2章 転機前の静けさ
往来の喧騒よりも少しだけ声が高く、聞こえてくるのはまとまりのない会話ばかり。
会話の合間に聞こえてくる笑い声と、廊下で男子同士がふざけて走る音。黒板の上に設置されたスピーカーからは聞きなれたチャイムの音が響き、生徒たちは席を経って思い思いの友人たちと食事を開始していく。
つまるところ、学校の昼休みだ。
今の今まで教室で大人しく授業を受けていた俺は、鞄の中から手製の弁当を取り出し、キチキチに結び過ぎた包みを開こうと知恵の輪の如く悪戦苦闘していた。
「クロ! ごはんの時間よ!」
「なんでメシ作った側みたいな感じで呼ぶの」
バカみたいに能天気な顔をしたハルが、俺の作ったお弁当を持って接近してくる。そして手近にあった椅子を拝借し、俺の机に弁当と肘を乗せた。
この学校に通い始めてから3ヵ月ほどが経過しているが、中々の馴染みっぷりと言っていいだろう。ハルは中身こそ残念を通り越して無念だが、見た目だけなら傾国と呼んでも差し支えないレベルなので、主に男子たちの間で色々と騒動があったもんだが、最近はそれも減ってきて平和な学園生活だ。
ちなみに俺のほうについてだが、女子たちの間で騒動があったかと聞かれれば、まあ、聞くな。しばくぞ。
「ふふん、昨晩はクロが空気を抜き忘れて兎のウンチみたいになったとはいえハンバーグだったからね、今日の弁当にも使いまわされていると見た。1時間目から4時間目までずっとこのハンバーグだけを楽しみにして生きてたわ」
「残念ながらハンバーグは昨晩どっかのマヌケ面女王によって喰い尽くされましたァ、自分のウンチでも食ってろ。本日は最近ハマってるキンピラごぼうでございます丁重に喰い倒れろ」
「キンピラで白米を食えと言うの!? はああ、クロは恥ずかしげもなくおでんで白米を食べるタイプと見た」
「バカ、お前。俺をバカにするのはいいけど、いやダメだけど、おでんを見くびるなよ。腸活にどれだけの影響を与えるか、メシ食いながらハラスメントになるほど滔々と語ってやる」
いつも通りに、姦しい言い争いをしながら弁当箱を開封する。
学校に来た初期の頃は、弁当の中身が同じだという事実にクラスメートたちが震撼していたものだが、幼馴染なので同じ弁当を作ってやっているという今どきガキでも信じないような言い訳で対抗し続けていた。
当然みんなに疑われてカップルが揃って転校してきたと囁かれたもんだが、俺たちのあまりにロマンスのない会話を聞いている内に、付き合っているワケがないという風潮が流れ出してくれて難を逃れたのだ。
「おうお二人さん、一緒にメシ食おうぜ」
と、声をかけてきたのはとある男子学生だった。
「ん、んおう」
口にホウレン草を詰め込んでいたので言語と呼べない何かで首肯すると、その男は近くにあった椅子を寄せて、俺の机に大きな弁当箱を置く。女子供なら一日で必要なカロリー量を摂取できそうな大きさだ。
「へっへ、メシだメシだ」
この男の名は鶴ヶ島 鳳輔、クラスでよくつるんでいる男子だ。
一見つんつん寝癖に見えるが実はちゃんとワックスで揃えているらしい栗色の髪と、適量の筋肉を携えてほどよく引き締まった体。聞くところによればサッカー部のホープとして華々しく活躍しているらしい。ただそんな輝かしい肉体と実力を持ちながらも、スケベかつ顔が良くないという身も蓋もない理由で女性からの支持率は壊滅的のようだ。
彼との邂逅は数週間前。偶然家が近所だったため引っ越しの挨拶の際に知り合い、通う高校と年齢が同じということもあり仲良くなったのだ。右も左も分からないさなか、運よく知り合いと同じクラスになれたのは僥倖だろう。
「ふっ、食ってサッカーすることだけが俺の楽しみだぜ……!」
なんだか本当に幸せなのか問いたくなるようなことを言いながら、鳳輔は体育会系でも胸焼けしそうな肉だらけの弁当を食っている。野菜という存在を忘却したかのような一面茶色い弁当はどうやらサッカー部には必須とのことだが、鳳輔に謀られている気がしないでもない。
「ん? どうしたクロ、そんな扇情的な目で俺の唐揚げを見つめて。唐揚げに興奮するくらいなら俺に興奮しておけ」
「無茶を言うな、人ン家の弁当を見て勉強してるの。いやこのガテン弁当が果たして学びにつながるのかは分かんないけど、料理のバリエーションを増やすに越したことはないしな」
「随分と勉強熱心だな。いいよいいよ、俺のあられもない弁当を好きなだけ見ろ」
一面肉だらけの弁当だが、意外にも手が込んでおり、厳しい制約の中でも最大限のパフォーマンスを発揮しようという気概が見て取れる。鳳輔の母親はさぞや息子想いかつ料理上手なのだろう。
魔法界では気軽に料理をするような立場ではないので、こちらの世界に来てからは俺も料理にチャレンジしているが、中々どうして難しい。産業廃棄物以外ならなんでも美味しいと評するハルには好評をいただいているが、自己評価的には素人から毛を抜いた程度の腕前だ。
「料理にお熱な幼馴染がいるのは羨ましいな。どうだクロ、今からでも俺の幼馴染にならないか?」
幼馴染という言葉の意味を知らないかのような勧誘を受けるも、隣でハムスターの如く料理を頬に詰め込んでいるハルが体を割り込ませてくる。
「ダメよ、これ私の。英語で言えばThis is me」
直訳すると「これ、あたし」だ。お願いだからこれ以上ハルを増やさないでほしい。
「てかハル、おいハル」
ケアレスミスにも全く気付かずにシーザーサラダを貪り食ってるハルに問いかける。
「なんぞ」
「お前、この前女子たちからお昼メイトになろうって誘われてたけど、結局あの件はどうなったんだ? いや、俺的には目の届く範囲にいるほうがありがたいけど」
「んー? いいのいいの。テンション上がるとわたし、余計なこと言いかねないし」
「すげえ、自覚あったんだ。でも改善する気がなさそうなのが歯痒い」
ハルは基本的に頭の中が子供だから、目を離すとすぐ好奇心の赴くままあっちこっちに行って、思いついたことをすぐ喋ってしまう。立場は同等のはずなのに何故か俺がお目付け役になってしまっているあたりがどうにも悲しい。
「まあそれでもいいんじゃないか、ハルちゃんはクロと絡んでる時が一番楽しそうだからな」
鳳輔がヴェヘヘと妖怪じみた笑いをして、豚のしょうが焼きを嬉しそうに頬張りながら言う。もう少し普遍的な笑い方を心がけていただきたいものだ。
「ま、そうは言ってもハルちゃんも少しくらい女子の友達を作ったほうがよさそうだな。彼氏も作ったほうがいいな、俺がいいな」
「そうね。とりあえず鳳輔は除外するとして、今後努めて行く所存ではあるわ」
どうやらハルにもお友達を作ろうとする気概があるようだ。さすが自発的に学校へ行きたいとせがんだだけのことはある。
ハルは子供のように警戒心が薄く、色々な人と喜色満面に話をするので、クラスの中では結構可愛がられている。しかしなんだかんだ保護者(俺)から離れるのは不安なようで、あと一歩だけ友達への段階を踏みきれていないのが現状だ。
魔法についてのボロがでないように目立たないことが第一だが、この世界に居られるのも僅かな期間だ。人生経験として、せめて友達の一人くらいは作るのがよいだろう。
ちなみに鳳輔とは友達というか、もうそれを越えて遠慮のない発言を交わす仲になっている。なんというかツレといった感じだ。
「ところで二人に聞きたいんだが、放課後ヒマだったりするか?」
いつもより少しだけ真面目な顔をした鳳輔が、突然そんなことを聞いてくる。俺とハルは顔を見合わせて首を傾げ、なんでそんなことを聞くのか分からないとでも言いたげな表情をした。
「今日は残念ながら、ハルが放置し続けてきた古文の宿題に取り掛かる感じだな。おい、お前なに目ぇ逸らしてんだハル。やるんだよ古文を。熱出ちゃったみたいな顔するな平熱だろ」
「そうか、残念だな。ちょっと委員会の手伝いを頼みたかったんだが……」
「委員会? 鳳輔ってサッカー部じゃなかったか?」
「知り合いがちょっと困っていてな。まあダメなら別にいいんだ、また空いてる日に頼むぜ」
「空いてる日っつっても、明日はハルが放置し続けてきた数学の宿題で、明後日はハルが放置し続けてきた現代社会の宿題があるぞ。おい、お前なに顔背けてんだハル。やるんだよ宿題を。骨折れちゃったみたいな仕草するなヘシ折るぞ」
軽やかな雑談を交わしながら、恙なく昼食の時間は過ぎていく。
こうしていると、なんだか本当に普通の学生になったような気分だ。
あとどれくらい学生としての日々が過ごせるのかは分からない。けれども向こうに戻った後には、きっとこういう他愛もない時間を思い出すのだろう。
「なあハルちゃん、俺だけにとっておきの秘密を教えてくれよ。できればいやらしい秘密がいい、美女のふしだらな秘密を集めて幸福になるのが俺のライフワークなんだ」
「クロの乳首の色ならカラーコードで教えてあげられるわよ。♯98d98e」
いや、別に思い出さなくてもいいか。なんか不快だ。
「ダメだぞ鳳輔、あんまりハルにセクハラするもんじゃない。こいつはセクハラ経験が薄いからな、これが男子高校生の通常だと思われても困る」
「案ずるな、こう見えて手加減している。俺が本気を出したらもうすごいぞ、官憲も驚愕して裸足で逃げだす程度のセクハラができる」
何故か胸を張って誇り散らかしているが、そんなこと自慢するくらいなら成績を自慢できるようになれよと思う。
「そうよホースケ、なんかよく分からないけどセクハラはダメよ。私、こう見えても清楚でお嬢でやんごとなきだから。ところでセクハラって何?」
「む、そうか。すまんな、ほんの下心だ」
「出来心って言ってもらいたいわ。でも素直に謝れたのは偉いわね。ところでセクハラって何?」
「しかしハルちゃんは自称清楚系か、自己認識が甘いな。どちらかと言えばクラスに一人はいる男子との距離が近いおてんば系女子と言えるだろう。あ、俺はそういうの嫌いじゃないです」
「おてんばって言われてもねえ。あんまり女子としては嬉しい言葉じゃないわ。なんかこう、クロみたいな言葉で言えば『落ち着きのないメスジャリ』的な意味合いじゃないかしらそれ。ところでセクハラって何?」
俺ってそんなに口悪いだろうか、と若干落ち込みつつ弁当を全て平らげる。
ハルもちょうど食べ終えたようなので、二つの弁当を回収し、カバンの中にしまい込んだ。弁当のサイズが二回りほどデカい鳳輔はまだ食べ続けていたが、津波の如く飲み込んでいくサマを見るところ、じきに食べ終わることだろう。
「ね、ね、残りの時間どうする? 私としてはコレがナウのオススメ」
腹が満たされてご機嫌になっているハルが取り出したのは、何の捻りもないトランプの束だった。トランプをただ見せられたところで種目によって趣は全然異なると思うが、何を選択したところで昼休みの余暇を潰すにはもってこいだろう。
「仕方ない、今日こそ雌雄を決してやろうか。忘れてないからな、前回スピードやってる最中に頭突き喰らわせてきたの。再びの物理攻撃はお前、マジで訴訟に走るからな」
「ごめんて。興奮しすぎて猪突猛進したの、私そういうところあるの」
闘牛みたいなことを言いながらカードを不器用にシャッフルしていくハルと、それを見て柔和な表情を浮かべる鳳輔。耳から白い毛でも出てるんじゃないかってくらい老人みたいな表情をする鳳輔だが、そんな顔をするのも分からんでもない。
メシを食ってカードで遊ぼうと言い出すなんて、どこからどう見ても子供だ。微笑ましくなるのも禁じ得ないと言えよう。
俺たちの日常は、いつもこんな感じだ。
……この世界の空が紅く光るまでは、似たような毎日が続くと思っていた。
日常が激動するのは、まさに今日。
夕日が暮れなずみ、やがて日も沈んだ夜に、『それ』は現れた――。




