Interlude ~幼馴染だけの時間~
※Interludeは登場人物の心情をより深く理解するための番外編です。
こちらを読まなくても、本編が支障なくお楽しみいただけるような作りになっております。
風にはためく上着が、まるで鳥の両翼に見えていた。
全てが溶けて消えてしまいそうな夜の空には、思う存分魔法を使って飛ぶアイと、彼女に追随して飛行する鳳輔の二人がいる。もう10月も後半を迎えた今は気温もそれなりに低くなり、地上から遠く離れた上空は真冬のような寒さだった。
それでも体の奥底に熱を感じているのは、翼もなく空を飛ぶことができている高揚感か、それとも想い人と二人きりでいられるからか。……どちらか分かるはずもないが、どちらもあり得るのならば両方と言っても差し支えないだろう。
空と地上の境目で、彼ら二人は思うが儘に自由を謳歌する。
「あーあ、クロくんたちも来れたらよかったのにねー」
宙返りのようなUターン――専門的に言えばインメルマンターンを軽やかにキメながら、残念そうな口調でアイはそう言った。身を翻す時にスカートが大仰なまでに捲れ上がったが、鳳輔対策としてジャージを下に着込んでいるので、熱烈なパンチラチャンスが訪れることはなさそうだ。
「仕方ねえさ。あいつらンとこは両親いないから自分たちで家事やるしかないだろ、そりゃ夜も大忙しってモンだ」
「あー、あたしらとは違ってユアマイセルフな学生生活だもんねー。まあ、主に家を支えているのはクロくんな気もするけど」
僅かに欠けた月を背にして、二人はうんうんと顔を合わせて頷く。
両親ともに健在な鳳輔の家は、家事を完全に両親任せにしている。一方アイの家は母親しかいないのでアイもそれなりに家事を担当しているが、全てを己自身でこなさなくてはならないクロに比べたらまだ楽なほうだろう。
しかもハルという片時も目が離せない幼児のような同居人がいるのだ。その心労は計り知れない。
「それに、魔法を習得したばかりのヤツに浮かされるのって、多分人によっては怖いだろうな。特に夜なんかは視認性が悪くて鳥とぶつかりかねないし」
「ああ、それもあるかなぁ。一応耐久性があるのかないのかいまいち分からないバリア的なものを顔の前に張っているんだけど、実際にぶつからないと守れるか分からないもんね」
そんなことを言ってから、一秒だけ間をおいて、何かに思い当たったかのようにアイが悪戯っぽい表情をする。
「でも、鳳輔はこうして来てくれるんだよね」
「バッカお前、さすがにちょっと心配だろ。ダイビングとかでもトラブった時に備えてニコイチで行動するだろ。もしお前が不注意で電線とかに絡まったら、痴態を写真に収めつつ助けてやれんの俺しかいないんだからな」
「えー、お優しいじゃ~ん。なに、鳳輔ってそんなに殊勝だっけ?」
「俺はこの上なく利他的で愛を尊んで博愛主義だっての[要出典]。当然だろ」
「情報ソース無さそうなんだけど……」
優しいんだねえ、と黒飴を常に常備する祖母のような口調でそう言って、アイは見事なエルロンロールでくるくると回転した。
そんな彼女を見て、鳳輔は今一度、身を引き締める。
彼の言っていることに偽りなど無く、本当にアイを守るために同行しているのだ。
……もしも自分に魔法の力があったのならば、アイの兄を死なせたりはしなかった。あの時、兄の死を気取れていたのは自分だけだったのに、何一つ手も足も出すことができなかった。
あの頃と比べて、何か特別な力が手に入ったわけはない。自分はあの時のまま弱くて、魔法なんていう強大な力に立ち向かう資格もないだろう。
だから今度は、自分の命という替えのないものを捨ててでも、アイを守り抜く。
「………………」
アイは知らないだろう――と、鳳輔は歯噛みしながら思う。
……お前の兄も、魔法の力を手に入れて……そのせいで死んだのだ。
お前も同じように死の運命を背負う羽目になるかもしれない。
二度も繰り返させてたまるか。……兄妹が同じような死を迎えるなんて、許してなるものか。
今度こそ……俺が、守り抜いてやる……。
「……ねえ、鳳輔。クロくんたちって……不思議だよね」
唐突に、アイがそんなことを口走った。
「ん? ……いやまあ、うら若き男女が同居しているのは確かに不思議だけど。そりゃ転校初日に説明してたろ。なんつったっけ、両親がすげえ仲良しで、仕事の都合がどうたらこうたらで……」
「それもそうだけど。……あたしね、どうして二人と仲良くなったか、あんまり憶えてないの」
アイと二人の関係性は、二人が魔法使いだということを知ったアイが暗躍したことが切っ掛けだ。
その部分を諜報員によって書き換えられ、『学園祭に意欲的なアイが、転校生を実行委員会に引きずり込んだ』という流れになっている。
しかし、本人はそこまで学園祭実行委員会に精を出していたわけではない。いやもちろん全力で取り組んでいたのだが、見ず知らずの転校生をいきなり勧誘するほどまでに力を入れていたわけではないのだ。
だから、アイはどうして自分がそんな行動をしたのか、理解できていなかった。
本当はそこまで完璧に偽装できればよかったのだが、諜報員は何百人もの生徒の記憶を改竄しなければならなかったのだ。細かな部分が乱雑になるのは仕方がないことだった。
「……まあなぁ。俺が委員会に誘っても断固としてNOだったのに、アイが誘ったらあっさりOKしたのはちょい不思議だったな。よもやあいつらも背の小さい女が趣味なのかと思ったぜ」
「あいつら『も』?」
「あわわわわわわわ……」
うっかり語るに落ちてしまった鳳輔が謎のバイブレーションと共に慌てて、アイがくすくすと上品に笑った。
「……クロくんとハルちゃんって、不思議な人たちだけど……なんでだろうね、他人のような気がしないの」
「あー、表面上明るいけど、結構ヒサンな過去を背負ってそうなところとか?」
「そ!」
アイは表面上明るく首肯し、空っ風のようにどこか乾いた笑い声を漏らした。
両親の離婚、母親の精神不安定、兄の死と殺人疑惑、それによるクラスメートからの虐め。
こうして明るく笑っているが、彼女も中々にシビアな過去を歩んできたのだ。
今でこそ吹っ切れて『ヒサンな過去』と言われても感情が揺り動くことも無いが、かつてはメンタルがぐちゃぐちゃになっていて、メンタルヘルスで薬を処方されるくらいには追い詰められていた。
吹っ切れた原因は、鳳輔が虐めの主犯を殴り飛ばしたことだ。それが無ければ、今でも彼女は闇鍋のように滅茶苦茶な心中のまま生きていただろう。
「あの頃のアイはマジでヘラってたからなあ。夜中にいきなし電話かけてきて3時間くらいずっと泣いてたりとかさ」
「か、過去の具体的なエピソードを掘り起こすのは止めよう! 病んでた頃を蒸し返されると、なんか、こう、かつてイキって痛い行動してたことに言及されたような恥ずかしさがある!」
「そのせいでメンヘラ系にハマって一時期ブックマークがえらいことになってたし、なんなら今でもソッチ系のおげれつビデオ見つけると視聴しちゃうんだけど、どうしてくれんのコレ。いたいけなる男子の性癖が思う存分に開発されちゃったんだが」
「人の純粋な悩みを性癖開拓に用いるな!」
もしかしたら、鳳輔がいなければ……今頃、アイはこの世にいなかったかもしれない。
メンタルが不安定な母親にメンタルについての相談ができるわけもないし、クラスメートたちはみんな虐められている子と深く関わろうとしない。中学時代の彼女にとって、唯一の味方が鳳輔だった。
そんな彼がいたからこそ、絶望的なほど追い詰められることにはならなくて。
そんな彼に、静かに恋を自覚していった。
自分の命に代えてもアイを守る――なんてことを鳳輔は思っているけれど、鳳輔を守るためならアイだって自分の命を犠牲にすることができるだろう。
……互いが互いを一番に思っている二人が、どうして未だに恋心を通い合わせられないのか。その不合理こそが恋愛の難しさなのかもしれない。
「あ、ぐるっと一周してきたみたい」
気づけば、眼下にはアイの家が聳えていた。この辺りを旋回するように飛び回っていたのだが、大回りに大回りを重ねたところ元の場所へ戻ってきていたのだろう。
「まあ、ちょっと休もっか。あんまり飛び続けてると、ぽんぽん痛くしちゃう」
「そうだな」
空を滑空していた時の速度と鋭さは失われ、二人はふわりと羽のように舞い、鍵の開いていた窓から二階にあるアイの部屋へと入っていく。さすがに靴を履いたままお邪魔するわけにもいかないので一階の屋根に靴を脱ぎ置いたのだが、傍から見ると低層から投身を図ったような光景だ。
「あー、暖房あったかーい」
部屋に戻ったアイはコートを脱ぎ、靴下も脱ぎ捨て、スカートの下に履いていたジャージも脱ぎ去った。一瞬にして部屋着ルックと化したアイが脱力しながらベッドに飛び乗り、ごろんと子猫のように転がっている。
厚手のトレンチコートを脱いでハンガーに掛けつつ、そんな彼女の姿を何とも言えない表情で見ている鳳輔は、内心『そんな無防備になんな』と思っていた。
部屋に二人きりなのは、ちょくちょく宿題を見てもらっているので慣れている。コートを脱ぐのも、今まで何度だって見ているから分かる。でも靴下を脱ぐのはそんなに見たことないし、スカートの下とはいえジャージのズボンを脱ぐ光景はなんとなく扇情的だし、しかも無防備にもベッドに横たわっている。
いくら幼馴染とはいえ、春期発動期の男の前で服を脱いでからベッドに上がるなんて、ちょっとはしたないが過ぎるだろう。鳳輔でなくとも少しは動揺するはずだ。
「あのさあ、お前さあ」
語尾がだらしなく伸びていたのは、これから注意する内容がどうにも言い辛いものだったからだ。
「ん? なに?」
「はしたないから。ていうか無防備。俺、曲がりなりにも思春期なんだけど」
ベッドの上に横たわるアイが片膝を立てると、スカートが音も無くずり下がり、白妙のような太腿が露わになる。思わず鳳輔は目を逸らし、壁に貼られた日本地図のポスターに視線を向けるしかなかった。
「えー? なに、照れてるー?」
「バカお前、あれだよ、照れるとかじゃなくて。男の子がいるってんだからもっと淑やかになさい。俺が第二次性徴迎えてたら今頃もう大変だぞ」
「えっ、一次でそれなの?」
しかし注意されてもアイは体勢を変えず、どこか挑発するような目で鳳輔を眺めている。一方の鳳輔はアイに視線を向けられず、瞳をふらふらとさまよわせ、本棚に並ぶ古い少女漫画の背表紙を眺めていた。
数秒間だけ、時が止まったかのような清閑が部屋を包み込む。空気の読めないキジバトの声だけが外から聞こえてきて、あとはもう、全てが消えたかのよう。
聞こえるとしたら、胸の奥から聞こえる、うるさいくらいの心音だけだ。
「……で、第二次性徴迎えてたら、何がどう大変なの?」
あまりにも静か過ぎる部屋に触発されたのか、アイの声はいつもよりも少しばかりトーンダウンしていた。まるで親には聞かれないよう、二人だけの内緒話を仕掛けているかの如く。
「それはもう……アレだぞ。男性の根源的欲求が首をもたげて存在感を示し、諸手を挙げてスタンディングオベーションして、淡い果実は今ごろ狼藉の徒花を散らし……」
「回りくどーい。……目を見てゆってみ?」
アイの手が伸びて、鳳輔の服を掴んだ。
そしてそのまま、魔法でも使ったんじゃないかってくらいの力で引き寄せる。
彼女を全く視界に入れていなかった鳳輔は、いきなり発生した引力に抵抗することもままならず、体勢を崩しながらアイのほうへと倒れ込んだ。
鳳輔の顔がアイの肩にぶつかり、小さいながらも確かに、アイの鼓動を骨伝導で聞いてしまう。
「いや、お前、それはだなあ……ええと、俺も男の子やねん」
「ほう、左様でっか」
いんちき関西弁で場を弛緩させようと試みるも、仄かに赤いアイの顔を見て、甘ったるくてふんわりとした謎の空気から逃れられない。
あれ、なにこの間違いが起こってしまいそうな感じ……と、大学生男女の宅飲みのような空気に気圧され、鳳輔の頭の中は足跡一つない雪原と化してしまう。
好きな人とこんな雰囲気になって、一体、どうしたらいいのか。
行くも退くも選べず、背中に汗が伝う感覚だけが鋭敏になっていた。
「ん、それで? 男の子がどうなるの?」
半ば押し倒されたような位置にいるアイは、どこか楽しそうで、どこか恥ずかしそうで、どこか緊張を隠しているようだった。
「……あのさ、もしもだけどさ」
「んー?」
「俺が今この場で、なんかやらかしたら、アイはどうすんの」
随分と女々しいことを聞くもんだ、と鳳輔自身つくづく思っていた。自嘲したくもなる。
「どうすんのって、受け入れるとかー、叫ぶとかー、拒否るとかー、そういう感じの?」
「それ、そういうの」
「んー……」
少しばかり考えるマネをしたが、きっと彼女は最初から答えを用意していたのだろう。
「……おしだまる」
鳳輔から目線を逸らしながら、先ほどよりもよっぽど小さい声でそう言った。
黙るってお前、それってどっちの……と、思わず喉から声が出かかるも、鳳輔は必死に飲み込んだ。
襲い掛かられて恐怖で声が出なくなるのか、それとも、それとも……。
ぎゅっ、とアイが鳳輔の人差し指を握り締める。
そして窓の外に視線を向けて、何かを思い出したかのように口を開いた。
「あ、あー……カーテン開いてると、窓越しに冷気入ってくるって言うよね」
「そ……うだな」
「うん、じゃあ、まあ、あれだよ。エアコンさんの努力を無碍にするわけもいかないからさ、秋の夜は冷えるって言うし……」
辿り着くべき言葉に向かって進むも、どこか遠回りになってしまいながら、アイは言葉を粛々と紡いでいき――。
「……カーテン、閉めて?」
なんて、思春期の脳を揺さぶるようなことを言い放つ。
ここまで致命的なチェックメイトをくらって、これ以上駆け引きが続けられるわけがない。いくら躊躇しがちなサラピン男子であっても、もう引き延ばせないのだ。
惑うように瞳を揺らして、握られた人差し指の熱を感じながら、鳳輔は息を呑んで――。
「……悪い、降参!」
尻もちをついて、ホールドアップするように両手を上げた。
「お前さー、卑怯! 恋愛する資格ないって自覚してる男の子に、この上なく直球な石投げつけないでくれ! 頭ン中ぐちゃぐちゃになったわ!」
「ちっ、あと一歩だったのに」
思いの他あっさりとアイは起き上がり、幼馴染の前でしか出さない舌打ちで悔しがる。
「あーあ、めんどくさい自責を重ねてる鳳輔をどうにか健全な男子に戻そうと思ったのに、直前で魂胆に気づかれたかぁー」
「だってお前の理想と流れが違うし! お前アレだろ、高級なワインをカチンとしながら誕生日を祝い、そのまま肩を組んで高層ホテルにしけこんで、夜景に包まれながら抱かれるのが理想だろ! 突然こんなイベントが発生するかよ!」
「うっ、そんな開陳したっけぇ……? くそう、昔のあたしのバカタレめ」
手早くスカートを直し、さっさとベッドから降りてクッションに尻を落とす。アイのその行動を見て、ようやく鳳輔は肺の中に溜まっていた桃色空気を吐き出した。
「ていうか、そんなことのために自分の体を使うなよ。もっと貴重品として扱え」
「いやー、あたしはホラ、自分のことに無頓着なところがあるのでー……。それに恩とか色々あるし、別にこの場でパーッと散らしてもいいかなーって……」
「自愛しろバカタレ」
一度メンタルがぶっ壊れた人は、自分の価値を極端に下げる傾向にある。……かつてアイのメンタルがグズグズになっていた時に、彼女の為にできることはないかと調べものをした鳳輔が見つけた文章を思い出す。
今のアイがまさにそれだ。恩があるからというフワッフワな理由で、人にとって一番大事な尊厳を投げ出そうとしている。
こういう意味でも、彼女を守ってやらなくちゃならない。……鳳輔は強く思った。
「なんか気まずいから今日は帰るわ。帰ったら頭冷やすために3ml×2のダイエットする」
「さりげなく2回も出すじゃん……」
室内の甘ったるい空気を追い出すように窓を開け放ち、窓枠に足を引っかけた鳳輔の背中に、アイが言葉をかける。
「鳳輔。…………なんか、ありがと」
「なんのお礼だよ。それより1階まで下ろしてくれないか」
「分かった、突き落とす!」
「魔法で下ろせよ!」
進んでいるようで進んでいない、幼馴染のもどかしい距離感は今日も続いていく。
多分明日も、明後日も、この距離感が続いていくだろう。
「…………」
窓から鳳輔を下ろしたアイは、その背中が見えなくなるまで、彼のことを眺め続けていた。




