2章 あれから少しの時が経ち
「やあやあ! 今朝も今朝とてお元気そうだねクロくん!」
喜色満面な笑顔で挨拶してきたのは、今日も今日とてお元気そうなアイだった。
場所は学校の教室、時刻は朝7時50分。次々と登校してくる生徒たちで教室内は賑わい、とりわけ朝からカードゲームに興じているグループは大いに盛り上がっていた。ちなみにそこにハルが加わっていて、戦術もクソもないチンパンジーの如き札捌きで群衆を慄かせている。
「おー、アイじゃん。どうした、今日は朝から血圧高そうだな」
「朝ごはんいっぱい食べたからね! それでさ、クロくんにちょっと相談があるの」
「相談ン? この世にあまねく様々な疑問については、俺よりも鳳輔に聞いた方が有益なインフォメーションを返してもらえると思うけど……」
「いやー……ちょっとした恋バナというか、恋愛沙汰の話だからね。鳳輔には直接聞きづらいのさ」
「お? まさか、ついに鳳輔と付き合い始めたのか? すげーじゃん。どうだ、念願の恋愛生活は」
そうやってからかってみると、アイは両手をブンブンと振り、僅かに顔を赤くしながら慌てだす。
「ちゃう、付き合ってない!」
返答は以前から変わらず、本人たち曰く、付き合っていないとのことだ。
1ヵ月前の委員長事件の時、素直になって話をしろと二人に伝えたのだが、どうやら交際にまでは至らなかったらしい。
アイが言うには「なんかいい感じの雰囲気にはなったんだけど、結局告白らしきものはなかったんだよねぇ。目も合わせらんなかったし、言葉もぽつぽつ程度だったし」とのこと。我が校イチのラブイベントを逃したとなると、ちょっと今後の発展が難しくなった気もする。
「付き合っ……てはないけど! 昨日まで続いた忌まわしき期中テストが終わったら、一緒にデートしようって約束だけはしてたんだよ。これは津々浦々の人々にとっては小さな一歩かもしれないけど、あたしたちにとっては大きな半歩くらいだよ!」
「不等号付けてくんないと小さな一歩と大きな半歩の差が分かんない」
まあ確かに、今まで関係性を縮めることができなかった幼馴染同士としては進歩と言えるか。なんならデートに誘っている分、俺とハルの関係性より優勢だろう。
ちなみにあの後、俺たちがどんな感じだったかと言うと、最初こそお互いを意識して少しだけギクシャクしたが、メシを食ったらいつも通りに戻った。胃袋にリセットボタンでもあるのだろうか。
……いや、完全にいつも通りになったわけではないか。語弊のありそうな言い方だが、以前よりも少しだけ、ハルは女らしくなったと言えるだろう。
前まではソファーで無防備に眠りこけるし、下着を俺に洗濯させることに抵抗を覚えないし、部屋に入られても何も思わないしで、年頃の男女というよりはただの兄妹みたいな感じだったのだから。
今はそこまで自堕落な装いは少なく、適度なダメ加減に治まっている。相変わらず家事はまだまだではあるが……。
「で、そんなクロくんに聞きたいことがあるんだけどね」
「鳳輔がカフェでモカのことをマカって言い間違えて店員さんを大いに困惑させた件か?」
「や、それ世界一どうでもいい。……あのね、デートってどうやるの?」
「!?」
「え、なんで!?ってるの?」
!?るのも無理はないだろう。
……と言いたかったが、そういえば鳳輔とアイは魔法関係の記憶を既に消されていることを思い出す。だとすれば、俺とハルが幼少期から化物扱いされてきて、デートなんていう文明的なことをしたことがないって事実も知らないというわけだ。
「アイ、耳の穴を彫刻刀とかでかっぽじってよく聞いてくれ。俺はデートなんてしたことがない。もちろんハルもな」
「!?」
「え、なんで!?ってるの」
「クロくんとハルちゃんってデートくらいしたんじゃないの!? 話に聞いたよ、ダンスパーティーで踊り狂ってたんでしょ!?」
「あ~……」
どうやらあの日の出来事を知られているらしい。目撃されてなかったからバレてない可能性もあると思っていたんだが、おおかた実行委員会のお姉さま方に教えてもらったんだろう。
「あのな、俺とハルはなんか勢いで踊っちゃったけど、別に関係性に変化があったわけじゃないからな」
「え、じゃあ、あの後アフター無し? テイクアウトも?」
「ダンスパーティーを合コン的な何かだと勘違いしていらっしゃる……?」
家が同じなのである意味アフターだしテイクアウトではあるが、いかがわしい出来事はちょっとびっくりするくらい無かった。あんだけいい雰囲気になったというのに、男としての自信を失うほどに普通の日常だったのだ。
「というか幼馴染の二人なんだから、アイたちこそデートの一つや二つくらいしていてもおかしくはないだろ。どうなのそこらへん」
「……ちゃうやん……!」
なにが違うのか分からないが、アイの表情は至って真剣だった。
「デートってのはさ、もっとこう……互いに恋愛を意識した状態で行うべきアレだよね!」
「意識してたじゃん」
「そうだけど、もっとこう……互いに恋愛を意識した状態で行うべきアレだよね!」
「ん? バグったか?」
言わんとしていることは分からなくもない。お互いがデートだと認識していなければ、それはただのお出かけでしかないのだから。
例えば、俺がクラスの女子とショッピングに行く――と言えばデート味がするかもしれないが、ハルと夕飯の買い出しに行くことだと知れば、それをデートと思う輩はいなくなるだろう。
「あー……じゃあ経験者にちょっと聞いてみるか? 未経験二人がうんうん悩むより生産性あるだろ」
「えっ、クロくん交際経験者の知り合いいるの?」
「母親」
「そういうのどうかと思うよ……」
アイがすごく悲しそうな顔をして目を伏せてしまった。
「どうしてだ、母親だって女だろう」
「なんでそんなスケベな漫画みたいなキャッチフレーズを……いや、友達の母親の体験談を詳らかに聞かされるのは結構キツいよ。クロくんだって両親の熱愛な過去を聞かされるのキツいと思うし、なんなら相手が父親じゃなくてその前に付き合ってた彼氏の可能性もあるからね」
「む……」
確かに考えてみると、あの父親とのラブラブエピソードなんて聞かされた日には嘔吐が止まらなくなり回復体位を取る必要が出てくるだろう。
というか、そもそもどうしてあんな偏屈親父と奔放母さんが結婚したのか謎だ。俺としてはもうちょいユーモアがありエスプリが効いてウィットに富んだ親父が欲しかったものだが。
「仕方ない、こんなことで手を煩わせてしまうのは申し訳ないけど、諜報員に聞いてみるか」
「誰それ?」
携帯を取り出して諜報員の連絡先を探していく。
「うおっ」
連絡先一覧から見つけた瞬間、突然のことだが携帯に電話が入ってくる。ディスプレイに表示されている名称は『諜報員』、今まさに連絡をしようと思っていた相手だ。
あまりにも良すぎるタイミングに、よもや盗聴器でも仕掛けているんじゃないだろうなと不穏なことを疑いつつ、電話に出ることにした。
『おはようございます王子殿、今はお電話してもよろしいタイミングでしょうか?』
「むしろ丁度いいタイミングだ。恋愛経験を教えてくれ」
『おっ、朝からハラスメントとは御父上に似てきましたな』
心無い発言にとてつもなく凹んだ。あのパワハラ国王と一緒にしないでほしい。
『実はこんな風に爽やかな会話をしている場合ではないのでありますよ。一つ相談事項があって連絡をさせていただいたのであります』
「ん……人がいない場所に移動したほうがいいか?」
『致命的な単語さえ口走らなければ問題ないとは思いますね。……1ヵ月前、フェンネル家の末裔が世界を静止させようとした事件があったことは記憶に新しいと思います。あの件です』
「ああ、あれか……あの時は面倒をかけたな」
後日談的に聞いた話なのだが、あの時の記憶操作によって、諜報員の魔力を随分費やしてしまったらしい。
魔力は日々生きているだけで回復するのだが、こちらの世界での回復度合いは魔法界の10分の1にも満たない程度なので、一度失ってしまうとかなり苦労するのだ。あれから1ヵ月経っても俺たちが転移ゲートに察知してもらえていないのがその証左だろう。
ちなみにあの事件の後、委員長はなんだか燃え尽きたような表情になっているが、なんとか学園生活を送れているらしい。最悪自殺してしまう可能性もあったから、なんとか生き繋いでくれて何よりだ。
『あの後、使用不可能になっていたものも含めてフェンネル家の使用していた杖3本を私が回収したので、色々調査を行ったのであります。……そうしたらですね、少しおかしな事実が発覚しまして』
「……」
確かに一点、気になる部分はあった。
こちらの世界では魔法を行使できる杖を作れない。だからあの杖は三千年前に亡命した時に持ってきた杖なのだろう。
だが、それにしては損傷が少なすぎるのだ。全ての杖がそうだと言うわけではないが、新しすぎると言ってもいい。仮にもフェンネル家という王族が使用していた高級杖なので三千年程度なら使い続けられるとは思うが、経年劣化はさすがに隠せない部分だろう。
『使用不可能になっていたもの以外の二本は、製造時期が3年前でした。三千年どころか片手で数えられる程度の年数でありますよ。ちなみに宝石などの装飾部分は三千年近く経過しているようですな』
「ということは、古いものから装飾だけを引っぺがして、新しいものに移し替えたと……?」
『そうでしょうな。しかし気になるのは、新品の杖を入手した方法です。入手経路を調べようとしたんですが、どうやら魔法界のどのメーカーとも一致しない刻印なんですよねぇ……』
「………………どんな刻印だ?」
『円のマークです、もしくはゼロかオーかもしれません。魔法界で主流のメーカーだとキーミアとかヨハネシスとかアルケミンとかでしょう? あの辺りとの刻印とはまるっきり違いますし、三千年前くらいまで遡ってみても、こんな刻印を掘っていたメーカーはありませんな』
……魔法使いが杖を使うのは当たり前だが、その作製難度は想像以上に高い。以前、魔法界の犯罪グループが杖の闇製造を試みたが、あまりの難易度に諦めたという話もある。
メース国やシロガラ国なら技術的に可能かもしれないが、わざわざ作るよりは大量輸入したほうがコスト的に安上がりだ。というか、杖の製造技術は利権やら保護法やらが絡みついていて、一部の国家以外は超大国であっても製造を禁じられているのだが。
『と、いうわけで目下調査中であります。王子殿も彼女ができてウハウハではありましょうが、もしお手すきでしたら情報収集をしていただけると助かるであります』
「彼女いないんだけど、略式起訴に踏み切るからそのデマを流した人物を教えてくれ」
『いやいや、この前あれだけ抱擁を交わしながら同居延長を喜び合っていたというのに、何もないっていうのは嘘でありましょう。もう事実婚と言ってもいいですな』
「事実無根と言ってもいいな」
『ははっ』
御冗談をとでも言いたげに爽やかに笑い飛ばされる。王族の恋愛沙汰をおちょくるのは不敬罪に当たる気がするのだがいかがだろう。
『では、健やかな学園生活をお送りくださいませ。ちなみに恋愛経験については雇用契約上申し上げる義理がありませんのであしからず』
「そういうことなら仕方ないな。それはそうと諜報員の性別ってどっちなんだ?」
『あっ……電波……悪……グンナイ!』
わざと電波障害を装われてブツ切りされてしまう。時間的にグンナイではない。
……出自の分からない刻印の杖か。委員長に聞けば何か分かるのかもしれないが、魔法を失ったばかりの今に問いただすのは少々無神経だろう。
もう少し時間が経って、精神的に落ち着いてきたら聞いてみるとしよう。
「ねえねえ、クロくん。結局どうだったの?」
待ちくたびれた表情のアイが、俺の顔を覗き込みながら訪ねてくる。
「恋愛経験は聞けなかったけど、一つ分かったことがあるぞ」
「お、なになに?」
「恋愛経験を聞くことはハラスメントにあたるらしい。つまり俺はアイにハラスメントされていたことになる。訴状を受け取る準備はいいか?」
「可能なら少額訴訟にしてね」
どうやらこれ以上有益な情報が出ないと悟ったアイは、自分で考えるモードに入ったようだ。俺の恋愛知識の乏しさと言ったら恐ろしいほどなので、そのほうが得策だろう。
「……………………」
デートか。
俺がハルをデートに誘ったら、あいつは喜んでついてきてくれるだろうか。
面白いこと大好きなあいつだから、断ることなんてないだろう。諸手を挙げていきたい場所を述べ始めるはずだ。
そういえば水族館とかのテーマパークに行きたいって話、あれから宙ぶらりんになっていたな……。
…………よし。
しちゃうか、デート!
晴れ渡る快晴の朝、新たなる目標を定めた俺は、なんだか心躍りながら始業の鐘が鳴るまでアイとお喋りをしていた。




