10章 世界の真実【疑惑篇】
診療所の診察台に、腹を出したハルがマグロのように横たわっている。腹を出して寝ころんでいるのは夜ご飯の後によく見る光景だが、こうも緊張した表情を浮かべているのは初めてだ。
「手ぇ握っててね! 離しちゃだめだからね! 離したら病院送りにするからね!」
「ここが病院みたいなもんだろ」
なんかやたらと怖がっているハルが俺の手を握り締め、五指を軋ませてきやがる。まるで分娩に立ち会う夫のような気持ちだ。
花火大会の後、俺たちは約束通りにハルの治療をしてもらえることになった。
幸いにも治療にはあまり時間を要さないらしく、今日中にちゃちゃっとやれるくらいのものらしい。そういうこともあり、俺とハルはアルドフッドの診療所にて準備が完了するのを待っていた。
遠くからはアイが施設の子供たちと遊ぶ声が聞こえてきている。ハルはそちらに混ざりたさそうに、ちらちらと声の方向に視線を向けていた。
「ていうか戦場にいたんだから、治療ぐらい慣れてるだろ。今さらビビるようなことでも……」
「何度やっても治療は怖いでしょうが! 注射とかだって幾つになっても怖いでしょう!?」
「それは分かるけど、一騎当千の魔法使いとして情けないなぁ」
俺に対して大層ビビり散らかすハルをよそ目に、アルドフッドは手慣れた様子で準備をしていた。
無人界の手術とは異なり、医療治療で必要になる道具は杖一本だ。とはいえ魔法で何でもどうにかできるものでもなく、病状に合わせた医療魔法を調べる準備が必要になる。
適切な医療知識を持った上で治療魔法をかけないと、完治どころか余計な症状が出かねない。以前戦場において、兵士が見よう見まねで治療魔法を使ったところ、足の裂傷が広範囲に広がって下半身が全て腐り落ちて死んだ事故があった。
今アルドフッドが読んでいるのは、人体表層部の再生魔法についての文献だ。皮と肉を再現するだけではなく、汗腺やら毛穴やら細かいところまで復元しないと、後々思いもよらぬ不調が出かねないらしい。
俺たちも軍学校で習う応急処置程度の治療は行えるが、できることと言えば止血程度だ。戦の前線で完璧な再生医療をする必要性がないので仕方ないことだが。
「おう! 待たせたなハルモニアの嬢ちゃん! 痛くないけど長引くヤツと痛いけどすぐ終わるヤツのどっちがいい!? えぇ!? OKだ、痛いけど長引くヤツだな!」
「どうしましょうクロ、話を聞く気が一切ないみたいだわ。遺言残していい?」
「遺産は俺に単独相続してくれよな」
アルドフッドの杖から発生した霧のようなものが、ハルの鼻と口に入り込む。
魔法での麻酔処置だ、こちらの世界で言う笑気ガスのようなものだろう。
「よーし、じゃあ腹を復元していくからな! チクっとするぞ! 痛かったら言ってくれよ! 拳で黙らせる!」
「誰かこの人から医師免許剥奪してぇ~……」
麻酔ガスのせいで呂律が若干怪しくなりながらも、ハルがアルドフッドを告発しようとしていた。俺は神妙な顔で頷きながら彼女の手を握り締める。
アルドフッドが掲げた杖から、一筋のレーザーが放たれた。鈍い銀色に輝くレーザーはハルの腹部に直撃し、そこに生々しい肉や皮を創り出していく。
イメージとしては3Dプリンターで物体を創り出す感じだ。みるみるうちに腹の肉ができあがっていくのは、正直ちょっとクセになる面白さがある。記念にビデオとか撮っておきたい。
「おう、そうだ! 兄ちゃんたち、宿はどこ取ってんだ!?」
首をグリン!と動かし、手術する手を止めないままアルドフッドが問いかけてくる。
「あー……適当にホテル探して取ればいいかなって思いまして、今ナイリンに探してもらってます」
「おめぇよぉそりゃぁよぉ! 都会の考えだな! こんな島じゃあ、あらかじめ民宿取らなきゃどこにも泊まれねぇぞ! なぁ! 島の公式ホームページにも書いてあらぁ!」
「え、じゃあ野宿ですか俺たち」
「野宿だな! ガハ!」
ガハ!ではないのだが。
常夏の夜ならいざ知れず、今は冬を控えた11月だ。波風を全身に浴びながら夜を明かすには、少々秋模様が過ぎている。炎魔法で暖を取ってまんじりともせず朝を迎える他ないだろう。
しかし俺1人が野宿するならまだしも、女子3名にまで強要するのはいささか心苦しい。魔法界出身のハルやナイリンはある程度粗雑に扱っても問題なさそうだが、アイに対しては何らかのハラスメントになりかねない。
民宿を手あたり次第あたって俺の必殺土下座でなんとかするしかないかな……と最後の手段を検討していると、アルドフッドが自傷と呼べるほどの力で己の胸板を叩く。
「おう、どうせならここに泊まってくか!? なぁ! どうせ布団は有り余ってんだ、別に構いやしねえぞ! それにガキ共も懐いてるみたいだしなぁ!」
アルドフッドが視線を向けた扉の向こうからは、相も変わらずに子供たちとアイの笑い声が響き渡っている。外見年齢が近いせいですぐに仲良くなったようだ。
「気兼ねするこたぁねえ、ダウナ・ローティエンションの紹介だからな! 俺もあの女に助けられた身だ、こんぐれぇあん時の恩返しっつーもんよ! 夜の大自然をとくと味わいたいなら無理に泊まれとはいわねぇけどな! おう!」
「……」
ダウナの紹介だから――と言えば、動機は十分に成立している。
しかしよく考えてみれば、昼間のことを鑑みるに、アルドフッドは何者かに命を狙われている立場だ。
そんな彼が出会ったばかりの人間を家に泊めるだろうか? あまりにも不自然だ。
もちろん、弱体化した俺たちが束になったって彼には敵わないだろう。だが子供たちを人質にすれば十分寝首を掻くことはできるはずだ。
そう考えれば、診療所の周辺に張り巡らせた『侵入者を拒む障壁』の内側に客人を招き入れることは、多大なリスクを生む。
一体何を考えて、こんな提案をしているのだろうか。それとも何も考えていないのだろうか。何も考えていないかもしれない、そんな顔をしている。
「……そう言っていただけたら幸いです。宿無しは幾分辛いので」
「おう、遠慮すんなよな! 一度同じ釜の飯を食ったらマブだからよぉ、なぁ!」
握手を求めるように手を差し出されたが、その手の先には手術真っ最中の杖が握られていて、俺に向かってレーザーが飛んでくる。寸でのところで回避したが、もし直撃していたら肉体の上に肉体を再生されるミルフィーユ状態となっていただろう。
「雑談してないで真面目に手術してぇ~……」
麻酔で意識が朦朧としているハルが、情けない声で懇願していた。
手術は問題なく成功したのだが、麻酔の効き目が良すぎたらしく、ハルは小一時間ほど手術台の上で魚市場のクロマグロのように横たわっていた。
夜ご飯の時間になっても体が動かせないようだったので、目の前でこの上なく憎たらしい顔をしながら夕飯を食べてやったのだが、舌ったらずな口調で正気の沙汰とは思えない暴言を吐かれて俺は少しだけ泣いた。
ハルが自由に動けるようになったのは、夜の9時を過ぎ、年少の子供たちがぼちぼち眠くなってきた頃だった。
「おー、ハルちゃん手術お疲れ~。どう? 生き延びた?」
つい先ほどまで子供たちと激しく遊んでいたせいで全身埃まみれのアイが、『しょくじのへや』で夕飯を食べているハルに感想を聞いていた。
一人遅れてご飯を食べているハルは、久々の獲物にありついた肉食獣の如き勢いでロールキャベツを喰いちぎりながら答える。
「無事成功したみたいだわ。ほら、これこれ」
メシを食う手を止めずに、片手で服をまくり上げて腹部を露出し始めた。そのお腹にはまだ小さな手術痕が残っているが、数日もすれば綺麗さっぱり消え去り、元のぷにぷにお腹が戻ってくることだろう。
「へぇ~、魔法の手術ってすごいんだねぇ。怖くなかったの?」
「全然怖くなかったわ、威風堂々たるサマを見せつけながら手術に臨んでやったわよ。なんなら手術されながらも小粋な落語を一席儲けてオペ室を笑いの渦に包み込んでやったわ」
「泣きすぎて脱水症状起こして経口補水液飲まされてたくせに……」
俺の横槍にも気づかず、無事に手術が終わって気が大きくなっているハルが、ガハハとアルドフッドみたいに笑っている。ウンチしたあと急に元気になるネコみたいだ。
「アイ、子供たちはいいのか? さっきまで両手両足に組み付かれて脱臼しかけてただろ」
「みんなお疲れみたいだよー。ずーっとはしゃぎ回ってたからね、疲労困憊みたい」
「ふーん、アイは子供に好かれるのねぇ。私だってアイに負けないくらい愛らしくて人畜無害な顔をしているのに、どうして子供たちに群がられないのかしら」
「どうやら俺たちは子供たちにとって、アルドフッドに窓から投げ捨てられてたやばいヤツらしいぞ。見られてたらしいからなアレ」
「あらやだ」
それだけではなく、ハルの雰囲気があまりにもロイヤル過ぎるのも原因の一つだろう。
愛らしい玩具と精巧な日本人形だと、それぞれ接し方が異なるはず。抱いて愛でるか見て愛でるか、アイは前者でハルは後者だ。
「ん! ごちそうさま! ダイナミックに美味しかったけどありえない量のロールキャベツだったわね、こんなに食べたらふくぶくしい顔になっちゃう」
「ふてぶてしい顔ではあるけどな」
ハルの食事が終了したので、アイと一緒に食べ終わった食器を洗っていった。ハルも立候補したが他人の家で皿をクレー射撃大会の如く割られたら困るので、椅子に座ってちんまりしているように指示しておく。
「そだ。アルドフッドさんが汚いヤツから順番にシャワー浴びちまえって言ってたよ。我こそは最たる穢れって人いる?」
「クロ! 出番よ!」
「名指すな、グレるぞ」
そして洗い物を終えた俺たちは、着替えを取りに行くために与えられた部屋に向かうため廊下を歩いていく。
施設内を賑やかしていた年少の子供たちは疲れて寝てしまったのだろうか、昼間の喧騒と比べて、今の廊下は相対的に静まり返っていた。
「えーと、どこの部屋だっけな……」
廊下に並ぶ扉には、子供たちが判別しやすいようにそれぞれ名前が書いてある。
『おふろば』、『そうこ』、『けんきゅうしつ』……。
……研究室?
その文言に違和感を覚え、思わず足を止める。あまりにも不意に止まったので俺の背中にハルが激突し、更にその背にアイが衝突していた。
「なによクロ、急に止まるのは心臓だけにしてよね」
「縁起でもないこと言うな。それよりこれ、何だと思う?」
研究室なんて物々しい部屋、診療所にも児童養護施設にも似つかわしくない。大学病院や研究センターならいざ知れず、一介の島医者が持つにはおかしな場所だ。
お誂え向きに、扉がごく僅かに開いている。こんなの覗いてくださいと言わんばかりだ。
……いや、ホントに言わんばかり過ぎる。すこぶる怪しい。痴女がネギ持って躍り出たようなもんだ。
「お、覗き放題ね。お邪魔シマウマ」
躊躇とか道徳心とかが無いハルが、何一つ憚られることなく扉を開け放った。もはや覗くとかいうレベルじゃなくて不法侵入だ。
部屋の中はLEDキャンドルに照らされ、常夜灯のような仄かな橙色に染まっていた。室内を取り囲むように設置された本棚には堅物な医学書が並び、背表紙に書かれた題名は悉くが洋書であることを示している。まるでレトロな図書館にでも足を踏み入れたかのようだった。
そして部屋の真ん中には、紫色と黒色の双星が浮かんでいる。その星々の周囲には、淡い光を残しながら灰色の隕石が巡っていた。まるで回転しながら星の軌跡を描く天球儀のよう。限りなく小さな宇宙がそこにはある。
……この光景を、俺は知っている。魔法体系を研究する時に出現する、理論の可視化体だ。
簡単に言えば魔法の計算式であり、設計図そのもの。新たなる魔法を開発したり、既存の魔法を発展させたりする時に、魔術学者が創り出す理論の芸術だ。
そしてその中心地には、アルドフッドが立っていた。真剣そうな顔で瞳を閉じ、常人には理解できない原理を刻み、魔法のフレームワークに収めていく。彼の手から生まれていく星々が、新たなる論理の歯車となったり、棄却されて灰燼に帰したり、そんなことを繰り返していた。
「……おう、お前らか! 覗き見とは感心しねぇな! なぁ! まあ座れよ!」
俺たちの存在に気づいたアルドフッドが、部屋の隅に寄せてあった椅子を掴み、こちらに投げて寄越してくる。
椅子の意匠はリビングにでも置いてあるようなつまらないもので、この部屋の凝った雰囲気とどこかミスマッチだ。まるで事前にこの状況を予測し、別の部屋から椅子を持ってきていたかのよう。
あまりにも親切すぎる宿泊の申し出、半開きになった扉、用意された椅子。
……なんだか、誰かに用意された道を歩かされている気分だ。
「茶ぁ飲むか!? なぁ! いい茶葉が入ったんだよな! 飲むよな! そうかそうか! おらっ、ブラックコーヒーだ!」
「えっ、お茶……えっ?」
予想だにしていなかった不意のコーヒーをいただきつつ、部屋に瞬く魔法の星を見上げる。
浮かぶ双星の色彩は、紫色と黒色。どちらもあまり明るい色とは言えず、見ているとどこか不安になる色合いだ。そして星の規模感も、普通の魔法理論より大きいように見える。
……昏い色の、巨大な魔法。
委員長が使っていた時間停止魔法も、ダウナが使っていた石化魔法も、理論を分解してみれば似たような星になっているだろう。
人には過ぎた禁術は、得てしてこんな魔法の核を秘めているものだ。
「……見りゃ分かるか、なぁ、小僧」
今までの雰囲気とは全く異なる、落ち着き払った口調でアルドフッドがそう問いかけてきた。あまりにも今までの勢いとはかけ離れ過ぎていて、別人に声をかけられたのかと勘違いしてしまいそうだ。
「…………禁術の開発をしているんですか」
「あぁ」
誤魔化すことも無く、あっさりと認められる。
当然のことながら、禁術の開発は御法度だ。魔法国で発覚すれば――国によって量刑は異なるが――温情な国でも数十年間の禁錮は覚悟すべきだろう。シロガラ国やメース国では否応が無しに死刑だ。
しかし全ての禁術が悪しきものというわけではない。ダイナマイトが発破にも殺戮にも使えるように、使用用途さえ間違えなければ世の中の役に立つ魔法だってある。
もしかしたら、この世界の為にそんな禁術を研究しているのでは――と、一縷の希望を夢見るが、
「人間を爆弾にする禁術だ。魔力を貯蔵する体内器官を爆弾に変換して、自爆することで周囲一帯を木端微塵にするんだよ」
「……」
到底、世の中の役に立つとは思えない研究だった。
好んで使われるのは戦場くらいだろう。しかも、どう足掻いても自分という被害者が発生してしまう、死しか生まない反吐が出るような魔法だ。
「法律違反だわ。……いや、国連の定めた咒術倫理違反ね」
極めて冷静な口調でハルがそう告げる。しかしアルドフッドはそんなものハナから知ってるとでも言いたげに魔術の星を見上げ、音も無く自嘲した。
魔法には詳しくないアイもよからぬ事情を察したようで、なんとも気まずそうな顔になっている。しかしそれでもおずおずと手を上げた。
「あの……アルドフッドさんは、クロくんやハルちゃんの正体を知った時に『人死には御免』と言って激怒していましたよね。そんな人が自分の意思で惨い魔法を研究しているとは思えないんですけど……」
「おう、おめぇは聡いなぁ。もちろん、俺がこんなモンを自主的に研究するわきゃねぇ」
シガーカッターで葉巻のヘッドを切り落としながら、彼はぶっきらぼうに吐き捨てる。そして吸い始めた葉巻の煙が立ち上り、キナ臭いような胡散臭いような部屋に煙草の臭いが混じり入った。
どこか息苦しいのは、葉巻の煙が充満したからか、それとも部屋の雰囲気が沈痛な色に染まってきたからか……。
「俺はなぁ、魔法界からの亡命、そして診療所と養護施設を運営する対価として、ダウナ・ローティエンションから研究を依頼されてんだ。ま、度し難いギブアンドテイクだなぁ」
「そんなの、いや、でも……!」
許されるはずがない、と言おうとして言葉が止まる。
俺は知っている。……グラシディア・アルドフッドという人物が、どんな過去を背負っているのかを。
妻と娘と相棒を失った彼は、己の心を殺して、敵国の兵士を殺す機械のような存在として戦争に参加し続けた。全てを失った彼には、そうすることでしか生きる理由を見いだせなかったのだ。
やがて、彼の働きもあって終戦を迎える。数年間の戦争の末、彼は国を守り抜き、勝利を手にしたのだ。
……しかし平和を取り戻した国にとって、化物なんて無用の長物で。
戦争中は英雄として持て囃されていた彼は、戦争が終わるや否や、戦争の残酷さを象徴する忌むべき存在としてバッシングを受けた。戦争国にとって、大量殺人兵器は救いだ。しかし平和を取り戻せば、持て余すだけの邪魔者に過ぎない。
彼は、国民全員――いや、近隣国の誰しもに生きることを望まれなかった。
直ちに死ぬべきと非難を浴びせかけられていた。
しかし怒りに任せて暴力に訴えることもできやしない。そんなことをすれば更に危険視が深まり、彼は近隣国だけではなく全世界から望まれない存在となる。
……そんなある日、彼は姿を消した。それは彼の処刑が確定する、つい2日前のことだった。
数多の国が彼に指名手配をかけ、生死を問わずにその身柄を拘束するように定めた。しかし終ぞ彼の姿は発見されることはなく、世界のどこかで自死したものと考えられていた――。
「…………」
その時、きっと彼は、ダウナの手引きによって無人界に逃れていたのだろう。
暖かな余生を用意してもらって、第二の人生を与えられたのだ。
だから……禁術の開発を糾弾すると言うのならば、彼に「亡命なんかせずに死ねばよかったのに」と告げるのと同じ。
そんなこと、言えるわけもない。
だって、きっと……シロガラ国とメース国の戦争が集結すれば、俺たちも同じような扱いを受けるのだろうから。
今、目の前にいるのは、俺たちの未来の姿なのだ……。
「クロ……」
「……」
何を咎めればいい、何を正せばいい。
俺たちがダウナの代わりに維持費を払えるならば、研究を止めろと強気に出られたかもしれない。しかし金も代替案もないガキに、彼の人生を崩壊させる選択肢を強制させられるわけもないのだ。
俺たちはどこまでも無力で、力のない子供でしかない。
「お前たちも分かってるよな。化物にとって世界は優しくねぇ。利用か処分、その二択しかねぇのさ」
「……」
朧げどころではなく、眼前にありありと付きつけられた俺たちの未来。
先人が其処にいるという生々しさが、より一層、この呼吸を浅くする。
「……少し、世界の話をしてやろうか」
不意にアルドフッドがそう言い落した。
体に感じる圧迫感が一段階強くなる。家の外に張り巡らせている『侵入者を拒む障壁』を、更にこの部屋の周囲に張ったのだろう。
これでもう、ここでの会話は誰にも聞かれない。
それは逆説的に――誰にも聞かれてはならない話であるということを示す。
「今日、俺に襲い掛かってきたヤツらがいただろ、なぁ。あいつらは『ゼロ』と言う組織だ。主たる目的は分からんが、俺の開発している禁術を狙っていることは確かだなぁ」
「ゼロ? ……ああ、成程、そういうことか」
デースマースの関係者が持っていた杖には、0でもありOでもある楕円形のマークが刻まれていた。きっとそれは象形的に、『ゼロ』という名称を示すシンボルなのだろう。
もしもデースマースの行動が組織からの指示だというならば、ゼロは人間を魔法使いに変えて、魔法界へと攻め込もうとしていたことになる。
それなら『人間を爆弾に変える禁術』を欲しがる理由もなんとなく察しがつくというものだ。争い事を起こそうと企んでいるならば、その為の武器は多いほど望ましい。
「ヤツらは魔法界と無人界、両世界の裏側に潜む巨大な組織だ。……一方、奴らとは異なる目的で蠢く、もう一つの組織がある。名称は『オリジン』。ダウナ・ローティエンションを頭とする組織だ。ゼロよりは小規模だが、それでも国家規模に匹敵する大規模な組織だなぁ」
「オリジン……」
ゼロとオリジン。……この2つの巨大組織が、無人界と魔法界のどこかで密かに活動している。
急にそんなことを言われても信じられるわけがない――と、この世界に来たばかりの俺ならば一蹴していただろう。
今は違う。……この世界に来てから色々なことがあり過ぎた。
月にベースキャンプを持ち、謎の目的で魔法使いを量産するデースマース。禁術を自在に操り、まだ魔法界にも流通していない技術を知り得るダウナ。彼らの行動が組織ではなく個人で動いていると言うならば、もはや化物クラスと言っていいだろう。
彼らは組織に属し、何らかの理念を元に行動しているのだ。そうでなければ、あまりにも無茶苦茶な出来事が多すぎる。
「……なぁガキ共、俺も詳しい事情は知らねぇがよぉ……『ゼロ』と『オリジン』の存在は、どうやら……シロガラ国とメース国の戦争に深く関わってるみたいだぜぇ」
「えっ……」
俺とハルが同時に身を乗り出し、アルドフッドの語る荒唐無稽な話に集中してしまう。
証拠など無く、どこまでも怪しげで胡散臭い話だ。……それでも俺たちは、一笑に付すこともできない。
「なあ、おかしいと思わなかったのかァ?」
葉巻から立ち上る鼠色の煙が、アルドフッドの顔を揺らがせた。紫煙で揺れる視界は、まるで胡乱な夢の世界に迷い込んだかのよう。
「大国同士の戦争が3000年間も続くなんて、本当にあり得る話だと思っていたのか?」
そんなの当たり前だ。
……なんてことを言おうとして、声にならない。答えを確かめるようにハルとアイの顔を見たのだが、アイの表情はどこか浮かないものだった。
俺の視線に気づき、アイが露骨に視線を逸らす。何も悟っていないハルのマヌケな表情が、なんだか背筋を凍らせるほどに白々しい。
「……前にクロくんたちの話を聞いてから、あたしもずーっと変だと思ってたの」
観念したかのように、アイの口から胸中の疑問が漏れ出した。
「普通、3000年も戦争なんか続かないよ。しかも今でも武力抗争が続いてる現在進行形での戦争なんだよね。……こっちの世界からすると、ありえないの」
「……どういうことだ。そりゃ長すぎるとは思うけど、現にこうして続いているんだからしょうがないだろ」
「あたしの知る限り、こっちの世界で一番長く続いた戦争は300年程度だよ。しかも平和条約が締結されなかったせいで実質戦争状態にあっただけ。断続紛争として800年近く続いた例はあるけど、3000年には遠く及ばない」
たった300年? ……シロガラ・メース戦争の10分の1……?
「そうだよなぁ。おう。戦争が長く続きゃあ国民の厭戦感情も爆発するし、王族や指導者に対する不信感も強まる。それに資源の減少や兵士の不満、経済活動の停滞による国力低下もあるなぁ。消耗戦が長期化すりゃあ革命運動の勃発にも繋がるだろ。なぁ。……よく3000年も戦争を続けられたもんだ。普通の国ならとっくに傾いて没落してんだろぉ」
「………………いや、でも、何十回も戦争が停滞化しそうになったことはあったんだ。でもその度に……」
その先を述べず、ハルに視線を向けるだけにしておいた。わざわざ敵国の王女の前で、戦争行為による被害を列挙する必要もない。
鎮静化を辿った戦争に、血塗れの燃え種が浴びせかけられたことは何度もあった。アストロ運河汚染事件、ポースポロス特別保護区域侵略戦争、乳幼児頭蓋切断連続殺人、デスピオ拉致被害者洗脳虐殺事件、魔硝採石場ガス災害偽装事件、ウィルギストス不法占拠事件、王族拷問解体事件……。
その度に敵国への怒りは激化し、小康状態に遷移した戦争は息を吹き返してきた。
「……」
ハルも俺に似たような視線を向ける。メース国でも同じような状態だったのだろう。
何度も何度も、終わりかけた戦争に火が焚かれてきた。消えかけた種火に薪をくべ、聖火を灯し続けるかのように、今も戦争の業火は揺らぎ続けている……。
「だとしても、異常な状況だろ。なぁ?」
敵国の侵略行為によって戦争が激化してきた――という甘えた考えを一刀両断するかのように、アルドフッドが嘲笑するかの如く言う。
「まるで誰かが戦争を続けさせるために、裏工作を仕組んだようじゃねぇか。国民の厭戦感情から軍隊の士気まで、全部丸ごとコントロールしながら戦争を続けさせてんだ。なぁ。……お前らは、そんな異常な世界を当たり前だと思って生きていたんだよ」
異常な世界……。
……ここまで言われて少しだけ……その片鱗に気づけたかもしれない。
生まれた時からこの状況が『普通』として教育されてきたのだから、自分一人の力では気づけなかった。しかしこちらの世界の戦争と照らし合わせてみれば、その異常さがより際立つ。
3000年続く異常な戦争。……そして、人間を魔法使いに変えて、その戦争に介入しようとしていたゼロという組織。
これを無関係と断ずることなんて、できるはずもない。
「この世界にゃ偶然なんてもんはねぇ。あるのは『誰か』や『何か』が書き記した運命だけだ。全ての物事には誰かの意図がある。……この世の全ては仕組まれているんだ」
何もかもが、『誰か』や『何か』の掌の上。
その『世界の真実』に気づけない限り、俺たちは、誰かが定めた物語の駒としてしか動けない。
全てが誰かの筋書き通りだというならば――ああ、疑わしい事実は幾つもある。
2人の化物がシロガラ国とメース国で同時に誕生したのは偶然か?
その化物がある程度の年齢になった時、突然3000年の戦争を終わらせるために一騎打ちが始まったのは偶然か?
俺たちがこちらの世界に来た途端、ゲートが壊れて帰還できなくなったのは偶然か?
……この巡り合わせが偶然だと言えるほど、世界は甘くない。
「とはいえ――今はまだ、陰謀論の域を出ないですね」
肺に溜まった重苦しい空気を吐き出すかのように、深く息を吐いてから言う。
「ゼロとオリジンの存在までは、まあ、頷ける部分も多いですけど……シロガラ国とメース国の戦争にまで発展して、更に全てが誰かの思惑通りなんていうのは、根拠が乏しすぎて論ずることができないと思います」
「……あぁ、だろうなぁ」
いつの間にか驚くほどに短くなっていた葉巻を灰皿に置き、アルドフッドは神妙に頷いた。
「大人の言うことを真に受けてちゃァ、いつまでも世界は変わんねぇからなぁ。世界の真実がどんなもんかは、お前たちの目で確かめていくといい」
そこで一度、彼は言葉を区切った。これから語る文字列が、本当の本当に、一番伝えたかったことだと強調するように。
「だがな、このまま時が流れていけば、お前たちの迎える末路は俺と同じだ。……未来を変えるには世界を変えるっきゃねえんだ。化物を迫害するクソッタレな世界をな……」
そう言って、彼は満足そうに笑う。
口調も雰囲気も日中とは全然異なっているが、きっとこれが彼の素なのだろう。無人界に来て身に着けた新しい自分を一度消し、かつて化物と呼ばれていた先輩としてアドバイスをしたのだ。
不意に、アルドフッドが手を打ち鳴らす。想像以上にクソデカい音が鳴ってハルが4メートルくらい飛び上がった。
「じゃ! 真面目な話はこんなとこにしてよぉ、次は不真面目な話で夜を明かすぞ! なぁ! おうおめぇら、つがいはいんのか!? えぇ!? 今の若いヤツらは精力が足りねぇからよぉ、恋もしねぇで何してんだか! なぁ、恋人も作らねぇヤツらは日頃何してんだ!?」
「どっちの質問に答えればいいんだ……!」
つがいがいるかどうかの質問は全然発展しなさそうなので、恋人を作らないヤツらの日常のほうが答えやすそうなのだが、日頃は異性の面倒を見ているなんて恋人がいそうな返答しかできないので答えに窮してしまう。
俺がちょっぴり困っていると、アイがお元気いっぱいに手を上げる。
「はい! つがい、います! 変態です!」
「おっ、イキがいいじゃねぇか! なぁ! どれくらい変態なんだ! 俺に勝てんのか!?」
先ほどまでの雰囲気を霧散させ、室内は明るいムードに満ちていく。葉巻の煙も気づけば薄らぎ、換気扇の向こう側へと消えていた。
「………………」
そんな中、ハルが何か言いたげな視線を俺に向けていた。
けれども言葉にはならなくて、ただただ、深い意味合いを持つ視線だけが俺を射抜く……。




