10章 ハルモニア先生の魔法教室
「祝開校! ハルモニア先生の! ティッツな魔法教室!」
威勢のいいハルの掛け声に呼応して、アイと鳳輔がスタンディングオベーションと言っても差し支えない拍手をかまし、一方の俺は魔法教室の前に付属していた如何わしい単語に顔を顰めていた。
「先生、ハイ先生。なんでティッツなんすか」
俺がやる気のない挙手をしながら訪ねると、ハルは賢そうな伊達眼鏡(先ほど学校の落とし物BOXから拝借していた)をくいっと上げて、いい質問だねとでも言いたげに手を打ち鳴らす。
「さっき教室名を考えていたんだけど、鳳輔から有用なアドバイスをもらって付け加えられた単語なの。『最高』とか『素晴らしい』って意味らしいわ」
「『乳房』って意味もあるぞ」
「祝開校! ハルモニア先生の! 魔法教室!」
意味を理解したハルは、即座に不適切な単語を排除してから仕切りなおす。アイと鳳輔が再びスタンディングオベーションと言っても差し支えない拍手をかまし、一方の俺はそもそもなんでお前が先生役なんだというような視線を向けていた。
ちなみに今はデースマースの部下とやり合った翌日、金曜日の放課後だ。授業を終えた俺たちはかつて学園祭実行委員会が縄張りにしていた特別教室に集い、アイに攻撃魔法を教えるための魔法教室を開いている。
本当は俺が講師役を勤める予定だったのだが、女教師っぽい服装と伊達眼鏡を着用したハルにいつの間にか乗っ取られていた。眼鏡はいいとしてその服はどこで調達したんだ。
「ちなみにこの服はまもり先生から快く拝借したわ。日ごろジャージで過ごすタイプだから職員会議の時にしか着ないらしいの」
こちらが問いただす前に自ら仕入先を暴露し始めた。確かにまもり先生はジャージを着てるイメージしかないが、だからといって気軽に借りていいもんでもないと思う。
「更にちなみに、この服を借りる時にクロへの伝言を預かったのだけど『オメ女子高生に女教師の服着せるプレイとかどんだけ性的倒錯してんだよ』と言っていたわ」
「今から職員室に放火してきていいか?」
「さーて魔法教室始めまーす」
無辜なる俺にあらぬ疑いが掛かったというのに進行を優先しやがった。
ハルが杖を振り上げると、アイ以外の3人の体に障壁が張られ、更に教室の壁沿いにも丈夫そうな障壁が出現した。これならアイが操作を間違っても何かが傷つくことはないだろう。
ちなみにハルは昨日、石化のどさくさに紛れて杖を鹵獲していたらしい。ナイスな判断ではあるが手癖が悪いとも言える。
「本日アイにレクチャーする魔法は断裂魔法! いわゆる刃を飛ばす魔法ね。理論を学ばなくても出せる上、低コストで高威力、汎用性も高い初心者にはオススメの魔法よ」
「断裂魔法……あっ、昨日ダウナさんが使ってたアレだね」
昨日の光景を思い出して、アイは少し嫌そうに首を傾げた。確かに攻撃魔法の中では見栄えがグロ寄りなのでそんなリアクションも頷ける。
「えーっと、あのー、それって昨日みたいに人の腕を切り落としたりするやつだよね? あたし、そういう血が出たり肉が飛んだりするのは気が引けるなあ……」
「大丈夫よ、素人が使っても腕が吹っ飛んだりしないわ。カッターで皮膚を切り裂くくらいね」
「えっ、それだけだと全然脅威にならないんじゃ……」
「断裂魔法が使える、って事実が重要なのよ。そうね、えーっと……クロ!」
ハルが指を鳴らして俺に合図を送ろうとしたが悲しいくらい何も鳴らず、ついには助けを求めるかのように名前を呼んでくる。
俺は本来の予定通り、杖の先から炎をポンと出した。その場で浮遊する小さな炎はまるで人魂のようだ。
「ホラ、こんな具合に! 炎魔法とかは大きさで威力が分かってしまうのよ。こんなものを相手に発射したところで、ザコだと思われて襲われるのが関取だわ」
多分関取ではなく関の山だろうけど言いたいことは伝わったらしく、アイは律儀にメモを取りながら頷いていた。その隣で鳳輔も同じくメモを取っているようだが、どうやら女教師コスのハルを模写しているだけのようなので破いておいた。
「でもね、断裂魔法はそうとは限らないの。もちろん巨大な刃を顕現させることもできるけど、小型の代わりに貫通力を高めたりとか、小型の刃を連射したりとか、色々な使い道があるわ。牽制としてもよく使われるから、実力を見破られにくい魔法と言えるわね」
「なるほどー。しかも炎とかとは違って、至近距離で使っても自分に被害が出づらかったりしそうだね」
「そう! 理解が早いわね、大変にグッドよ」
突然ハルが喜々として中指を立てはじめたのでアイがぶったまげていた。やべーなあいつサムズアップとファックを間違えて憶えてやがる。
「というわけで実践編ね。はい生徒たちは起立して、杖を構えてそのまま待機!」
言われたとおりに構えるアイと、生徒たちと複数形で言われたせいで水筒を持って同じポーズをする鳳輔。アイの様子を見ながら、ハルは地面にスチール缶を1個置いた。
「断裂魔法の刃を使って、このスチール缶に傷を負わせるのが今回の課題よ。最初は変な感じがして戸惑うかもしれないけど、しばらく続けていればちゃんと出すことができると思うわ」
「精通みたいだね」
「鳳輔は少し黙っててね」
バカを放置し、ハルはアイの隣へ移動して、その下腹部辺りに手を添える。
「断裂魔法を出す時はココらへん、丹田の辺りに力を集中させるの。全身の血液をココに集中させるようなイメージを持って、丹田と杖を接続させるような感じで一気に解き放つのよ」
「うーん、もう少し日常に寄り添った例えとかある?」
「便秘の時にトイレで天に祈りながら下腹部に力を込めるでしょう。あれ」
「あれか」
シロガラ国が開発した攻撃魔法に不潔な喩えを示すのは本当に止めてほしい。
「ハルちゃんハルちゃん! 俺の下腹部は触ってくれないのか?」
「クロ、触ってあげて」
「魔法使いでもないヤツの下腹部触るのはただのおさわりだろ」
今日は鳳輔が無駄に発情期だな……と一瞬思ったが、多分わざとなのだろう。
昨日、命を狙われた幼馴染を元気付けるために、無理矢理マヌケな道化を演じているのだ。しかし一方のアイも恐れなどをひた隠して平静を装っているので、ただ陽気な二人になってしまっている。
「ハイじゃあ実践開始ね。他の人は危ないからアイと缶の間に入らないように」
鳳輔を連れて、俺とハルは教室の隅っこまで移動していく。そして腕を組んでアイのお手並みを見守り始めた。
「じゃあ、とりあえずやってみるよ……! 見ててね……!」
目を閉じて、アイが深く深呼吸をする。息を吐くたびにお腹が少しずつへこんでいき、そこに力が込められていくのが目に見えていた。
そして勢いよく瞼を開いた彼女は、大仰なまでに杖を振りかざし、スチール缶目掛けて杖先を向ける。
「断裂魔法ッ!」
「あ、別に叫ばなくてもいいよ」
力の限り振り下ろされた杖からは何一つ刃らしきものは出てこず、ただ恥ずかしい掛け声を全力で放っただけの痛い人になっていた。
「あれ、おかしいな……確かに力を込めたはずなのに……」
納得がいかないというふうに首を捻り、右側頭部をぽりぽりと掻いている。
なんだか微笑ましい光景に少しだけ表情が緩む。魔法界の子供たちはみんな同じようなことを繰り返して一人前になっていくのだ
「多分、丹田の場所をいまいち理解していないのね。どうする? 丹田を一回殴ると分かりやすいけど……」
「メース国のお国柄を出すな」
スパルタ国家の流儀を採用するとアイの下腹部あたりがボコボコの紫色になりかねないので、代わりにシロガラ国流の教育を教えてあげることにした。
「具体的にはヘソの5センチくらい下なんだが、ちょっとずつ場所を変えながら、その辺りに力を集中させてみろ。一番力を込めやすい場所が丹田だ。それでもダメなら俺の後ろでシャドーボクシングを始めているハルが電光石火のパンチを繰り出してくるぞ」
「分かった、殴られないために頑張るね」
再び視界を闇に閉ざし、アイが下腹部に力を集中させていく。
「ねえクロくん……なんか、こう、この辺りに力入れるとさ……トイレが近くなるよ……」
「おっ、そこは理論さえ学べば暗殺魔法が出るところだぞ」
「こんな尿意を催す場所で暗殺魔法が出るの!?」
悪戦苦闘や四苦八苦をしながら、彼女は己の丹田を探し続けていく。太極拳とかヨガとかやってる人だと見つけるのが早いのだが、どうにも未経験のようだった。
「あ、ここ……かな? 多分見つけたと思う……」
「じゃあ、それをキープしたまま杖にも意識を割いて、魔力を移動させてみろ。血管を伝って水流が移動していくイメージだ」
「うーん、もう少し日常に寄り添った例えとかある?」
「吐瀉する時にゲロが食道を勢いよく上っていくだろ。あれ」
「あれか」
恐らく感覚派なのだろう、日常のちょっとした出来事を引き合いに出したほうが上手くいきそうだ。
「えーっと、便秘と吐瀉……便秘と吐瀉……」
「おいハル、アイがとてもお下劣なことを言うようになっちゃったぞ。俺とお前のどっちに責任があると思う?」
「間を取って鳳輔ということにしましょう」
いきなり責任転嫁された鳳輔が目を剥いて驚いていたが、そんなことを気に掛けず、アイが杖を振りかざす。
「断裂魔法ッ!」
「叫ばなくてもいいってば」
雄々しき声と共に彼女の杖から鈍い銀色の刃が発射されて、惜しくもスチール缶の数十センチ横の障壁に突き刺さった。
その威力は低く、障壁に僅かな傷を付けたに過ぎない。しかし紛れもなく、彼女が放った初めての攻撃魔法だ。
「……!」
魔法を撃ち放った張本人のアイは、見た?見た!?とでも言いたげに目を輝かせてこちらを見てくる。
「おー、すげえなこりゃ。見事なもんだ」
いの一番に褒めたのは俺でもなくハル先生でもなく鳳輔だった。お褒めの言葉をいただいたアイは「へへー」と言いながらVサインをこちらに向けてくる。
「よーし、その調子よ。とりあえず最初は刃を出す練習をして、慣れてきたらコントロールにも意識を向けて缶を狙うの。とりあえず一発でも魔法が出せたならあとは時間の問題よ」
「おっけ! 見ててね、バシバシ出してみせるから!」
一発出してみたら楽しくなってきたのだろうか、アイは無邪気に笑いながら再び集中を始める。無邪気に刃を出すのもなんか怖い気もするがまあいいや。
刃を出そうと一生懸命力を貯めるアイの周りで、鳳輔が謎の踊りをしながらエールを送っている。俺とハルは教室の隅っこで、生徒の頑張りを二人並んで眺めていた。
「いやしかし、さっきの威力を見る限り、アイはそんなに魔力が高いタイプじゃないな。虚仮威しに怯んでくれる相手じゃないと即座に見破られて襲われちゃいそうだ」
「ま、デースマース以外はトーシロだし、なんとかなると思うわ。……それよりクロ、一つだけ重大な懸念点があるんだけど」
「どうしたハル先生、いつになく真面目くさった顔をして」
「いや、別にそこまで真面目な話じゃないから腰を据えて聞くほどでもないんだけど」
「なんだ、じゃあただのくさった顔か」
「三文字抜いたらただの罵詈雑言よ」
ハルは携帯を素早く操作して、俺にカレンダーを見せつけてくる。明日の日付には謎の星マークが刻まれており、水族館という文字がポップアップで表示されていた。
「この調子で明日水族館に行けるの?」
「…………」
「ちなみに無理だと言った瞬間、ここでメース国とシロガラ国の命運を分ける決闘が始まるわ」
「喧嘩感覚で最終決戦を勃発させるな」
しかしハルの懸念も尤もで、今の俺たちがこの町を去るのは到底オススメできない行為だ。
アイへのレクチャーはまだまだ序の口段階で、今日明日に敵に襲われればひとたまりもないだろう。せめて同じ町に居ればすぐに駆け付けられるのだが、お出かけしてしまえば有事の際に合流までそれなりの時間がかかってしまう。
諜報員に頼む手もあるが、昨日見た感じ戦闘タイプじゃないっぽいし……ほとんど見ず知らずのダウナさんに頼むのもそれはそれで不用心だし……。
ものすごく普通の感覚で言えば、アイの魔法がモノになるまで、明日の水族館は延期にすべきだろう。
ただ、いつ解決するか分からない問題のせいで先送りにすると、いつまでも水族館に行けない可能性も出てくるし……デートしたいし……。
「……ん、あれ。ちょっとハル、水族館のホームページ開いてくれない?」
「え、ホームページの写真を見て行った気になれってこと? よしきた、今放つぞ乾坤一擲の大号泣」
「腹式呼吸で息吸い始めるのやめてくれ。違くて、水族館の所在地が見たいの。俺の記憶が正しければナントカタワーのふもとに建ってなかったっけ?」
「ん? あー……えーと出た出た。確かにセレスティアタワーの真下ね。えっ、タワーにも行くの? プラネタリウムもあるよ? 全部連れてってくれるの?」
「要求を段々エスカレートさせてる場合じゃなくて、セレスティアタワーってアイたちがデートに行く場所だろ? それならいっそのことWデートにしちゃえばいいじゃん」
「Wデー……ト……」
あまり聞き馴染みのない言葉を聞いたハルがアホみたいに口をポカンと開けて、ザ・ブルーマーブルみたいな奥深く雄大な目で俺のほうを見つめてくる。やめろよ、あんまり見つめられるとハンサムになるだろと言って顔を背けさせようとしたが、ヤツの首は空間に固定されたかのように動かなかった。
そのままたっぷりと17秒間ほど黙りこくった挙句、ようやく喉奥から絞り出した言葉は。
「え……明日のお出かけって、デートだったんだ……」
「ん!?」
今度は俺がハルを見つめる番だった。
いや、でも、そういえば、確かに、「デートだぞ」なんて明言をした記憶がない。
というか、こっ恥ずかしいから単なるお出かけというテイで済ませようとしていた。やばい、内心デートだと浮かれていたことが露呈してしまう。ここは屹然とした対応で誤魔化さないと。
「調子に乗るなよハル。いいか、広辞苑によるとデートという言葉の定義は『日時や場所を定めて異性と会うこと』だ。例え相手がハルだろうと定義に当て嵌まってしまったのだから致し方ないだろ。そんなに言葉の雰囲気に敏感なら日時や場所を定めないようにしてやる、明日の適当な時間に日本のどこかで集合だ。これでデートではなく得体の知れない何かになったな。分かったら白湯みたいに生温い目線を向けてくるんじゃない」
「へぇ~」
論理的に窘めたつもりなのだが、俺の隙を見つけてしまったハルは小悪魔どころか大悪魔みたいな顔になり、脇腹の下の敏感な箇所を指先でつんつんしてきやがる。
「クロちゃまは私とおデートするつもりだったんだ~↑」
「うるせっ、語尾上げるな。語尾下げてバランス取るぞコラ↓」
「でも相手に許可を取らないデートってどうかと思うの。ほら、片方がデートと思っていても、もう片方がただのお出かけだと思っていたらそれはデートじゃないわ。相互認識を合わせて初めてデートだと言えるの。つまるところ正式な申し込みが必要だわ」
「そう言われちゃうとなんか納得しちゃうだろ。なに、じゃあデートの申し込みをすればいいの。それどうやってすんの」
「相手に向かってデートしてくださいって言えば申し込みできるわ。尚、当選の発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます」
「えー……いや、じゃあ、えーと……あのさあ、明日の土曜日なんだけどさあ」
え、本当に言わなくちゃいけないのコレ。こちとら恋愛偏差値0のビギナーオブビギナーなんだけどいきなりデートの申し込みとかハードルが高すぎないか。もっと段階を踏んでチャレンジしていきたいんだけど。
俺は懊悩するかのように頭を掻きむしり、「えーと」とか「あのさ」などの多種多様なフィラーで間を埋めながら時間を稼ぎ、なんとか勇気を振り絞ろうとする。
いや無理無理できないって、死角からの鼻フックでこの場をやり過ごそう。なんて思いながら手をチョキの形にしようとした瞬間、ハルが俺の手をぎゅっと握り締めた。
平熱が一般人の微熱くらいあるハルの手は無駄に温かくて、幼少期から杖を握っているせいか妙に握力が強くて、更年期障害か何か知らんけど手が震えていて……ん?
ハルの手の震えがダイレクトに伝わってきて、彼女も妙に緊張していることに気づいた。
「………………」
俺は大仰にため息を吐いて、握られていない方の手を握り拳にして己の額に当てる。
そして再び目を開けた時、臆していた気持ちは既に消えていた。
「あのさ、明日デートしてくれない?」
「うん!」
長時間浴び続けていたら日焼けしそうなくらいの眩い笑顔で、ハルは頷いた。
なんか羞恥プレイを強要された気もするけど、この笑顔が見られたから、まあいいとしよう。
サウナ中みたいに火照った顔を手で仰ぎながら天井を仰いでいると、隣のハルが子供みたいな力で俺の服を引っ張ってくる。
「ねえねえ、クロちゃま」
「その呼び方やめてくれない?」
「明日、デートしよ?」
「お前も言うのかよ」
思わずレトロなツッコミをハルの肩におみまいしてしまった。
「だーって、クロにだけ恥ずかしい思いをさせるのもどうかなって思ったんだもの。あんなに手をガクガクさせて、ねえ?」
「そこまでじゃないだろ。あれはその、ちょっとした貧乏ゆすりだよ貧乏ゆすり」
「顎もガクガクさせてたし」
「それは顎関節症」
手がガクガクしてたのはお前だろと言いたい気持ちもあったが、多分無粋な一言だろうから胸の内に秘めておいた。
「あとね、私もクロをデートに誘ってみたかったから、つい言っちゃった。へへ」
「……あー、そー」
長文を発するとなんだかだらしない声色になってしまいそうだったので、短くそっけない返ししかできなかった。
しかし隣のハルは俺の気持ちなんてお見通しのようで、完熟した林檎のように赤く染まった頬を手で抑えながら、にまにまとご機嫌に笑っている。
「うれしい」
ハルは舌ったらず&のぼせた声で呟き、俺はそっぽを向いて明日のことを考えていた。
「あのー友達の前で湿度上げるのやめてもらいたいんですけどー」
俺たちがくすぐったい距離感で黙りこくっていると、アイのほうからクレームが飛んできた。緩みきっていた表情筋に喝を入れて、自主練に励んでいた生徒の元へと近づいていく。
「悪い悪い。で、どうだ調子は」
「ビシビシ決めてたよ。もう缶の塗装が剥がれ落ちて銀色の塊になっちゃった」
射出目標となっていた缶を見てみれば、色鮮やかだったパッケージの塗装は見るも無残な状態になり、幾つものささくればった亀裂が刻まれていた。恐らく十数回は刃をブチ込まれたのだろう。
「お、やるわねアイ。床の障壁に傷跡もあんまりないし、もうある程度狙いを付けて撃つことができるみたいね」
「ふふん、ハル先生とクロ先生の教えの賜物ですわい」
謎の口調で胸を張るアイを、ハル先生がよしよしと撫でている。そして服のポケットから取り出した外国製のグミをアイの口元に運んでいるが、その服に入っていたということはまもり先生の私物なのではなかろうか。
「それでクロくんたちは何をそんなにしっとりと話し合っていたの? もしお邪魔なら5分くらい外に出てようか?」
「おいアイ、察しが悪いぞ。シャワーの時間も含めると1時間半くらいは要するだろ」
イヤな方向に察しが悪すぎる鳳輔がふざけたことをのたまっていたので、迅速に本題へ入ったほうが良さそうだ。
「いやあの、明日俺たちって水族館に行くんだよ」
「水族館デートね」
「水族館デートに行くんだよ」
何故か隣からハルが口を出してきたが、恥ずかしいからもうやめてよ。
「でもアイたちから遠いところにいると、いざって時に守りに行けないわけだ。だからその、アイたちのタワーデートも明日しちゃえばいいんじゃないかなって」
「え、あたしの誕生日に行く予定だったやつを前倒しにするってこと?」
「そうそれ。誕生日に遊びに行きたい気持ちはわかるんだけど、ビミョーにアブない状況だからさ。誕生日当日は2人っきりでおうち誕生日パーティーでもやって、お出かけは明日やっちゃうとか。……あー、もし23日にタワーへ行くのが絶対条件なら、明日はタワーの地下にショッピングセンターあるからそこでお買い物とかしてもらうのでもいいぞ。その場合は23日に俺たちがショッピングセンターで時間を潰すから、存分にタワーを見てもらって……」
「あ、いやいやいや! 別にそこまでこだわってるわけじゃないからいいよ!」
色々な代替案を並べ始めたところで、アイが勢いよく首と手を左右に振って俺の言葉を止める。
「別にほら、記念日って『どこに』よりも『だれと』のほうが重要だもん。行こう行こう、明日タワーに行っちゃおう! 23日はおうちでゆっくりと鳳輔と過ごすことにするよ、あんまり出歩くとあぶないもんね」
それでいい?と尋ねるかのようにアイが視線を向けると、鳳輔はご随意にとでも言うように、手のひらを天に見せびらかすようにしながらアイに向けた。
「へへ、Wデートだね。負けないぞー」
なぜかアイが張り切っているが、デートの勝敗がどのように決するのかが気になるところだ。
「じゃあ明日の集合場所と時間なんだが……」
予定を合わせるために、俺たちは各々カレンダーアプリを出し、詳細な情報を書き込むのであった――。
明日は初デート。
俺たちは海の中へ、アイたちは天の上へ。
各々が異なる場所で、同じ感情を抱きながら、楽しき時間を共にする。
……せめて明日だけはデースマースのことを忘れて楽しもう。
心からそう願って、そう思った。




