19章 銀河を往く怨嗟
銀河鉄道の車室は、青を基調とした落ち着きのある色に染まっていた。
車両の中には、青い天蚕絨を張った腰掛けが静かに佇んでいる。床の色は青海原のように深い青碧、天井の色は蒼穹のような淡い白群に染まり、鼠色のワニスを塗った壁には真鍮の大きなボタンが二つ光っている。こうして見れば、乗客たちは天と地の狭間を滑空するイカロスの如く。この配色は地を離れて天へ往くことを黙示しているかのようだ。
車内には大勢の魔法使いがいるが、席を埋め尽くすには至っていない。見回せば幾つもの空席が散見された。
彼らは一様に生身のままだが、宇宙内であっても呼吸に困りはしない。曰く、この銀河鉄道を空気が包んでいるので窒息の心配をする必要ないようだ。魔法を散々見せられ続けたせいか、そんな無茶苦茶でも疑いようもなく信じてしまうようになっていた。
「……」
離れ離れになったクロくんやハルちゃん、そして鳳輔のことを想いながら、窓の外に広がる雄大な景色を眺める。
窓から見える風景は銀河一面だった。青く光る銀河の岸に、銀色の空の薄が一面揺られて動き、緩やかな波を立てている。桜の花弁みたいな光が宙を舞い、紫色の輝きと橙色の瞬きが交錯して、珠玉のように優しく月明かりを映射していく。それこそが旅の黎明を示す盛大なプレリュード。
銀河を流れる水は硝子よりも水素よりも透き通り――目の加減の所為だろうか――紫色の細かな波を立てたり、虹のように煌めきながら、声も無く過ぎ去っていく。一面に広がる唐紅の野原には燐光の三角標があり、東雲と同じ色をした原っぱで、冬木立のようにただ聳えていた。
きっと其れも幻想なのだろう。栄えある旅立ちを彩るために、デースマースが魔法を使って脚色しているだけに過ぎない。
しかし、宿敵の生み出した虚像なのだと理解していても……その光景には心を奪われかねなかった。
地球に棲む誰にも想像すら及ばない、幼子の求めた理想郷に最も近い世界が、この宇宙にはある。喩え偽物だろうが、本物を凌駕する程の蠱惑がここにある……。
「魔法とは、望みを叶える力である」
車両の前方に立ち、まるでバスガイドのような立ち位置で、デースマースが厳かにそう言った。平時と違ってあまりにも神妙な面持ちをしていて、思わずこちらの背筋まで伸びてしまう。
「貴殿達も幼き頃は、自身の願いが何でも叶う力を夢想したであろう? 『もしも魔法が使えたら』なんて思いを、無知の戯言として何度も零してきたはず。しかし現実を知る度に、そんな児戯にも等しい無い物ねだりを捨て去り、誰かの敷いた道筋を辿ることだけが品行だと調教され続けてきた……」
拡声器は用いず、されど奴の声は車両全域に響き渡る。
その様子と語る内容は、まるで委員長がかつて語っていたことに酷似していた。子供時代に願った夢物語は、大人になるにつれて失われていくのだと。
「しかし! 悦ぶがいい選ばれし諸君。魔法は本当に存在していたのだ。君たちも目撃したであろう、その力を思う存分に行使したであろう」
面並ぶ座席に座る者たちの手には、0のような刻印が記された杖が握られている。
ここにいる誰もが、かつて人間として生き、今は魔法使いとしての日々を享受する者だ。恐らく全員がデースマースによって人生の線路を捻じ曲げられたのだろう。……それが幸か不幸かは、人に依るだろうが。
「では、君たちはどうする?」
不意にデースマースが問いかける。奴の声が脳内に直接届けられているせいで、視線なんか合っていないのに、まるで自分に向けての言葉のように感じられた。
「かつて夢を諦めた君たちが、再び夢を叶える機会を得たのだ。……君たちは、どうしたい?」
……誰もが答えられない。
答えを持たないのではなく、言うに及ばずといった沈黙だった。そんな光景に満足気な笑みを浮かべ、デースマースは口角を吊り上げる。
「ここにいる者たちはアトランダムに選ばれた偶然の顔ぶれではない。各々に選ばれた理由がある。……余程の虚けでもない限り、その理由を理解しているはずですな」
別に自分を虚けだと思っているわけではないが、皆目見当が付かないのが事実だ。
単に軍事力を求めているならば、かつて化物と呼ばれていたらしいクロくんやハルちゃんを攫うはず。そうでないとしても、倉庫で襲い掛かってきた暴漢と自分の間に、何か共通点があるとは思えない。
しかし車両にいる者の大半は理解しているらしく、頷いたり拝んだり笑ったりと多種多様な表現でそれを示していた。
その時、デースマースと視線が合う。
奴の顔に貼り付けられた笑みが、なんだか心の内側まで見透かしているようで、目を背けてしまった。
「貴殿達は皆、破滅を願ったことがある。……ある者は、世界という概念に嫌気が差し、世界の滅亡を願い……」
その言葉に反応したのは、どこか薄暗い表情をしている者たち。
「ある者は、自身の破壊衝動に振り回され、全てを壊してやりたいと願い……」
その言葉に反応したのは、倫理や道理を知らなさそうな強面の者たち。
「ある者は、魔法という上位の力を得て、他人を傷つけてでも力を誇示したいと願い……」
その言葉に反応したのは、自信に満ち溢れた表情をする者たち。
「そしてある者は、自身を取り巻く環境に絶望し、救いの自死を願った」
その言葉に……反応してしまう。
脳裏に浮かび上がるのは、かつて自身が放った『死にたい』という思い。
家族が離散し、兄が事件の末に死に、学校では居場所を無くしたあの時。
自分は確かに、死んで消えることを願っていた……。
「魔法界にて君たちの願いを叶えよう! 世界に絶望した君には異なる世界を知る機会を、全てを破壊したい者には存分に暴力を振るえる機会を、力を誇示したい者には戦という絶好の機会を、死を願う者には栄誉ある死の機会を! 悦ばしいであろう、感無量の境地であろう! これぞ我が敬虔なる善行ッ!」
「………………」
自分がこの場に引き寄せられたのは、かつて死を望んでいたから。
しかし今はそんなこと望んでいない。鳳輔が身を挺して庇ってくれたあの日から世界は好転し、希死念慮から立ち直って、今は楽しい毎日を過ごしている。
今更、自死など望まない。
……と、断言しようとして、病床に伏しているハルちゃんの姿が過る。
あんなことをしでかして、毎日が楽しい日常なのだと言えるのだろうか。……先ほど死にたいと思っていた気持ちは、偽物なんかではないというのに……。
「ち……違うっ! 僕はそんなこと望んでない……!」
その時、どこか頼りなさそうな顔をした男性が立ち上がり、青白い顔を更に蒼白にしながら叫んだ。
あれは……確か、倉庫でクロくんに騙されて杖を奪い取られた人だ。あのチンピラ集団の中では浮いていたから記憶に残っている。
「親に虐待されていた頃は死にたがっていたけど……今はもう立ち直ったんだ! 友達もできた、新しい家族もできた! 死にたくなんかない、生きていたいんだ……ッ!」
慟哭のような心情の吐露は、破滅を願う者たちにとっては鼻で笑うようなものだっただろう。
とはいえ彼の言葉に同意する者も少なからずいるようで、何人かが自信なさげに同調の言葉を口にした。
しかし、その瞬間、デースマースの投げつけたナイフが彼の肩を抉る。
「ぐうォアッ……!」
苦悶の断末魔を漏らしながら、彼は地面に蹲り、鮮血の赤に染まる肩を抑えた。攻撃を受けた箇所には指が数本入る程の大穴が開き、ヘモグロビンの異臭を車内に撒き散らす。
足音を鳴らしながら彼に近づき、デースマースはその頭を勢いよく踏みしめた。頭蓋と床がぶつかり合う歪な音が響く。
「分かってる。貴殿は死にたい、消えてなくなりたいのである。でも素直にそれを認められないだけ。よーく分かってる。だから黙って我についてくればいい。そうであろう?」
奴は何度も何度も頭を踏みつけ、その男の顔面が潰れて夥しい血が溢れ出るまで踏みにじり続けていた。
その光景を見て、ある者は笑い、ある者は竦み上がり、ある者は目を逸らす。それを止めたいと思っていたとしても、逆らえば同じ目に遭うと震えて動けない。
「……!」
急にデースマースが足を引っ込め、数歩後ろに下がった。
その瞬間、数瞬前まで足があった場所に、あたしが放った断裂魔法が素通りしていく。銀色の刃はそのまま車内の壁面に突き刺さり、鉈を一閃に振り下ろしたような傷跡を残していた。
「……」
奴と視線が合う。元々怖さを感じない顔だと言われるが、それでも思いっきり睨みつけて、奴の行動を無言で非難してやった。
怒りを露わにするかと思いきや、デースマースは愉快そうに笑い捨て、踵を返して車両の先頭へと戻っていく。
ケージの中に幽閉された小鳥に啄まれたところで腹を立てるわけもない。多少の反抗心を向けられたとて、監禁する側とされる側には大きな隔たりがある。……そんなペットに向けるような見下し半分、愉快半分の感情でも持っているのだろう。
「とにかく――貴殿達はこれから、月にあるベースキャンプへと向かう。そこで相応の訓練プログラムを修了し、一人前と呼べる状態になれば戦場へと繰り出ることになるであろう。いずれやってくるその時を! 胸に抱きながら待ちわびると良いでしょう」
一部の乗客が歓声を上げて、一部の乗客が涙を流した。
……行く先が月だろうが何だろうがどうでもいい。自分の目的はデースマースを殺すことだけなのだから。
先ほど耐えきれなくなって手を出してしまったのは失敗だっただろう。あんなことをされれば誰だって警戒する。
でも見過ごせなかったのだ。……あんなものを黙って見ていられるほど、性根の汚い人間ではない。
「………………」
……しかし、1度でも自死を望めばデースマースの毒牙にかけられてしまうのか。
先ほど嬲られた彼の気持ちは痛いほど分かる。ハルちゃんに怪我を負わせてしまったから再び死にたくはなったけど――こんな形での死は本意ではないのだから。
とはいえデースマースにそれを言ったところで、先ほどのように理解されないのは明らかだ。奴にとっては善行をしたと自己満足を得ることが最優先、他人の気持ちの移ろいなどどうでもいいのだから。
……あれ。
じゃあ、お兄ちゃんが魔法使いに選ばれたのは、まさか……。
「さあ世界を知らぬ子羊達よ、あれを見るがよい!」
突如デースマースが杖を振るい、右手側の車窓を見るように促してくる。
そこには、未だ距離は離れているものの……月が浮かんでいた。
「あれこそが! 我らの向かう楽園! 彼の地に降り立てば貴殿達の世界がある!」
そう宣言すると、新しき世界を望む乗客たちが歓声を上げる。耳を劈くような拍手の音、至る所から聞こえてくる口笛。新しき世界を望まない者の泣き声を掻き消しながら、車内は割れんばかりの喝采に満ちていた。
どこかから聞こえてきた爽やかなラッパの音、子供が瓜に飛びついた時のような喜びの声。しかしその中、自分は声を出せず、ただ近づく月を見ていることしかできない。
たくさんのシグナルや電燈の灯の中を汽車は行く。海神の住む海のように蒼い光、蛍火みたいな柔らかいオレンジ色のアーク灯。
夜汽車は爛々と輝く燐光の川の岸を進む。広がる野原は小さな牧歌を写した二枚の碧い幻燈。百も千もの大小様々の三角標、その上には赤い点々を打った測量旗も見え、野原の果てには一面集まり、青白く仄かに瞬いている。狼煙のようなものが、代わる代わる綺麗な桔梗色の空に打ち上げられた。
川下の向こう岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟して真っ赤に光る果実が実り、森の中からはオーケストラベルやジロフォンに混じって透き通るような音色が響く。まるでそれは溶けるように、浸みるように、風につれて流れて来るのだった。
魔法使い達の新しき世界は、とても幻想的で、この世のものとは思えなくて……。
「さあ! 貴殿達の望みを、爆発させる時が来たのだッ!」
――デースマースが高らかに宣言した瞬間。
この世のものとは思えない程の轟音が響き、世界が終焉したのかと錯覚するほど銀河鉄道が揺れた。激しく震撼する車内はもはや地獄のようで、座席の背もたれにしがみ付いていなければ吹き飛ばされて壁に叩きつけられていただろう。
やがて揺れが収まり、顔を上げて様子を確認すると――車内は想像を絶するほど滅茶苦茶になっていた。
突如の揺れに対応できなかった者たちは体を打ち付けて気絶し、自分と同じように座席にしがみ付いていた者たちも未だ立ち上がることすらできず、唯一立っていたのはデースマースだけだ。
車内のあらゆる物が吹っ飛び、窓ガラスが割れ、荷物棚が壊れて辺りに転がっている。天井の水銀灯も半数以上が炸裂し、残った半数も明転を繰り返して、辺りはトンネルを抜けているかのように薄暗く変貌していた。
事故後のように荒れ果ててしまった車内だが、別に衝撃が襲ったこと以上の異常は無さそうだ。しかし先ほど感じた衝撃は交通事故でも起こったかのようなもの。何も起こっていないわけがない。
だとすると――。
「……後部車両か……!?」
同時に同じ結論へと至ったようで、デースマースが後部車両へ続く扉に視線を向けた。
銀河鉄道は3両連結で、誰も乗っていないのだが連結車両が存在している。もしも異変が起こったならばそこしかありえないが……。
……その時、デースマースが気づくまで待っていたかのように、連結部の扉が開いていく。
そこにいたのは……。
「追いついたぞ、デースマース・љ・ディアールッ!」
「……クロくん!?」
先陣を切って姿を現したのはクロくんだった。
彼だけではない。ダウナさんも一緒だし、鳳輔もそこにいる。
「きッ、貴様らッ、何故ここに……!」
「ダウナさんがアイの杖に発信機を付けていたんだよ。本拠地へ向かうくせに身体検査すらしてなかったとは間抜けだな」
「……そんなものを頼りに追ってきたというのか、シロガラ国の王子達よ……!」
「当たり前だ、人の友人を奪っておいて逃げ切れると思うなよ。……ま、ほとんどダウナさんの力添えだけどな」
「どやぁ……」
「ぐ……終の主め……悉く我らの邪魔を……ッ!」
クロくんとデースマースが対峙して睨み合う中、後ろで車内を見回している鳳輔と目が合った。
鳳輔はあたしの姿を捉えると、躊躇なく走り出して駆け寄ってくる。負傷して転がる魔法使い達を飛び越えて、炸裂した窓ガラスの破片を蹴散らして、そして――。
何にも憚られることなく、力いっぱい抱き締めてきた。
「鳳輔……」
「バッカ野郎おおおぉ……なに勝手にいなくなってんだよ……ッ!」
痛いくらいに抱きしめた後は、身体を引き剥がしてあたしの全身をくまなく見て、怪我がないことを確認して息を吐く。
そして怒るとも笑うとも泣くとも取れるような表情で、小さく笑った。
「……お前が勝手に出て行っちまったせいで、見ろ、こんなところまで追いかけてきちまった」
「ん……」
ごめんと言葉を返そうとして、喉が痞える。
追いかけてきてくれて嬉しいという気持ちと、ハルちゃんにあんなことをして合わせる顔が無いという気持ちが混ざり合って、頭の中が吐瀉物のようにぐちゃぐちゃになっていた。
混乱して言葉が出せない間も、クロくんはデースマースに一歩近づいていた。
その杖からは怪しげな紫色の光が放たれ、切っ先は奴に付きつけられている。
「俺の友人を返してもらうぞ」
「誰が返すかッ! 我の善行を邪魔しやがって! オリジンからの厳命などもはや関係ない、貴様などッ、凄惨に殺してやる!」
車内に充満する色濃い魔力の香り。全身の毛を逆立たせ、臓腑がひっくり返るような悍ましさを放つ。
素人の自分にだって分かる。これから魔法使い同士が雌雄を決することを。
その果てに待ち受けるのは痛快な勝利か、凄惨な敗北か、それとも復讐の成就か。
今はまだ、分からない。




