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11章 恋する二人は繋ぎたい-1

 空はやや曇り気味で、湿度の高い日だった。


 こんな日に外を出歩こうとするならば、ふところに折りたたみ傘を差しておくのが常識だろう。しかし俺たちは傘の代わりに杖を忍ばせて、関東セレスティアタワー駅へと降り立っていた。

 俺たちの住処よりも近代的な駅を抜ければ、休日ゆえの人波と騒めきが出迎え、そして目の前に聳えるセレスティアタワーが視界に入る。その先端を見上げようとすると頸椎が悲鳴を上げるくらい、雄大かつ威風堂々とした塔だった。


「毎度来るたびに思うけど、でっかい塔さまだねぇ」


 チェック柄のロングスカートと控えめなリボンが着いた黒シャツというお出かけルックに身を包んだアイが、その上から羽織っている秋モノのアウターのポケットに手を突っ込みながら慣れ親しんだ口調で言う。

 以前、学外活動に出た時は制服で出かけたので、アイの私服姿を見るのはこれが初めてだ。ボディの起伏も身長も必要十分とは言えない彼女だが、デート用コーデに彩られた立ち姿はなんだかいつもよりも年上っぽく見えて、本当にあのちんちくりんのアイなのか自分を疑いそうになってしまう。


「うわー、でかー……クロ! あれって何テラメートル?」

「計算に困るから一般的な単位を使ってくれ」


 一方、楽しそうなものを見つけると人の名前を呼んでくるハルは、余所行きというにはあまりにも庶民派すぎる出で立ちだった。デート用の衣服なんて持っていないし、そんなもんを買う金もないので仕方ないのだが、近所のスーパーにお出かけする時と同じ格好だ。

 ちなみにそれは俺にも当て嵌まる。上も下も3ヶ月近く着続けた無難オブ無難のカジュアルオフィス的スタイルだ。デートというよりはお出かけと言った方が似合うような服装なのだが、本当にデートらしくなるのだろうか。


「人多いなー。レディーたち、はぐれないように俺の乳首をしっかりと掴んでおくんだぞ」


 交通系ICカードの乗り越し精算をしていたせいで出遅れた鳳輔がやってきて、小春日和に喜びを感じる爽やかな朝だというのにジャブのようなおげれつネタを繰り出してくる。

 奴も格好こそいつもと同じようなもんだが、主張し過ぎず尚且つ存在感を放つアクセサリーをネックに装備し、手首やウエストからオードトワレのミドルノートらしき香りを漂わせていた。髪の毛のセットもいつもよりキマっているように見える。


「おっ、残念だが乳首が足りないな。3つに増やせないなら残念ながら乳首切り落としの刑だな」


 セクハラをインターセプトするために鳳輔の乳首を摘まんで捻り上げる。


「いてててレディーたちって呼びかけただろ。お前、レディーかよ!」

「うん」


 マジで!?と驚いている鳳輔を放置し、タワーを見ながら「すごいねー」と言葉をかけ合っている残りのレディー2人を呼び寄せる。


「じゃあこれよりWデートを開始するぞ。実行委員長のハル先生、開会宣言を頼む」

「一発やるぞー」

「はい一発やってくれるとのことで、何をしでかしてくれるんでしょうね。では次、アイ生徒、本日のタイムスケジュールを」

「よしきた。本日はこれより各々がタワー及び水族館へと向かい、待ちわびたデートを行う予定。その後は各自ウィンドウショッピングやらお散歩やら好きなことをし、6時間後の16時にここで集合する運びとなる感じかな?」

「さすがアイ、先日俺が送ったスケジュールをガン見しながらの発表ありがとう。じゃあ最後に鳳輔被疑者、本日の注意点を」

「任せろ。今日は安全性に配慮し、諜報員さんへの事前連絡と、信用に足るか分からないが今のところ敵ではないダウナさんに念のため声をかけた。もし敵に遭遇したら真っ先にクロへ連絡を入れれば、すぐ助けに来てくれる上に他の2人への連絡もしてくれるとのことだ。頼もしいことこの上ないな」

「よし、鳳輔が一番マトモに回答してくれたことに驚きを禁じ得ないが、注意事項はお聞きの通りだ。ちなみに右手側をご覧いただければ、本日護衛を担当する者のプライベートを垣間見ることができるぞ」


 俺が親指を向けた先には、財布を握り締めながらクレープの移動販売カーに並ぶ諜報員の姿があった。休日だというのに制服を着ている学生グループに挟まれ、大変居心地の悪そうな顔をしていらっしゃる。

 ダウナに関しては連絡した時に「君たちは楽しそうだな……。分かった、いつでも駆け付けられる場所にいてやろう……」と言っていたので、姿は見えずともどこかにいるはずだ。


「んじゃ、そろそろWデートを始めるか。そもそも別の場所でデートすることをWデートって呼んでいいのか知らないが」


 はーいとかおーすとか各々が自由な掛け声を発し、俺たちはペアで分かれた。


「じゃ、あたしたちはタワー行ってくるねー。後で写真送るから!」

「めいっぱい初デートを楽しめよ。カワテブクロってヒトデが展示されてたら是非写真を撮って送ってくれ。じゃあな」


 アイと鳳輔が手を振ってタワーに隣接した商業施設の中に向かって歩いていく。


「いってらっしゃーい! ぶちかましてきてねー!」


 ハルも元気いっぱいにそんなことを言いながら手を振っているが、一体何をぶちこかますように指示しているのか甚だ不明だ。

 そして二人を見送った俺たちは、わざとらしい伸びを一つしてから、視線を合わせないようにしつつ一歩を踏み出した。


「じゃ、行くか。その、なんだ、初デート」

「ええ、行きましょ」


 羽が生えたかのように軽い足取りで、俺たちも商業施設に突入した。





「水族館って人を見るための施設だったかしら?」

「キレるな、堪えろ」


 入口ゲートでオンラインパスを見せて、さあ念願の水族館へと息巻いたのも虚しく、人混みに阻まれてロクに進めない状態だった。

 どうやら休日ということもあって非常に混雑しているらしく、入場まで少しだけ時間をおかなくてはならないようだった。なので俺たちは遠くに魚の水槽を捉えながらも、薄暗い入口で棒立ちしているしかない。


 しかし待てども待てども入場の合図は出てこず、隣にいるハルはもうエサの前で待てを命じられた犬のよう。最初は水族館の公式ページを見てあれやこれやと楽しそうにしていたのだが、今や魔法界にいた頃のような死んだ目で係員を見つめていた。


「発想を転換してみろ。ラーメン屋だって行列の出来ている店のほうが美味いだろ? ここまで待たせるんだから、恐らくもンのすごい魚が出てくるぞ。多分二足歩行できるし喋る」

「マジ? 人見るのとあんまり変わらないじゃない」

「人も魚も心臓の数は同数だから同じようなもんだろ。……ああもうヒマだからって人のシリポケットに手ぇ突っ込んだり引き抜いたりするな。本気で手持無沙汰なら自分で自分をくすぐって笑ってろ」

「赤ちゃんチンパンジ―しかやらない遊びを推奨しないで」


 あまりにもヒマすぎてグダグダな会話を繰り広げていると、はす向かいにいた係員が「前5列までのお客様はご入場くださいー」というアナウンスをし始めた。俺たちは前3列目だ。


「お! きたわよクロ! 全軍突撃!」

「お前らンとこの国が進軍してくる時のこと思い出すからその掛け声やめて」


 長いこと焦らされたが、ようやく俺たちは本当の意味で水族館に入ることができた。


 ……館内は神秘的な蒼色に染められていて、水槽の中がよく見えるよう仄かな照明に照らされていた。まるで海の中を歩きながら魚を見ているような感覚で、回遊している魚たちもこちらを気にかけているようには見えず、心を落ち着かせるには丁度いい環境になっている。

 天から指す光が水槽内を眩く照らし、水槽前の俺たちにサファイアブルーの光明を落とす。アクアマリンの世界には色取り取りの珊瑚が並び、回遊する魚と共に人工的な光を浴び続けていた。


「ほわー……」


 ハルは水槽に手を当てて、何も知らず暢気に泳ぎ回る魚を見つめた。魚にとってその手は異物なのだろうか、何匹かの食いしん坊が彼女の手に寄ってきていた。


「見て見て、よってきた! え、めちゃかわじゃないの。よし名前を付けてあげましょう」

「愛着持つペース早くない?」


 これから何百匹もの魚を見ることになるというのに、いきなり遭遇した小型のクマノミを可愛がっていた。ちなみに付けた名前が「にぼし」なのだが、魚に魚の名前を付けるのは控えめに言って気が触れている。


「でもホントに可愛いなコレ。ちっちゃいナリで泳いでやがるぞ」

「ねー! この何考えてるのか分からない目がキュートよね! クスリ打ってそう!」

「やば、誉め言葉の才能が皆無じゃん」


 そのまましばらくクマノミを注視していたハルだが、放っておくといつまでもこの場に留まっていそうなので腕を掴んで軽く引っ張る。この水族館に生息する魚の種類は約350種だ、1種に時間をかけすぎると到底完投ペースではいられない。


「あ! イルカ!」

「残念だがあれはシャチだ。いや近くで見ると怖ぇなシャチ、こんなん人とか食べるだろ」

「うわわわわ見てクロ、スナメリいるー! かわいい!」

「いやあれマナティ。よく見ろ、顔オッサンだから」

「あー見てー! ヒトガタいるー!」

「いねえよ、UMAいねえよ。あれ水槽の掃除してるスタッフ」


 たっぷりと事前知識を付けてきたはずなのに悉く間違っているハルだが、その横顔があまりにも楽しそうなのでこちらの頬も緩んでしまう。

 ようやく念願の水族館に来られたのだから、黄金の国に辿り着いたマルコポーロみたいな心境になってしまうのも頷けるが、目を離すとすぐにすっ飛んでいってしまうのは勘弁してほしいところだ。うっかり余所見なんかしてたら迷子になりかねんぞ。


 ハルの首根っこを掴んで暴走を止めていると、すぐ近くをラブラブカップルが通り過ぎていく。

 その彼氏彼女はお互いの手を握り合っていて、しかもあろうことか恋人繋ぎという暑苦しい繋ぎ方をまざまざと見せつけていた。恋人同士ということもあってか距離感が妙に近いので、歩くたびに女性側の胸が男性の腕に当たりまくっている。


「…………」


 なるほど。ああやって手を繋げば絶対はぐれずに済むのか。

 というか、決して声を大にしては言えないが、繋ぎたい気持ちがある。


 いやでもどうやって誘えと言うんだ。デートの時みたいに、おてて繋ぎませんか?なんて申し込みをするのか? 手を繋いで街を歩くカップルは数あれど、そんな光景見たことないぞ。

 アレか、前にテレビでやってたトレンディドラマの再放送によると、いい雰囲気になった時にさりげなく指を絡ませて繋いでたな。そうかそれだよ、いいじゃん作戦整ったじゃん。


 で、どうしたらいい雰囲気になるの?

 アレか、前にテレビでやってたトレンディドラマの再放送によると、手を繋いで見つめ合うカップルがいい雰囲気になってたな。そうかそれだよ、いいじゃん作戦整ったじゃん。

 で、どうやって手を繋ぐの?


「あ゛ーッ、俺にもう少しマトモな知能があれば……!」


 自分の不甲斐無さに心底呆れつつ、髪の毛をばりばりと掻いた。鳳輔を見習って朝セットしてきた髪がいつものスタイルに戻ってしまったが、そんなこと気にしている余裕はない。


「え、どうしたのクロ、知能が足りないの?」

「あん? あ、ごめん一瞬喧嘩売られたのかと思った。いやちょっと考えがまとまらなくてさ」

「知能が足りないなら魚とか食べる? DHとかいう成分で頭よくなるわよ」

「いや指名打者は摂取したくないんだけど、水族館で魚食べるとか言わないでくれない? 近くにいる魚がびっくりして目ぇ丸くしてるじゃん」

「ギョッとしたのね」

「お前今日生きて帰れると思うなよ」


 初歩的なダジャレをこの世で最も憎む俺は殺人予告を一発かまし、視界の端っこでちらちら見えているコーナーを指さす。


「あれ行こうぜ、セイウチコーナー。人の恐怖本能を呼び覚ますくらいにバカデカいセイウチがいるんだとよ、しかもツガイで。一緒にちびろうぜ」

「やややややや私そういうのアレだから海獣とかムリだから。クロ1人でちびってきて。も、ドリンクサーバーの如く盛大にちびってきて。私はちびるどころか火災警報器みたいなおぞましい悲鳴上げちゃうから」

「いやいいよ、一緒に悲鳴上げようぜ。俺も甲子園のサイレンみたいな声出すから。ほらオーエスオーエス」

「ああーッ、うら若き乙女の腕を力ずくで引っ張りやがるー!」


 順路をあまり守ることなく進んでいくと、館内は段々と薄暗くなっていき、暗い場所を好む習性を持った魚たちが展示されていく。そんな道を進んでいくと、ひときわコバルトブルーが濃い道を発見した。


「オアーッ! 見て、マリントンネル! これ吐くほど楽しみにしてたの!」

「一応デート中だからオアーッつう勇ましい掛け声はやめてくれ」


 ハルに袖をぐいぐいと引っ張られながらマリントンネルの中に足を踏み入れる。


 四方八方を水槽に囲まれたトンネル水槽は、蒼色に差し込む照明が辺りを青白く色付かせ、自分が海中を歩いているかのような錯覚を与えてくれる。水族館特有の落ち着いた調光から景観が一転したので、事前知識は無くともここがこの水族館のウリであることを理解できた。人気を表しているのは色合いや雰囲気だけではなく、滞留する来場者の数からも顕著に窺える。

 少しだけ差し込む光の色がくすんだ気がして、何か陰になっているのかと天を見上げれば、妙にマヌケな顔をしたエイが我が物顔でトンネルの壁面を這うように泳いでいた。


 完全に俺たちを気にせず過ぎ去っていくエイを眺めていくと、街で見かけたら忍び足で逃げ出したくなるような目つきをしたトラフザメがフェードインし、その下方ではネコザメが全てがどうでもよくなったような表情で寝そべっている。

 それ以外にも何十種類もの魚が回遊しているが、よくもまあこれだけの魚がいてバランスが保たれているものだ。サメって他の魚を食べるんじゃなかったっけか、この水槽にいる魚が果たして展示物なのかエサなのか分からん。


「クロ! ちょっとちょっと!」


 アトランティックターポンを見ながら、大半の古代魚って言われないと気づかないなあ、なんて思っていたらハルに呼びつけられた。

 目線を向けてみると、妙にバカデカいアオウミガメがハルの近くを悠然と泳いでいる。そんなカメを全力で指さしながら、「写真! 写真!」と要求してきていた。

 俺はポケットから携帯電話を取り出すと、ハルとカメを画角に収めて、適当にピントを合わせた。


「はい、1+1はー」

「2!」


 何故かハルが片手ではなく両手でピースを作ったせいで、カニとカメのツーショットになってしまった。鳳輔に見せたらまた違った感想を述べそうな気がする。


「クロ、カメが逃げる前にもう一枚!」

「はいはい、(1+1×π+(√3-Log2)の4乗×Lim(1+(1÷n)のn乗))÷0はー」

「♯DIV/0!」


 エラーを吐き出しながらも、再びハルとカメの写真を激写した。


「どうどう? 盛れた?」


 半ばスキップに近い足取りで寄ってくるハルに、今しがた撮った写真を見せてやると、ワオ!というアメリカンな驚嘆を返された。

 ド迫力のカメの横にいるにも関わらず、ツラの良さだけで存在感を放っているハルは、つくづく被写体向けの顔だなと思う。手前味噌ではあるが写真の構図もいい感じなので、なんだか水族館の勧誘ポスターに使われていてもおかしくない一枚だ。


「いいじゃん、被写体として優秀じゃん」

「ふふーん、知ってる♪」


 珍しく率直に褒めてやると、写真撮影用のピースをぴすぴすとこちらに向けてくる。そして得意げな顔をしながら俺の腕を引っ張り、イケメン男子みたく気軽に肩を組んできた。

 そして彼女も携帯を取り出し、写真アプリを開いて撮影方向を内カメラに変更する。


「ほらほら、せっかく来たんだから2人で撮りましょ。丁度バックにイヌザメもいるし」

「え、俺も? いやお前、近い、近いって……」

「あっ、こら画角から逃げるな。逃げると追い詰めるわよ」


 妙に気恥ずかしくて思わず距離を取ってしまうと、その分だけ距離を詰められて、最終的に寄り切りのような形で逃げられない場所まで追い詰められてしまう。


「分かった、撮るから人のベルトをまわしの要領で掴むのはやめてくれ……」

「お、観念したわね。はいじゃあ撮るわよ、1×1はー?」


 え、1じゃん、と思いながらピースすると、フラッシュは焚かれずにシャッター音だけが響く。左下の写真サムネイルに俺のマヌケな顔が記録されていた。


「なんか鏡の自分と写真の自分って人相がまるで違うな。鏡の自分は1発殴りたくなるような顔だけど写真の自分は2発殴りてえ」

「写真の自分が本当って言うわよねえ。どちらも可愛いと感じる私は幸せ者なのかしら?」

「幸せ者っていうか、ハルは異常に写真写りいいからな。多分鏡と写真であんまり差が無いんじゃないか」

「まあ、写真写りがよくなるために表情とか角度とか研究したからねー。そのあたりの知識で言えばもうプロ並よ」

「ホントに戦時中国家の王女かお前は」


 妙に恥ずかしい写真撮影を終えた俺は、少しだけ火照った顔を冷ましながら先ほどのアオウミガメを観察する。よく鶴は万年で亀は千年というが、亀のほうが長生きしそうな気がしてならない。

 そんな俺を、少し離れた場所からぱしゃぱしゃと撮影してくるパパラッチ同居人がいた。


「……そこのフリーの記者の方ー? 俺は記者クラブに入ってないヤツからの撮影は受け付けていないのだがー?」

「んー? 大丈夫、代わりに学園祭実行委員会に入ってるから」

「ていうか俺を撮ってもつまらんだろ、もっとエラとかヒレとか付いてる生き物を撮ったほうがいいぞ」

「あーじゃあヒレとか生やしていただいてー」


 適当な返しをしながら撮影を続け、撮れた写真を見てにまにまと表情筋を緩めやがる。

 勝手に撮んなよと言いながら全力のピースをしてやると、撮っていいのかダメなのか分からなくなって若干バグっていたが、しばらく写真を撮られ続けた。


「お前アレだからな、そんなに撮るなら俺も撮るからな。カメラアプリに撮影と同時に魂取れるダウンロードコンテンツ入れちゃうからな」

「顔面に絶対の自信があるから受けて立っちゃうわ。はい21世紀最高の笑顔!」

「お、ビワコオオナマズいるじゃん」

「撮れよ!」


 珍しく命令形で怒られたので、大人しくハルを激写した。

 しばらくしたら被写体にも飽きた彼女も携帯を取り出し、ハルを撮る俺を撮るハルを撮るという合わせ鏡のような状態になってしまったが、傍から見たらバカップルに見えていたかもしれない。もしくはただのバカ。



 そんな風にしてマリントンネルを抜けると、地下へと続くエレベーターがあった。館内マップによればエレベーターはクラゲコーナーに直通しているようだ。

 扉が開いた瞬間、目に入る光景は蛍光的なルビー色に染められた空間と、その灯りを受けて真紅色に染まるクラゲの群れたち。薄暗いせいもあってまるでコムローイ祭りのような幻想的風景に染め上がっている。

 柱のような円柱の水槽に入っているのはアマクサクラゲ、壁に埋め込まれた水槽内を漂っているのはミズクラゲ、他にも沢山の種類がそこに集っていた。


「わあ……」


 ハルの感嘆は、きっと意図せず口から出てしまったものだ。彼女の目が輝いて見えるのはこの照明のせいだろうか、それともこのクラゲたちの楽園のおかげだろうか。

 クラゲたちの舞い踊る世界を、俺たちはゆっくり進んでいく。時折足を止めて、その造形に思いを馳せながら。

 先ほどまでは騒いだりしながら水族館を楽しんでいた俺たちだが、突然館内が幻想的な空間に様変わりしたので、雰囲気に呑まれて口を閉じていた。

 真紅の光が緩やかに色を変えていき、深海を思わせるような昏い青へと変わり、時の流れと共に黄金のような黄色へと移り変わっていく。その度にクラゲは見かけ上の色を変え、それでも呑気に水中を漂い続ける。

 絵画の中に迷い込んだような世界に包まれ、俺たちは言葉少なく歩いていく。

 しかし退屈しているわけではなく、水槽の中のクラゲを眺めて、その瞳を輝かせていた。特にハルは様々なクラゲの種類に興味津々なようで、小さすぎるクラゲや妙に茶色いクラゲや帯が長いクラゲなど、それぞれの違いを楽しんでいるようだった。

 そんなハルを見て、俺は静かに息を吐く。

 こんなに楽しんでくれるのならば、もう少し早く来ても良かったかな。


『資金面的に厳しいな。……それに俺たち、遊んでる余裕なんてほとんどないだろ。場合によっちゃ明日にもこの世界が終わるかもしれないんだ。遊ぶより今後どうしていくかを考えたほうが建設的な気もする』


 かつてハルに言い放った一言が、頭の中でリフレインする。

 もしもあの時、もっと早く遊びに行こうと決めていたならば。

 これから帰還するまでに遊びに行ける箇所が、少しだけ増えていたかもしれない。たった一箇所だけでも、ハルを心から楽しませる機会が増えていたのかもしれない。

 そう思って目を伏せた。昏い足元に視線を向けて、後悔の念ばかりを渦巻かせる。


「……楽しいね、クロ」


 そんな言葉は不意のもので。

 彼女は水槽越しに俺の仕草を見ていたのだろう。それはいつになく優しい声だった。


「ああ……楽しいな」


 強がるような口調でそう言った。そして再び水槽に目をやり、歯噛みしながら想う。

 残り少ない日々を、今度こそ悔いなく生きていこう。二人の世界を際限なく広げていこう。

 クラゲの漂う世界にはこんなにも入場客がいるというのに、今だけは、まるで二人きりになったかのようだった。


「ねーねー、クロー」


 パージされたクラゲのフリルを見ながら、ハルがたった今思いついたかのような口調で申してくる。


「なんだ。クラゲのことなら俺じゃなくてスタッフの皆様に聞いてくれよ」

「そうじゃなくてー。デートっていいものねえ。今日、ずっと楽しい」

「お……」


 俺もそう思っていたところだ、と言おうとして言葉に詰まってしまう。

 そんな感想を口にできるほど、デートらしいやり取りをしていない。多分今までの流れは全て『お出かけ』と呼ぶに相応しい内容で、これをデートと呼ぶのは違う気がする。むしろお出かけをデートという呼び方にして不当に顧客を誘引しているのだから、景品表示法における優良誤認に引っかかる気もする。


「……」


 こんな体たらくで……アイたちと合流した時に、初デートがうまくいったと胸を張って報告できるのだろうか。

 デートの内容を話せばきっと、次は頑張ろうね的な慰めを受けるだろう。そんなの、デートに失敗したと明言されるようなもんだ。

 自信をもって報告するためには、アレしかない。カップルたちの恋愛誇示行動、おてて繋ぎだ。


「……ハル、アレだ、地下だから手ぇ寒くないか?」

「え? 非常に快適だけど?」

「いや寒いに決まってる。あの、とりあえず頷いてもらわないと話が進まないので寒いと言っていただいていいですか」

「えーヤブ医者に誤診されてるー。……、……ん?」


 そこでハルは俺の言わんとしていることに思い当たったようで、「ふーん?」と「ふふーん」の丁度中間くらいの表情になる。そして急にしおらしくシナを作り始めた。


「あーあ、なんか急に手ぇー寒いなぁ。手だけ2月の極寒。末端冷え性」


 わざとらしく手をすり合わせて、わざとらしくハァーと息を吐いて手をぬくもらせて、わざとらしく秋波と呼ぶべき目線をこちらに投げかけてくる。


「偶然ながら俺も手ぇ冷たいわ。心が温かいから手が氷のようだ。血行障害の疑いアリ」


 入場客がクラゲに目を奪われている中、互いに己の手を擦りながら息を吐きかけるバカ二人。傍から見たら今すぐ血栓溶解療法が必要な故障者にしか見えないのだが、本人たちにとってはどちらが切り出すかを譲り合っている一触即発の状況だ。

 しばらくそんな状態を続けながら、ハルの様子を見つめる。イルミネーションのような照明に染め上げられ、彼女は幾多もの色に変わっていたが、その頬だけはどんな色にも染めきることはできないようだった。


「あの、ハルさ、ちょっと捕らえさせてもらっていい?」

「あ、その誘い文句はイヤかも」

「ダメなのか。……あー、じゃあ、もうアレだな」


 言葉に頼るのは止しておいて、もう無言でハルの手に向かって己の右手を伸ばしていく。

 指先が触れた瞬間、びく、とハルの手が震えた。しかし逃げるようなことはせず、一秒後にどんな状態になるのかを予測しながらも、彼女の手はその場に留まり続けて――。


「うお!」

「わ!」


 俺が急に叫んでしまったものだから、目の前にいたハルにも驚愕が感染してしまう。


「はっ、はからったな! 人がちょっぴり緊張してる瞬間に大声を上げてビビらせるとはゲスのやりくち!」

「いでで叩くな。はからったな!じゃなくて、はかったな!だろ」


 痛くも痒くもないが後ほどじわじわ効いてきそうなパンチをボディにくらいつつ、左手に握っていた携帯電話をハルの前に掲げる。


「違くて、驚かせようとしたんじゃなくて、いきなり手の中の携帯が震えたから驚いちゃったの」

「だとしてもタイミング! マナーモードのくせにマナーがなってないわ! 一生サイレントモードにしてやろうか!」

「いでで股間を叩くな。ごめん、いやホントごめん。こんなタイミングでメッセージ送ってきやがった不届き者を火炙りの刑に処すから許して」

「いいだろう」


 いいのか、と送信主が気の毒になってしまった。

 火葬される可哀想な者は誰だろうと携帯を見てみると、なんだか見知ったような懐かしいような名前が表示されていて――。


「うお!」

「わ!」


 思わず先ほどのやり取りをリピートしてしまう。


「はからったな!」

「え、お前学習能力が……。いやそれより、これ、これ見ろ!」


 今度はメッセージの送り主をハルに見せつける。その名前を見たハルが、ただでさえ二重でパッチリしている目を更に見開いた。


「委員長……!?」


 そう、数日前に杖の入所経路を問うメッセージを送った相手からの返信だ。

 返ってくる見込みは薄いかと思って諦めていたのだが、数日間を置いてようやく返事が来たのだ。俺とハルは静かに息を呑み、お互いに頷き合う。

 メッセージの全文を表示させると……そこには予想だにしない人物の名前が綴られていた。


『やあクロくん、久しぶり。返事が遅くなって申し訳ない、こちらも色々と忙しくてね。

 杖の経路についてなのだが、できればこの話はアイくんと鳳輔くんには秘密にしておいてもらえるとありがたい。この話を聞けば、彼らはきっと不快に思うだろうからね。

 あの杖は、アイくんの兄である朝霞正善あさかまさよしくんと、かつて鳳輔くんに殴られた男子生徒の姉である坂浦美奈子さかうらみなこくんの遺体から鹵獲したものだ。

 彼らは何者かによって魔法使いにさせられたらしく、魔法を使って色々な事件を起こしていたらしい。

 僕が彼らの存在を知ったのは、強い魔力を感じ取り、二人が死亡することになる事件の現場に向かった時のことだ。見てすぐに殺し合いをしていたことが分かったよ。

 事件現場に残されていた杖を回収して、杖の老朽化に悩んでいた我々が有効活用させてもらっていたんだ。実の兄の遺体から奪い取った物だと知ったらアイくんも鳳輔くんもイヤな顔をするだろうから、秘密にしていたのだけれども……。

 彼らの経歴や経緯などを調べて、何故あんな事件が起きたのかを理解することはできたけど、この辺りのことは鳳輔くんに聞いてほしい。部外者の僕が事件の概要を広めるのは、やはり気が引けるからね。

 君たちがあの杖のことについて聞いてきたということは、あの2人を魔法使いにした何者かが行動を起こしたのだろう。

 しかし、あまり深入りしないことをオススメする。君たちは僕のせいで膨大な魔力を失い、無茶のできない存在になってしまったのだから。

 久しぶりのメッセージ、嬉しかったよ。またいつか、どこかで会おう。

                                   ――東松山咲希』


 そのメッセージを読み終えた俺たちは、只々絶句することしかできなかった。

 ハルの兄が、同じように魔法使いにされて……そして、死んだ。

 魔法使い同士が殺し合いをしたというのならば、当然魔法が使われていたはずだ。

 じゃあ、もちろん、殺し合いをした相手がアイの兄の仇ではあるが――彼らを魔法使いにした人物も仇と言えるはずだ。

 その人物がデースマースなのかは分からないが、もし同一人物なのだとしたら……。


「アイの兄が死ぬ原因を作って……その上、アイ本人まで魔法使いにしたっていうのかよ……!」


 手を繋ぐことすら忘れて、俺たちは、先ほどより無機質に感じられるクラゲの世界に立ち尽くすことしかできなかった――。

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