4章 三人目の化物
神成島、それは古来より『神によって成り立つ島』として伝わる伊豆諸島の一員だ。
パンフレットに綴られた伝承によると――神成島に宿る神は、空へと意思を描く。
人々の繁栄を冀う時は虹色の炎を灯し、人々の咎を断罪せし時は迅雷を刻む。雨も雪も全てが神の意思、至当なる命運は空に知ろ示す。
無論、本当に神がいるなんて誰も思いやしないだろう。伝承に神が出てくる例などありふれている、誰もそんなファンタジックな存在を信じたりはしない。
……しかし、この島に神などおらずとも、魔法使いはいる。
かつて化物と呼ばれた男が一人、神成島で余生を過ごしていた。
寄せては返す波が打ち捨てられた海藻を揺らがせ、そこに群がっていたヤドカリを転げ回した。波と共に陸へと上がった潮風が俺たちの髪を揺らし、清涼感と共に爽快感を運んでくる。11月の空っ風さえ吹いていなければ、今すぐにでも海水に足を浸したい気分だ。
蒼と碧を混ぜ合わせたような神成島の海は、なるほど確かにと唸るくらい観光名所的な光景だった。盛夏には多くの観光客がこの地を訪れると言うが、彼らの気持ちも推し量れる。
「冬の海もいいもんだなー……」
夏よりもどこか透き通った大海原を見渡しながら、情緒的にそう呟いた。
―――神成島に到着した俺たちは、早速ダウナの紹介してくれた医者を探し始めた。
誰一人として運転免許など持っていなかったので(そもそも魔法界には車など存在しない)、信号機すら無い道を徒歩で歩いていたのだが、10分も歩いたところで時季外れの海水浴場を発見。
その瞬間、ハルとアイのテンションが上がってしまい、靴を脱ぎ捨てて砂浜へと駆けて行ってしまった。
俺は2人の靴と靴下を拾って追いかけて――今に至る。
夏の海とは異なる雰囲気を漂わせ、どこか物寂しいようなうらぶれたような、それでいて風流なようで情緒的なような、そんな冬の海を全身で堪能する。
なんとも穏やかな気持ちだ。
「クロくん大変! ハルちゃんが死ぬほど海水飲んでる!」
全然穏やかな気持ちになれない。
「おいハルー、お前テンションをブチ上げるのは別にいいんだけど、後悔するような行動やめときな? 消化器系にダメージいくぞ」
「記念! せっかく海に来たんだから一口くらい飲まないと損でしょ!」
海をご当地グルメとでも勘違いしているのか、ハルは両手でお椀を作って引くほど飲んでいた。こんなん吐くだろ、と思ったが魔が差した時にハルが作る味噌汁の方が何倍も濃いので平気なようだ。
おかわりをいただこうとしているハルを食い止めていると、頭上からカメラのシャッター音が何度も響き渡ってくる。どうやらアイが海を激写しているようだった。
「本土の海もいいけど、島は透明度が高くていいねーっ! 写真がバチバチに映えるよ~」
ついでに俺たちにもレンズが向けられたので、世界平和が実現できそうなほどのどかな笑顔を浮かべながら二人揃ってピースをした。この写真が魔法界に出回ったら国民が泡噴いて卒倒しそうだ。
「リンちゃんもほら! ダイナマイトピースして! 撮るよ!」
「えっ」
俺たちをよそ目に海水浴場を眺めていたナイリンが、突如としてカメラを向けられて大層驚き、片手で目元を隠すといういかがわしいお店のパネルみたいな状態になっていた。鳳輔がもしここにいたら場内指名していただろう。
「わ~、ハルちゃんもリンちゃんも写りがいいねぇ。クロくんは……前世でカメラに魂とか取られたタイプ?」
「もう率直に写真写りがゴミって言ってくれ」
写真との相性の悪さは存分に自負しているのでどうしようもない。別に写真の時だけ鼻の穴が3個に増えるとかそういうバグが発生しているわけでもないのに、どうしてここまで現物と違って見えるのだろう。
「王子、王子……」
ハルとアイが写真の出来栄えできゃっきゃと騒いでいる中、いかがわしい写真を撮られた高級中立嬢が俺の服を摘み、幼児のような力で引っ張ってくる。
「なんですかあれは……! 交信魔法と相互互換関係にある無線機ではないのですか?」
「ああ、確かにこっちの世界における無線機なんだが、撮影とか国際的仮想空間への接続とか色々できる装置だ。ナイリンもこっちの世界に来た時に持たされたんじゃないのか?」
と思ったが、ナイリンのポケットから見えているのは無線機みたいな携帯電話だった。一時的に無人界へ滞在しているだけなのだから、余分な機能を付ける必要はないということなのだろう。
「あの者が王子の従者ということなら、不意に撮影するのは止めるように躾けてください。私は顔面の駆動が遅いんです、急に撮影用の顔なんてできません」
「いや従者じゃなくて友人。……時間を置いたら撮影用の顔ができるのか? 気になるからちょっと見せてくれ」
「王子はスケベですね」
ちょっと知的好奇心にくすぐられて仄かな要求をしてみただけなのに、あろうことかスケベ呼ばわりをされてしまった。これには俺もたまげざるを得ない。
鳳輔を呼びつけて本当のスケベというものを教えてやろうか……と思いつつ、俺もアイに倣って海を撮ってみる。撮影技術など学んだことがないので特にこれといった感動もない写真だが、多分、いつか見返した時に懐かしく思うのだろう。
貝殻の転がる砂浜。雨の予感を欠片も感じさせない青空。水平線の彼方まで続いていく蒼の海。世間においては在り来たりだが、戦時には当たり前ではない光景を一枚、また一枚と記録していく。
そんな中、どさくさに紛れて、潮風に髪を揺らすハルの写真を撮る。惚れた由縁か何か分からないが、透き通るような海を眺める横顔が何とも言えず絵になると思った。
「あ、スケベな盗撮魔がいる! 盗撮! 盗撮!」
しかし即座にバレてしまい、ハルから国会のようなブーイングを叩き込まれる。お前まで俺をスケベと呼ぶのか。
「全く、クロは稀代のドスケベなんだから! 育てた親の顔が見てみたい!」
「国会演説の映像とかで何度も見てるだろ」
「クロくんは本当にスケベの臨界点だねぇ。親交を深めてる男友達の顔も見てみたい!」
「彼氏に会いたい願望を出すな」
「王子がこれではシロガラ国の将来も暗澹と言えますね」
「将来を憂うな」
女性3名から非難を浴びて、俺は思わず天を仰ぐ。そうか、男女比率が女性優位に傾くと男性が絶好の弄られポジションに落ちてしまうのか。この際デースマースでもいいから駆けつけて男女比率を整えてほしい。
「お前らあんまり俺をコケにするなよ、そんなに俺の清らかな涙が見たいのか? ほらフーリガンみたいなヤジを飛ばしてないでそこに並べ、贖罪として記念写真撮ってやるから」
「ハ! そんな奉公活動でさっきの撮影罪に引っかかる行為が禊がれたと思わないことね! ピース!」
果敢に文句を言いながらも、顎のラインにピースを添えて撮られる気満々のハル。その隣のアイも目にも止まらぬ速さで猪突猛進なピースを繰り出し、ナイリンはこちらに向かって静かに中指を立てていた。
せっかくの海なのに水着じゃないのは甚だ遺憾だが、これはこれで価値のある一枚だ。恐らく鳳輔辺りに見せたら血の涙の代わりに血尿を流して悔しがるだろう。
「ほら、ハル動くな。動くなっつってるだろ、お前の体幹どうなってんだ。あんまりふらつくと脊椎叩き折るぞ。……よし、はい、チーズ」
携帯を意気揚々と構えて、渾身の力で撮影ボタンを叩き押す。
「……!?」
突如、コバルトブルーの海に水柱が立ち上がる。
飛沫と共に魔精反応の虹色が輝き、周囲に魔力の澱みを漂わせた。肌に突き刺さるような色濃い敵意の魔力、それと同時にどこかから爆音にも近い衝撃音が響いてくる。
「クロ、やりすぎ!」
「俺の撮影のせいじゃねえ! 警戒態勢!」
魔法初心者のアイ以外の行動は速かった。異変から1秒と経つ前に杖を取り出し、互いに死角を補い合うような陣形で周囲を警戒する。
「ナイリン、俺たちの姿を不可視にしろ! 一般人に目撃されるのだけは避けるんだ!」
依頼主として即座に命令を下したのだが、ナイリンの行動は迅速だった。俺が命じる前には不可視の魔法をかけ終え、敵影の捕捉に努めている。
「クロくん、あれ!」
アイが叫びながら岩陰を指さす。
自然発生したとは到底思えない、逆巻き荒れ狂う雷。オレンジ色の閃光を放ちながら地表を揺らす爆発。そして海水を巻き込んで舞い上がる砂塵の竜巻。……魔法によって産み出された不可思議の悉くが、その岩陰の裏から発せられていた。
俺たちは存在を悟られないように気配を殺しながら、高台を取って高所から岩陰の裏を覗き見る。
そこにいたのは、全身に古傷を刻まれた巨躯の男。そして彼を包囲しながら、ローブを着込んだ何人もの集団が攻撃を仕掛けていた。
……彼らの手中には、禍々しい程の魔力を発する杖が握られている。この前デースマースが生み出したド素人魔法使いたちとは到底比べ物にならない、熟練の魔法使い特有の濃い魔力だ。
とりわけ――巨躯の男から漂う魔力は、異様の一言だった。
取り囲む魔法使いたちよりも、委員長よりもデースマースよりも――圧倒的な魔力を有している。
化物である俺たち2人にも比肩するほどの、強大な魔力の色彩だ。
「……クロ、あの杖……!」
俺の裾を力強く引っ張りながら、ハルが何かを指さした。その爪先はローブを着込んだ者たちの杖に向けられている。
そこに刻まれている紋様は、0でもありOでもある楕円形のマーク。
「デースマースの関係者か……!」
そう、俺たちはあの紋章を一ヵ月前に見ている。人間を魔法使いへと変えていた変人、デースマースがその杖を所持していたのだ。
しかしあの魔法使いたちは、到底素人とは呼べない立ち回りをしている。魔法界の軍人を見紛うレベルだ。恐らく彼らは魔法使いになったばかりの人間ではなく、元から魔法界で生まれた純粋なる魔法使いなのだろう。
「……」
巨躯の男が杖を大きく振るうと、空気が振動する。
地震の前兆のように世界が揺れ、空に揺蕩う雲が異形な様相へと形を変えていく……。
「消えろ」
その一言と共に――世界が歪んだ。
耳を劈く轟音と共に、荒れ狂う熱波が周囲に拡散される。男を中心として慈悲の無い大爆発が巻き起こり、周囲にいたローブの男たちが血を撒き散らす。
見れば、杖を持っていた片手が消し炭にされ、風に舞う煤となって情けなく宙に揺蕩っていた。
「爆発魔法か……!」
単純明快かつ折り紙付きの威力を持ち、戦場でもよく見かけるポピュラーな魔法だ。
しかしどこにでもいるような浮花浪蕊の魔法使いとは異なり、男の放つ魔法は圧倒的だった。複数人を相手取りながら敵の放った魔法ごと腕を破壊するなんて芸当、一般兵にはできるはずもない。
「何者なんだ、あの男……」
そう呟いた瞬間、微細なる殺気を気取る。
遥か遠く、百メートル以上離れた場所から、何者かが男の命を狙っている。
恐らく狙撃魔法だろう、熟練の魔法使いであればこの程度のミドルレンジなど外す道理すらない。
「ハル! 8時の方角! 狙撃手だ!」
そう命じながら体を乗り出し、俺は駆け出して巨躯の男へと接近していく。ハルも全く同じタイミングで杖を構え、指定された方角に切っ先を向けた。
別に男を助ける理由など無い。……しかし、だからといって見捨てる理由もない。
助けられる命があるならば、助ける以外の選択肢なんて選ぶわけがないのだ。
百メートル先の山中で、マズルフラッシュのような魔精反応が燈った。放たれた魔法の弾丸は音を置き去りにし、漆黒の軌跡を描きながら男の臓腑を目掛けて飛来する。
俺は男の前に出張り、魔力を込めて障壁を張った。
迫り来る弾丸が障壁とぶつかり合い、歪な音を立てながら自壊する。障壁には僅かな罅が一つ入っただけで、男の命を奪うには至らない。
「簡単に言ってくれるわね……!」
そう呟くハルは、観測手も無しに敵の居場所を捕捉し、まるでダーツを投げるかのように軽々と狙撃魔法を放った。空気を切り裂きながら標的目掛けて飛んでいく弾は、狙撃手の持つ狙撃銃型の杖を破壊する。
武器を失った狙撃手が撤退したのと同時に、ようやく狙撃の音が山々に木霊した。
「クロー! 追い返したわー!」
気安いサムズアップを掲げながら、ハルがそう報告してくる。
それと同時に、片腕を失って蹲っているローブの男たちが、魔力の縄で拘束される。ナイリンが魔法で彼らを捕縛したのだ。
「……………………」
そんな俺たちの姿を、巨躯の男は観察するような目で眺めていた。
細やかな所作から敵味方の識別をするように、彼の瞳が悠然と俺たちの全身を嘗め上げる。ただ視線を向けられているだけなのに、まるで喉元に鋭利な刃物を突き付けられたかのような感覚が襲う。生温い唾液を嚥下して喉を鳴らし、彼の動向を窺うことしかできない。
やがて、彼は不自然なまでに表情を明るくして――。
「おう、お前ら、おう! この俺を助けたんだよな、なぁ!? いい奴らじゃねえか、なぁ! ほらもっと近くに寄れ、茶ぁ飲むか、なぁ!」
丸太のような巨腕で空を掻き、妙に人懐っこい親戚のオッサンみたいなテンションで俺たちを呼びつけてくる。その代わり身に、あのナイリンでさえ「うお……」とちょっと引いたような声を出していた。
「最近の若いのはなぁ、茶とか飲まねえのか!? なぁ! あれか、果汁入ってねぇ汁モンは古いか! かぁあ、茶はいいぞ茶はぁ! ワビサビだよワビサビ、なぁ! おらッ、梅こぶ茶だ! くらえッ!」
「あ、ども……」
鍋と呼んだ方が適切なくらい巨大な紙コップに茶を注がれたので、恭しく頭を下げながら受け取る。どこで買ったんだよこんな御伽噺とかでしか出てこなさそうなサイズの紙コップ。
「でぇ、お前らナニモンだよ、なぁ! いい奴らだけど素性が分からねぇとなぁ! 対応に困るからなぁ、おう! 観光客か!? 観光なら山はいいぞぉ山は、梅こぶ茶飲むか!?」
何故かもう一杯お茶を差し出されつつ素性を問いただされる。
しかし、どう説明すべきか。俺たちサイドから見ても、この男は所属不明の謎人物だ。軽々に身分を明かすのは得策ではないだろう。
だとすれば――と思いを巡らせていると、ハルが一歩前に出る。
「私たちはフリーの魔法使いなの。この島に『医療に長けた魔法使い』がいると聞いてね、治療をお願いできればと思って。何か知ってるかしら?」
「……」
言葉の真贋を確かめるように、男は俺たちの瞳を注視する。
彼の深い黒色の瞳に射貫かれると、なんだか疚しいところが無いはずなのに何かを自白したくなってしまう。それくらいの威圧感を含んだ目だった。
そして数秒間、俺たちを監視し続けて――男は警戒を解くように息を吐く。
「なんだ、お前らがダウナの言ってた患者か! お前たちの探してる奴はなぁ、恐らく俺だ! おう! よかったな、会えたな!」
「え?」
「グラシディア・アルドフッド! 医療系魔法使いだ。なぁ! 名前くらいは聞いたことがあるだろ、おう!」
「グラシディア……って、えぇっ?!」
魔法界で生まれ育ったならば、その名前を知らないわけがない。
圧倒的な武力と魔力でペスパス国を復興させた、世界最強の軍人。
……そして同時に、俺たちと同じように……化物と呼ばれた男だ。
「……クロスエッジたちがアルドフッドと合流しました」
神成島の遥か頂――神惹山の頂上に、1人の男が立っていた。
彼の名はベリアス・ワンチアン。獣のような耳を生やした謎の人外で、今はダウナの部下として組織的活動に身を投じている。
そんな彼は、ダウナに命じられてクロたちの監視をしていた。この島に着く前、それこそ高速船に乗り込むところからずっと、その一挙手一投足を見続けていたのだ。
彼の手には、狙撃銃に形を変えた杖が握られている。その射程はこの島の直径よりも長く、島内の誰もを撃ち殺すことが可能だった。
『おー……思ったより早いね……』
ベリアスのインカムからはダウナの声が聞こえている。
その音質が著しく悪いのは、ダウナが今、途方も無く遠い場所にいるからだ。彼女は魔法界の別の惑星、エリストス星にいる。
「しかし『ゼロ』の尖兵とも接触した様子です。もしかしたら奴らに目を付けられたかもしれませんね」
『どっちにしろ、アルドフッドに接触した時点で警戒されるさ……』
ゼロ。……それは先ほどアルドフッドを襲い、返り討ちに遭ったローブの者たちの組織名。魔法界と無人界を股にかけた大規模犯罪組織である。かつてデースマースもそこに所属し、ボスの命令によって人間を魔法使いへと変貌させていた。
……そして今、この島には……ゼロの幹部が来ている。
その幹部もまた、『化物』と呼ぶに相応しいほどの実力を備えていた。今のクロやハルでは到底太刀打ちできないほどの、異常なまでの殺戮者だ。
『警戒を怠るんじゃないよ……クロスエッジとハルモニアに累が及ぶと、こちらの計画も破綻するんだからね……』
「承知しております。命に代えても護り抜く所存です」
『ん。頼むよー……』
ブツ、と耳障りなノイズ音と共に通信が途切れる。
そして再び、彼はクロたちの監視を続けるのだった……。




