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22章 誇り高き善行の主

 白と基調とした病室の中には、ベッドに横たわるハルと、窓から遥か遠くの宇宙を見上げる委員長の姿があった。


 ベッドサイドテーブルの上には魔力探知機が無造作に置かれ、一息つくクロたちの声が聞こえていている。こちらからは音声経由でしか状況を窺えないが、手痛い損傷はあったものの辛くも勝利を収めたようだ。

 中々戦闘に介入することもできず、クロがやられてアイが傷ついていく様を黙って聞き続けることしかできなかったハルは、全身に汗をかいて疲労の色を見せている。戦闘をするのも疲れるが、それを聞くことしかできない状況も相応に困憊するものだ。


「……まさか、委員長が助けに来てくれるなんてね」


 このまま寝入ってしまいたいほど消耗しているハルが、身体に鞭打って上体を起こしながらそう言った。言葉を投げかけられた委員長は少しだけハルを見やり、再び空に視線を向ける。

 クロたちのいる宇宙どころか、空の向こうすら見ることなんてできないというのに、まるで彼女には宇宙の全てが見渡せているかのようだった。


「贖罪というものさ、君たちには随分と面倒をかけてしまったからね。……それに僕の力など微々たるものさ、ハルくんの力添えがあったからこそだよ」


 無論、時間停止魔法を行使したのは委員長だ。しかし魔法を宇宙の彼方に届けるなど、今まで誰一人として実現させたことは無かっただろう。実現されている長距離魔法でも、せいぜい数キロ単位で爆発魔法を届けることくらいだ。

 それを実現させたのが、化物たる力を持つハルだった。己の魔力で禁術を包み込み、探知機に表示された座標を頼りに魔法を空の彼方へと撃ち放つ。宇宙までの距離を考えれば、1ミリの誤差程度でも見当外れの方向へと飛んで行ってしまっただろう。


 ……1ヵ月前の事件で魔力が衰えているとはいえ、傑物に相応しい魔力操作技術は脅威の一言だ。その末恐ろしさに委員長は表情を曇らせざるを得ない。

 これだけの逸材を魔法界が手放すはずがない。どれだけ逃げたとしても、ハルは戦火の中へと引き摺り戻されてしまうだろう。

 彼女が類稀なる力を持つ限り、戦場からの呼び声は止まない。

 いっそのこと魔法を捨てて、普通の人間になることができたなら――その方が幸せなのではないか。


「……」


 ふ、と委員長は自嘲するように笑う。生きる理由を見失った落伍者の老婆心など、未来に進むと誓った若者の妨げでしかない。

 これから先、どんなことがあったって……若者たちは自分で決めた未来を生きていくのだ。

 だからこそ、彼らは永遠の時間を拒んで、未来へ進むと決意したのではないか――。


「さて、そろそろ僕は帰路に就こうかな。今は免許合宿中でね、抜け出してきたんだ」

「あ……」


 去り行く委員長の背中に、ハルが声をかけようとする。

 どうして私が入院していると知ってるの、とか。どうしてこのタイミングで病室に来たの、とか。委員長に聞きたいことは山ほどあった。


 しかし委員長が次に放った一言を聞いて、全ての疑問が氷解する。


「じゃあ、ダウナによろしくね」


 全ての事情を伝えたのは、謎に包まれたダウナだったのだ。


「い、委員長はダウナさんと知り合いなの……!?」


 病室の扉を開けて、最後に少しだけかつてのような笑顔を見せて――。


「ダウナはフェンネル国と深い繋がりがあるからね」


 そう言って、彼女は去っていった。


「……」


 ダウナ・ローティエンション。身元不明の自称禁術愛好家。

 フェンネル国が研究していた門外不出の技術、『魔力聚合術』。まさかダウナはそれを目当てにフェンネル国に接近した……?

 だとしたら、フェンネル国の末裔が魔力聚合術によって膨大な魔力を蓄え、魔法界に復讐を果たそうとしていたことも知っていた可能性が高い。しかしダウナはそれを阻止せず、日に日に魔力が蓄えられていくのを見過ごしていたことになる。


 腹の底では、魔法界が滅茶苦茶になることを歓待しているのだろうか? いやしかし、魔法界へ攻め入ろうとしたデースマースを止めるために手を貸してくれた。

 ダウナは敵か味方か、善か悪か。……考えれば考えるほど、分からない……。


「……ま、私のアタマじゃ深いこと考えても意味ないわね」


 さっさと考察を諦めて、ハルは勢いよくベッドに横たわる。頭の後ろで両手を組んで、天井の遥か先にいるクロたちのことを想った。


「お土産に月の石でもねだろうかしら」


 魔力探知機から聞こえてくる音を耳に入れながら、ハルは静かに瞳を閉じる。

 眠りに就こうとしているわけじゃない。こうして視覚情報を遮断すれば、まるで自分も宇宙にいるように感じられるのだ。


 遠く離れていても、クロたちと一緒にいる。……まるで、そんな気分だった。






 殺される。

 ……『その男』は、全身に走る激痛を堪えながら怯えていた。


「おー、派手にやったね……」


 宿敵との死闘が終わり、クロたちがその場に倒れ込んで一息ついていると、衣服を血に塗れさせたダウナがハンカチで手を拭きながら現れた。そして銀河鉄道の天井に空いた大穴と、その近くで泡を吹きながら倒れているデースマースを見て、呑気な口調でそんなことを言う。


「ダウナさん、そっちは終わったんですか?」


 魔法の杖を地面に打ち立て、杖としての本来の使い方を行使しながら立ち上がり、クロがそう問いかける。

 今まで彼女が戦闘していた2号車からは、何の物音も聞こえてこない。何十人もいた見習い魔法使い達はダウナによって蹂躙され、哀れに思えるほどのダメージを受けて転がっている。恐らく魔法自体にトラウマを抱えて、魔法で世界を滅ぼすなんて無価値な野望を抱くことは二度と無いはずだ。


「恙なく終わったよ……。殺しちゃいないから安心してね……」

「あ、よかった。ダウナさん、割と躊躇なく人を殺しそうだから」

「朝霞愛美くんみたいに無理矢理魔法使いにされた人も混じってるからね……罰するのはデースマースだけで十分だろう……」


 ダウナの口から己の名前が出てきて、気絶したふりをしている『その男』の心臓が跳ねた。薄目で周囲の状況を確認したいところだが、そんな僅かな仕草でさえ憚られるほど、今の彼は何かに怯えている。


「……この後、デースマースをどうするんですか?」

「とりあえず情報を吐かせないと。他にも魔法使いにされた人がいるかもしれないからね……。それが終わったらどうしようかな……危険分子だから野に放つのもちょっとね……」


 殺される。再びデースマースは慄いた。

 ありとあらゆる拷問によって全ての情報を吐かされて、最終的にはゴミのように潰されて殺されてしまう。ダウナ・ローティエンションならやりかねない、贄を以て世界のルールに歯向かおうとする狂人だ。

 このまま拘束されてしまえば、責め苦の果てに殺される。

 さりとて宇宙空間に逃走したとしても、今の自分には地球や月へ行けるほどの魔力は残っておらず、道中で果ててしまうだろう。


 精神的に未熟で甘さが捨てきれないシロガラ国の王子や、単なる一般人である朝霞愛美や鶴ヶ島鳳輔に媚を売り、みっともなく許しを請うか?

 ……ああ、それが一番、生存確率の高い選択肢だろう。

 しかし敗北を喫そうとも、我は誇り高き善行の主。自らの意思で痴態を晒すくらいなら、死を望んだ方が遥かにマシだ。

 生き方も死に方も、選ぶのはこの我だ。他の誰にも決めさせやしない。


「さて、わたしは銀河鉄道の航路を変えることにするよ……このままだと月に到着しちゃうから、行き先を地球に切り替えないとね……」

「ダウナさん、切り替えられるんですか?」

「操作方法さえ知っていれば簡単だよ……オートパイロットが機体姿勢制御や高度速度制御、着陸地点への誘導を自動でやってくれるからね……古い機種だからフラップとランディングギアとスラストリバーサーは手動になるけど……」

「…………へえっ、すごいですね!」

「理解を諦めるなよ、少年……」


 我が望むのは、我が我たる死。

 苦境に苛まれて無念の死を遂げるのではなく、鮮やかで艶やかで、誰よりも派手な死でなければならない。


 そうだ、彼の地だ。あの場所で死ぬのが我の最後に相応しい。

 逃げるのだ。死ぬために遁走を図るのだ。


「君たちは車内に戻って、ゆるりと寛げばいいよ……。地球に戻るまで時間がかかる、満身創痍なのだから一眠りでもするがいい……」


 しかし『魔力の行使を禁止させる魔法』の効力は既に切れている。宇宙空間へと逃げた瞬間、未だ魔力が顕在であるダウナによって殺される可能性が高い。


 生き残るには……いや、死に残るには……。


「ええ、そうします。……鳳輔、アイは大丈夫そうか?」

「クロよりはまだ大丈夫そうだぜ。というか人のこと心配してる場合じゃないだろ、全身傷だらけなんだぞ!? 早く車内に降りて横になったほうがいい」


 一番の重症であるクロに肩を貸すため、鳳輔が彼に駆け寄っていく。


 ダウナは進路を変更しようと機関室へ向かい、クロは杖を突いて立ち上がることに集中せざるを得なくて、鳳輔はそんなクロに近づいていき、アイは車内に戻ろうと飛び降りる場所を探している。


 その一瞬、ここにいる全ての人物の注意が、デースマースに向いていなかった。

 自身に向けられていた視線が消えたことを感じ取り、彼は不意に立ち上がり、あらぬ方向へと駆け出していく。


「……!?」

「なっ……」


 完全に気絶していると思っていたデースマースが走り出したことに、誰もが戸惑いを隠せない。その戸惑いは刹那の硬直へと繋がり、この一瞬だけは、誰も彼を止めることはできなかった。


 彼が駆けだした先には、鳳輔がいた。クロに駆け寄る途中で、迂闊にもデースマースに体の側面を晒している。


「善行ォォォ!!!」


 口癖を掛け声として、デースマースが鳳輔に激突した。その襟首をしっかりと掴み、そのまま2人の体が吹っ飛んでいく。


「チィッ……!」


 ダウナが振り向きざまに杖をデースマースへと向けるが、攻撃魔法を放とうとして止まる。このまま攻撃すれば鳳輔にも直撃し、命を脅かすこととなるだろう。

 代わりに拘束魔法を唱え、杖から飛び出した糸で2人を捕まえようとしたが、デースマースは片手に持っていた杖を振るい、切っ先の棘で糸を断ち切った。


 そして疾駆の勢いそのままに、2人は銀河鉄道の屋根から転落して、宇宙空間へと飛び出していく。


 ……重力のない宇宙空間では、彼ら2人が落下していくことはない。ただ早くもなく遅くもない速度で等速直線運動を続けていくだけだ。

 だがそんな2人を振り切るかのように、銀河鉄道は前へと進み続ける。遊覧鉄道なので速度は控えめだが、それでも惑星間を移動する為の宇宙船だ。新幹線とは比べ物にならない速度を持っている。


 気づけば、数秒も経たないうちに、2人の姿は宇宙に溶けて見えなくなってしまう……。


「あ、あぁあっ……」


 その一部始終を目撃したアイの喉奥から、絶望的な悲鳴な漏れ出ていく。


「うあぁあっ……鳳輔、鳳輔えぇええぇえっ!」


 アイは膝から崩れ落ち、頭痛を堪えるように右側頭部を押さえて蹲った。小さな体が小刻みに震えて、その瞳が見開かれていく。

 彼が消えた方向をどれだけ見つめても、そこに映るのは混沌の闇と、銀河に輝く星々だけだ。矮小な人間風情など、この宇宙の中では砂漠に落とした一粒のビーズに過ぎない。


 すぐさまダウナは機関室に飛び降り、錆び付いたブレーキ弁ハンドルを思いっきり捻り上げる。しかし車内が慣性で滅茶苦茶にならないよう制御されているのか、急停止せず緩やかに速度を落としていくばかりだった。

 そんなことをしている間にも、鳳輔たちとの距離は更に離れていく……。


「だっ……ダウナさん! 鳳輔はまだ障壁を纏っていましたよね!?」

「ああ、そのはずだよ……空気が切れるまでは生きているはずだ……」


 病院から宇宙へ向かう時に、ダウナは3人の体に沿って障壁を張り、その中に空気を込めていた。クロはデースマースからの攻撃によって障壁が砕かれているが、一度も攻撃をくらっていない鳳輔には障壁が残っている。

 だから、障壁内の空気が尽きるまでは生き延びることができるのだ。


 ……しかしそれも数時間と持たない。宇宙規模で言えば瞬き程度の時間だ。

 その時間の間に彼を見つけ出さなければ、死は避けられぬ末路となるだろう。


「………………っ」


 瞳を見開いていたアイが、不意に立ち上がる。そして己の杖を拾い上げ、鳳輔たちが消えていった方向に向かって駆け出した。


「アイ!?」

「クロくんたちは発信機の座標を頼りに迎えに来て! ……あたしが鳳輔を見つけるからッ!」


 それは正しい選択と言えよう。銀河鉄道が減速を終えて軌道修正できるようになるまでに、鳳輔との距離はどんどんと離れていき、捜索が困難になっていくのだ。

 発見の確率を最大限高めるには、今ここで、発信機が取り付けられたアイが単身で捜索に出向くしかない。しかしそれでも、不可能が無理難題に緩和される程度の差でしかないが。


「もう、準備も無しに無謀な……」


 ダウナはぶつぶつと呟きながらアイに杖を向け、彼女の体に空気入りの障壁を纏わせた。これで銀河鉄道から離れても呼吸をすることができるだろう。


 アイが鉄道から跳び立ち、宇宙空間に向かって飛んでいく。

 たった5秒にも満たない間に、銀河鉄道は宇宙を駆け抜け、星々の彼方に消えて見えなくなってしまった。


 ……そして、果てのない宇宙空間に、アイ一人が残される――。

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