15章 暴走する殺意
気がつけば空は暮れなずみ、斜陽が摩天楼の影を限界まで引き伸ばしていた。
太陽が最後の力を振り絞って茜色の輝きを放ち、その薄らぎと共に世界は夜に沈んでいく。しかしタワーは世界の眠りを許さないようで、目映く激しいライトアップによってひときわ輝くシンボルと化していた。
そんなタワーの雄姿を激写するために人々が携帯電話のカメラを掲げる中、俺たち2人は鳳輔たちと合流した。
「おまたせーっ! ごめんごめん、鳳輔がギリギリになってトイレに駆け込んで遅れちゃった」
「アイス食べ過ぎたぜ!」
腹を壊したと思われる鳳輔が謎のサムズアップをしながら歯を光らせているが、何故うんこが出ただけでここまで意気軒昂とした表情ができるのか謎だ。
「こっちも集合時刻に送れたからおあいこだよ。ハルがギリギリまで店で粘りやがってな」
「ネイルクリームとか買ってもらったわ!」
学生にとってはそこそこ値の張るブランドが書かれた紙袋を掲げて、ハルはパチンコで大勝したオッサンみたいに邪気のない笑顔を浮かべた。
それを見たアイが「あーっ、これって最近オススメ欄に上がってくるヤツだ!」と言いながら興奮しており、別に金を出したわけでもないハルが胸を張って、ガールズコスメトークが始まってしまう。
俺はそんなアイの顔を見て、努めて出していた笑顔を少しだけ崩す。
『あの杖は、アイくんの兄である朝霞正善くんと、かつて鳳輔くんに殴られた男子生徒の姉である坂浦美奈子くんの遺体から鹵獲したものだ。彼らは何者かによって魔法使いにさせられたらしく、魔法を使って色々な事件を起こしていたらしい。』
……アイの兄は魔法使いにされた人間で、かつて命を落とした。
委員長が語ったその事件について、アイはどれくらいのことを知っているのだろう? 自分が兄と似た状況にあることを、本当に理解しているのだろうか……?
もしもここまでの流れが同じならば、迎える末路も、まさか……。
「で、どうだったよ。初デェト」
「オ゛ッ」
いきなり超至近距離に鳳輔の顔が現れて、生命の危機を感じ取りながら後ずさってしまう。もう少しインパクトの薄い顔の人にしか許されない蛮行だ。
「初デート、初デートなぁ……」
今日がどうだったのかを腕を組んで考える。
水族館ではいい感じにいつも通りで、委員長からのメールが来た後はデートという感じも霧散してお互い考察モードに入ってしまった。その後、地下のショッピングセンターを巡ってようやくいつもの感じを取り戻すも、やっぱり恋愛のレの字も感じ取ることができなかった気もする。
一言で結論付けるならば、あまりにもいつも通りという結論になるだろう。
「……デート感はなかったな。ホントいつも通りの俺たちだったよ。デートというよりお出かけだなありゃ」
「ほーん、いつも通りねぇ」
お気楽極まりない口調でそう言って、鳳輔は手持無沙汰そうに煌めくタワーを見上げた。
俺もそれに倣ってタワーを見つめる。先ほどまで重鎮の如くどっしりと構えていたタワーは、今やネオン街のケバい看板のような派手さを纏い、様々な極彩色を躍らせていた。人々は何やら歓声を上げながら写真を撮ったり、タワーの写真に自分をフレームインさせてみたり、思い思いの楽しみ方で夜を満喫しているようだった。
「でも、楽しかったよな?」
「…………」
なんだか即答するのが恥ずかしくて、そんなに気温が低くもないのに寒いふりをして手に息を吐きかけた。そして手のひら同士をすり合わせ、小さな声で「まあな」と呟く。
「別にいつも通りでもいいと思うぜ。恋人同士だからってイチャつかなきゃいけないわけでもねえ。各々が一番楽しい時間を過ごせばいいんだよ。クロたちにとって楽しい時間がいつも通りの感じなら、それも立派なデートの形だろ」
「慧眼じゃん。ところで鳳輔たちはイチャついたのか?」
「世界経済の話しようぜ!」
「話題の逸らし方が無謀」
でも確かに、自分たちにとって一番楽しい時間を過ごせたのは間違いないだろう。
魔法界に帰るまでに――というタイムリミットのせいで、変に焦っていた部分があるのかもしれない。初デートという名目のせいで無駄に気負ってた部分もあるかもしれない。
手を繋ぐことが最終目標ではなく、初めてのデートを楽しむ音が一番の目的なんだ。途中若干メールによってコンディションを崩された部分はあるかもしれないが、そこを除けば上々と言っても過言じゃない内容だろう。
こっそりと携帯を取り出し、ハルとのツーショットを見て、改めてそう思った。
「ところで鳳輔たちって手とか繋いだりした?」
「マクロ経済学の話しようぜ!」
再び誤魔化されたのと同時に、ハルたちのコスメ談義も終了したようで、何やら満ち足りたような顔をしながらこちらに寄って来ていた。
そして携帯で時計を見て、アイが少しだけ名残惜しそうな感情を声色に乗せながら言う。
「じゃ、そろそろ帰ろっか。あんまり遅くなると見張りをしてくれてる諜報員さんとダウナさんに悪いもんね」
そうしよう、と俺たちは頷いた。
楽しいデートはこれで終わり。明日からはまた、いつも通りの日常が戻ってくる――。
「ああ、善行!!! 善行であるよ、呪われし子供たち!!!」
別れの静寂を打ち破ったのは、聞く者をイラつかせるような芝居がかった声だった。
俺たち4人に向かって足取り軽く近づいていくのは、見るからに怪しいマントを羽織り、右手に禍々しい杖を握り、景気の良さそうな高笑いを発する40代過ぎの男。その目はどこか話が通じなさそうな色に濁っており、ぎょろぎょろと辺りを見回しながらも俺たちへの警戒を怠っていないようだった。
直感した。きっと、俺はこの男の名前を知っている。
デースマース・љ・ディアールだ。
「臨戦態勢ッ!」
鋭い叫び声と共に、どこからともなく諜報員が現れる。それと同時に俺たちも杖を取り出して、いつでも魔法が使えるように攻撃態勢に入った。更にそれと時を同じくして、かすみ網をかけられたような感覚が肌に突き刺さる。物陰から現れたダウナが、俺たち全員に不可視の魔法をかけたのだ。
鳳輔を除いた俺たち5人が、デースマースに杖の先を向けて睨みを利かせる。
「おやおや、これは過保護なことで……」
ふん、と奴はこの状況を鼻で笑う。これだけの人数的戦力差があるというのに、敗色の欠片も感じられないと言った面持ちだ。
そして大仰に両手を広げ、スポットライトを一身に浴びるアクターのように演技かかった口調で高らかに叫ぶ。
「皆々様は御存じかとは思いますが、今一度ご挨拶を! 我の名前はデースマース・љ・ディアール! 人を魔法使いへと昇華させる善行を積みし、敬虔なる信仰者! あ、こちら名刺です」
「え、あ、頂戴します」
恭しく名刺を差し出されたので思わず受け取ってしまう。外国の昆虫のようにドカラフルなデザインは以前アイが貰ったものと同じものだった。
「本日は貴方がたと矛を突き合わせに来たわけではないのである。我の崇高なりし用件はたった一つ! そこの小娘に善行を積んでもらいたく馳せ参じた次第!」
「あ、あたし……?」
関節が4つあるんじゃないかってくらい妙に長い指を付きつけられ、突如として指名されたアイが一瞬嫌そうにたじろいだ。そして逃げるように横へずれるが、デースマースの指先は狙いを定めたように彼女の姿を追っていく。
「そう、貴殿! 忘れたとは言わせませぬぞ、我が魔法を与えたという事実を! 我の善行には貴女も善行で返すべし、嗚呼これぞ美しき善のスパイラル! 我の計画を支えたまえ、それこそが貴女にできる唯一の善行!」
周囲の空気感など全く意に介さず、デースマースは一人で拍手して大盛り上がりしていた。そしてどこからともなく取り出した一輪のバラを、片膝つきながらアイに向かってそっと差し出す。
「さあ! 我と共に新たなる世界へ行きましょうぞ!」
「なっ、なに勝手なことぬかしてやがる……!」
そんなアイたちの間に介入したのは鳳輔だった。両手を広げて幼馴染を背に庇い、謎の誘いをかけてくるデースマースに屹然と向かい合う。
そんな彼を、デースマースは部屋の片隅で飛び回る小蠅を観察するような目で見ていた。邪魔者扱いでもなく人扱いですらなく、ただただ目の前に出現したうざったい障害物を見つめるような冷めた目だ。
「ん? 誰、オマエ」
「こ、こいつの幼馴染だ……! お前、アイに何を……」
「邪魔」
デースマースが鋭く杖を薙ぎ、鳳輔の側頭部を弾いて吹っ飛ばす。
木製とはいえそれなりの硬度の棒で殴られた鳳輔は、すぐに立ち上がろうとしたものの目の前が眩んで膝立ちのまま動けなくなっていた。
「今ね、おじさんさ、この朝霞愛美っつーガキと話してんの。悪ィんだけど終わるまで待っててくれる?」
どこまでも冷たく、突き放したような口調でそう言い放つと、デースマースはあまりにも胡散臭い笑顔を再びアイに向ける。一方のアイは吹っ飛ばされた鳳輔の元に駆け寄ろうとしていたが、デースマースに肩を引っ掴まれ、ムリヤリ目線を合わせられてしまった。
「さあお嬢様、幻惑なる旅路に参りましょうぞ! なあに心配することはございません、侵略のイロハはこの崇高なる頭脳にずしりと凝縮されております故、貴女にも八面六臂の大活躍をさせてみせるのであるよ!」
「…………あの」
「何でございましょうお嬢様、如何なる質問にもそこはかとなくお答えするであるよ!」
「ほ、鳳輔に……手を出さないで、ください……!」
「ゥわはははははァ!」
話の流れをぶった切りながら爆笑され、アイの肩が驚愕に揺れる。
そして奴は心臓発作でも起きたかのように急に真顔になり、何色の表情すら浮かんでいない顔面をアイの間近にまで寄せる。
「貴殿がさっさと『共に行く』と答えていれば! そこの無垢なるオスガキも殴られることはなかったでありましょう? 貴女が悪いと思いませんか?」
「え……いや、そんなこと……」
「貴女が悪い!!!!!!!!!!!!」
奴は超至近距離で全力の大声を出し、そのままアイの髪の毛を引っ掴み、手の甲に夥しい血管が浮き上がるほど全力で捩じり上げる。
「貴女が悪いでしょう!? 悪いということは? 善行じゃないということ! 善行じゃない!? はァ!? ふざけんなよ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 謝れ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞ!」
「止めろイカレ野郎ッ!」
俺が杖先を向けると、デースマースの体が固まる。相手の肉体を縛り付ける操作魔法の一種をかけたのだ。
しかし術をかけ始めてから1秒足らずで、奴の体からアーク放電のような音と電気が走り、俺の魔法が強制的に解除されてしまう。相手の操作を封じる術を事前にかけていたのだろう。
そのまま奴は首だけをぐりんと動かし、俺のほうへ視線を向けてくる。爬虫類のように有無を言わさぬ視線に貫かれ、血が凍るような感覚が全身を貫いた。
「ああこれは失礼。クソ女が善行の念を蔑ろにするから少々エキサイトしてしまったである。……落ち着くから、それ、引っ込めていただけますかな?」
奴は俺たちの持っている杖を順番に指さし、早くしろよと言いたげに顎をしゃくった。
自分が囲まれていると知っていても尚、一切の余裕を崩していない。それどころか命が惜しくばさっさと言うことに従えとでも言いたげなほどの傲岸不遜っぷりだ。
「……お前の思惑が分からない以上、武装解除なんてするわけないだろ。さっさと要求を言え」
「先ほども申した通り、朝霞愛美嬢に我々の手伝いをしてもらいたいのであるよ。ほら、魔法を授けたのは我なので、恩返しをしてもらわなきゃでありますよなぁ?」
「授けた? 勝手に押し付けたの間違いだろ……!?」
「最終的にはこのアマが魔法を欲したのだから、授けたと呼んでも過言ではないのでは? 求めてしまえば自己責任! 我は魔法すら使えないクソ猿に新たなる世界を授けてやった善行の使者なのであーる! わーッはっはっはっは!」
言葉の節々から偉そうな自負が見え隠れしていて、奴の言葉を聞いているだけでストレスが湧き上がる。こんなに接していてイライラする相手なんて、多分魔法界を探してもそうそういないだろう。
思わずキレ散らかしたくなるのをぐっと堪えていると、俺の隣にダウナがやってきて、アイの顔を指さした。
「少年、真に受けるな……。朝霞くんの目を見てみろ、欲求を増大化させられた痕跡がある。根源的欲求はあったにせよ、それを刺激して引き出したのは間違いなくこの男だよ……」
そう言われて改めてアイの目を見てみる。
一見しただけではいつも通り――いや、怯えた目をしているのでいつもとは全然違うのだが、確かにその瞳には操作魔法特有の揺らぎがあった。だがそれは言われてようやく気付ける程度のものだ。ダウナが言及しなければ永久に気づかなかっただろう。
デースマースを怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、どうせキレたところで暖簾に腕押しなのは分かりきっているので、代わりにスタッカート極まりない舌打ちを何度か放つ。
「……で、『我々の手伝い』って何だよ。アイに何をさせようってんだ」
以前ダウナが話していたので薄々は知っているが、敢えて本人に確認を取る。
もしかしたらダウナが俺たちを謀っている可能性も十分にあるのだ、情報の確証を得るに越したことはない。
「それは勿論! シロガラ国とメース国に手痛い一撃を加えるため、仁義ある侵略行動に出るのであるよ! 魔法界へ続く銀河鉄道に乗って全軍突撃であーる!」
……やはり、ダウナの証言と一致した。
しかし腑に落ちないのは、何故そんなことをする理由があるのかだ。
無人界で兵士を募るのはまあ分かる。魔法界で義勇軍を作ろうとしても誰もが大国の軍事力を知っているので、そんな無謀なことに力を貸すわけがないからだ。無人界なら大国の脅威を知らないので、適当にだまくらかして侵略行動に加担させることは容易だろう。
でも、そんなことをして何になる……?
徒花と知っていながら、なぜ軍事大国に喧嘩を売ろうとするんだ……?
「どうしてお前はそんなことをするんだ? それだけの禁術が使えるなら、適当にどこかの軍に接触して悠々自適に傭兵暮らしができるだろう? それを捨ててまで争いを起こす必要がどこにある……?」
「そんなもの決まっているでありましょう!」
ガン! と鉄板の敷かれた踵で地面を踏み鳴らし、威嚇するように両手を広げながらデースマースは叫ぶ。
「善行!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ガン! ガンガン! と地団太のように踏み鳴らし続け、息を切らし、奴は奇声のような笑いを天に吐き散らす。
「人の幸せを実現させるのが! 我の生きる意味ッ! 一人でも多く幸せにしてあげるのが生き甲斐! ああ、我ってホントにいい人! 見上げた人格者ッ! 素敵ッカッコイイッうひひひぇうひゃっはぁあぁっははっはあ!」
人を魔法使いにして、戦地に送り出すのが善行……?
全く、僅かほども奴の考えが理解できない。理解しようと努力してもありとあらゆる論理が繋がらず、ただただ迷走の闇に落ちていくばかり。
いや……理解しようとすること自体が間違いなのかもしれない。
かつて敵だったハルは、親に強制されていたという同情の余地のある理由だった。世界の時をかけて戦った委員長も、幸福の時間を永遠に続けたいという理解できる理由だった。それだけではなく今まで戦ってきたどんな兵士にも確固たる理由があった。
だから誰もが理解可能な信念を持っていると、俺は勝手に思っていたのだ。
……でも、目の前にいるこの男には、きっとそれがない。
いや正確に言えば信念はあるのだろうが、常人には計り知れない常識を元に形成された信念だ。1+1が6にも7にもなる世界では自身が培ってきた数学の知識など役に立たないように、そもそもの定義が異なるのだから同調できるわけもない……。
「これ以上の問答は不要! ではお嬢様、参りましょうか! 目くるめく戦火の世界へ! 貴女の持つ能力が最大限活かされる世界へ! このデースマースが随伴致すであーる!」
「「待て」」
再びアイと向かい合った奴の背中に、俺とハルが杖を付きつける。
「あなたの狙いはよく分からないけど、ロクでもないことをしでかす気なのは分かったわ。見過ごすわけにはいかないわね」
「神妙にして縛に就け。大人しく聴取に応じれば、極刑だけは避けられるかもしれないぞ」
ここでデースマースを殺すのは簡単だ。しかしそれでは、奴が作り出してきた魔法使いの居所が分からないままになる。奴を殺さずに捕縛しなければ、全ての魔法使いを回収することはできないだろう。
それを理解しているのか、デースマースは低く笑う。こちらの世界で言えば背中に銃口を付きつけられるにも等しい状況だというのに、奴の余裕は一切揺るぎない。
「……大国の王子王女、中立国家の手先、贄を求めし終の主。錚々たる顔ぶれに矛を向けられて、我はさながら俎板の上の錦鯉と言ったところであるか。……しかし皆々様方、世界は広いのですよ。うらぶれた古い常識はもはや枷でしかないのです」
突如、奴の杖が光を放つ。
それと同時に、俺とハルが魔法で気絶させようと試みるが、既に時を逸しており――。
「世界のルールを変えずとも! 我の力にかかれば! 新しき魔法を産み出すことくらい造作もないのである!」
「――――!?」
俺の体に異様な感覚が襲い掛かる。
それはまるで無数の蜘蛛に体を喰い荒らされるような、不快で不穏で不愉快な感覚だ。周りにいるハルや諜報員も呻き声を上げたあたり、恐らく俺たち全員が同じ感覚を味わっているのだろう。
そして苦痛が晴れた時――奴に杖を付きつけていた俺たち4人の腕は灰色になっていた。
「な……っ!?」
石化魔法で固まったわけでも、変容魔法で見た目を変えられたわけでも、操作魔法で洗脳されたわけでもない。ただただ色彩が変わり、灰色になっただけ。
しかし見た目以上に歪な感覚が一つ。
魔法が全く使えないのだ。
「な……っ、何をしやがった……!?」
「はァーッはっはっはっはァ! これぞ我が編み出した禁術、魔力の行使を禁止させる魔法! ご堪能いただいておりますかな?」
……人間を魔法使いに変える禁術だけでなく、別の禁術まで生み出しただと?
バカな。禁術なんていう過ぎたる力の大概は、その人生をかけて編み出すものだ。一人で幾つもの禁術を生み出すなど、今まで聞いたこともない。
しかも魔力を使わせないようにする魔法なんて、そんな無法が過ぎる魔法、ありえるはずが……。
「では部外者の諸君! 事の成り行きを大人しく見守ると良いでしょう! ……ああ、くれぐれもその場を動かないことをオススメしますぞ。魔法を使えない存在に成り果てた貴方がたに、我の攻撃を捌く手段などありませんからな!」
「ぐ……ッ」
奴の言う通りだ。今やただの人間同然の俺たちは、デースマースに危害を加えられれば即座に死ぬ虫ケラのような存在。戦力の差は大人と子供どころか、象とボウフラ並の差だろう。
だから俺たちは、ただ歯噛みをしながら奴の姿を睨むことしかできない。
……一人だけ冷静な表情でデースマースを観察しているダウナだけには何か秘策があるかと思ったが、彼女も黙って事を見守るばかりだった。
「さあ、我の手を取るのです!」
「………………」
手を差し伸べられたアイは、嫌そうに身じろぎして後ろに数歩下がった。攻撃の意思を見せていなかった彼女の腕は灰色に染まっておらず魔力を使うことができるが、今ここでデースマースに歯向かったところで歯牙にもかけず制圧されてしまうだろう。
しかし、だからといって大人しく従うことなど在り得ない。
「……い、いや……です……」
「…………ほう」
彼女の反抗的な態度を見て、デースマースが億劫そうにため息を吐く。先ほどのように踵で音を掻き鳴らし、地面に向かって苛立ちを思う存分ぶつけていた。
「……やれやれ、兄が兄なら妹も妹……ということでしょうか。自我が強くて面倒な存在ですねえ」
「え……?」
突如繰り出された兄というワードに、アイが目を丸くする。
そう、彼女は兄の死について何も知らない。デースマースの影があったことも、あの惨劇が魔法に起因していることも、何一つとして知り得ないのだ。だから――急に兄の話が出てきて狼狽える他ない。
「ど、どういうことっ。あたしのお兄ちゃんと会ったことが……?」
「オフ・コース! 貴女のお兄様を魔法使いに昇華させてあげたのは我の善行によるもの! 兄弟揃って善行を授けるなど、我のふところの深さは留まることを知らない……!」
ウムウムと頷いているデースマースは、アイの表情がどんどんと険しくなっていることに気づいていない。
鮮やかな快晴が時の流れと共に黒へと染まり行くように、食物が腐り落ちて漆黒の廃棄物へと変貌していくように、彼女の顔はいつもの笑顔を失って――。
「しかし貴女の兄は本当に愚かな男だった! 魔法の力にも溺れず、坂浦美奈子に罪を重ねさせないために魔法を使っていた! ああ本当に愚かな男だ、最後にはその身を挺して坂浦美奈子を止めるなど! 我にとっては理解できぬ話だ」
「………………だがッ」
そこで口を挟んだのは鳳輔だった。
「世間は正善兄さんの起こした事件だという証拠を掴んでいたぞ!? 坂浦の姉を止めるためだっていうなら、そんな証拠残るわけがないだろッ!」
「ああ、それは我の粋なる取り計らいによるもの。あの男が坂浦美奈子に罪を重ねさせたくないとのたまっていたので、全ての罪を押し付けてやったのですよ。くたばったお兄様もあの世で感涙して喜んでいる事でしょう! 罪を背負うという善行を我に授けてもらったのですから!」
「……………………………………」
鳳輔も、俺も、ハルも、絶句していた。
そんな意味不明な理由で、故人に不名誉な罪を背負わせて、さも善行を行ったかのように誇れる理由が分からない。きっとどれだけの時間をかけても理解できないだろう。
しかしそんな混乱は、アイの顔を見て霧散する。
彼女の顔は、かつて今まで見たことが無いほど義憤に駆られ、眦を裂かんばかりにデースマースを睨みつけていた。
「……あんたが魔法を教えなければ、お兄ちゃんが死ぬことは無かった」
「キッカケを作ったのは我と言えましょうが、責任があるとは思えませんねぇ」
「あんたが魔法を教えなければ、あたしの家族が世間で晒し者になることもなかったッ」
「晒したほうが愚かなのでございましょう?」
「あんたが魔法を教えなければ、あたしが坂浦に虐められることもなかったッ!」
「おや、坂浦美奈子の家族に虐められたのですか。ご愁傷様」
「あんたが魔法を教えなければッ! 鳳輔が自分を責めることもなかったッ!」
「部外者の話をされても困りますねえ。ハイハイご愁傷様」
「あんたが魔法を教えなければッ! 全部ッ! 上手くいってたんだッッ!」
「……いや、つーかそもそもの話なんですが」
面倒臭そうに後頭部を掻き、目の前にいるアイと、ここにはもういない彼女の兄を嘲笑いながら奴は言う。
「自業自得ではありませんか! 猿に火なる概念を教えたら、使い方を間違えて死ぬバカは一定数出てくるでしょう? 貴女の兄がクソバカでした、ただそれだけの話! バカな兄を持つ妹もやはりバカ! それが理解できないなんて家族の教育が悪いんでありますねえ!」
「………………ッッッ」
その時、一陣の風が吹いた。
それは自然が生み出した爽やかなる風ではなく、アイの杖から轟々と発せられる禍々しい風だ。浴びる者全てを不安にさせるような、生温くて突き刺すような風が広がっていく。ドス黒い鳴動が地を揺らし、鎌鼬のように唸り、逆巻き、悲鳴のような異音を世に響かせる。
彼女は顔色を真っ青に染め、右手で頭を抱えながら荒い息を吐いた。その瞳は毒々しいまでの憤怒に染まり、瞳孔が開いていき――。
「お前に何が分かる! お前がッ! あたしの人生をブッ壊したんだッ!」
「……まずい……ッ!」
吹き荒れる風が勢力を増していくのを肌で感じ、隣にいるハルが思わずそう呟いていた。
熟練の魔法使いでは絶対に起こり得ない現象が、今まさに起きようとしている。
魔力の扱い方を知らない覚えたての素人が、コンセントレーションを乱し、魔力の制御ができなくなった状態。激化する感情に呑まれて、抑圧された力を全て杖から解き放つ未熟なる暴走。
「そんなバカ一家を! この我、デースマースが導いてやろうと申しているのです! さっさと黙って首を垂れればよい、役立たずの兄とは違って貴方は有効活用して差し上げるつもりですから! そんなに兄に拘るなら、戦場で散り果てて草葉の陰で兄と再会すればよいでしょう!」
「……ッ!」
かつて鳳輔が感情の誤作動を食い止め切れず、同級生を殴ったのと同じように。魔法使いも我を失うと、自分の意思とは関係なく魔法が溢れ出す。
暴発だ。
この止むことを知らない風はその前兆……。
「やめろッ、アイ! 暴走す――」
腹の底から叫んだ俺の声は、荒れ狂う風に掻き消されて――。
「お前なんていなければよかったんだッッ!!!」
その慟哭と共に、アイの杖から断裂魔法が溢れ出す。
幾つもの銀なる刃が四方八方に飛び出して、周囲一帯を切り裂いた。自我を失うほどの激昂に威力を狂わされ、無差別に全てを傷つける憤懣の諸刃と化している。
「む……っ」
一番近くにいたデースマースのマントが切り裂かれて、奴は杖を振るって空を舞い、近くの信号機の上に着地した。
生い茂っていた花壇の緑が断裂され、窓ガラスが炸裂し、地面に亀裂が走り、電球が割れ、空の鳥を引き裂き、無造作なる刃は周囲のありとあらゆるものに刃先を突き立てる。
その中の一つが、吸い込まれるように、俺たちのほうに向かって飛んできて――。
……ハルの腹部に命中し、その肉を切り裂いて、夥しい鮮血を溢れさせた。
全ては一瞬の出来事。
攻撃を受けたハルは勢いよく喀血しながら、受け身も取れずにその場へ倒れ、自身の体から漏れだしていく血溜まりにその身を横たえる。
その目から光は失われ、死にゆく魚のような濁り色が浮かぶのみ。
俺がハルの手を握って声をかけても、彼女は返事を寄越さない。
繋いだ手から伝わってくる脈拍が、どうにも希薄に感じられて――。
ここで、世界は暗転した。




