Interlude ~since ancient times~
※Interludeは登場人物の心情をより深く理解するための番外編です。
こちらを読まなくても、本編が支障なくお楽しみいただけるような作りになっております。
「やー……久しぶりー……」
「……ども」
ダウナ・ローティエンションが俺たちの家に来訪したのは、ドッキリかと疑うくらい突然だった。
ある朝、突如としてチャイムが鳴ったかと思えば、何やら妙にラフな格好をしたダウナがやってきたのだ。俺とハルは疑問符を浮かべながらもとりあえず彼女を招き入れ、リビングでアツアツのお茶を差し出している。
正直なところ、禁術愛好家というよく分からない性癖を持った人物を家に上げるのはあまり好ましくないのだが、デースマースに連れ去られたアイを奪還させてくれた恩があるので邪険にもできない。
「ふふ……温かいお茶はいいね。わたしは体温があまり高くないから、こういう飲み物が沁みるんだよ……。家では白湯ばっかり飲んでるんだ……」
「まあ、見た目からして低体温なタイプですもんね。ところで何の用ですか?」
「せっかちだな少年……少しくらいお姉さんとお喋りをしてくれてもいいじゃないか。こう見えてもわたしは若い子と関わる機会が少ないんだ、最近若年層で流行っているアレとかソレとかを教えてくれてもいいんだよ……?」
若い層の流行りを知りたがるのは年配の証な気もするが、そもそも流行りに疎い俺たちに昨今の流行事情を聞いても無駄でしかないだろう。
「まああんまり先延ばしにしてもアレだし、本題を話すと……今日は君たちに素敵なプレゼントを持ってきたんだ。一足早い時期外れのサンタさんだよ……」
「素敵なプレゼント? 突然?」
なんだか極めて胡散臭いものを感じ、ダウナが「今あげるからねぇ……」と言いながら鞄を漁っている最中にハルの方へと向き、耳を貸せという仕草をする。
「……おいハル、一体どういう風の吹き回しだと思う?」
「何か裏がありそうね。貰ってしまったら最後、種馬の如く働かせられそうだわ」
種馬ではなく馬車馬なのだがハルも嫌な予感を覚えているようで、相撲取りのつっぱりにも似た拒絶の構えをしながら後退していく。一人で逃げないでほしい。
「はいこれ、優しいお姉さんからのプレゼントだよ……謹んで受け取るといい……」
ダウナが差し出してきたのは、ファンシーにデコられた年甲斐のない封筒だった。封筒が揺れる度に中からカサカサという乾燥したような音が聞こえており、恐らく数枚程度の紙か昆虫のどちらかがいると思われる。
若干ビビりながらも封筒を受け取り、若干ビビりながらも中を検めると、そこには薄っぺらいチケットが数枚収められていた。恐竜の骨格模型や地球、古代生物などの男の子のちょっとした好奇心を刺激するような絵が表面に描かれている。
「……国立大博物館?」
「うむ……その無料チケットというわけだ……」
古代的な絵が描かれた部分とは裏腹に、切り取り線を挟んだ逆側は簡素なデザインだった。恐らく入口で回収されると思われるそこには『高校生 2名』と書かれており、計1400円分の価値を保有しているようだ。
「え、ホントに素敵なプレゼントじゃないですか。おいハル、さすがにありがたいから拍手打ってくれ」
「よぉ~ッ」
何故か拍手ではなく一本締めを行ったハルを放置し、ダウナに向かって不祥事を起こした議員並みに深々と頭を下げる。
「そう頭を下げなくてもいい……わたしが急に行きたくなったものでな、付き合ってくれる人を探していたんだ……」
「……ん?」
何やら妙な言い回しをされて、俺は思わず頭を上げてダウナの顔を見つめてしまう。言葉を額面通りに受け取るならば、このチケット2枚でウフフなデートをしてこいというイキな計らいではなく、共に参ろうぞ的な誘いそのものになるだろう。
「え、ダウナさんと俺たち2人が博物館に行くんですか?」
「そうとも……もしよければ特別展も奢ってあげちゃうよ……」
それはどうなんだろう、みたいな表情を浮かべてチケットを見つめる。
チケットを貰えたのはありがたいが、誰が何と言おうとダウナは指名手配犯なのだ。諜報員に目撃されればドン引きされるだろうし、祖国に知られれば何やら想像もしたくないお仕置きが待っていそうな気もする。
「……こんなおばさんと一緒にお出かけするのは嫌か……そうか……そうだよな……」
そんな微妙な間を敏感に感じ取り、ダウナは目を伏せて机の隅っこを見つめ、自嘲するような笑いをへにょへにょの口から零し始めた。
「分かるよ……わたし、もう若くないもんな……肌ツヤも良くないし毎日どこかしら乾燥するし……立ち上がる度に膝とかパキパキ言うし椎間板ヘルニアになったし……筋肉痛とか忘れた頃に来るし……永遠に白髪しか排出しない毛穴が出現したし……もう足が出る服とか着れないし、乳も若干垂れてきたし……無神経な部下からは古代のロマンより未来の旦那に関心を向けたほうが建設的なんじゃないですかって言われたし……」
「行きましょう! ね! 直ちに!」
さすがに哀れになってしまい、ダウナの誘いに同調してしまう。空気が読めなさ過ぎていつもは生徒同士の喧嘩が勃発している最中でも呑気にお菓子を食べているハルでさえも、慈愛の目をしながら深く首肯していた。
「本当かい? お姉さん孝行のできるいい子だね、君たちは……」
すっかり機嫌を良くしたダウナが不器用に微笑み、画面がバキバキの携帯電話を取り出して博物館までの乗換案内を見せてくる。
「じゃあ早速行こうか……気分がいいから移動費も奢っちゃうよ……道中で小粋な甘味はいかが……?」
ダウナに急かされ、俺たちは外行きの準備をして――。
――瞬く間に、国立大博物館へと到着していた。
チケットを受付係に見せて奥へと進めば、そこは世界の歴史が詰まった世界。無人界の人々が古来から続けてきた営みと文化、人類が生まれる以前に起こった地球上での出来事、宇宙で活躍する近代科学技術、かつて地球上に存在していた太古の巨大生物たち。
教科書を流し読みするだけでは決して得られない歴史の数々が、ここに綴られていた。
「ほぁ~……」
骨と化したティラノサウルスの巨大な展示標本を見上げて、ハルがバカみたいな顔をしながらバカみたいな声を上げている。その近くにはアパトサウルスやヒパクロサウルスなど、化物と呼ばれた俺たちなんかよりもよっぽど化物染みた恐竜の骨格が並び、まるでハルを囲んでいるかのように見下ろしていた。
「こっちの世界にはでっっっかい生き物がいたのねぇ。クロ、ちょっと写真撮って!」
「はいはい」
骨格標本を前に邪気の無いピースをしているハルを撮ろうとするも、標本があまりに巨大すぎて足の部分しか画角に収まらない。さりとて全体を写そうとして後ずさると、今度はハルがあまりにも豆粒過ぎるサイズになってしまう。
折衷案としてムービーモードを起動し、ハルの全身から画を引いていって恐竜の全体を写そうとするも、
「ねえねえアレ見て少年、始祖鳥だよ……! 鳥でもあり爬虫類でもあるロマンの塊そのものだよ……! まずこれ名前がいいよね、カタカナで表記された恐竜たちが蔓延る中、こんなに子供心をくすぐる名前もそうそう無い……! まあ実際にはアーケオプテリクスという名前があるわけだけど、ロマンの前にはそんなの関係ないよね……!」
ダウナが隣から服をくいくいと引っ張りながら何やら熱弁しているので、ムービーの中に早口オタク的な解説が全部収録されてしまう。
ご機嫌極まりない彼女の頬には、いつもは死んだような血色だというのに仄かな朱が混じっている。子供みたいに足をバタつかせながら、思うが儘に腕を振って様々な骨格標本を指さしていた。
その姿はいつもの低血圧かつリビングデッドみたいな出で立ちからは信じられないほど、なんというか、幼げな印象だった。ともするとハルよりガキ臭く見えてしまうほど、今の彼女は天真爛漫そのものだ。
「わ、そのあんまり美味しくなさそうな復元図が描かれてる鳥が始祖鳥? へえ、知能が低そうで可愛いわね!」
「分かってくれるかい……? そうとも、高IQ団体とかに鼻で笑われそうなほどのマヌケ面がセクシーなんだ……! やっぱり鳥はアホ面なほど可愛いよね……!」
いつもは微妙な距離感の2人が仲良くしているのはなんだか微笑ましい。いつもこれくらい仲睦まじくあってほしいものだ。
「ね、クロもそう思うわよね!」
「そうだな、知能が低そうなものは大概可愛いな」
「何で人の顔を見ながら言う?」
メガホンみたいに丸めたパンフレットでケツをしばかれつつ、子供高校生と子供お姉さんの後をついて展示物を眺めていく。
巨大な骨格標本のエリアを抜けた先は、様々な動物たちのはく製が展示されていた。名前だけなら鼻水垂らした子供でさえ知っているほど有名な動物から、こんな生き物本当にいたの?と疑問を呈したくなるほどマイナーな動物まで、多種多様な生物が並んでいる。
「うわーッ、動物だらけ! こりゃもう動物園に来たようなものね、儲けモンだわ」
動くことすらないはく製を見て一体なにをどう儲けたのかはよく分からないが、実際に目撃したことなどないのにどこか見覚えのある動物たちを見て、ハルのテンションが更にギアを上げていく。
その後ろではダウナが追随し、サイのデカケツを見てきゃっきゃと喜んでいた。
「見てクロ、クーズー!」
「え、クズ? やんのか」
お元気いっぱいに喧嘩を売られたのかと思ったが、どうやらクーズーというシカに似た動物を見せたかったようだ。その雄大な角には思わずため息がこぼれてしまう。
クーズーの隣にはガゼルやらインパラやら、素人目からすると違いがよく分からないようなシカっぽい生き物が並んでいる。角を見れば何となく違うように思えるが、ここまで細分化する必要があるのか果たして不明だ。
「見たまえ少年、あちらにはバージェス動物群の再現模型が展示されているよ……! マーレラにオパビニアにアノマロカリスにレアンコイリア、こんなの見てたらいたいけな気分になっちゃうね……」
いささか女子ウケが悪そうな古生代物たちを指さしながら、ダウナは熱の籠った口調で必死に魅力を伝えてくる。まるで犬を見つけてテンションが上がった幼女のようだ。
「ダウナさんって、古代的なものが好きなんですか? さっきも骨格標本に興奮していましたし」
「まあ、そうだな……。昔から好きだったわけじゃなくて、なんだろう……色々と調べていくうちに、貴重だなぁ、積み重ねっていいなぁ、と思ってな……もしも仮に世界が数千年程度で崩壊してしまうなら、こんな生き物たちは存在するはずが無いとか……色々とな……」
「……なるほど?」
正直よく分からなかったので、それ相応のトーンで返事をしてしまう。どうして人は理解できなかった時に疑問形のなるほどを言い放ってしまうのだろうか。
「古代生物はいいぞ、少年……。もしお望みなら副音声でわたしの解説を滔々と聞かせてあげるけど心の準備は宜しいか……?」
「あっ、間に合ってます」
「そうか、ではまずディッキンソニアが生物として認められた日の話なのだが……」
「あれっ、このひと突発性難聴かな」
幼稚園での出来事を親に話す子供みたいに、ダウナはニコニコ顔でガスキエス氷期がどうとかカンブリア大爆発がどうたら話し始める。俺は笑顔でうんうんと頷き、時折「すごいじゃん」と褒めつつ相槌を打ってあげた。
「ねークロー、マニアックなお話をしているところ悪いんだけど、めちゃくちゃにお腹空いたわ。動物を見てたらなんかジビエな気分になってきたの」
パンフレットを片手にハルが近寄ってきて、俺の袖をつまんで引っ張ってくる。そして多種多様なメニューを提供するレストランについて書かれたページを見せつけて、こちらの食欲をそそらせようと画策してきた。
携帯で時刻を確認してみると、既に13時になろうかとしている頃合いだった。言及されて初めて、自分のお腹が悲鳴にも似た音を発していることに気づく。あまりにもダイナミックかつドラマティックな展示物の数々に、空腹加減をすっかり忘れていたようだ。
「確かに空腹だな。ダウナさん、熱烈的に語っていただいているところ悪いんですけど、そろそろお昼にしませんか?」
「ああ、もうそんな時間か……すまないが、わたしは少し野暮用があるんだ……。お金は渡しておくから、二人でちょっといいランチでも済ませてくるといい……」
「え、野暮用? なんですか、誰かと待ち合わせとか?」
「いい女には秘密が多いものさ……。ほら、早く行かないと空腹の限りを尽くしたハルモニア王女が君の指を食べようとしているよ……」
ハルに左手の人差し指を齧られつつ、「本当にいいの?」というような表情でダウナの顔を眺める。しかし彼女は子供に泣かれそうなくらい不器用に笑って、俺に一万円札を手渡してきた。
「ここのオススメは恐竜をモチーフにしたカレーさ、血糖値スパイクを起こすほどにたらふく食べてくるといいよ……では、しばし失礼するね……」
ひらりと俺たちに手を振って、ダウナは軽くもなく重くもない足取りでどこかに向かって歩いていく。特に呼び止める材料を持たない俺は、その背中を見送ることしかできなかった。
「……ま、本人がああ言ってるならいいか。おいハル、何食べたい?」
「カレーとハンバーグとローストビーフ!」
「お前、最近お腹周りプニってるのにいいのか? ちょっと体重聞かせてみろよ」
「いい女には秘密が多いものよ……」
「パクんなよ」
低血糖で頭が回らなくなってきたと思われるハルを連れて、地下レストランへ向かって歩いていく――。
「宇宙ってすごいわねぇ。なんか、コスモって感じ」
昼食後、地球館に展示されていた宇宙の仕組みを見ていたハルが、白湯よりも薄味な感想を述べていた。義務教育に1年も通えば小学生でもこれよりマシな感想を言えるだろう。
国立大博物館に展示されているのは太古のロマンだけではなく、未来に繋がる科学技術についてもみっしりと解説されている。宇宙の成り立ちや星々が生まれた経緯、現在研究されている宇宙科学や惑星探査機の実物など、これだけでも一日潰れてしまいそうなほど盛りだくさんだ。
……とはいえハルには小難しい科学なんてあまり響かないらしく、動物を見ている時よりテンションが少し落ち着いていた。
「でもあれねぇ、私たちって宇宙にイヤな思い出ばっかりあるから、こうして見ていてもゲッソリしちゃうわね」
「それは……そうだけど……」
確かに、時の停止した宇宙でハルと一騎打ちをしたり、アイを奪還するために銀河鉄道に突撃したりと、こちらの世界に来てから何かと宇宙に行ってばっかりだ。
「今度は楽しい宇宙旅にでも行ってみたいわね! ほら、デースマースの使っていた銀河鉄道でも使って、どこかの惑星の温泉宿で一献傾けたいわ」
「あー……飲酒を除けばハルにしては素敵なアイデアだが、多分、他の星に宿とかないと思うぞ。こっちの世界、地球以外の星に生命体がいないらしいし」
「え、そうなの? へええ、珍しい世界ね。道理で宇宙についての研究が遅れているわけだわ」
魔法界では各惑星に人類が存在し、各々が独自の生態系を作っている。魔法界のすぐ近くにもエリストス星という厳格な階級社会の星があったはずだ。
デースマースが使っていた銀河鉄道も、元々は惑星間同士を行き来するための遊覧鉄道。それが今やビンデージ物として扱われているのだから、魔法界の宇宙技術は無人界を大きく上回っていると言えよう。
「うーん、さっき思ったけど、宇宙開発が疎かな代わりにこちらの世界は生態系が豊かね。一つの星にあれだけの生物が存在するなんて不思議が過ぎるわ。生命の過積載よ」
「いや、それは魔法界が戦争のせいで生態系を破壊しまくってるのが原因な。この前もカルダモ国の部族掃討作戦のせいで熱帯雨林が焼き討ちされて、大量の生物が絶滅したじゃん。その前はサルパリサ共和国が毒ガス撒き散らして砂漠地帯を紫色に染めてたし、だいたい全部戦争国家のせいだぞ」
「あらやだ、物騒な国家が多いのねぇ」
「メース国もアニズ国を攻めた時にルリジス海の水温を下げまくって、大量の海洋生物を絶滅させただろうが」
「あらやだ、その作戦に参加した憶えがあるわねぇ……」
地球は食物連鎖の循環によって成り立っている。その基盤が揺るぎない限りは、想像を絶するほど数多くの生命を維持することができるのだ。
……しかし人類は食物連鎖という輪を超え、自然をどこまでも破壊し尽くせる最悪のウィルスと化してしまった。生物が滅びるか否かは、人類の指先一つで簡単に定められてしまう。
全ての生物の頭に銃を突きつけているも同然の状態だ。無人界と魔法界の繁栄は、その引き金を引いた回数によって異なっているだけに過ぎない。
魔法界だって手に持った銃を下ろせば、いくらでも生命を増やすことができるのだ。ただ、誰もが身を護るために銃を手放せないだけ。
「じゃあ……戦争を止めたら、魔法界はもっと豊かになるのかしら?」
「なるだろうな。少なくとも、自然分野の範疇は」
とはいえ、戦争が技術発展の要因となっていることもまた事実だ。戦争の為に考案された技術が転用されて、俺たちの日常生活に役立っている事例は幾つもある。
自然の維持を取るか、人類の発展を取るか。……その線引きが下手な人類は、やりすぎとしか思えない出来事を何度も引き起こしている。
「……ふと思ったんだけど、私たちってメース国とシロガラ国の戦争を止めたいわけじゃない?」
「そうだな」
「それじゃあ、こっちの世界で巻き起こった戦争と終戦理由を調べるのが一番有用なんじゃないかしら。魔法の有無は違えど、似たような経緯の戦争はたくさん見つかるでしょう」
「え、お前いきなり賢くなるのやめてくんない。ちょっぴり感心しちゃったじゃん。いつまでも一緒にバカやろうよ」
幼馴染の体がみるみるうちに成長して数十センチの身長差が生まれてしまったような、思春期にも似た出遅れ感を覚えながらハルに懇願する。
「帰ったら戦争映画でも見て勉強しようね」
「よかった、勉強方法がバカ丸出しで安心した」
久しぶりに同窓会で再会した友達の外見がすっかり変わっていたが中身はそのままだった時のような、郷愁にも似た安堵感を覚えながら首肯した。
その後は2人揃って、地球館に展示されている展示物を眺めていく。
昼食後特有の眠気が午睡に誘引し、どこか頭に靄がかかったような感覚。興味深い展示物が数多く並んでいるのに、解説文を読む気力すら起こらず、展示物の中でもひときわデカい蒸気機関車やクジラの模型なんかを徒然と見て回っていた。
昼食が終わったので合流しようとダウナに連絡を入れてみたが繋がらず、なんだか知らぬ間にデートみたいな状態になっている。とはいえ血糖値がバク上がりしたハルがアクビをするような色気もクソもないデートなのだが。
「ねえクロ、さっきいっぱいご飯食べたからトイレに……あの、顔を焼き潰されたかの如く化粧崩れたからトイレに行ってくる」
「おお、さっさと出してこい」
胃結腸反射を起こしたと思われるハルが謎の誤魔化しをしながら、女子トイレに向かって歩いていった。こういうことになるから休日でも朝食を食べろと言っているのだ。
一人ぼっちになってしまった俺は、パンフレットを開いて次にどこへ行くかを検討する。目ぼしいエリアは大体見て回ったので、残るは日本の歴史を展示したコーナーか。しかしこういう歴史モノをハルが好むとは思えず、恐らく展示物の前で立ったまま惰眠を貪り始めるだろう。
いっそのこと、小学生未満を対象としたキッズコーナーにでも連れてってみるかな……と年齢を見損なったようなことを考えていると。
「……ん?」
視界の端に見知った女性を発見する。
目を細めてよく見てみれば、ダウナが展示コーナーの合間を神妙な顔で歩いていた。電話が全然繋がらなかったから何かあったのかと思っていたが、意外としっかり展示物を見て回っているようだ。
ダウナに声をかけるために、彼女の背中に近づいていく。
「……」
彼女は展示物を見ているが、どうにも、展示された代物や解説文に関心を向けているようには見えなかった。まるで懐かしい風景を眺めていくように、彼女の視線は博物館内を滑っていく。
なんだか……少しだけ、声がかけづらい雰囲気だった。
先ほどまであんなに年甲斐もなくはしゃいでいたというのに、いよいよ疲れてしまったのだろうか。それともお腹が減ってしまったのだろうか。ロクな理由を推測できないまま、俺は彼女の元へ辿り着く。
……彼女が眺めているのは、空中に浮かぶ地球のホログラムだった。
ブルーマーブルのような青々しい地球を見上げて、彼女はなんとも形容しがたい不思議な表情を浮かべている。その顔は誰がどう見たって、楽しんでいるようには見えない。
「……やあ、少年。栄養は補給できたかい……?」
視線を一度たりとも向けていないのに、彼女は背後に立つ俺へ声をかけてくる。判別できたのか足音か雰囲気か、それとも魔法を使ったのか。
「ええ、まあ……補給し過ぎたハルがちょっとブレークしてますけど」
彼女の隣に並び立ち、同じように地球の映像を見上げる。
「それは良かった……。若者は休息と栄養が大事だからね……うん……」
会話をする元気すらないかのように、言葉は段々と小さくなり――ダウナの言葉が途切れた。
その頬には古代のロマンに浮かされた熱は灯っておらず、いつもの青白くて不健康そうな色合いが――いや、それ以上に蒼白だった。もしかしたら投影されたホログラムの光を浴びてそう見えただけかもしれないが、今の俺にはなんだか、彼女がとてもちっぽけな存在に見えていた。
なんだかとても心配になって、その横顔を眺めて――不意に、彼女の左手にいつもは付けていない腕時計が嵌められていることに気づいた。
時計の針は20時17分を示しており、秒針はもはや動いていない。その破損具合からして、きっとどれだけネジを巻いてももう動き出すことは無いだろう。
「……ああ、これか」
視線の行く末に気づいたのか、ダウナが左手を持ち上げて視線の高さに合わせる。古びた時計を眺めて、彼女は懐かしそうな、それでいて泣きそうな笑顔を見せた。
「随分昔な、ここに来たことがあったんだ……。その時に買ったものだよ……」
「……だから展示物に詳しかったんですね」
「そうだな……憶えているものだな……」
それは風が吹けば掻き消されてしまうような声量だった。
「……わたしがここに来たのは19歳の頃だ。まだまだ君たちのように若かりし時代のことだよ……」
「そうなると……」
何年前なのかを推測するのは大変失礼に当たる気がしたので、心の中だけで指折り計算する。今のダウナが恐らく30歳ちょいくらいなので、おおよそ10年と少しくらいだろう。
10年前のダウナは、どんな人間だったのだろう。今の彼女からは、博物館に行って腕時計を買うなんて茶目っ気はあまり感じられない。しかし10代の頃はまだ幼心があったはずだ。
「あの頃のわたしは……まだ、幸せだったんだ。……幸せだったんだよ……」
「………………なんだか、今は幸せじゃないみたいな言い方ですね」
「ふふ……」
むしろ恐ろしく聞こえてしまうほど、ダウナは柔らかく笑った。そして濁った目で俺を見上げて、不器用すぎて笑顔なのか泣き顔なのか分からない顔で問う。
「……君から見て、幸せそうに見えるかい? ねえ、少年……」
「………………」
少しの思案を経て、開いた口が静かに閉じていく。ホログラムの蒼白を浴びた彼女に、如何なる言葉も伝えるすべを持たなかった。
そんな俺を見て彼女は、予想していたのと同じリアクションだと言いたげに苦笑した。
心の奥底まで見透かされた俺は、いつまでもトイレに籠っているハルに、さっさと戻ってこいという邪念を飛ばすことしかできない。
「丁度ね、今ごろの時間だったんだよ……19歳の時に、この地球を見たのも……」
壮大な地球儀を見上げて、彼女は夢を語るように呟く。
「あの時、わたしたちは……この地球を守れるんだって、根拠なく笑っていたんだ……」
彼女が何を語りたいのか、今の俺には全く分からない。できるのは、ただ黙って話を聞くことだけ。
話を聞くだけなら、きっと俺でなくとも事足りるはずだ。ハルでもアイでも、なんならデースマースでも担えるだろう。
……しかし、何か理由があって俺を選んでくれたのだと信じたい。
その為に、きっと、俺たちをこの博物館へ誘ったのだろうから。
「……あの頃は、楽しかったなあ……。毎日ずっと、楽しくて……幸せで……」
頼りなく言葉が揺れ、少しだけ裏返る。
一度だけ俯いて、言葉を切って。
……再び地球儀を見上げた時、ダウナの瞳からは涙がこぼれていた。
成人女性に目の前で泣かれた経験などない俺は、ただ狼狽えながら横顔を見つめることしかできない。気の利いた言葉も、雰囲気を変えるようなエスプリジョークも、全てが頭の中から吹き飛んで消えてしまう。
気まずさそのものと言ってもいい沈黙に、小さくしゃくる声が響いていた。
「……なあ、少年。チケットをあげた見返りを貰いたい……」
「え……今?」
突然プレゼントをあげておいて見返りを要求するのはあまり褒められた行為ではないが、そんなことを言及している場合でもない。
一体何を要求されるのだろうか、と心をざわつかせながら待っていると――。
「……………………………………………………頭を、撫でてくれないか」
とてもささやかな願いが、それ以上にささやかな声量で零れ落ちた。
「………………ええ、その、いいですけど……」
それは絵面的にどうなのだろうかと懸念しつつも、無碍にすることなどできるはずもなく。
俺は右手を上げて、栄養状態が悪そうなダウナの髪を優しく撫でてみた。
「……申し訳ない。こんな年上の頭を撫でるなんて嫌だろう……?」
「いや、まあ、変な感じはしますけど嫌ではないですね……」
頭を撫でられた経験がほとんどない俺が、果たして他人を撫でるのはどうなのか。……そんなことを思いながら、流れに沿うようにして撫でていた。
その最中、なんだか不思議な感覚が胸中に芽生える。
とても悲しくて、懐かしい感じがした。
「……ふふ、男子高校生に頭を撫でられて微笑ましくなるなんて……いい大人として失格だな……。こんなの補導ものだよ……」
年齢的に補導ではないのだが、ダウナは嬉しそうに表情を綻ばせる。それでも眦から零れる涙は止まらずに、彼女の襟を静かに濡らした。
「………………ねえ、少年。幸せになってね」
突然、そんなことを言ったかと思えば――。
ダウナは急に姿勢を正し、頭を上げて俺の手を振りほどいた。そして人差し指一本で涙を拭い去り、いつもの平熱ヅラで俺の顔を見上げる。
それと同時に、遠くのトイレからハルが出てきた。彼女はすぐに俺たちに気づくと、青春ドラマみたいに大きく手を振って駆け寄ってくる。トイレの後にテンションが上がるなんて猫のようだ。
「あら、ダウナさんと合流できたのね。どこかぶらついてたの?」
「連絡が取れなくてすまなかったね……。1階の映像施設で生命の歴史を見ていたのさ……氷河期によって多くの生命が失われたシーンは涙無くしては見れない大スペクタクルだったよ……」
たった数秒で――彼女はいつものダウナ・ローティエンションに戻っていた。
頬には涙の跡すら残っておらず、誰がどう見たって掴みどころのない不思議な女性だ。
……しかし、なんだか……意外な一面を知ったせいか、今までとは違った印象だった。
『……あの頃は、楽しかったなあ……。毎日ずっと、楽しくて……幸せで……』
単にテンションが低いだけではなく、彼女には何かの過去があって――今でもその楔に苦しんでいる。もう取り戻せない過日を想って、それでも不可逆的な日々を生きているのだろう。
……そんな彼女に、俺は何も言うことができなくて。
「ほら、少年……何をマヌケな顔をしている、次の展示物に行くぞ……。国立大科学館を舐めるなよ、1日で回り切れない分量なんだからな……」
「そうよ、ウカウカしてたらあっという間に閉館よ! 閉館までに見終わらなかったら地球館にキャンプ張って泊まり込むわ!」
「やめろ」
いつもの調子でハルの肩を叩くも、心の中には仄かな靄が漂っていた――。




