9章 かつて化物と呼ばれた君へ
クロとハルがみんなのところに戻ってきたのは、花火が打ち上がる直前だった。
二人が迷子になったんじゃないかと思って探しに行きかけていたアイに謝罪し、クロたちは慌てて席に着く。
クロもハルもアイも、二人が戻ってきて安心したアルドフッドも、こちらの世界の花火がどんなものか品定めするような表情のナイリンも、揃って闇空に視線を向けていた。空へ期待を寄せているのは彼らだけではない、この場にいる誰もが同じ気持ちだっただろう。
しかし、ワムは――ワムだけは、空に関心を寄せていないようだった。
膝の上に落とした自分の手を見つめ、どこか虚ろな目を途切れ途切れに瞬いている。その吐息は少しだけ歪で、緊張の色が混じり込んでいた。
「…………はぁ…………っ」
ボランティア活動をしていた時は、まだせいぜい20人くらいしか人がいなかった。だからなんとか耐えることができた。
しかし今は、彼女の周りに観光客がこんなにもいる。いくら耳を塞げども、彼らが交わす会話は掌を貫通して彼女の鼓膜へと届くくらいだ。口々に放たれる言葉は幾重にも重なって、人語ではなく聞いたことも無い異国の言語にしか聞こえない。
だからこんなにも居心地が悪くて、煩いくらいに心臓が早鐘を打つのだ。
「……」
そんな彼女の様子を見て、アルドフッドが神妙な表情を浮かべていた。
ワムがまだ人付き合いに慣れていないのは知っているし、知らない人に囲まれるストレスがどれほどのものかは理解している。だがクロやハルと関わったことで、少しでも症状が改善すれば――と思っていたのだが、今のワムの様子を見る限り時期尚早だったのだろう。
だからアルドフッドは、彼女を連れてこの場を去るために声をかけようとしたところで――動きを止めた。
ハルとクロが何かを囁き合い、ワムに視線を寄越していたのに気づいたのだ。しかも花火に浮かされたような温い雰囲気ではなく、どこか真剣みを帯びた表情で。
アルドフッドは、喉にまで出かかった言葉を鈍く嚥下して、再び座りなおして空を仰ぐ。
(……若者が何かを為そうってんなら、それを見守るのが大人の役割だよなぁ)
世界は子供の為にある。いつだってこの世界の主役は若者たちなのだ。
大人はそれを見守り、応援し、万が一に失敗してしまった時に手助けをする。そうして子供は成長し、大人になっていく。
それがアルドフッドの思うこの世界の在り方だった。
「……あ」
その時、アイが小さく声を上げた。
闇夜の世界に一筋の光が立ち昇っていく。それは世界で最も大きい花の種、そして世界で最も短く咲き誇る炎の美花。
雄大なる揚花火は音を置き去りにし、空に虹色の花弁を散らせた。まるで星が生涯の最期を刻みつけるように、壮麗たる爆発が黒の帳に火を点ける。
寸刻の後、臓腑まで揺らすような破裂音が響き渡った。それと同時に、豪壮の大輪は闇に溶けて、鼠色の煙を空に残していく。
そのまま、二発目、三発目と――色とりどりの煙火が空に刻まれた。
観光客たちは高揚した歓声を上げて、カメラを空に構えて思い出を永遠のものにしていく。そしてどこからか拍手が聞こえたかと思いきや、誰か一人が始めたそれは群衆に波及し、気づけばその場にいるほとんどが打ち上げの成功を祝して手を鳴らしていた。
しかし花火も歓声も、花火の炸裂音によって掻き消されていく。心も体もひっくるめて、ひと冬の花火は人々を震わせていた。
「――――」
そんな光景をワムも見上げていたが、その胸中には他の観光客とは違った感情が浮かんでいた。
確かに、生まれて初めて見る花火は圧巻だった。とても雄大で豪華で儚くて、まるで非日常に迷い込んだかのよう。
しかしそれ故に哀しくもある。
どれだけ手を伸ばせども、この指先があの花火に届くことは無いのだから。
求めれば求めるほどに距離感を実感して、ただ見ていることしかできないという現実を直視せざるを得なくて。自分はこうして席に座って、清澄な世界を見ていることしかできないのだ。
まるで、彼女と人間の距離感を表しているかのよう。
どれだけ人間に憧れても、隔たれた距離はこの身にとっては遠大過ぎる。
翼も無いというのに、永遠に届かない空を見上げて夢物語を願うことしかできないのだ。
そう思えば、人々を幻惑する光も音も儚いだけ――。
「……ね、ワムちゃん。ちょっとこっちに来て?」
不意のことだった。ワムの隣にハルがやってきて、その耳元に小さく囁く。
「な……にか、ありましたか……?」
「ワムちゃんに見せたいものがあるの。大丈夫、変なものじゃないから」
彼女たちが会話を交わしている最中、クロもナイリンに何かを訪ねていた。話しかけられたナイリンの表情からして、恐らくおぞましいほどどうでもいい会話を仕掛けられたのだろう。しかし苦手な相手から話しかけられたとはいえ雇い主を無碍にすることもできない彼女は、嫌々ながらも律儀に対応しているようだった。
「………………」
誘いをかけられたワムは逡巡し――頷く。何が待ち受けているのかは分からないが、この場所を離れることができるならばそれに越したことは無いのだ。
彼女の同意を得たハルは嬉しそうに、その手を握ってツワブキ畑のほうへと歩き出す。繋がれた手を気にしながらも、ワムは彼女の後を追うのだった。
来場者のために用意された椅子に座らず、花々に囲まれながら空を見上げている観光客たちの間をすり抜けて、ハルたちはツワブキ畑の中心にやってくる。
当然のことだが、誰も彼女たちに注目している人はいない。誰しもが天を仰いで心を満たし、めくるめく光花の虜になっている。
「ワムちゃん。……みんなには秘密だよ」
立てた人差し指を己の唇にあて、ハルはワムに微笑みかける。
そしてふところに隠した杖に魔力を込め、彼女たちの体を不可視の魔法で包み込んだ。世界から2人の少女の姿が消えたことに、クロ以外の誰もが気づいていない。
姿を晦ましたハルは、ワムにささやかな魔法をかけていく。
魔法のイロハを知らない小さな体が、虹色の魔精反応に包まれる。やがて魔精反応は形どられ、その背に生み出されるは白銀の翼。
天使を思わせるような翼が、彼女たち2人の背中に生えていた。
「クロから聞いてるよね、私の正体」
「……じゃあ、もしかして……」
「うん、魔法だよ」
何処かより吹いた一陣の風と共に、彼女たちの翼が広がっていく。まるで初めて飛ばんとする雛鳥のように初々しく、たどたどしく、それでも空に向かって翼をはためかせて。
純白の羽が舞い散る中、ハルはワムに向かって手を伸ばした。
「ね、行きましょ。誰もいない場所に連れてってあげる」
「…………」
初めての魔法に、戸惑わないはずがない。
しかしそれ以上に――とても蠱惑的な誘いだった。
「……ん」
ワムは小さく頷いて、ハルの差し出した手を握る。
2人の体が静かに浮き上がり、燐光を纏いながら虚空へと昇っていく。光の尾を残すそれは、まるで立ち昇る昇曲導のよう。
消えない花火となった2人は、神成島の上空で世界を見下ろしていた。
夜は水平線も地平線も闇に溶け、極彩色を映えさせる為の舞台装置と化している。
そんな世界を貫くように、遥か眼下から、滝を上る龍のように光の塊が飛来してきていた。
「わぁ……」
光の塊は空で花開く。七色の閃光を放ち、天を彩る八分咲き。
放射状に業火を散らす変化菊、幾何学のような形に変わる万華鏡、空に舞い散る蜂、首を垂れてしな垂れかかる彩色柳、世界へ不規則に羽ばたく飛遊星、炎の円を描く牡丹、鋭く音を散らす万雷、花々が寄り添う千輪。
多彩な花火が天を染め、黒の世界に色を差す。
「こんなに近くで咲いても熱くないでしょ? 魔法の力で守ってるからね」
彼女たちの体には無色の障壁が纏い、花火の熱を遮断している。それだけではなく音や光や衝撃を和らげ、視覚助勢によって立ち昇る煙を透明化していた。
全ては、世界で最も花火を楽しめる環境で、世界で最も美しい花火を見るために。
「…………」
今のワムの瞳には、やりすぎなほどにカラフルな天の花しか映らない。
知らない人に囲まれることもなく、手の届かない遥か彼方から見つめるだけでもない。全ての懸念は消え去って、ただただ真正面から花火と向かい合う。
生まれて初めて、ワムは――色の美しさを知る。
今までくすんだ目で見ていた様々な色は、どうしようもなくつまらない色彩だった。
目が痛いだけの赤色も、くすんだ青色も、見にくいだけの黄色も、毒々しい紫色も、つまらない緑色も、嫌味のような桃色も、全てが全て無価値なものだと思っていた。
でも、無価値だと断じていたのは、何もかもを諦めた自意識に過ぎなくて。受け手である自分が、無意識的に拒絶していたに過ぎなくて――。
「……わっ」
その時、2人の体が揺れる。安定飛行していた身体が動き出し、天を泳いで花火を横切った。
ハルが杖を振るえば、その度に2人は空を舞う。
時には花火を見下ろして、時には花火を仰ぎ見て。花火の中を突っ切って、弾け飛ぶ光の海に包まれて。
徒手空拳の人間には到底成し得ない、おとぎ話のような光景がそこに在る。
それはワムが夢想したことすらない、魔法使いだけが実現できる夢の世界だった。
「………………」
天空を舞いながら、ハルはこっそりとワムの表情を見ていた。
恐怖や動揺のない彼女の顔を見て、ハルは静かに胸を撫でおろす。
彼女には誰かを楽しませる方法なんて分からなかったし、ましてや子供を接したことすら無かったのだ。本当にワムが楽しんでくれるか、という保証はどこにもなかった。
だから――在りし日の友の姿を重ねたのだ。
かつてアイが魔法使いとなった日、彼女は人ならざる力で空を飛び、天を旋回していた。自分だけでなく友達たちを巻き込んで、魔法の奇跡で世界を舞ったのだ。
もしも、魔法を使えない人間にとって空を飛ぶことが楽しいことならば。そしてその空に優美な花火が咲いていたならば。
もしかしたら、少しだけでも――ワムを楽しませることができるかもしれない。
そんなささやかな賭けは、ワムの表情を見る限り、上手くいったのだろう。
(……よかった)
2人の背に生えた白銀の翼は、月光よりも眩い花火の色彩にあてられて、色を溶かしたかのように彩られていく。
横顔も、服も、まつ毛の先さえも。
全てが花火の色彩に染められて、華やぐ世界は桃源郷。
いつかワムが大人になって、塞ぎ込んでいた過去の自分を忘れたとしても――きっとこの光景だけは思い出せるだろう。
それほどまでに幽玄で、空想的で、忘れがたい光景だった。
「……ねえワムちゃん。私もね、昔はあなたみたいに他人と関わろうとしてなかったの」
「え?」
それはワムにとっては意外な話だった。
ワムにとってのハルは明るくて、子供っぽくて、いつも楽しそうな女性だ。かつて化物と呼ばれていたことはクロから聞いていたが、化物と呼ばれていてもなんとか明るく生きていたんだろうと思い込んでいた。
「あら、意外?」
「だって……あの、すごく楽しそうに、してるから……」
「まあそうねー。今は能天気だものね、私」
意外にも能天気な自覚があったハルは、同意するかのように深く頷いた。そして花火が小休止に入り、再び闇に包まれた空を見上げながら述懐する。
「生まれた時からだーれも私のことなんか人間扱いしてくれなかったからね。化物とか兵器とか好き勝手言って、私の気持ちなんて誰も考えてくれなかったの」
「……」
「生まれた意味も分からないし、生きる理由も分からなかったわ。自殺する気力さえなかっただけで、無駄に生きたくも無かった。戦場で誰かに殺されてもいいと思ってたの」
人が生きるには理由が要る。恋をしたいという願い、家族と共に居たいという祈り、夢を叶えたいという望み。そんな様々な理由が薪となり、人は少しずつ大人になっていく。
兵器として生まれた化物たちには理由が無い。恋も家族も夢も、何もかもが縁のない世界なのだ。
だから、生きることに執着する必要が無い。死ぬまで生きて、死んだら無になる。無意味で無情な世界の部品でしかない。
「……でもね、クロが教えてくれたの。私たちは自由で、世界は面白いものなんだって。……化物でも、夢を見ていいんだってことをね」
「それで……はるさんは、変われたんですか」
「ええ。だってこの世界って、思っていたより面白かったんだもの。はしゃがなくちゃ損だわ」
人懐っこく笑って、ハルはワムの瞳を見据えた。
花火も揚がらず、月灯りも鈍い夜だ。人里から離れたこの超上空ではほとんどの光が失われて、ワムの目には光が映らない。
しかしその深淵に、微かな光を見い出した。人生の全てを諦めた者には決して宿らない、ささやかな命脈の灯だ。
「ワムちゃんなら大丈夫よ、私みたいに変われるわ。……私にとってのクロみたいに、ワムちゃんにも変わる方法を教えてくれる人がいるもんね」
「……はるさん、ですか?」
「私じゃないわ、数日もしたら帰っちゃうもの。それよりもっと身近に、化物と呼ばれていた先輩がいるでしょう?」
そう言われても、ワムには疑問符を浮かべることしかできなかった。
当然だ。ワムは『彼』が魔法使いであることを知っているが、彼の過去までは知らない。その過去がワムと比肩する程に絶望的で、化物としての苦しみを刻みつけられてきたことを知らないのだから。
「アルドフッドさんも、ワムちゃんと同じように昔は化物と呼ばれていたの。色々な人に迫害されて辛い目にあったらしいわ。……だから多分、あなたの気持ちは痛いほど理解できると思うよ」
「……アルドフッド、さんも……」
そう言われれば確かに、アルドフッドの体には細かい傷跡が幾つも刻まれていた。
それはワムと違って戦場でついた傷ではあるが、見た目だけで言えばワムとそっくりだ。
「まあ……大人の男性が怖いなら、最初は話しかけづらいかもしれないけど……いつか心許せる日が来たら、色々聞いてみたらいいと思うわ。化物生活で言えば、私たちなんかよりも先輩だものね」
「………………」
頷いたかどうかすら曖昧なほど、ワムが僅かに頭を動かした。
「……ん?」
その時、神成島の中心から何かが飛来してきた。花火のように真っ直ぐ空へと立ち昇り、遥か上空の月を目指すかの如く天に向かう。
闇夜の中、視覚助勢の魔法で視認性を上げて見てみると――それは人間のようだった。
霊長類の中で見ても巨大な体躯に、10Lサイズでもかなりパツパツ気味の衣服。冬だというのに捲り上げられた腕には数々の傷跡が浮かび、手には古ぼけた杖が一本握られている。
奇遇と言うべきか、天に昇ってきたのはアルドフッドだった。
「お? お前ら何してんだ!? 飛んでんのか! なぁ! 近くで花火が見たいからって意外とヤンチャだなぁ! 負けねえぞ! 大人げないヤンチャを見せてやらぁ!」
「むしろアルドフッドさんがどうしたの? わざわざド迫力な花火を楽しむために上がってきたなら歓迎するけど」
「おぉそうだったな! それがよぉ、さっきッから花火が上がって来てねぇだろ? おかしいと思って連絡してみたらよ、花火職人のほうで色々とトラブっちまってるらしいんだよなぁ」
「………………確かに、小休止にしては……全然上がってない」
ワムの言う通り、一度花火の連発が治まってからそれなりの時間が経っている。打ち上げ花火には時折ブランクタイムが発生するとしても、ちょっと来場者がざわつき始めるほどの間が生じていた。
「今までの分でもそれなりに盛り上がりはしたけどよぉ、大玉もスターマインも無しにお開きになっちまったら興覚めだろ? だからどうにかできないもんかと思ってなぁ」
どうにかできないものかとアルドフッドは言うが、花火の素人にどうにかできる話でもないだろう。職人たちがお手上げならば花火大会は中止にせざるを得ないのだ。
しかしアルドフッドは何か策があるとでも言うように杖を振るい、空中に魔法陣のような模様を出現させた。
それは魔法を構築する内部構造のようなものだ。どんなに些細な魔法でも発現までの仕組みが存在する。彼は何かの魔法の構造を調べ、その中身を指先で弄っているようだった。
「……こんなもんかな。なぁ姉ちゃんたちよぉ、近くで見るのはいいけど巻き込まれねぇように注意しろよなぁ!」
ハルたちに警告をしてから、アルドフッドが大きく杖を振りかざした。
杖先から溢れる魔法が、暗闇に橙色の閃光を刻む。やがてその光は獄炎となり、圧縮され――圧力が上昇し、体積が膨張する。
そして空中で、色とりどりの花火となって、世界を鮮やかに照らすのだった。
「これは……」
ハルたちが浜辺で見た、アルドフッドの爆発魔法だ。……しかし内部構造を弄られ、炎の形が改造されている。
彼の描く激発はどこからどう見ても、美しき花火の紋様を描いていた。
一度だけではなく、二度も三度も、何発も。かつては人を殺すために使用されていた爆発魔法が、幾度にも世界に花を散らせる。
花火を失ったはずの暗天に、再び光が灯っていた。
「……いや、まずいんじゃないの!? トラブルで花火が上がらないんでしょ!? 花火職人にとっては心霊現象みたいな感じになるわよ!」
一瞬その光景に見惚れていたハルも、すぐに我に返って大声を出す。
彼女が言う通り、こんなものは花火師にとっては身元不明の謎花火でしかない。誰がどこから打ち上げているかも分からないのだから、よっぽどの恐怖となるだろう。……とはいえ、トラブルを知らない観光客たちからしてみれば、何の違和感もなく楽しめる花火ではあるのだろうが。
「ハルモニアの姉ちゃんは聞いたことねぇか? この島に伝わっている伝承を!」
「伝承?」
どこかで見覚えのある単語に、ハルが少しだけ首を捻る。かなり薄い記憶だが、この島に来るまでのどこかでその言葉を聞いていたような気がしていた。
「……はるさん、聞いたことないですか。かみなりじまには神がいるとされているんです」
「どこかで聞いたことがあるような、ないような……」
「かみなりじまの神は、そらに意思を描くとされているみたいです。……ひとびとの幸せをねがうときは虹色の炎をともし、ひとびとの罪をさばくときは迅雷をきざむ……みたいです。雨も雪も、すべてが神の意思……として、かつての住民はいのりをささげていた、らしいです……」
神によって成り立っている島、それが神成島という名前の語源。そして罪を犯して雷を落とされないようにすべしという戒めも込められている。
今でもその伝承を信じている者など、よっぽどの老人しかいないだろう。しかし観光的な逸話となるためか、その成り立ちはパンフレットや公式サイトに綴られている。
「神様とやらが人々の幸せを願って、虹色の花火を空に描くんだ! こんなにいい夜なんだ、それくらいの奇跡は起きてもおかしくねぇよなぁ! せっかく神成島に観光しに来てくれたってんだから、最後までしっかり楽しんでもらわねぇとな!」
そう言いながら、アルドフッドは雄々しく杖を振るう。まるで指揮者のように旋律的に、大空に爆発音の交響曲を掻き鳴らしていく。
空を埋め尽くすスターマイン。四尺玉を思わせるほど巨大な一輪の炎花。
世界は再び、虹の閃光に包まれていた。
「……どうして……」
花火の音に掻き消されて、ワムの呟きは誰にも届かない。戦慄くように瞳が揺れていることも、何かに縋るような視線がアルドフッドに向けられていることも、誰も気づけない。荘厳美麗の大天空では、粛然なる問いかけなど無に返ってしまう。
言葉が届かないことを気取った瞬間――ワムの体は一歩を踏み出していた。花火を浴びた虹色の翼をはためかせて、アルドフッドの傍にまで寄っていく。
彼女の指先は誰が見ても明らかなほどに震えていた。成人男性の中でも飛び切りの巨体を前にして、ただでさえ拙い息が過呼吸のように繰り返される。
それでも、彼女は逃げようとしなかった。
「どうして……そんなことが、できるんですか……」
「ん? なんだ、どうした?」
いきなり主語の無い問いかけを受けたアルドフッドは、意外なほど優しい口調で聞き返す。彼女の声を聞き取るためか、杖から放たれる爆発魔法の爆音が少しだけ小さくなっていた。
「アルドフッド、さんは……ばけものって、呼ばれていたん、ですよね……。色々な人に、はくがい、されて……きっと、ひどい目に遭ってきたんですよね……?」
言葉を憶えたての幼児みたいに、ワムは頭の中で伝えることを選んでいく。息を吐くタイミングすら掴めず、言葉は不自然な箇所でブツ切りに途切れていた。
そんな彼女の言葉を、アルドフッドはただ黙って聞いている。急かすこともなく、口を挟むこともなく、彼女の放つ言葉を余すところなく知るために。
「どうして、他の人と関わろうっておもえるんですか……っ。いしゃをやったり、花火を生み出したりっ。……いっぱいひどい目にあったのに、なんでそうまでして、他の人を助けようとするんですか……!? 誰とも関わらなければ、もう、誰にもばけものなんて呼ばれなくて済むのに……!」
まるで慟哭のように、彼女は腑に溜まっていた疑問を打ち明ける。
アルドフッドの行動が、同じ化物として理解できないのだ。再び人と関わればまた酷い目に遭うかもしれない、化物として差別されるかもしれない。それなのに自ら進んで人と関わろうと思えるわけがないはずだ。
誰とも関わらなければ、永遠に傷つくこともないというのに、どうして自ら危険を冒すような真似をするのだろうか。
「………………そうだな、確かに色々と酷ぇ仕打ちは遭ってきたなぁ……」
思い出したくもない過去を自嘲するように、アルドフッドは苦笑う。
妻や子供を失ったこと、相棒が殺されたこと、国民たちに化物と呼ばれて殺されかけたこと。人格の深淵にまで至る傷はまだ癒えていない。
「でもな、だからこそ俺ぁよ、本物の人間になりてぇんだよな」
人に成る。……その言葉を聞いて、ワムの瞳が波のように揺れる。
それは全ての化物が夢見て、命を懸けてでも渇望する未来だ。
「昔な、俺の大事な人が教えてくれたんだよ。『誰かを助けることで喜びを得られるなら、それが人間なんだ』って。……だから今度こそ、誰かを助けて、誰かの力になって……本当の意味で、人間になりたいんだ」
妻であるサラサを失ってから、アルドフッドの生活は荒んでいた。
相棒もおらず、心を寄せられる家族もいない。ただの化物として戦場に繰り出る彼には、もはや人間としての矜持も誇りも何もなかった。誰かを助けるなんて考えは過りもせず、ただただ誰かを殺すための兵器として戦ってきた。
これはその贖罪で、禊なのだ。
無人界という新天地で、罪を贖い――人間になる。
いつか訪れる死の果てに、再会した妻へ胸を張れるように。
「化物として生まれたからって、人として死んだらいけねぇってわけもないだろ? 俺がこんなことする理由なんて、そんなもんなんだよ。なぁ?」
アルドフッドの言葉を聞いて――ワムは荒い息で胸を上下させながら、無意識的に自分の手を組んでいた。
彼女は、化物として生まれた自分は、どのような人生を辿るにしても化物として死ぬものだと思っていたのだ。しかしその彼女にとっての『常識』は、化物歴の長いアルドフッドによって覆されようとしていた。
化物でも、人間になっていい。
まるで神より赦しを得た敬虔なる者のように、ワムの視界は灼たかに輝いていく。
目の前で輝く花火が、より一層華やいで見えて――。
「ほら」
不意に、アルドフッドが杖の尻をワムに向ける。先端から爆発魔法が射出され続けている杖を見て、ワムが少しだけたじろいだ。
「物は試しだ。ちょっとだけでいいから持ってみろ、なぁ」
「…………」
差し出された杖を注視しながら、彼女は戸惑いの表情を隠せずにいるが――それでも、少しだけ震える手を伸ばして、赤子のような力で杖を握る。
「どんな花火がいい? 色とか形とか、好きなモン選んでいいぞ?」
「……あお……」
「おう、青か。いいセンスじゃねえの、負けねえぞ。ほら、見てろよ」
二人で一緒に握った杖の先から、青色の炎色反応を示す爆発が放たれる。眩しき爆発の種は暗闇を切り裂いて、彼らの目の前でコバルトブルーの花を咲かせた。
杖から伝わる振動が、ワムの腕だけではなく体全体を震わせる。手のひらに掻いた汗は冷たいが、不思議と嫌ではない。
花火に照らされたアルドフッドの横顔も、何故だろうか、あまり怖くなかった。
「次はどんな花火にしてみっか? デケェのでもいいし、チビを連発するタイプでもいいぞ。何だったらキャラクターの顔になる花火でも出してみっか? 俺のデザインセンスに酔い痴れる時が来たな」
「……ん」
幻聴だろうか。観光客のみんなが歓声を上げたり、拍手をしたり、写真を撮る音が聞こえるような気がしていた。
これだけ離れているのだから聞こえるはずなんかないのに、幻聴はまるで現実のよう。
化物2人によって、みんなを楽しませている。化物にだって、誰かを思いやれる。
なんだか、そんな世界がすぐ傍にある気がしていた。
「……………………」
そんな2人を見て、ハルは満足そうに――まるで過去の自分が救われたかのように、笑った。
「……悍ましいまでにどうでもいい話をして気を引いていたのは、この為ですか」
花火が再開してしばらくが経った頃――隣にいたナイリンが、小さくそう呟いた。一見責めているような言葉に思えるが、その口調にはあまり糾弾の色が浮かんでいないようにも思える。
「まあ……うん。ワムを幸せにしてあげなくちゃって、ハルと話し合ってな」
「………………」
魔力の無駄遣いをするなとか、あまり一般人に魔法をひけらかすなとか、多種多様な叱責で追い詰められることは覚悟していた。
しかしナイリンは黙りこくり、いつまでも花開くような空を見上げたままだ。
少しだけ冷たい風が吹いて、彼女の前髪を仄かにそよがせる。髪の隙間から見えたのは、少しだけ細めた目。土地開発で変わってしまった故郷を見つめるような、どこか寂し気な感情を湛えた瞳だった。
「………………どうしてですか」
「え?」
花火を瞳に写して幾色にも瞬かせながら、ナイリンが問いかけてきた。
「どうして……貴方たちは、化物らしく生きていないんですか」
……答える言葉が無かった。彼女の問いかけた内容が何を意味しているか、その本質を捉えかねていたから。
化物は化物らしくしていろという非難か、何故普通の人間らしく生きていられるのかという疑問か、それとももっと別の何かなのか。……いくら彼女の横顔を見つめても、読み取れない。
「……もし貴方たちが、化物らしく生きていたなら……もっと楽だったのに」
「………………………………ごめんな」
その背景を知らない今、彼女の心を理解することはできない。だから、ただ小さく謝ることしかできなかった。
罪を自覚しないままの謝罪なんて、何の意味も持たないと知っていながら。
「………………」
「………………」
そして、再びの無言。どれだけ花火に発破をかけられても、口を開くことすらできなくて。
打ち上がっていく花火はこんなにも綺麗で、人々はこんなにも歓喜に包まれていて、今夜限りの理想郷はここにあるというのに。
いつまでも、その心に踏み込めない。




