1章 化物の回顧録
北方に国を構え、覆い囲う氷山によって天然の要塞と化している国家――ペスパス国。
かつては特筆すべきところのない有象無象の国家だったが、化石化した天然魔力が発掘されたことにより状況は一変した。
最高級品質の天然魔力は資源として大変に有益で、貿易関係を結ぼうと多数の近隣国家がペスパス国に接触していた。それにより国庫は潤い、不毛の地で細々と繁栄していたペスパス国は急成長を遂げていく。
……しかし、戦乱の世では、荒くれた国家など両手の指では数えきれないほど蠢いている。
やがてペスパス国は戦闘国家から宣戦布告を受け、戦火の坩堝へと身を投じることとなる――。
つい数年前まで弱小国家に位置していたペスパス国は、当然の如く優れた軍備など持ち合わせているはずもない。せいぜい自衛のために配備した自衛軍――いや、規模的には自警集団と呼ぶべき集団がいる程度だ。
だから、軍事国家から攻め込まれれば、片手の指でも数えられるほどの年月で滅びるのが道理だった。
……それが現実とならなかったのは、ひとえに『化物』の存在が大きかっただろう。
「夢?」
その言葉を聞いたスカーレットが、怪訝そうな顔をしながら復唱した。突然何言ってんだ、という感情が露わすぎるほどに表現されている。
「ああ、俺には夢があるんだ」
客足の途絶えた深夜の酒場で大真面目に語るのは『グラシディア・χ・アルドフッド』という男。
凄まじき魔力と戦闘力を持ち、1人で一個師団にも匹敵するほどの力を持つとされている、ペスパス国の最高戦力だ。かつて近隣国家に攻め込まれて窮地に陥っていたペスパス国を救い、未だに戦火の最前線にて敵兵を薙ぎ払い続けている。
彼こそがペスパス軍の最高軍事責任者にして、英雄と呼ばれる男だ。
……そして、相対する敵兵たちは、彼のことをこう呼ぶ。
紛れもない『化物』であると。
「スカーレット、この国が戦を始めてから何年になる?」
「あァー……2年ってところか」
アルドフッドと共に酒を煽りながら、スカーレットがそう答えた。
彼はアルドフッドのライバルでもあり、友人でもあり、相棒でもある男だ。粗暴で自己中心的だが実力は高く、英雄のアルドフッドと比肩する程の魔力を持っている。
彼らは最高の相棒だった。2人が組めば打開できない状況など存在せず、どんな危機的状況であっても跳ねのけられる。諸外国は強力無比な彼らを、ペスパス国の国旗に書かれた鷲になぞらえて双翼の化物と呼んでいた。
まごうことなく――自他共に認める最強の2人で、最高の2人だ。
「そう、2年だ。……最初は王宮以外の全てが敵の手に落ちていた状況から、たった2年で元々の国境まで前線を押し戻したんだぜ。よくやったもんだよな、俺たち。なぁ?」
もはや懐かしき過去の情景を瞳に映しながら、胡乱な口調でアルドフッドがそう問いかける。
「ンだ今更ァ。俺たちが組んでんだ、そんなん楽勝に決まってんだろが」
「……だからな、そろそろ俺も、夢を叶えてもいいと思っているんだ」
アルドフッドには夢があった。
それは敵兵を蹂躙する化物には似つかわしくない、庶民的でささやかな夢だ。けれども彼にとってはこの上なく大切で、欲して止まないたった一つの願い。
「俺は……家族が欲しいんだ」
「………………」
どこか感傷的なアルドフッドの言葉を、スカーレットはただ黙って聞いていた。
「今まで軍人として多くの敵兵を殺してきた。……そんな俺が望んでいい夢なのかは分からないけど……誰かと共に生きて、命を育んで、幸せに死にたいんだ」
「誰かと結婚して、子供産んで……普通の人間みたいに死にたいってことかァ?」
「ああ」
普通の人間には濃すぎるバーボンを一口煽り、喉を鳴らしてからそう答える。
握ったグラスに揺蕩う酒、そこに写った自分の顔。……アルドフッドの顔には、化物や英雄とは程遠い、ただ一人の人間としての表情が浮かんでいた。
戦うことしか知らなかった、かつての自分。両親に捨てられ、軍で育ち、軍人として職務を全うしてきた男が――ようやく、1人の人間として自立しようとしている。
「…………」
化物が望んだ、普通の人生。
その言葉を胸中で噛み締めながら、スカーレットは手のひらのグラスを握り締める。グラス内のアクアビットに波紋が広がり、小さなさざ波が寄せては返していた。
「……手緩くなンなよ」
そんなスカーレットの呟きは、どこか昏い色彩を帯びていた。
恋人や子供ができて、戦果を挙げられなくなった兵士はいくらでもいる。自分一人の命ではないと保守思考の戦争を行い、家族を言い訳にして時期尚早すぎる判断を下していた者を何人も見てきた。
家族は生き甲斐として重要なものだろう。
しかし兵士として見れば、それは邪魔なものでしかない。何が何でも敵を打ち滅ぼしてやるという気概が消え、家族のために生きて帰るという保守的な思想へと変えていく。
アルドフッドの言葉を聞いて、スカーレットは、それを危惧していた……。
「……腑抜けになんてならないさ」
芯の通った声で、アルドフッドはそう返す。
「相棒のお前がいる限り、俺は戦場に立ち続けてやるぜ。……お前もそうだろ?」
くすんだクリスタルのグラスをスカーレットの目の前に掲げると、彼もオーロラグラスを持ち上げ、力強くかち合わせた。
誰もいない酒場に小気味いい音が反響し、再び静寂を取り戻す。
「この戦争が終わっても、俺とお前は相棒だァ。努々忘れんじゃねえぞ」
「ああ、忘れるものか。……俺たちはいつでも、2人で1人なんだからな」
大切な友との忘れがたき思い出は、そこで途切れている。きっとこの後はバカ話をしながら深酒をして、酔い潰れて、記憶から消えてしまったのだろう。
だけれども、一番大事な部分だけは憶えている。あの日確かに、2人は永遠の相棒を誓い合ったのだ。
それを証明するかのように、2人は翌日以降も戦場に君臨し続けて、多大なる戦果を挙げていた。
国境線沿いまで押し返した防衛線は、いつしか敵の陣地に食い込み、浸食していく。かつて防戦一方だったペスパス国は、今や敵の領土を支配するまでに成長していた。
やがて――アルドフッドは恋をした。
かつて語った夢の通りに、誰かと愛を誓い、結ばれ、お互いの人生を寄り添わせることを約束した。
その1年後には、彼らの間に新たなる命が生まれ落ちる。
妻との幸せな日々、子供という新たな家族との日常。
紛れもなく、アルドフッドは、人生で一番幸せな時間を過ごしていた。
今の彼ならば、自信を持って言えるだろう。
化物であっても、人間のように幸せを得ることはできる。人として生き、笑い、喜び、素晴らしき日々を送ることができるのだ。
……いや、こう言うべきか。
今の自分は、もう、化物なんかじゃない。
誰かを愛することのできる、本当の人間なのだと。
数年後、濃霧の戦場にてスカーレット率いる紅蓮軍の消息が絶たれる。ロストした場所が敵陣の中枢付近に位置していた為、敵兵により捕獲されたと推測。
最初はペスパス国の重鎮たちも『スカーレットが敵の手に落ちるわけがない』と懐疑的だったが、切り落とされた彼の生首がペスパス国に届けられたことで、誰もが言葉を失った。
彼の両目は抉り取られ、鼻を削がれ、歯の神経に劇薬を刷り込まれ、耳から鋭利な刃物を差し込まれて脳を掻き混ぜられた形跡が残っていた。……軍医が生活反応を検証したところ、どうやら、その凄惨な暴行は生前に行われた可能性が高いという。
更に、アルドフッドの妻であるサラサが、自宅にて殺害されていた。
解剖結果によると、生きたまま両手両足の指を切り落とされ、顔面を高熱の金属で焼き潰され、腹を割かれて臓器を引きずり出されていたとのことだ。
死亡推定時刻の直前には、ペスパス国で目撃されたことのない不審な人物が確認されており、敵兵の密偵により殺害されたのではないかと推測されている。
同日、戦場にて。
アルドフッドの娘であるヴィオの遺体を、敵国の制圧跡地にて発見。
全身の皮膚を剥がされ、頭部を金属製の凶器で何十回も殴打され、辺り一面に脳が散乱していた。
更に……彼女の下半身には、到底正気とは思えないような裂傷痕が残されていた。股から臍の部分にかけてを大型の鋏のようなもので切り裂き、そこに何かを無理矢理に挿入したような痕が残されていた。
尚、彼女の年齢は、死亡時点で2歳と1ヶ月であった……。
化物ごときに、幸せな結末など与えるものか。
お前たちは戦場を激化させるための道具に過ぎないのだ。
自我など持つ必要などない。化物として人を殺して、殺して、殺し続ければいい。
……いつか来たる厄災まで。




