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24章 愛する2人のランデヴー

「……まさか、宇宙にこんな場所があったなんてな」


 どこか胡乱、そして夢見心地な声で、鳳輔はそう呟いた。

 ようやく再会できた二人はしっかりと手を繋ぎ、二度と離れることが無いように互いを確かめ合いながら、迎えが来るまで宇宙に漂っていた。


 鳳輔が発見された場所は、かつてデースマースが作り出した幻想的な装飾宇宙の中だった。闇の中に咲き誇るダリアのように眩く、ビビットな色彩が豊かに舞い、絢爛豪華な夢物語がこれ見よがしに浮かび上がっている。


「……これ、デースマースが作り出した幻覚だけどね」


 それでも世界は鮮やかだ。透き通った水はアクアマリンの如く、そして超新星爆発は闇を彩る花火のよう。何もかもが偽物だと分かっていても、やはり心に沁みる何かがある。


「こんな景観が作れるなら、アイツ、悪事じゃなくてこういう方向に自分を高めていけばよかったのにな」


 鳳輔の落としたその言葉はどこか陶然気味、胡乱な心で爛々な幻想に囚われたかのよう。隣に座るアイも同じ心境だ、この素晴らしき光景に目を奪われないはずがない。


「あれっ、そのデースマース本人は? 一緒じゃないの?」

「アイツなら、この場所に辿り着くなり高笑いして、どっかに消えちまったよ。逃げた……ってわけでもなさそうだった」

「……そう」


 なんとなく鳳輔にはその結末が分かっていた。

 捕まっても殺される、逃げ出そうとしても途中で死ぬ。

 ならばせめて、この煌びやかな虚像を己の死に場所としたい。……そんな最後の願いが込められていたように思える。


 この場所に辿り着いた時の高笑いは、今までのアイツらしからぬ、純粋で純朴な笑いだったのだから。


「………………」


 その時、二人のすぐ近くを彗星が通過した。その体からは細かな塵が放出され、膨張して隕石となり、軌道運動を行い始める。隕石の帯がまるで滑走路のように長く伸び、枇杷茶と同じ色をした岩同士がぶつかり合い、時に弾け、欠片となって惑星に落ちていった。


 隕石の傷口から溢れるのは白藍に染まった水。それは川となり、星と呼ぶには烏滸がましいほど小さな流れ星の道筋となる。川の表面が白く輝いた。それはまるで白妙のように純白で、その中には紅玉や翠玉、黄金色に透き通る蒼玉などが浮かび、清澄な閃耀を瞬かせていた。


 七色の宝石たちが若き星となる。内側から爆発しそうなエネルギーを抑え込みながら、人には決して描けず、イデア界にしか存在し得ない完全なる円に成る。コスタリカの石球よりも真ん丸に、見ているだけで気が動転しそうなほど美しい形に生まれ変わった。やがてそれは惑星へ育つだろう、蒼き宝石は地球のように、紅い宝石は赤色矮星のように。いずれ命の箱舟となって、胎動を始めるはずだ。


「……ねえ、鳳輔」


 目を開いているのか夢を見ているのか、判断ができなくなるほど灼然としたファンタジーを眺めながら、アイが小さな声で想い人の名を呼んだ。


「『私』、もうお兄ちゃんのことで悩むの、やめようと思うの」


 彼女は小学生の頃に捨てた一人称を使い、鳳輔はその意味合いに気づく。


 長い時間をかけて作り上げてきた対人用の外面ではなく、今の彼女は、全ての虚勢を脱ぎ捨てた『あの頃』の彼女として話をしているのだ。

 元気で明るいアイではなく、人と関わるのが苦手で不器用な朝霞愛美として、心に過ぎ行く想いを口にする。


「今まで、ずっと、ずーっと、お兄ちゃんのことが心に引っかかってた。楽しいことをしている時でも、ふとお兄ちゃんのことを思い出して、なんだか心がズンって重くなったりね。……今までずっと、その繰り返しだった」


 真剣な表情で彼女の横顔を見ながら、鳳輔は静かに頷く。口を挟むこともせず、彼女の紡ぐ想いの開示を聞き続けていた。


「最初は大好きなお兄ちゃんのことを忘れないようにしているんだなって、良いことみたいに思ってた。でもね、段々それが枷みたいになっていったの。お兄ちゃんのことで悩まなくなったら、それは大好きだった頃の感情を忘れてしまうことなんだ……って、無理にお兄ちゃんのことを考え続けてた」


 それは自分のPTSDを開き続けるような自傷だ。辛くて辛くて、でもそれを止めてしまうことは悪いことなんだと思って、無理にでも辛い思いをし続ける。

 人は辛いことを忘れるようにできているのに、それに抗うかのよう。

 どうして人には辛いことを忘れる機能が付いているのか、それは心が壊れてしまわないための重要なストッパーだというのに、彼女はそれを外していた。


 辛かった、苦しかった。

 休みの日には一日中ベッドの上から動けなかったり、誰かと笑って話している時でもふと思い出して苦しくなったり、そんな毎日が続いていた。


 むしろ、委員長の計画を知って、阻止に夢中だった頃は幸せだったと言えるだろう。ひと時でもその自傷行為を忘れることができたのだから。

 しかしそれが終われば、再び世界は苦しさを取り戻す。

 魔法で空を飛んで苦痛から逃げようとしていた、デートを楽しみながらも付きまとう不安の影に怯えていた、それでも自責は止まらなくて自分の価値を下げていた。


「……でもね、悩まないことが供養なのかもしれないって思ったの」


 目の前を過ぎ行く小さな惑星を見送った。星の砂に比べればなんと無骨な見て呉れだろうか。

 宇宙に浮かぶ星を星型多角形と表現した人は、きっと優しい目線を持っていたのだろう。


「いつまでも悩んでたら、故人だって浮かばれないもんね。ずっと妹を苦しめるなんて、お兄ちゃんが望むはずもない」

「……ああ、そうだな。正善兄さんはそんな人だったよ」

「うん。だから、もうお兄ちゃんのことで悩まない。……でもね、忘れたりなんかしないよ。これからは辛い思い出なんかじゃなくて、楽しかった思い出としてお兄ちゃんのことを思い出すの」


 家族という言葉を聞いて、今までのアイは辛い思い出ばかりをフラッシュバックさせていた。

 家族の不仲、離婚、兄の死、そこに起因する虐めと、鳳輔の自責。


 でも、そんなものばかり思い出していたら、楽しかった思い出が報われない。

 辛い日々の中にも、確かに楽しい日常があった。お兄ちゃんと一緒に過ごした時間は、忘れがたいほど大切で楽しい日常だったのだから。


「そうしたら……私はようやく、あの日から前に進めると思うの」


 握る手に力が籠る。鳳輔も優しくその手を握り返した。


 兄を失った時から、きっと彼女の時間は止まり続けていたのだろう。

 でも、もう気づいたのだ。世界の時は進み続けている。いつまでも自分の時間を止めているのは、世界との乖離を大きくするだけ。


 今こそ自分を変えて、自分の世界を変えるのだ。そのやり方を彼女はもう知っている。

 恐れることはない。自分が思うよりも少しだけ、世界は優しいのだから。


「ねえ、鳳輔は前に進めるの?」

「………………」


 数十秒、鳳輔は口を閉ざして言葉を隠し続けた。


 幻想銀河の中を行く二人の前に、やがて河原が見えてきた。浮かぶ礫は透き通り、水晶や黄玉や、くしゃくしゃの皺曲を表したものや、稜から霧のような青白い光を出す鋼玉なんかもある。今すぐその渚に行って水に手を浸したくなる衝動に襲われたが、水素よりももっと透き通る川だ、自分たちが触れてはいけないような感覚に襲われる。


「……さっき、デースマースを殴った時」


 一度開いた唇を閉じ、その表面を湿らせてから再び開く。彼の喉から放たれた言葉はどこか頼りなく、怒られている子供のように不確かなものだった。


「坂浦を殴った時と同じで……すごく、嫌な感じがしたんだ」


 その感覚をアイは知っている。ハルに魔法を当ててしまったあの時に、吐き気と眩暈を携えながら絶望感が訪れた。

 どうか時間を戻してくださいと神にさえ祈ってしまうほどの、二度と味わいたくない銷魂だ。


「でも……あのまま何もしなかったら、アイが殺されていただろう。……俺は、そのほうがよっぽど……嫌だ」


 握り締めた手に熱が籠る。泣き出す寸前の子供みたいに震えて、それでも繋いだ手は離れない。


「だから、もしまたアイが殺されそうになったら、俺は迷わず暴力を振るうと思う。……でもな、なんだか、それが悪いことだと思えないんだ。いや、違う、ええと、言いたいのはそうじゃなくて……」


 言葉に困り、鳳輔が片手で眉間を押さえる。伝えるべき感情は分かっているが、それを言語化するのがどうにも難しいといった様子だ。

 そんな彼を急かすこともなく、アイは優しい表情で見つめていた。


「……ああもう、つまりだな! 俺はお前がピンチになったら怒るヤツだ、そして怒ると暴力に訴えちまうタイプだ。それがお前を守る時だけなのか、怒ったらいつも暴力に走ってしまうヤツなのかは今のところ分からん」


 しかし分からないからといって、停滞し続けるのは果たして良いことなのか。

 自分を責めずに前へ進めと誰かに言われたはずなのに、臆していていいはずがない。


「だから、もし俺が不当な暴力をしそうになったら、魔法でもなんでも使って止めてくれ」

「……」

「お前が俺を止めてくれるなら、俺も……少しだけ、前に進んでみるからさ」

「……ん」


 なんだか涙を堪えるかのように神妙な返事になってしまったので、アイは一度大きく息を吸い込んで、『アイ』としての溌溂さを呼び起こす。


「まーったく、任せておきなさいな。あたしは魔法使いだからね、刃飛ばせちゃうからね。鳳輔が変な方に道を踏み外しそうになったら、魔法でバシュンとおしおきしちゃるから! 尻を4つに割ってやるからね!」


 そして息を吐き出し、再び『私』としての色を瞳に宿す。


「だから、心配しなくてもいいんだよ。私が見ててあげるからね」

「……おう」


 今度は鳳輔が、涙を堪えるかのように神妙な返事をしてしまう。


 そして、再び静寂が訪れた。

 宇宙の世界を天の川が包み込んでいく。果て無き川の上流からは新たなる星々が爆発を伴いながら生まれ、手を取り合い、空高くへと飛翔していった。彼らは新たな星座となり、夜空から人々を見守っていくだろう。アイたちの周りを漂っていた星の砂も、帰るべき場所を見つけたかのように天の川へ沈んでいく。

 そして新たなる星に姿を変えて、空へ消えていった。


 そんな光景を見つめながら、アイは薄紅梅色の唇を揺らし、言葉を紡ごうとするも――それは音にさえ至れない。胸中に浮かんだどんな想いも変換されず、口からは吐息が僅かばかり漏れるだけ。まるでそれは往生際のように弱々しい息で、隣にいる鳳輔でさえその音を聞き取れない。


 伝えたいと思っていた言葉があった。

 しかしいざ言おうとすると、手が震えて、心臓が跳ねて、言葉が震えそうになる。告白なんかよりもよっぽど凄いことに誘っていた過去もあるが、自傷行為にも等しいあの行いなんかより、今の方がよっぽど難しい。


 自惚れすぎかもしれないけど、断られるはずが無いって思っていた。

 鳳輔だって、きっと、自分のことを好きでいてくれているはず。だからこそずっと傍にいてくれたし、身を挺して助けてくれたし、デートにも一緒に行ってくれた。傍から見ても好き合っているように見えると何度だって言われてきたし、自分でもそう見えるんじゃないかって思ってきた。


 でも、99%そうだと思っていたとしても、1%に怯えてしまう。

 いや……例えそれが100%だとしても、きっと同じように臆していただろう。こんなにも恥ずかしくて、照れくさくて、気恥ずかしいことをマトモに言えるはずもない。


 何度も言おうとして、その度にあと10秒だけ心を落ち着かせようなんて時間稼ぎをして。逃げるように空へ視線を移しては、それじゃダメだと言い聞かせて前を向いて。バカみたいに跳ねている心臓の音が、どうか鳳輔に聞こえていませんようにと願って――。


「……あのさ、俺は前に進むと決めたわけなんだけどさ……」


 ごくんと喉を鳴らして、緊張で乾いていた咽頭を潤して――仕掛けたのは鳳輔だった。


「ほら、俺さ、今まで言ってたじゃんか。……あの、暴力振るっちまうかもしれないから恋愛とかする資格無いって」

「……うん。……そうだね」

「でも、まあ、アレだろ。アイが見守ってくれるんだろ? ……じゃあ、もう恋愛禁止とか自分に課さなくてもいいかなーって思うわけだよ。そこんとこ、どう思う?」

「えっ……あ、うん。いいと思う」

「だよな。……で、アイはどうなん。別に恋愛しないって縛ってたわけじゃないけど、正善兄さんのこととか色々、ちょっと肩の荷が下りた感じだろ? 恋愛とかそういうのってどう考えてるの」

「ん…………まあ、あれだよね。あたしもいい年した女子高生だから、恋愛沙汰とかもやぶさかではないと言うか」


 気づけば自分の中身が『アイ』に戻っていた。

 もう一度『私』に戻そうかとも思ったけど、このままでいいと思った。『アイ』は鳳輔に好きになってもらうための自分なのだから、今ここで隠しても仕方がない。


「あー……そうなん。アイが恋愛ねえ、へえ……」


 もう何度目になるか分からない、しばしの静寂。

 しかし気まずさを含んだ清閑ではなく、むしろ心地がいいくらいの静けさだった。

 言うべき言葉が見つからないわけではなく、言うべき言葉を発する勇気を探しているような、前触れのような一瞬だ。


「あー……恋愛する相手ってーと、クロとかどうなんだ? 地味で無味な印象を持たれがちだが、家庭的だし面倒見がいいヤツだぞ」

「ダメだよ。クロくんにはハルちゃんがいるもん」

「委員長とかは? あらん限りの博愛精神で骨の髄まで愛してくれると思うぞ」

「学校に纏わるものなら何でも愛しちゃう人だからなぁ」

「じゃあクラスメートの男子共は? バカではあるが良い奴らでもあるぞ」

「生憎と、日常会話はするけど深い仲の相手はいないんだよねえ」

「そうか……」


 アイの口調は検討する様子もなく、誰の名前を出してもあらゆる理由で却下するようなものだった。

 それは恋をすると言いながら、まるで、恋をする気がないかのよう。

 でも本当は2人とも分かってる。……知り合いの羅列はただの無意味で、鳳輔が本当に言いたいことを口にするまでの時間稼ぎでしかない。


 一拍の呼吸を置いて、鳳輔が視線をあらぬ方向へと逸らした。


「……………………じゃあ、バカで変態な幼馴染なら?」


 少しだけ震えた声が、どうかアイに伝わらないようにと願う。


「……ん」


 そう問われたアイは目を伏せて、ただ一文字の言葉を言い落とした。


 続く言葉はない。……でも、十分なのだ。

 長い時を共にした幼馴染なら、たった一文字だけでも十分だ。


「じゃあ、俺にしとけ」


 澱むことなく、痞えることなく。

 握り合う手に力を込めて、言葉を紡ぐ。


「俺は、バカで変態で幼馴染で……そのうえ、お前のことが世界で一番好きなんだぞ」

「……………………ん」


 アイも、か弱い力で手を握り返す。

 その手の平から伝わる熱は、きっと、いつか大人になった未来でも忘れられないだろう。


「それとも、お望みなら変態の部分は改善してみようか。バカは無理だけどそっちなら直せるかもしれないぞ」

「いいよ、別に」


 ようやく、アイが鳳輔へと向き直る。


 耳朶まで真っ赤で、目元は僅かに潤み、今にも泣きだしそうな顔をしていたけれども。

 今まで見たどんな表情よりも、幸せそうに見えた。


「いつまでも、あたしが好きになった鳳輔でいてよ」

「……ああ、任せろ。それなら死ぬまで変態だ」


 2人の姿を、温かな蜜柑色の光が照らし出した。

 遥か遠くからやってくる銀河鉄道の前照灯が、煌々と恋人たちの姿を捉えている。

 アイは大きく手を振って、自分たちがここにいることを銀河鉄道へと示した。


「帰ろう、鳳輔」

「ああ」


 アイに倣い、鳳輔も手を振った。

 銀河鉄道の屋根上から、クロが手を振り返している。


 そんな様子を見て、2人は楽しそうに笑った。




 大好きな人と恋人同士になって、世界の色が少しだけ変わった気がした。

 明度が上がったと言うべきか、色鮮やかになったと言うべきか。


 ……今までよりも、もう少しだけ、世界が優しく見えたのだ。




 魔法なんか無くたって、世界は変えられる。

 だってほら、今日から始まるのは、今までとは違う新しい世界。

 恋の世界が愛の世界に変わって、全てが晴れ晴れしく輝いた。




 帰ろう、私たちの世界へ。



 そして、これから始めよう。

 私たちの新たなる世界を――。

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