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1章 戦火の渚

 この世に地獄があるならば、きっとここがそうなのだ。


 世界が揺れる。鼓膜を破壊しかねない程の轟音が響き渡り、襲い来る獄炎が戦場を紅緋色に染め上げる。月明かりすら無い常闇にも関わらず、逆巻く火柱が戦場を煌々と照らしていた。


 爆発は一度だけでは終わらなかった。何度も何度も真紅の灼熱が戦線を蹂躙し、その度に世界は揺れ人々は焼け朽ちていく。ものの数秒もすれば辺りは地獄絵図、焼死体と阿鼻叫喚が彩るディストピア。喉は炎熱によってカラカラに乾ききり、煙を避けて呼吸をすれば肺が焼け落ちるような高熱の酸素が臓器に渦巻く。

 辺り一面から聞こえる絶叫、爆発の轟音の中ですら響き渡る金切り声。炎で焼き殺される人間が放つ声はどんな断末魔よりも恐ろしく、耳孔内でいつまでも響き続ける。迫る火炎、迫る死。何人もの人間が逃げ果せず、業火に呑まれて灰燼に帰すのみ。


 焼け野原の中、俺は無色透明な魔法の障壁で体を覆い、大地を蹴って吶喊した。同胞たちの死体の先には敵が蠢き、千という単位では数えきれない程の宿敵が群れを成している。対する此方は本隊と切り離された孤軍、大隊程度の生存者しか残されていない絶望の死軍だ。

 しかし生き残りが希望を捨てないのは、ここに俺が居るからだ。一騎当千の魔法使い、シロガラ・(ギストス)・クロスエッジ率いるが故に最高戦力と称される軍勢なのだから。


 国の為に散った仲間たちの亡骸を飛び越え、未だ命を削り奮起する成員の最前線へ繰り出し、杖より顕現させし波動にて数多の仇敵を薙ぎ倒す。僅か一尺足らずの杖を振るうたび敵の部隊が消し飛んでき、圧倒的不利な状況が覆っていく――。

 対敵を蹴散らしながら敵の大将目掛けて進軍していく。味方の命が、敵の生命が、まるで塵芥のように容易く消し飛んで肉片と化していた。


 その時、遥か彼方で敵の総帥が防壁から姿を現す。冷淡で冷え切った目で荒廃した戦場を、そして矢面で進撃している俺の姿を見据えている。

 奴の手には禍々しい赤褐色の杖が握られていた。それは己が身を戦陣へ投入することの現れだ。

 俺に比肩するもう一人の世界最高戦力、メース・(メイジ)・ハルモニアが戦火の汀に身を投じる。


 ハルモニアの放つ魔法が、俺の放つ魔法が、戦域の空で相殺して魔法界を揺らす。世界を終わらせかねない圧倒的破壊の源が、戦場を地形ごと変えていく――。

 あと幾人の命を供儀すれば、この戦は終結するのか。

 確答無きまま、メース国とシロガラ国の戦争は三千年もの間続いていた。




 ……その均衡が破られたのは、戦争開始から三千年と七ヵ月と十一日が過ぎた時のこと。


「ここに! 長きに亘る戦争の行く末を定めるための、決闘を宣言する!」


 メース国とシロガラ国の王家が、中立国家を自称する某国の、目も眩むほど広大な謁見室へと集っていた。互いに帯同させた護衛の数は百では到底数え切れず、謁見室に収まりきらず城外で待機している兵士もいるほどだ。


 玉座の前で向かい合っているのは、メース国の王女であるメース・M・ハルモニアと、シロガラ国の王子である俺ことシロガラ・G・クロスエッジ。互いに視線こそ合わせているが、相手を理解しようという感情は僅かほども存在しない。

 目の前に居るのは敵、それも、これから殺す決闘の相手なのだ。


「三千年間の戦争によって、メース国、及びシロガラ国の両国家は疲弊をし尽くしている! これ以上の長期化は民に、そしてこの魔法界にとっての大いなる負担となるだろう! 故に、古来からの仕来りに則り、最たる実力者同士の決闘によって雌雄を決する!」


 俺とハルモニアは、この魔法界で化物と呼ばれるほどの魔力を持っている。そんな俺たちが全力でぶつかり合えば、この星が消滅してしまう可能性があるのだ。

 だから、今から俺たちは別の空間へと移転し、そこで決闘を行う。犠牲となる世界の名前は――。


「決闘の場となるのは無人界と呼ばれる、魔力の存在しない脆弱な世界! 両名には正々堂々、公平無私なる対決を望む! ……ではッ、転移ゲートへと向かわれよ!」


 中立国家の王に促され、俺とハルモニアは無人界への転移ゲートへと近づいていく。

 最後に一度だけハルモニアに視線を向けると、彼女もまた、俺のほうを見ていた。


 その視線が交差し、互いの瞳を見据え合う。

 奴は敵、決して慣れ合うことの無い宿敵だ。ハルモニアを人だと思うな、ただの障害だと思え。一切合切の容赦を切り捨て、奴の命を刺し貫くことだけを誓うのだ。

 奴もきっと同じ気持ちなのだろう。感情の籠らない真っ黒な目で、俺を『観察』している。それは人間の存在を認知しているというよりは、今から叩き潰そうとしている害虫の挙動を観察しているような温度感だった。


 俺たちは臆することもなく、転移ゲートへ体を委ねる。片手に持った魔法の杖を強く握りしめながら、無人界へと堕ちていくのだった。

 ハルモニアを殺す、という揺るがぬ気持ちを心に湛えて――。



 *



 無人界に来てから3ヵ月近くが経過していた。


「それじゃ、この耐熱容器を洗ってくれ。くれぐれも丁寧に洗えよ。お前の所業によって既に数個の容器が犠牲となっている、俺は今でも謝罪の言葉を待っているぞ」

「任せて! 洗濯機の力があればこの他愛ない容器なんて、ものの見事にキレイになるわ!」


 カレーの残滓がこびり付いた耐熱容器を抱えて洗面所へと駆け出そうとするハルモニアの――ハルの首根っこを捕まえて、穏やかではない表情を浮かべつつ無言で流し台を指さした。しかしハルは洗い物のイロハについて記憶喪失を疑いたくなるほどド忘れしたらしく、流しがなんだとでも言いたげな流し目をおみまいしてくる。


 ――巡る年月は9月8日、秋分と呼べる時期ではあるが残暑は未だしぶとく残り続け、夏の風物詩であるセミたちもお元気いっぱいのデシベル数で騒ぎ続ける日々。夜になっても衰えを知らない蒸し暑さは体を苛み、ハルのケアレスミスは心を蝕んでいく。


 決闘の御触れから既に四半期が経過した今、俺たちはとある理由で決闘を延期し、無人界で一般市民としての生活を営んでいた。


 夜も更けて22時頃、利他精神に目覚めた子供のようにお手伝いがしたいとせがみ始めたハルに洗い物を命じてみたものの、こと家事全般におけるヤツの記憶力はビーバーを軽く下回るらしく、汚れた食器を白物家電で洗おうとしやがった。


「そのイミテーションみたいな小耳をそばだてて聞いておけよ。洗濯機は服を洗うヤツ、食器はスポンジで洗うヤツ。思い出したか? 思い出せないというなら血で血を洗う戦をしよう」

「あー、そっちか。ごめんね、私のかわいい脳は都合のいいことしか覚えられない機構なの。しかし甘味を与えれば記憶力にブーストがかかると言われたらどうする……?」

「ねだんな、黙して家政に従事してくれ。手伝いさえやり遂げたならちょっとした菓子を摘まんでいいから」


 3ヵ月前、一騎打ちのために転移ゲートを通ってこちらの世界にやってきたのだが、俺たちの魔力があまりにも想定外だったのだろう、転移の途中でゲートが破損したのだ。


 その余波で魔法の杖が失われ、予備の連絡機器も時空の狭間に消えていき、俺たちは丸腰で無人界へと降り立つことになった。

 どれだけ膨大な魔力を持っていたとしても、それを行使するための杖が無ければ一般人と変わりない。とどのつまり大ピンチだ。


 急遽、決闘は中止。魔法界での戦争も一時停戦状態となり、転移ゲートが復旧するまで、俺たちは無人界で生存することを第一に考えざるを得なくなった。

 運よく中立国家の諜報員がこちらの世界にいたので助けを借りて、なんとか今は生活ができているが――俺もハルも元王家の人間、しかも色々事情があってロクな教育も受けていないときた。フツーでマトモな日常生活を送ること自体が、決闘よりハードな難題と言えるだろう。


「こんなモンかしら!」


 数個の耐熱容器を洗い終えたハルが、上出来のテストを見せびらかす子供みたく俺へ容器を押し付けてくる。俺はよからぬ姑のように容器の底を指でなぞり、ぬめりがないことを確認して頷いた。


「おー、いいじゃんやるじゃん、容器も喜んでらぁ」

「それじゃあお菓子食べていい!? ダメと言っても今の私はとめどない!」

「おういいよ、でも少しだけな。22時の菓子はお前の代謝と体型を狂わせる」


 ゴキゲンなハルは妙に上手い鼻歌を奏で、仄かにケツを振りながら戸棚の菓子置き場を漁り始める。俺にも胃に優しそうな菓子をチョイスしてくれと頼もうとしたその刹那、


「ウワーッ!!」

「うっさ」


 一国の王女が発するにはイキが良すぎる奇声と共に、ハルがこちらに向かってフーリガンのようなブーイングをおみまいしてきた。


「なに、どしたの急にあられもない声上げて。ご近所迷惑な奇声を上げるなら事前に稟議とか通してくんない」

「クロ聞いて、楽しみにしてたお菓子が消失してる! 老人宅に大概置いてあるあの寒天ゼリーが! これはもう私の頑強な堪忍袋の緒とてはち切れるわ、怒り冷めやらぬ!」

「あん? そんなん……」


 走馬灯のように記憶を辿ってみると、ハルがテレビに集中しているのをいいことに菓子をパクパクと摘まんでいた数時間前の俺が思い浮かぶ。確かその中には強力な砂糖味で味覚をブン殴ってくるゼリーがあったような気がしていた。


「あ、俺食べちゃってるな。たまげた」

「たまげてる場合じゃないわ! あろうことか他のお菓子はクロの舌を悦ばせるものばかり、私の食通な舌を打ち震わせるものはただの一つもありはしない……!」


 食通を自称しておきながら味噌汁と豚汁の違いさえ分からないハルだが、楽しみにしていたお菓子を食べてしまったことにはさすがの俺も罪悪感を覚えてしまう。


「うーん、じゃあ何したら許してくれる? 切腹までなら大体応じるけど」

「今から一緒に買いもの行って! ゼリー買って! しからば許してあげなくもない」

「へい」


 時計を一瞥すると、現在の時刻は22時頃。

 子供がうろつくには遅い時間だが、魔法界の兵士がうろつくにはそこまで遅くもない時間帯だ。夜間作戦の際には夜通し行軍をしたこともあったのだ、闇夜を恐れるような肝っ玉でもない。


「それじゃパパっと行くか、あんまり薄着し過ぎるなよ」


 決してイカしているとは言えないスウェット姿に、シャワーでまだ仄かに濡れた髪の毛。王族としてはあからさまに不相応な現代人スタイルだが、俺たちは構うことなく家を出て、スーパーに向かって歩いていった。


 既に空は黒く染まり、月が覇権を握る時刻。設置された蛍光灯の灯りがみすぼらしく思えるほど月明かりの強い夜で、月光に彩られる世界は心地よく沈んでおり、戦火にまみれる母国とは比べ物にならないほど静かだった。

 気だるげな歩調で歩いていく俺に対して、隣のハルはなんだか楽しそうな足取りだ。恐らく夜の散歩というものに子供のようなロマンを感じているのだろう。


「先に言うけど、絶対余計なものは買わないからな。俺の意思は固いぞ、お前の意思はどうだ?」

「クロ、あれ見て。ねこ」

「聞けよ。ホント話聞いて?」


 見れば見るほど、こいつは戦場で矛を突き合わせたあの宿敵なのかと疑問が浮かぶ。


 見た目だけなら魔法界にもそうそういないレベルの黒髪美少女だ。透けるような白い肌に、モデルのように細くて長い手足。異常に整った顔は絵に描かれた理想の美少女そのままで、長い睫毛と淡い薄ピンクの唇はなにも手入れをしていないのに芸術品の如く美しい。

 しかし情操教育を施されていないので、その中身は小学生レベル。家事全般は全く一ミリも知らないし、楽しそうなものを見ると5歳児のようにはしゃぐし、親離れできていない小鳥のように寂しがり屋だ。


 ……むべなるかな、というもんである。

 俺たちは王族の人間だが、戦争のために作られた化物風情でしかなく、人間というよりは兵器扱いを受けてきた。とりわけハルのほうは悲惨だったらしく、マトモな教育も受けられずに、兵器として人を殺すことだけを教えられていたらしい。


 だから、こうして無人界で生活を始めて、ようやく彼女は人間としての人生を歩みだせたのだ。

 見える全てが新鮮で、生きる全てが自由。無人界にいられるひと時だけ、彼女は人として生きることを許された。だから、毎日はしゃいでしまうのも至極当たり前のこと。


 魔法界にいた頃の死んだような瞳は、今や月明りを反射して爛々と輝いている。世界の美しさを知った人間兵器は、今日も世界一楽しそうに笑うのだった。


「あとホントお前、アレだよ。すごく呑気に鼻歌うたってるけど、世界史の宿題やったのか? 土日ずっと寝るか遊ぶか食べるか騒ぐかの四択しかなかった気がするんだけど」

「大丈夫、私かわいいから」

「ん? 話通じないかコイツ」


 多分1文字もやっていないのだろう。ハルが雑な返答で返してくるときは、雑に時間を浪費したのを誤魔化そうとしている場合だ。

 いや……いつも返答は雑だな……。


「何よその胡散臭そうな視線は。いいでしょう。そこまでクロが言うなら、かの私とて宿題をやらないこともないわ」

「おーいいじゃん、すげー前向きじゃん。その調子で人生豊かにしてけ」

「しかし今日が日曜日だという事実を踏まえると、ほら、ね……? デュッ……」

「面食らっちゃうくらい汚い音の投げキッス寄越すのやめてくんない。安っぽい色仕掛けで答案を渡すような俺ではないから」

「よく考えてクロ、無理よ、私もう起きてから12時間も徹夜してるのよ? これ以上は死んじゃうわ」

「ちゃんと深夜を挟めよ」


 これ以上の反逆は無意味だと悟ったハルは唇を噛み、靴のつま先で石コロを蹴り始める。何度か蹴っ飛ばされた石くれが暗がりの中を転がり、側溝の隙間に消えていった。


 先ほどからの会話でお分かりの通り、俺たちは今、学生として高校に通っている。


 どうして別世界の王族が学生なんかに、というのは至極真っ当な疑問だが、これにはれっきとした理由があり、ハルが学校に行ってみたいと7時間くらい駄々を捏ねたのだ。おかげで毎度お世話になっている中立国家の諜報員が大変な気苦労をなさったとのことで、ハルの土下座3グロス分くらいお届けに上がらなければ報いることができないだろう。

 まあ、俺もマトモな学校というものに興味があったし、内心ハルに喝采を送っていたのは秘密だ。戦争中の我が国では最低限の教育だけしか行わず、学校は主に戦争のなんたるかを学ぶ場になっている。要するに半ば軍みたいなものなのだ。


 文献の中でしか見たことの無い、青春とかいう憧れ。転移ゲートが直るまでの僅かな間だが、俺たちは初めてのひと時を享受している。

 きっと、二度と手に入らない珠玉の日々なのだろう。


「はァー、仕方ない王女だなー。アレだよ、隣でヒント出してやっから、今日は寝落ちるまで頑張れよな」

「えっ、なに、愚かしき私の宿題地獄に付き合ってくれるの?」

「愚かしきお前の宿題地獄に付き合ってやるよ。その代わりお前、アレだかんな。勝手にお菓子食べたこと根に持つなよ」

「さっすがクロ! 心の友! 肩揉んであげる!」

「そこ耳」


 意図せず性感帯を揉んでくるハルから逃げるが、両手の指を器用にくねらせながら摺り足で追いかけてくる。数百年前とかなら妖怪として語り継がれそうなくらい気味の悪い動きだ。


「なんか気分ええわ! 私、明日の朝ごはん作ったげる! 舌鼓を打つがいい!」

「いやお前、パックごはんを温めろって言われて日当たりのいいベランダに並べてたじゃん。一人で料理させるとか不安で朝まで眠れんわ」

「じゃ、いっしょに作る? それならクロも自衛できるでしょ」

「自衛が必要なメシを作るな」


 やろうね!と言いながらハルが指切りをねだってくるので、小指同士を絡ませる。

 以前はそのままふざけて合気道の小手返しに移行されてブン投げられたものだが、よほど上機嫌なのだろう、ハルは結んだ指を離すことなく歩いていく。

 そしてもうすぐ満月に至ろうとしている月を見上げて、見ているだけで鬱が改善しそうな笑顔を浮かべながら――。


「なんか、毎日たのしい」


 そう、彼女は独りごとを呟いた。

 言葉には出さないし、ハルに見せないようにしていたが。


「……」


 音もなく、俺も頷いた。

 振り向かずとも、俺が頷いたのに気づいたのだろう。

 ハルが振り返って、嫋やかに柔らかく微笑む。


 ……本当は、ハルと深く関わってはいけないし、心を許してはいけないのだろう。

 こんな日々が終われば、俺たちは再び敵となり、殺し合う運命なのだから。

 それでも、今だけは――友として、家族として、隣にいたい。



 戦火の渚を越えた先には、呆れるほど平和な世界が広がっていた。

 王族として、そして化物として生きていた暮らしとは全く異なる、変哲の無い日々。

 欲しても得られないはずの日常が、この世界にある。

 呆れるほどの『普通』が、この世界では手に入る。


 これは、俺とハルの物語。

 いつか再び敵同士になる者たちが、束の間だけ心通わせるだけの、哀れな物語だ。



 蒼く澄んだ月光を浴びて、ハルの姿が美しく照らされる。

 化物としての姿はなく、ただただ青春を謳歌する少女の姿がそこにあった。




 ……彼女がこの世界を滅ぼすまで、あと数週間。

ここまでお読みいただきありがとうございます。よろしければ星1つでも評価を頂けますと励みになります。よろしくお願いします。

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