最終章 許されない恋
……関係者の記憶を書き換えて、そして二度と開通しないよう地下を封鎖して……。
その作業を終えるには膨大な時間が、具体的に言うと学園祭一回分の時間を要してしまった。
気づけば辺りは黄昏色に染まり、来校者の退校を知らせるアナウンスが鳴り響いている。丁度全ての作業を終えた諜報員は「これは責任を持って回収するであります」と言いながら杖をふところに隠し、俺たちに手を振ってからこの学園を去っていった。
そして俺たちは今、学校内を歩いている。
校内は学園祭の装飾に溢れているのに、生徒の姿も教師の姿も部外者の姿も、誰一人として見かけることはない。
全員が体育館に集合して――今度こそ校長先生から閉会の挨拶を聞いて、後夜祭の始まりを迎えているのだろう。
「……俺たちは、あとどれくらい一緒にいられるんだろうな」
体育館へ向かいながら、ハルにそう問いかけた。隣を歩く彼女は少しだけ考えるような仕草を見せてから、呟くように言葉を返す。
「移転装置が探知できる程度の魔力だから――多分、二ヶ月か三ヶ月くらいじゃないかしら」
「そっか。……それだけあれば、色々なことができるな」
「うん。色々なところにも行けるわね」
たった数ヶ月、わずか数ヶ月――そう表すだけなら簡単だ。
でも俺たちはそれと同じくらいの数ヵ月間で、今までの人生をひっくるめても敵わない程の楽しい日々を過ごしてきた。
それが再び続くならば、それはもう、俺たちにとっては僅かなんかじゃない。
「水族館に行こう。動物園も博物館も遊園地も。……ハルが行きたいって言った場所に、少しずつ時間をかけて巡って行こう」
「……うん、一緒にいこ」
体育館が近づいてくる。まだある程度距離が離れているというのに、生徒たちの賑やかな声がここまで聞こえてきていた。
もう後夜祭は始まっている。みんなが楽しい世界で思い思いの時を過ごしている。
「……ねえクロ。水族館とかもいいけど、今私が一番行きたい場所がどこか分かる? ヒントはね、どこかの誰かが勇気を出せなくて誘えなかった場所!」
いひひ、とイタズラっぽく笑って、ハルは俺の脇腹を軽くどついてきた。
「うるさいよおばか。いいからさっさと体育館行くぞ」
その時、体育館から飛び出してくる二つの影を目撃した。一つは子供みたいにちみっこい影、もう一つはサッカー部と兼任しているはずだが一度も練習する姿を見たことがない男の影。
「あー! いたー! 二人とも連絡も全然返さずなにしてんのー!」
駆け寄ってくるアイの言葉を聞いて、思わず携帯を確認した。
携帯電話には幾つものメッセージが入っている。
アイから、鳳輔から、学園祭実行委員会の皆から。……諜報員と一緒に記憶の改竄に精を出していたせいで、彼らからの連絡に全く気付いていなかったらしい。
「職務をほっぽり出してどこでなーにしけこんでたのさ! 別に大したトラブルなかったからいいけど! 連絡もつかず行方不明になったら委員会内が騒然とするんだからー!」
「マジごめん、ホントごめん」
ぽす、と痛くないパンチをお腹に受けながら謝罪する。ついでに一斉送信で、委員会のメンバー全員に謝罪のメッセージを出しておいた。
一応、一度目の学園祭では職務を全うしたから許されないかな。許されないか。
「委員長がずっと元気なさげだったんだが……もしかして何かあったのか?」
子供のような攻撃を仕掛けてくるアイの肩を掴んで止め、鳳輔が俺たちに問いかけてくる。
実は彼らはまだ、魔法についての記憶を持っている。委員長が企てていた計画も、俺たちが魔法使いであることも、何もかもをしっかりと憶えていた。
俺たちが諜報員の仕事を手伝ったのもそれが狙い。真摯にお願いしまくって、この二人だけは今日が終わるまで記憶の改竄を待ってほしいと頼み込んだのだ。
……まだ二人には伝えなくちゃいけないことがあったから。
「止めていたんだよ、委員長の計画を。……もう地下の魔力も消えた。二度と彼女の望む世界が訪れることはないよ」
その言葉を聞いて、アイは歓喜を含めた驚愕を露わにし、鳳輔は落胆を含めた驚愕を見せた。
「さすがクロくんとハルちゃん! ありがとう、本当にありがとうっ! もはや万感の思いが止まることを知らないよ! 殺傷能力の高い投げキッスとか放つね! 避けないでね!」
矢継ぎ早に繰り出される感謝の言葉は、もし誰かが聞いていたらちょっと大仰に思うレベル。でも彼女の本心を知っている俺たちは真っ直ぐにその言葉を受け止めた。
きっとそれは、なにも知らない間に助けられた、この世界の人々の感謝も代弁しているのだろう。そしてそれは、己の抱く願いを履行する機会を手に入れた、彼女自身の感謝を示しているのだ。
そんな彼女の肩に手を添えて、ハルは優しい声で言う。
「でもね……今日が終われば、貴方たち二人は魔法についての記憶を失うわ。証拠隠滅の為に、委員長の計画のことも、私たちが魔法使いだってことも、何もかもが代替の記憶に変えられるの」
だからね、とハルは一度言葉を切った。
「記憶を失う前に……どうしてアイが大人になれない世界を拒んだのか、ちゃんとホースケに伝えた方がいいと思うわ」
「ぅえっ……?!」
急にそんなことを言われて、アイが奇怪な声を上げた。僅かに耳朶を赤く染めて、横目で鳳輔の顔を見ている。
俺も鳳輔の肩に手を乗せて……ハルとは違って少しだけ意地悪な口調で言う。
「そうだぞ鳳輔、お前もどうして委員長の計画を支持していたのか、心の内側をアイに語ったほうがいい。今日が終わるその前に、今しかない機会を有効活用しろよ」
「ばばッ、馬鹿言うなよ。そんなん今更言えるわけが……」
「今更じゃない、今だから言うんだよ」
過去に事件を起こしたから、自分に恋愛なんて許されない。かつて鳳輔はそう語っていたが、そんなものただの言い訳に過ぎないのだろう。
俺たちだってかつては化物として人の命を奪っていたが、今は幸せな未来を享受しようと願っている。委員長だって世界を静止させるなんて大罪を犯したが、自分の未来について考え始めていた。
俺たちは、前に進んでいけるのだ。
言葉にすればきっと変わる、行動に表せばきっと変わる、勇気を出せばきっと世界は変わる。
この二人にとって進むべき道は、お互いの想いを伝えることなのだろう。
「大人になる前に、ちゃんと子供時代を楽しまなきゃ損だぞ。いつか最高に楽しい日々だったと思えるくらいに。……俺たちは心底楽しむよ、この世界で自由な一瞬を。一分一秒でも無駄にしない為に」
そして俺たちは再び歩き出した。体育館に向かって、そして幸福な世界に向かって。
「ありがとうな、アイ、鳳輔。お前たち二人がいたから楽しい学園生活を送れているよ。……だからお前たちも、もっと楽しい学園生活を送ってくれよな」
俺もハルも振り返らず先に進んだ。後ろでアイと鳳輔がどんな表情をしているかなんて見えるはずもない。だけど何となく分かっていた。
きっと顔を合わせて、そしてすぐ視線を逸らして。しばらくの沈黙が続いて、ぽつりぽつりと言葉を交わし始めて。
二人が幼馴染という関係を変えられるかは、彼ら二人が綴っていく物語。
彼らの持つ世界は、彼ら自身が変えていく世界なのだから。
――そして、俺たちは体育館へと辿り着く。
体育館は絢爛豪華な装飾に囲まれて、爛々と輝く秋のイルミネーションに彩られて、夕焼けも沈み終えた時間帯だというのにまだ学園祭の楽しい雰囲気を纏い続けている。
そこでは既にダンスパーティーが開かれていた。
旋律が奏でられ、幾組ものカップルが踊っている。不器用な踊りだったり、時にはよろめいてしまうようなものだったり。それでもみんな笑っている。教師たちも、裏方仕事を任された生徒会の人々も、彼らを見て微笑んでいる。
よく見れば学園祭実行委員会の女子たちもいる。ある者は彼氏らしき男と二人で踊り、ある者は友達と喋りながらダンスを見つめて、ある者は俺たちに気付いて手を振っていた。
委員長の姿だってあった。永く夢見てきた世界を失って、憔悴したような顔をしている。
……それでも、ダンスパーティーが大盛り上がりしている様子を見て、少しだけ満足しているかのように見えた。生徒たちの幸せな姿を見て、委員長として全てをやり遂げたことを安堵しているのかもしれない。
世界が華やいでいる、楽しい世界がここにある。
しばらく体育館の入り口でそんな様子を眺めてから、俺は――。
「ハル」
「……うん」
「踊ろう」
彼女の手を引いて、歩き出す。
それを想定していたかのように、彼女は遅れることなく俺についてくる。
「――うん!」
俺たちは手を繋いだまま、ダンスが行われている中心部へと向かって歩いて行く。
そして音と光と笑顔が彩る社交場で、手を握ったまま数秒見つめ合って……。
生徒たちの声――流れるメロディー――全てに包まれて、俺たちは浩然と踊りだす。
礼儀も作法も知らない、見様見真似の社交ダンス。その体が回転すると、ハルが着ているスカートがふわりと広がり、そして遠心力によってその体が引っ張られる。そのたびに、腰に回した手で強く引き寄せて。
フェザーステップで共に進み、一瞬手を放して、背を向けた彼女の手を再び握る。今度はクイックに切り替えて、リバースターン。
ハルと共に世界が回る。人々の笑顔、歓声、全てが遠く薄らいで、今はただ彼女だけしか見えなくなる。
世界はまるで夢心地、胡乱な心で爛々な幻想に囚われたかのよう。
空から降り注ぐ水銀灯の瞬きは、まるで玉兎の光で、清澄な閃耀だ。幾澗色もの光に包まれて、白藍の世界が無限の色彩に染まっていく。
再び回転、手を放して大仰に。そしてまた向かい合って、抱き寄せるようにくっ付いて、二人の目が合って笑い合う。
祭場の熱気に浮かされて、体躯の奥には熱発のような温もりが灯っている。白妙のように純白だった彼女の頬には、黄昏のような紅さが垣間見えていた。
「クロ」
ハルが俺の名を呼んだ。スリーステップを刻みつつ、その言葉は俺だけにしか聞こえないよう、唄にかき消されながら。
「私ね……クロと一緒にいられて、幸せだった」
紡がれる言葉は優美なダンスと共に。優しく溶けるように、そして滑らかに。
「魔法界にいた時は、普通の家族らしく過ごせたことなんて一度もなかったわ。……お父さんもお母さんも私を家族扱いしないで、ただの兵器としてしか扱わなくて……心を許せる誰かもいなくて、生まれてからそんな毎日で……」
ぎゅっと、俺の肩を掴んでいる手の力強さが増す。
「ずっと、一人ぼっちだったの」
それは俺も知っている物語。彼女が生まれてからどんな日々を過ごしてきたか、その心はきっと理解できている。
だからこそ、彼女が少しでも幸せになればいいと願いながら生きてきて――。
「でもね、魔法界に帰れなくなって、クロと一緒に暮らすようになって――すごく楽しかった」
彼女との思い出が走馬灯のように蘇る。初めて無人界に来た日、他愛もない日常のワンシーン、そして共に学園祭を謳歌した時――。
彼女はいつだって笑っていた。誰よりも幸せそうな笑顔で、誰よりも眩く。
「クロと一緒に、本当の家族みたいなやり取りができて……今まで国民の前で見せていた化物としての私を演じなくても、本当はダメでなにもできない私でも、家族のように扱ってくれて……それが、本当に……嬉しかった」
彼女が魔法界にいた時はただの兵器だった。国民の前に出る時は頼りのある存在として己の力を誇示し、どんな障害でも突破するかのような気概を見せていた。
でも本当の彼女はそうじゃない。だらしなくて、料理もロクにできないで、少しだけわがままで、それでもいつだって素敵な笑顔を見せてくれる、ただの女の子なんだ。
そんな彼女といられて、俺は幸せだっただろうか?
――そんなの、当たり前だ。
「……俺もだよ、ハル」
化物として生きてきて、戦線で敵を薙ぎ倒して、国家の未来を守ろうとして――。
そんなキナ臭い世界で生きてきた俺が、ハルと一緒に平和な暮らしをして、どれほど心が安らいだことか。国家同士の衝突なんていうことを忘却して、普通の家族みたいにハルとやり取りできるのが、どれだけ嬉しかったことか。
そう、きっと俺たちは。
二人とも、こんな普通の日常を望んでいたのだろう。
「俺もハルと一緒にいられて幸せだった」
こんな日々が永久に続けばいいと思うほどに、その日々は幸せでしかなくて。
ずっと一緒にいたくて……魔法界に帰ったとしても、失いたくない日々で……。
「……俺は……」
その感情が何なのか、俺は知らずに生きてきた。
彼女の真意を知った時に芽生えてから、彼女がダンスパーティーに誘われるたびに疼いてきた気持ち。その名称を理解することができず、その根源を知らずに過ごしてきた。
でも……俺は、委員長に答えを教えられている気がした。
『愛なんて簡単だよ。……どんなことがあっても相手と一緒にいたい想い、それが愛さ』
どんなことがあったとしても、例え三千年間戦争を続けてきた国の王子と王女であったとしても。
彼女と一緒にいたいという、その想い。
(これが……)
これが、これこそが、きっと愛。
恋とも呼べる、人が持つ原初の感情。
ようやく、俺は知る。……化物には知ることなどできない感情を、理解する。
だから俺は……もう、化物じゃない。
ただ一人の女性を愛する、人間だ。
「……俺は、向こうの世界に戻ったとしても……」
彼女の体が廻る、世界と共に廻る。遠心力で引き離されて、だから強く引き寄せて――。
――彼女の体が、俺の体と重なった。
その小さな体を抱きしめて。
「ずっとお前と一緒にいたいよ、ハル」
ハルが少しだけ息を呑んだ。その白い頬に朱が差して、少しだけ慌てたような顔になって。
「ばか」
と、小さく呟いた。
そして一瞬離れかけたハルは、不意に俺の体を引き寄せて、主に首から上を寄せていって、俺たちの顔は至近距離。彼女の長い睫毛を一本一本数えられそうなくらいに、近くまで迫っていって――。
ハルが少しだけ背伸びをした。彼女は唇を真一文字に結んで、そしてなにかを求めるようにその瞳が揺れる。
けれどもそこでハルは止まり、どうしようもなく恥ずかしそうな顔をしつつ、何かの代わりとばかりに――、
こつん、と俺の額に己の額をくっつけたのだった。
「クロ」
ハルが再び俺の名を呼んで、もっと強く額を押し付けてくる。少しだけ汗ばんだ肌は柔らかく、唇のように瑞々しくて、押し付けるという動作はまるで――。
「……ハル」
俺も額を押し付ける。触れあった箇所は燃えるように熱く、脈動のような血の流れが感じられていた。
二人を隔てる境界線があるのかすら曖昧になるほど、ハルの鼓動を感じて――。
「……」
ハルが微笑みながら額を離した。かつてないくらい真っ赤な顔で、きっと同じくらい紅潮した俺の顔を見る。そして二人で、いつもみたいに笑い合う。
「……もう、戦争……やめよ?」
「ああ。争いなんてやめよう。……俺たち二人で、この戦争を止めよう」
それは言うほど簡単ではないことだろう。三千年以上続いた長い戦乱を終わらせるのは、きっと様々な障害に阻まれていくはずだ。
もしかしたら多くの人に恨まれるかもしれない、それは叶わないことかもしれない。
それでも、俺たちは願う。
「二人で一緒に考えよう。……魔法界に帰る、その日まで」
ハルと二人で、戦いに終止符を打ちたかった。きっと交戦状態が終われば、またこうして二人で踊れる日が来るはずだから。
そして今度は、戦争国の王子と王女としてではなく――ただの男女として、また巡り合おう。
わだかまりも隔たりもなく、額を触れ合わせよう。
そうしたら今度は――ようやく自覚したこの想いを伝えるから。
――いつかどこかで聞いたラブソングがスピーカーから流れていた。
脳裏に過ぎるはあの日の想い出、二人で旋律を共有した、夜の電車のあの記憶。
だから俺は、もうすぐこの時間が終わることを知っている。曲の終わりが夢の終わり、俺たちがこうして踊り続けられるのもあと僅か。
でも、それでも、恋を知った一瞬は時が止まったかのようだった。
まるで、本当に世界が静止したかのようで。
魔法なんて使わなくても、世界は止まる。
愛する人と居られる時間は、きっと永遠にも感じられるから。
きっとこの恋は許されない。
恋する二人は敵国同士、生まれた時から交われない運命だ。
だけどそれでも希うのが――どんなことがあっても相手と一緒にいたい想いが、愛なのだ。
殺し合う為に生まれてきた。けれども、愛し合う為に生きていく。
地獄しかない人生だったけど、人としての生き方を許さない世界だったけど――。
地獄を変える為、俺たちはこの世界で愛を知る。
きっとこの世界こそが、俺たちの望む理想郷。地獄でしかなかった世界の、本来あるべき姿。
あの戦火の地獄を、この世界にしてみせよう。
化物でも愛を知り、人に成れる世界にしてみせよう。
そうだ、この世界こそが、きっとそう。
この世に楽園があるならば、きっとここがそうなのだ。
恋する二人は許されないシーズン1 ~世界が静止する日~ 終わり
次回 恋する二人は許されないシーズン2 は明日より毎日投稿です
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