに次も経験も無いのだ。
だから……アルドフッドが防戦一方になるのも、必然で。
その身が爆発の業火に焼き焙られていくのも、これもまた逃れようのない当然の末路だ。
「……随分と散らかしたものだな、スカーレット」
アルドフッドが一旦距離を取り、勝機を見出すために思案した瞬間――次元の狭間から、鬼龍が姿を現した。
その手に持った日本刀には、今しがた付着したばかりの血痕が滴っている。彼はつい先ほど、会敵したナイリンを一閃に切り伏せてきたばかりだった。
「鬼龍國景……!」
当然、彼のことをアルドフッドは知っている。忘れるわけもない。魔法界では化物すらをも切り伏せる、化物を超えた化物なのだ。
前門のスカーレット、後門の鬼龍。一人いれば一国を落城させられる幹部が2人も揃えば、命を永らえられる者など存在しない。
「ぐ……ッ!」
破れかぶれに杖を振るい、アルドフッドが鬼龍へと爆発魔法を放つ。全てを消し炭にする暴虐の魔法、その最大出力をまともに喰らえば幹部でさえも無事では済まないはず――。
――だが、乾坤一擲の攻撃も、鬼龍の一薙ぎによって断ち切られた。
奴はあろうことか、『爆発魔法そのもの』を切り捨てたのだ。
「矜持無き狡い剣だ。恨むなよ、若人」
己の剣を自嘲しながら、僅か一歩でアルドフッドの正面へと踏み込み……鬼龍が剣を振るう。
アルドフッドが張った障壁も易々と切り伏せられ、何も守るものが無くなった彼の体を――無慈悲な剣が切り刻んだ。
「う……ッ、ぐ……!」
その身体から迸る鮮血は雨のように、朽ち果てた戦場へと降り注ぐ。
しかし深手を負ったものの、彼は生存していた。生まれながらの巨躯に纏わりついた肉が壁となり、器官への致命的なダメージを防いだのだ。
とはいえ一撃を耐えたとて反撃できる余地も無く、一撃必殺が二撃必殺へと変わっただけのこと。
見上げれば、鬼龍が止めの一撃を放とうと剣を振り上げていて――。
「そりゃ俺ンだ、クサレ痴呆がァ!」
振り下ろされる寸前、スカーレットが鬼龍へと襲い掛かった。真紅の爆炎が鬼龍に迫り行くが、彼はその炎を切り伏せる。
直後、鬼龍の体が少しだけ傾き、スカーレットの方へと『落ちかける』。だが地面に日本刀を突き刺し、その奇妙な落下に耐えているようだった。
「貴様……何の真似だ……」
「その化物は俺の物だろうが! 人の所有物に手ェ出してんじゃねぇぞクソドロがッ! そのボケは仲間に引き入れんだよ、俺の相棒にすンだよ! その髪の1本もねぇドタマ叩き割ンぞドカスがッ!」
「この男の殺害を、ボスから直々に命じられているだろうが……!」
「知るかゴミカス! 俺ン邪魔するならテメェから挽肉にしてやろうかァ!?」
――元々、スカーレットはこの作戦に参加する予定ではなかった。最初のプランでは鬼龍をメインとして作戦を立て、全てを完遂するつもりだったのだ。
しかし直前になって、標的がアルドフッドだということを知ったスカーレットが、珍しく自分から作戦への参加を申し出たのだ。……鬼龍はその行動に違和感を覚えていたが、まさかここまで自分本位な理由で作戦を乱すとは思いもしていなかった。
「最初からこの腹積もりでいたのか、気狂いめ……!」
「ッたりめェだバァァァァアカ! ンな狙いでもなきゃ、誰がこんな平和ボケ島に来るかよ! いいから黙って下がれや老衰ジジイ! 砕いて蛆虫のエサにすんぞボケが!」
血管がブチ切れるほど激昂したスカーレットが、慈悲なき爆発魔法と吸引魔法を駆使し、周囲一帯を地獄絵図へと変貌させていく。
一方の鬼龍も、魔法そのものを切り伏せるという他の誰にもできない芸当を使い、スカーレットの猛攻を凌いでいた。
「……!」
同士討ちに勝機を見出したアルドフッドが、敵同士の交戦の一瞬――自身への警戒が解かれた隙を突き、両手を合わせて色濃い魔力を練り上げる。
魔力の行使と共に発生する魔精反応が、燐光のように彼の周りへと舞い散った。鮮やかな翠色を示していたそれは、杖先の瞬きと共に赤黒く変化する。
燐光が天上の輝きに包まれた瞬間、渾身の一撃が世界へと煥発した。
この島が崩壊しないようにある程度の手加減をしているとはいえ、魔法使い相手に放つにはあまりにも無慈悲すぎる爆発が、スカーレットと鬼龍を包み込む。
……だが無論、それしきの攻撃で及ぶべくもなく。
アルドフッドの放った爆発の内側から、それを越える大爆発と斬撃が同時に発生した。果て無き威力の攻撃を相殺しながら、足元の土を遥か天空にまで吹っ飛ばす。
「おォい、今の本気かァ? お優しく手加減してくれたようにしか感じられねェぞ」
「儂らを滅したくば火力が足りんな。島諸共焼き潰す覚悟を持たねば、魔力の無駄遣いにしかならんぞ……?」
雨のように降り注ぐ土を浴びながら、化物二人が火中から姿を現す。当然、その身には僅かな傷すら刻まれていない。
アルドフッドは間違いなく化物だが、目の前に相対するこの2人は今の彼を遥かに凌ぐ、化物を超えた化物だ。フルスペックのクロとハルでなければ、この戦況を逆転させることは不可能だろう。
この状況で唯一、彼ら2人を殺す手段があると言うならば。
禁じられたあの魔法、それしかない――。
「うおおおお、ハンドルが! ハンドルが暴れる!」
樹海、未だ俺たちは無免許の爆走を続けていた。
ただでさえ車の運転方法を知らないというのに、足場はオフロードコースを思わせるほど劣悪で、何度も木の根にタイヤを浮かされてひっくり返りそうになっていた。後部座席ではハルたちが縦横無尽に揺さぶられまくり、体調不良を訴え始めている。
さっさとこの密林を抜け出したほうが安全だが、視界が開けるのもまた恐ろしい。いつ奴らの追手が現れるか分からないのだから。
「ハル! 状況はどうだ!?」
「アイが吐いてる!」
「お前らの体調じゃなくて追手! 追跡の状況!」
ハルが後方を確認し、「うわ!」という説明がなくとも状況が理解できる悲鳴をあげた。
「4台! ジープが4台来てる! どうする、やっちゃう?!」
「やれ、やっちゃえ! 死なない程度に!」
ハルが杖を取り出して、サイドウィンドウから身を乗り出し、後方から追跡してくる車に向かって手痛い一撃を放とうとする。こちらとて熟練の魔法使い、魔力は少なくとも敵を退却させるくらいは可能だろう。
と、思っていたのだが。
「のわ!」
ハルが偏差値の低そうな悲鳴を上げながら車の中へと引っ込んだ。それと同時に後方からマシンガンを思わせるような銃撃が飛来する。
一斉射撃によって形成された弾幕が車の装甲を抉り、窓ガラスを炸裂させ、タイヤを完全に破壊した。もはやコンバットタイヤがどうとかそういう次元ではない、アンコントローラブルと化した車が、ハンドルの動きを無視して蛇行し始める。
左右に揺さぶられ、車の中はもはや手加減を知らないジェットコースターのよう。ありとあらゆる物が飛び交い、吹っ飛び、暗闇で襲い来る蝙蝠の如く俺たちへと激突する。
このままじゃ樹に激突してクラッシュする――! と最悪の未来が脳裏に過った刹那、車は樹海を抜けて、開けた空間へと飛び出していく。
「助かっ……」
助かっていない。そこはあまりにも開けすぎていた。
樹海を抜けた先は、果て無き水平線が一望できる素晴らしき展望だった。目の前に障害物はなく、鬱蒼とした樹々もなく――。
そして、道もなかった。
生憎なことに、そこは切り立った崖となっている。自殺志願者でもなければ覗き込むことすらしない無慈悲な断崖だ。恐らく落下すれば人体の形を保てなくなるほどの衝撃が襲うだろう。
もしも単なる人間ならば死を覚悟し、神に祈るか走馬灯を見るか、現世での罪を悔い改めるに違いない。
「杖を持て! ハルはワムを抱えろ! 飛ぶぞッ!」
そう、魔法使いならば幾らでも落下死を回避できる。この身に魔力が備わっている限り、天地の狭間すら死地へと至ることはない。
こうなってしまえば、むしろ落下は僥倖だ。敵が俺たちを追おうとして崖から降りれば隙を晒すことになり、下にいる俺たちは悠々と迎撃できるだろう。戦争においては高所が有利を取るが、追跡に関してはその限りではない。
……もしも無事に下へ降りられたならば、の話だが。
「……?! おい杖! 杖が……!」
先ほどまで俺のふところに刺さっていた杖が消えていた。後ろから聞こえてくる声からして、ハルもアイも杖を失って右往左往しているのだろう。
何故だと悩む必要すらない、状況は明らかだ。先ほどコントロールを失い蛇行運転へと切り替わった時、荒れ狂う車内で杖が吹っ飛んだのだ。
アルドフッドがトランクに詰んでいたブルーシートや工具、木材に大量の釘――ありとあらゆるものが入り混じった車内で、瞬時に杖を見つけることなどできやしない。そうでなくとも、既に前輪は崖を飛び出し、車体は前に傾いているのだ。
杖を見つけることもできないまま、車は崖を飛び出して、虚空へと舞い落ちていく。
フロントガラスから見える光景はまるで夢景色。気の遠くなるほどの遠近感、現実感を喪失させるほどの急激な落下感、そして砂浜に聳える岩が待っていたかのように俺たちへと近づいてきて――。
「ハルッッッ!!!」
無我夢中だった。
力任せにシートベルトを外し、日常では決して発揮できない膂力で後部座席へと跳び、シートベルトに体を減り込ませているハルの手を掴んで――この胸に抱きかかえる。
ハルだけではなく、アイも、ワムも。全員の体を強く抱き、少しでも己の体で包み込もうと力を込める。
俺は死んでも構わない。
だが、例えこの身が引き千切れようとも、ハルを……みんなの命を繋がなくてはならない。
誰よりも失いたくない、世界一大切な同居人を。ようやく想い人の幼馴染と寄り添えた、大事な友人を。過酷な幼少期を生きて、新たな人生を生きる女の子を。
「こんなところで死なせるわけにはいかねぇんだよ……ッッ!」
浮遊感が強くなり、窓から見える景色は天へと落ちていく。死への刻限は既に、最後の言葉さえも許さない。
その瞬間、ワムの瞳が光り輝くのを見た……気がした。
「……誰かをたすけようとする気持ちがあるなら……もう、ばけものなんかじゃない……」
そんなワムの声を聞いた気がした。
そこまではうろ覚えだが、ハルたち3人のシートベルトが引き千切れる音がしたのは確かだ。ワムが俺たち3人を抱え、車のサイドドアを蹴り飛ばし、弾丸のように勢いよく脱出したのも夢ではない現実。
そして、俺たちを抱えたまま空中へと飛び出したワムが断崖を蹴り、突き出した岩を乗り継いで下っていくのも現実としか言いようがない。
「な……ッ!」
全てはあり得ない光景だ。魔法でも使わない限り、ただの人間にこんな芸当ができるわけがない。
しかし、目の前には確かに、不可能としか言いようのない光景が広がっている。人ならざる怪力で俺たちを軽々と掴み、猫のような軽やかさで崖を下り、さも当然のことのように涼しい顔で全てをやってのける。
ワムの行動は、自身が単なる人間ではないことを雄弁に物語っていた。
「ワム、お前は……」
「…………わむは、みんなとは違うんです……にせものなんです……」
地表が近づいてくる。先ほどまではあれだけ恐れた岩場も、今は海水浴場によくある海外れにしか見えない。
俺たちより一足早くに墜落した車が、突き出た岩の真上に落下し、幾つものささくればった穴をあけていた。銃撃で割れた窓ガラスからは、落下の衝撃によって車内の物が幾つも溢れ出し、トランプや杖を嘔吐のように吐き出している。
絶対的な死から逃れたことを自覚し、安堵の念を憶えていると――。
「へへへ……いい検体だぁ」
「何……!?」
突如発生した真横からの落雷が、俺たちのすぐ傍を掠めていった。
あまりにも高速だったので単なる一筋の稲妻にしか見えなかったが、それは雷を纏った敵だったのだろう。俺たちの中から人質を手に入れるため、雷に紛れて超高速で奪い去っていったのだ。
……それを理解したのは、ワムの腕の中からハルが消えていることに気づいた時。そして同時に、気絶したハルを抱えた不審な男が、電雷と共に砂浜へと着陸した瞬間だった。
「ハル……ッ!?」
数瞬遅れて、俺たちも砂浜へと不時着する。ワムのおかげで落下の衝撃が緩和されていたとしても、全身への痛みは無視できるレベルではなかった。
しかし俺は呻くことも患部を押さえることもせず、即座に立ち上がり、ハルを抱えた怪しげな男を見据える。
先ほどまで襲ってきた工作員は、一様に鼠色の作業服を着ていた。恐らく島人に目撃されても不審に思われないためのカモフラージュなのだろう。しかし目の前に立ちはだかるこの男は、研究者のような純白の白衣を着こみ、動きにくそうなジーンズを履いている。裏方仕事専門といった風体だ。
誰がどう見たって性格の歪みを推測できる嫌味な顔、中年特有の突き出たビール腹、運動不足が祟ってアンバランスな形になった肉体。戦場ではあまり見かけることのない、一般人寄りの風貌。
しかし、その腐りきった目だけは、明らかにマトモでないことを十二分に示している。
「てめぇ……誰だ!」
「私の名前はマドーサ・Ф・イエンディッド、崇高なるゼロの偉大なる医師、そして科学者でございますわ。うっへへへへへ……」
「気味悪く笑ってねぇでハルを返しやがれッ! てめぇ、誰を拉致ったのか分かってるのか……!?」
「えぇ分かってますとも、王女ですよ王女! こんなに豪華な検体みたことない! あぁああん、医療技術の発展のために脳を開いてみたいなぁ!」
マドーサの腕に抱えられたハルは意識を失っている。恐らくヤツの雷によって気絶させられたのだろう。
抵抗することも逃走することもできないハルの頭に、マドーサの杖が近づいていく。……その杖の先からは雷の刃が飛び出し、アーク放電のような毒々しい音を撒き散らしていた。
「ねっ、ねっ! この子の脳を一緒に見よう! 化物の脳漿が何色なのか観察しましょうよ! 化物って普通の魔法使いより多くの魔法を習得できるんでしょう!? 脳の構造がそもそも違うのかも! ……あ、そうだ、せっかくだから化物の耐久性を利用して魔力飽和病の治療実験をしましょう! 麻酔無しで生きたまま頭蓋を開いて、右脳に患者の魔力を注入して変成具合を確かめるの! へへへ、論文が進むぞ!」
「イカレ野郎が……! んなことさせるわけねぇだろ! さっさとハルを返……」
「なんで!!???!? 医学の進歩に繋がるのに!? 多くの人々が救われるのに!? 一人を犠牲にすれば何万人もの患者が笑顔になれる、それなら未来のために犠牲にするのが当たり前だよね!? 医学の発展を阻害する気か!? 人でなし! 人類のことを少しは考えろよ! 自己中心的だな!」
……眩暈がする。
この話が通じない感じ、デースマースにそっくりだ。
「……おっと、エキサイトし過ぎた! 反省! これだから私はお茶目なんだ」
奴が腕時計を見ながら驚愕の声を上げるのと同時に、俺はすぐ近くに刺さっている杖を発見する。
先ほど車から飛び出た杖だろう。落下先が砂浜だったのが僥倖したのか破損一つない。
魔法が使えなければ奪還することなど不可能だ。俺は素早く一歩を踏み出し、掬い上げるように杖を拾おうと――。
「あっ、小癪なことするな!」
「ぐぁッ……!」
杖に指先が触れた瞬間、マドーサの放った雷が俺に衝突し、この身を後退させる。痛みは無いが衝撃が全身を駆け巡り、指先一つすら動かすことができなくなった。
「ではお子様諸君! 撤退の号令をかけなければならないので、これにて失敬! 麗しき検体はいただくヨ、ご馳走様!」
「てめ……待ち、やがれ……」
足を踏み出そうとしても、体が僅かほども動かない。思考は至ってクリアだというのに、雷に犯されたこの体だけがどうしても言うことを聞かないのだ。
だから、目の前でハルが攫われていく光景を、こうして見送る他ない……。
「ハルッ! ……ハル……ッッッ!!」
俺に出来ることは、只、その名を呼ぶことだけ。
しかし言葉に拘束力などあるわけもなく、マドーサの体は雷に包まれて、ハルを抱えたまま――。
まるで落雷を逆再生したかのように、神成島の快晴に立ち上り――見えなくなった……。
「……む」
鬼龍の和服の袖から安っぽい電子音が響き渡った。そこに潜んでいるのは互いに連絡を取り合うために、ゼロの構成員が身に着けている通信機だ。
当然スカーレットも常備しているはずなのだが、荒れ狂う彼には些末な電子音など聞こえるはずもない。というより恐らく、後先を考えない戦闘スタイルによって既に通信機が破損しているのだろう。
……ものの数分間で、一面は地獄絵図と化していた。先ほどまでクロたちをあれほどまでに惑わせた森林は全て焼き消え、地面には幾つもの大穴が開き、ありとあらゆる物が二等分に切り伏せられている。
化物3人の死闘は、筆舌に尽くしがたいほどの惨状を生み出したのだ。恐らくこの惨憺たる有り様を見た島の人間は、ここに弾道ミサイルでも着弾したと勘違いするだろう。
「おい、スカーレット。マドーサからの連絡が入った。……一時撤収だ」
「あァ!?」
爆炎に包まれたスカーレットが、あまりにも機嫌の悪そうな声を上げる。彼の服は見るも無残にボロボロだが、敵からの攻撃を受けたわけではない。自身の放った爆発の威力が高すぎて、服が焼き焦げてしまっただけだ。
「誰がケツ捲って帰るかよッ! てめぇ一人で帰れやジジイ、棺桶に帰って死ね! なぁ! まだヤり足りないよなァ、相棒ォォ……!」
「……く……」
アルドフッドは――もはや、語るまでもない。
幹部二人が同士討ちを始めたとしても、それにかまけてアルドフッドを見過ごすわけがないのだ。逃走しようとしても気取られて攻撃を受け、隙を突いて深手を負わせようとしても反撃され、静観に努めて策を練ろうとしても広範囲の爆撃がそれを許さない。
普通の魔法使いなら数回は死んでいるほどの傷を負い、今の彼は満身創痍そのものだ。
「スカーレット。失念したか、この男が窮鼠と化せば禁術を行使してくるのだぞ」
「……あ゛ー……」
その言葉を聞いたスカーレットが、億劫そうに首を擡げる。
そう、この作戦には最悪の未来があったのだ。
ゼロが標的にもしているアルドフッドの『自爆魔法』。それを彼自身が使い、巨大な爆弾と化し――爆発すること。
己の魔力の全てを爆発力に変え、周囲の敵を殲滅する魔法なのだが――それを、化物が行使すればどうなるだろうか?
未完成故に断言はできないが、恐らくこの島は全て吹っ飛び、島中にいる人間は全て塵と化して死に絶えるだろう。たった一発の禁術によって、明日から日本地図が変わるはずだ。
そうなればゼロは幹部を2人も失うことになる。アルドフッドを始末できたとしても、これでは途方もない赤字だ。
だから、彼らはその魔法を使わせないように立ち回ってきた。だが追い詰め過ぎればどのような突発的行動に出るか分からない。結局のところ、今回の作戦では奇襲が上手く行かない限りはアルドフッドを殺せない予定だったのだ。
この強襲は序盤戦でしかない。まだ互いが駒を並べ、ポーンとマイナーピースが入り乱れたばかりの段階だ。キングを狙うにはあまりにも早すぎる。
「……チッ、俺たちが死んじまったら元も子もねェからなァ……」
スカーレットの狙いはあくまでも勧誘。相棒との戦いに心躍らせるのは趣深いが、今回の本分ではない。そう思い、彼は矛を収める。
その瞬間、彼ら2人の背後に、毒々しい色のワープホールが開く。ゼロが独自に開発したインスタント版の転移魔法だ。座標さえ明確ならば、転移魔法を学んでいなくとも遠距離へと移動できる。
「また遭おう、嘗ての化物よ」
「あばよ相棒ォ! 仲間になる件、検討しろよなァ!」
そして、幹部たちの姿がワープホールへと沈み込んでいき――。
……やがて、完全に消えてなくなった。
後に残されたのは、かつて森と呼ばれていた荒れ果てた地と、疲労困憊のアルドフッドだけ。
勝利でもなく敗北でもない、中断という締まらない結末ではあるが――。
「………………」
アルドフッドの心には、敗北の2文字が確かに刻み込まれていた。




