3章 波に揺られて
さざめく風浪を切り裂きながら、高速船は太平洋を突き進んでいく。潮風が波飛沫を運んで窓ガラスを濡らし、プリズムのように太陽の反射光を煌かせた。
港区から出向した伊豆諸島行きの高速船は、大体2時間20分ほどをかけて神成島へと向かっている。ジェットエンジンを搭載した最新型の船は空行くウミネコがドン引くほどの速度で運行しているが、驚いたことに揺れはほんの僅かしか感じなかった。
「オアーッ! 海、海よクロ!」
内陸国で生まれ育ったハルは初めて海を見たらしく、窓ガラスにへばりつき、幼女の如き素直なテンションで荒波を眺めていた。
「いやあ、海なんて久しぶりに見たなあ。島に着いたら海辺とか行ってる時間ある?」
その隣でハルと一緒に窓の外を眺めているのはアイだ。ジャガイモを原料としたお菓子をサクサクと食べながら俺に問いかけてくるが、ハルの治療がどれくらいかかるのか分からないので曖昧な返事をすることしかできなかった。
そんな大自然に興味津々な2人とは対照的に、俺は落ち着き払った態度でパンフレットなんかをパラつかせていた。
何を隠そう、シロガラ国は大海に面した自然豊かな土地なのだ。海なんてさほど珍しくもないし、漁港で漂っている潮の香りに懐かしささえ覚える始末。たった数時間で島へと移動できる高速船の技術には驚いたが、出航から20分も経った今では驚愕も薄れている。
ナイリンも俺と同様に、海に対してあまり興味を示していないようだった。確か中立国家の本部はメース国と同じく内陸にあるはずなので、きっと彼女も中立国家に属する前は沿岸に住んでいたのだろう。
……さて、今回ダウナの誘いに乗って神成島へ向かっているのは俺、ハル、アイ、ナイリンの4人だ。
本来は鳳輔が来る予定だったのだが、「ウチの親が男女混合で長期旅行はダメとか言っててなあ」とのことで不本意の欠席をしたのだ。
そこで丁度、護衛であるナイリンを引き連れればチケットが無駄にならないと気づき、メンバーを確定させたのだが……。
「………………」
ナイリンは乗船前から周囲への警戒を続けていた。むしろ過敏すぎるほどに警戒しまくっており、近くを通り過ぎた幼子にまで刺すような視線を向ける始末だ。目つきが怖いチビ美人ってだけで目立つんだから止めてほしい。
「ナイリン、警戒するのは職務上望ましいことなんだが、その、なんだ、一般人への威嚇だけはトラブルに繋がるから止めてくれ。あろうことかさっきゴリゴリな反社にまでガンつけてたしな、すげえな」
「お忘れですか王子、これから向かうのは所属不明の魔法使いが塒とする島なのですよ。もし敵性勢力であれば是が非でも我々を排除しようと画策するでしょう。事前に情報が漏洩していたならば、この船の中で仕掛けてくる可能性もあるわけです」
「でも魔法界と違って、警戒するほどの魔力を持った人間がうろついてることもないからなぁ。とりあえず微弱な魔力しか持ってない人たちには用心しなくてもいいんじゃないか? そんだけ張り詰めてると観光地を満喫することもできないだろ。そうしよう」
「むう。観光する予定は全くありませんが……雇用主がそう命じるのであれば、警戒レベルを落としたく存じます」
どうやら『雇用主からの命令』という名目にのみ従う腹積もりのようだ。もし雇用主としてトップレスになってくれないか? とか頼んだらどうなってしまうのだろう。
ともあれ俺の命令通り、彼女は周囲の人間に警戒心を撒き散らすことを止めてくれた。
よかったよかったと胸を撫で下ろしたいところではあるのだが……。
「……………………」
今度は俺の方に、巳を思わせるような鋭い視線を向けてくる。確かに一般人への威嚇は止めろと命じたが、一般人ではない化物に威嚇するなとは命じていない。俺、一応雇用主なんだけど。
しかし彼女の気持ちも分からないわけではないのだ。ただでさえ毛嫌いしている化物を護衛しなければならないというのに、その化物共は呑気に旅行へと繰り出ており、彼女もそこに随伴しなければならない。嫌いな奴らと4日間の旅行をすることになったら俺でも三白眼になるね。
「……ん?」
そんなナイリンと俺の様子を見て、アイが小型犬のように首を傾げている。そして視線に込められた熱量を計り、その原因は何なのかを検討して、突如目を輝かせた。
「熱の籠った視線……まさかこの二人、良からぬ関係……!?」
「いや違う、良からぬくない。むしろ真逆」
「つまり……良い関係……!?」
「逆でも語弊があるなぁ」
何やらわんぱくな勘違いをされているようだが、実はナイリンは化物である俺たちを毛嫌いしていてね……と旅行の雰囲気に水を差すようなことは言い辛いので、ふんわりとした語調で疑いを拒絶することしかできない。
ここまで嫌われているとなると、どこかのタイミングで何に起因しているのかを訪ねてみたほうが良さそうだな……と思う。とはいえ実質的に「俺のどこが嫌いなの?」と尋ねるようなものなので大変に気まずいのだが。
「リンちゃんさぁ~、そんなうだるような熱視線でクロくんを射抜いちゃダメだよ~。ハルちゃんにジェラシーカナディアンバックブリーカーされちゃうよ?」
謎のあだ名で呼びつけながらナイリンの肩に腕を回し、アイがチョココーティングされた棒状の菓子を差し出している。その様子は一見女子同士の他愛もないスキンシップなのだが、恐らく密着されることに慣れていないであろうナイリンがどうしようもない顔になっているので、なんだか新人に酒を飲ませようとするハラスメント気味の上司にも見える。
「いえ、そのように邪な視線を向けたつもりはありません。王子は雇用主ですので」
「とかいって、単位をジュールで表せるくらいアチチな視線だったじゃーん。何々、恋愛相談ならバシバシに乗るよ。こう見えてあたしは恋愛抱負系女子だからね!」
恋愛抱負系女子と自称しているが、恐らく集計時期はここ一ヵ月程度だろう。手抜き作業という言葉に何やらエッチな響きを感じる系の彼氏ができたからって調子に乗っていると見た。
それにプラスして、せっかくの旅路道中だというのにあんまり楽しめていなさそうなナイリンに対して、多少イジり気味にでも話しかけて馴染ませようと画策しているのだろう。アイは意外と気ぃ遣い気味なタチだからな。
「私はその、恋愛とかそういう浮ついた感情は覚えない性質ですので、えっと、悪しからず」
「え、じゃあ初恋とかもまだなの? 勿体ないよ~、せっかく小っちゃくて可愛いのに。小っちゃいってだけで女の子はアドだからね、鳳輔もそう言ってるからね」
「誰……?」
突如として繰り出された恋愛トークに、どうやらナイリンはタジタジになっているようだった。表情に人間味が宿っているとも言える。
俺たちには徹頭徹尾お堅い表情を浮かべていたのだが、化物ではない相手には多少の綻びが出るらしい。恋愛沙汰を根堀り聞かれて戸惑う姿はなんだか普通の女の子みたいだ。俗な話を振られると女性としての一面が出てしまうのかもしれない。
この調子でどんどん煽って貰った方が良さそうだな、と思ってアイに耳打ちする。
「アイ、その調子でナイリンを女にしてあげてもらえるか?」
「え、セクハラ?」
思っていたことを口に出しただけなのだが、確かにとんでもないセクハラだ。王子の言動がこれではシロガラ国の栄誉に関わる。
「違う、そうじゃなくてナイリンをもっと恋愛的に言葉責めしてもらいたいんだ」
「え、パワハラ?」
思っていたことを口に出しただけなのだが、確かにとんでもないパワハラだ。王子の言動がこれではシロガラ国の沽券に関わる。
話術が壊滅的なことを自負した俺は無言で立ち上がり、未だに窓から大海原を見ているハルに近づいていった。
「なんか面白いモンでもあったか?」
「あ、クロ!」
俺に気づいたハルが顔を上げ、クソ長い髪を尻尾のように揺らしながらぴょんぴょんと跳ねた。
「見てこのおっきな海! すごいでしょう、はい拍手!」
「讃えさせようとするな。つかお前、さっきから飢饉にでも遭ったんじゃないかって勢いで菓子食ってるけど、食べ過ぎると酔うから控えめにしときな?」
「大丈夫! もう酔ってる」
なにが大丈夫なのか全く分からないが、もし吐いたら泣かせてやろうと心に誓う。
「……しかし鳳輔が来られないのは残念だったな。島と言えば海水浴、海水浴と言えば水着に興奮する鳳輔だというのに」
「あー、話によると鳳輔の両親はけっこー厳しいらしいからねー。あとほら、一応彼女ができたばかりだし、泊まりは警戒されるわよねぇ」
「確かに、彼女に加えて同居中の男女が一緒ってなると、両親が警戒するのも分からんでもないがな……」
ちなみにデースマースとの一件から1ヵ月ほどが経ったが、鳳輔は未だに恋人という距離感に慣れていないらしい。話によれば、まだ接吻なる行為もしていないようだ。
国によっては違法なくらいの性欲を持つ鳳輔がそんなプラトニック!?と驚きたくなる気持ちはあるが、元より恋愛に積極的になれないタイプらしい。長いこと自分に恋愛する資格が無いと思い続けてきたらしいので、急に方向転換することになれば戸惑うのも当然かもしれないが。
「さて! 島に着くまで数時間もあることだし、神成島に着いたらどんなレジャーを満喫するかについて和気藹々と話し合いましょうか。私としてはフナムシをクロの荷物に入れて反応を見たいわ」
「土下座してくれ」
高速船乗り場から拝借したパンフレットを机の上に広げて、2人で覗き込む。
パンフの見開きいっぱいに島の全体マップが書き込まれ、青々とした絶景の写真を幾つも携えている。雪白の湯気が燻る野外温泉に遠近感を忘れてしまうほどの星空、竜宮城のように魚が舞い踊るダイビングや飛沫を纏うバナナボート。
4日の旅行とは言えども、移動時間を含めれば全て回り切るのは難しそうだ。
「そうだな、とりあえず温泉だろ温泉。日頃の疲れを癒しながらひたすらに無の時間を過ごしたいな、6時間くらい」
「おバカねクロ。せっかくみんなで旅行に来たのに、温泉に入っちゃったら男女が分かれちゃうじゃない! そんなのちっともレジャーじゃないわ、レジャーに謝って!」
「いやでも、混浴の温泉もあるみたいだぞ」
「ほんと? エッチな島ねぇ」
具体的に言えば屋外温泉は水着着用の上で混浴になっているのだが、ハルに致命的な偏見を植え付けてしまったようだ。エッチな島って何だよ。
「温泉と言えば熱海よ! せっかくの伊豆なんだし、どうせ入るなら有名な湯で茹でられたいわ」
「え、お前まさか、伊豆諸島と伊豆半島の違いが分かっていない……!?」
地理が苦手なハルに懇切丁寧な説明を施してやると、目に見えて落ち込み始めた。まあどっちにも島って付いてるもんな、気持ちは分かるよ……。
落ち込み過ぎてえずいているハルの背中をさすりながら、パンフレットをパラパラとめくっていく。
「神成島にはデカい火山が聳えているんだよな。俺、一度でいいから火山に登ってみたかったんだよ。ハイキングコースに沿って木漏れ日の中を歩いてってさ、時折後ろを振り返ってどれほど高いところまで登ったのを実感してみたい」
「あ~、火山ね。アレでしょ、いわゆる富士山的なヤツ。知ってるわ、この前クロに投げつけたもの」
「え、思い出が最悪じゃん」
魔法界には火山が存在しないので、確かにハルとの決戦中に用いられた武器という印象が強い。
見聞によれば噴火という自然災害を起こすらしいが、逃げ場のない島にはあまりにもリスキー過ぎるのではないか。まあ、パンフによれば噴火がキッカケで島が形成されたりするようだから、そもそも成り立ちとして必要ではあるのだろうけど。
「ま、どこに行くにしたって、まずは凄腕の医療系魔法使いを探し出すところから始めないといけないけどねぇ。それに私のお腹の治療にもどれくらい時間が要るか分からないし」
そんなことを言いながら、ハルは服を少しだけ捲り上げておへそ辺りを擦っている。あんまり挑発的な行動は青少年の興奮を誘うから止めてほしい。
でも確かに、ダウナの手紙には『話を通しておく』としか書かれておらず、名前も住所も外見も謎だ。いくら狭い島と言えども探し出すのには時間を要するだろう。まさか医療系魔法使い探してますなんて喧伝しながらあるわけにもいかないし。
一番いいのはダウナに電話をして詳しく話を聞くことなのだが、何故だか電話が繋がらないのだ。別に着拒されているわけではないと思う、もしされていたらちょっと傷つく。
「まあ……魔法使いなら一般人よりも高い魔力を有しているだろうし、商店とか役場とか人の集まる場所に行って、一人一人の魔力を目で確かめていくしかないだろうな。効率を考えると2手に分かれるのが良さそうだ」
「なるほど、女子チームと男子チームに分かれるのね」
「孤独にさせるな」
4日間の旅とは言えども、移動時間や就寝時間を含めると実働は2日とちょっと程度になるだろう。その間に魔法使いを見つけられなければバカンスもパーだし、ハルのご機嫌もおじゃんだ。
どうにか良い方法はないものかな……と思案しながら海上を見る。
快晴の下、海はこれから起こる激動も露知らず、呑気なさざめきを見せていた。




