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29章 未来の子供たちへ


 そして委員長は校舎裏に降り立ち、抱えていた俺たちを下ろす。


 ……ずっと空に浮かんでいたせいか、地面に足を付けていても気持ちの悪い浮遊感が取れない。まだ空から落ち続けているかのような、得も言われぬ感覚が続いていた。


 それでも、俺たちは生きている。

 再びこの世界で、生きている。


「……ありがとう、と言うべきなのかな。委員長……」

「生徒の身を守るのは委員長の役儀さ。……恩を抱く必要なんてないよ」


 彼女はそう言って――危なげな足取りで、踵を返す。


「……僕は本部に戻るよ。まだまだ学園祭は続くからね……」


 そう言い残した委員長は、校舎に向かって歩いて行く。……どこか疲れたような、寂しそうな……未だ計画が崩れ去ったことを信じられないような雰囲気だ。

 その姿は陽炎のように頼りなく……今にも消え去ってしまうような儚さに満ちていた。


「委員長! ……これからどうするんだ……?」

「……どうしようね」


 存在しない答えを誤魔化すかのように、彼女は苦笑した。それはどこか夢心地のような表情で、現実感を伴っていないことを物語っている。


「まずは……そうだね、今日の学園祭を無事終わらせないとね。それさえ終わったら、その時は……はは、どうしよう……。もう……僕が生きる意味はないものね……」


 今の委員長の瞳を、かつて俺は見たことがある。

 生きる意味を見つけられなくて、今にでも消えてしまうそうな儚さを宿したその瞳は……化物として戦場に君臨していたハルと全く同じだった。


 ハルは兵器としての生を強要されていたから、毎日を生き続けていた。……もしその役目を強要されていなければ、きっと彼女は永遠に姿を消すか、もしくは……命を絶っていただろう。


 どんな末路を迎えるにしても、委員長は……俺たちの前からいなくなる。


「なあ、委員長!」


 彼女の名前を呼んで、去りゆくその背を止めることはできたが、何を伝えたらいいか分からない。


 どんな言葉をかければ、彼女の末路を変えることができるのだろう。

 子供のままでいたいと願う彼女に、どんな言葉を伝えれば、大人になることも悪くないと思ってもらえるのだろうか……?


『学生時代が楽しかったから社会人として頑張ろうって思えるんじゃねぇか』


 ふと、プラネタリウムで聞いたまもり先生の言葉が脳裏に過る。

 学生時代があったからこそ、社会人としての日々がある。大人は子供とは別の世界を生きていると思っていたのだが、俺が思うよりもっと、その二つは地続きで……。


『アタシはオメーに楽しいか聞いた、したら楽しいって答えが返ってきた、そんでアタシは満足した。……大人が生きる理由や意味なんざそんなんでいいんだよ。それが大人の望む世界の在り方ってヤツなんだよ』


 子供たちが楽しんで、大人が満足する。大人が生きる意味はそれなのだと、先生は言っていた。

 それが真実だというのならば……もう、それを告げるしかない。


「俺は……学園祭実行委員会に入って楽しかった! 今まで魔法界で化物として扱われて! 人として生きることも許されなくて! ……ようやく見つけた安寧の場所が、あの委員会だったんだ……!」


 振り返った委員長の瞳が、少しだけ見開かれる。


 この世界の委員長は、俺たちが似たような境遇であることを知らない。

 生まれた時から戦うことを義務付けられていて、その為だけに育てられて、この場所でようやく幸せな世界を手に入れた――という、同じ過去を辿ってきたことを今、初めて知ったのだ。


「委員長があの場所を作ったから、俺たちはこんなに幸せになれたんだ! 無意味なんかじゃない、委員長がこの世界にいた意味は、確かにあったんだよッ!」

「………………最後にそれを知ることができて、よかったよ」


 俺の言葉を聞いた委員長は、心の底から嬉しそうな表情をして……空を見上げる。


 違う、そうではないのだ。まるで全てに満足して未練が無くなったかのような表情は、俺が求めていたものじゃない。

 俺は委員長に、生きてほしいと伝えたいのだ。


「なあ、委員長。……それが、大人が生きる理由だと思うんだ」

「え……?」

「まもり先生からの受け売りだけどさ……大人たちは、きっと……子供たちが幸せになれる世界を作るために生きているんだ」


 大好きだった友人たちと別れて、大人として屹然とした人生を歩まざるを得なくて……それは確かに辛いものかもしれない。きっと子供時代ほど呑気に生きられなくて、煩雑な毎日を生きていくのに一生懸命になるのかもしれない。


 子供として生きるより、大人として生きる方がきっと大変なのだろう。背負う責任感は今より重く、社会的立場を思い悩みながら生きていくのは不自由なものに感じるだろう。


 それでも、生きていく理由がある。


「大人が辛いって言いながら生きるのは……楽しかった子供時代を回想しながら生きるのはさ、自分の後に続く子供たちの為なんじゃないのか?」

「……」

「自分が過ごした楽しい日々を、子供たちにも謳歌してほしいから。……だから大人は生きて、世界を動かしていくんじゃないのかな」


 だって、俺たちが生きるこの世界だって大人に作られている。この学園祭だって、大人が学校という場所や学園祭という行事を作ったから存在するものだ。

 大人がいなければ俺たちの望む世界は存在しない。俺たちの理想郷は大人に支えられて存在している。


 だから、俺たちは未来を生きて、大人になる。

 幸福な世界も不幸な世界も、大人が作るものだから。


「少なくとも、俺は子供たちが幸せに生きられる場所を作りたいと思ってるよ」


 生まれた時から敵国を憎むような子供じゃなくて、戦争のことばかりを教えられ続ける子供じゃなくて。

 この世界に生きる子供たちと同じくらい幸せな世界を、シロガラ国の子供たちにも過ごしてほしい。


 もしも元の世界へ戻ることができたならば、そんな世界を作りたいと思った。


「俺は知ってるぞ、委員長。……俺たちが楽しそうに学園祭の準備をしているのを見て、委員長だって楽しそうにしてたじゃないか。きっとあれが世界の縮図だったんだよ」

「……………………ああ、確かに。楽しかったなあ……」


 郷愁に思いを馳せるかのように、委員長は目を細めて在りし日を回想する。

 思えば色々なことがあった。酸いも甘いも噛み分けて、それでも思い返せば全てが良き思い出だ。


「そうか、まもり先生はそんなことを考えていたんだね……はは、あの人らしいや……」


「ねえ、委員長」


 今まで静観していたハルが、ここで口を挟みだす。

 お願いだから余計なことだけは言わないでくれよ、という俺の視線に気づいているのかは分からないが、とにかく彼女はあまりにもあっけらかんとした口調で――。


「学校好きなんでしょ? それなら先生にでもなればいいじゃないの」


 ……なんてことを、のたまった。


 思わず俺も委員長も、目をまん丸くしてハルのことを凝視してしまう。何を誤解したのか嫌そうに己の胸を隠し始める自意識過剰なハルはどうでもいいとして、その発言には聞き捨てならないほどの意味合いがあった。


「いや、先生ってお前、ハルさあ、お前さあ……んん、いや、どうだ……? アリかな……? でもお前、アレじゃん……えぇ……?」


 なんだか一家言あるような無いようなことを言われて、思わず混乱してしまう。どうやら俺だけではなく委員長も同じで、どう反応していいか困っているようだった。


「……教師になって、今後入学してくる生徒たちを導けと言うのかい?」

「うん。だって委員長、そういうの好きでしょ?」

「そういうの……って?」

「委員長さ、別に実行委員会の仕事をすることが好きなんじゃないでしょ。管理職みたいに全体の統制をしてたけど、実業務には携わってないじゃないの。むしろ、作業に精を出す私たちを見ることを楽しんでいるように見えたわ」


 思い返せば、確かにそれは真実のように思えた。外部連携については副委員長であるアイに任せ、地道な作業は俺たちに委ね、彼女はそんな様子を微笑ましそうに見つめていた。


 日々の業務を通じて後輩たちが成長していく姿を見て、いつだって委員長はまもり先生のように大人な視線を向けていたのだ。


「大好きな人たちとずっと一緒にいたいなんて願いは確かにあるだろうけど、それだけじゃなくて……もう一つ、後輩たちが育っていくのを見るのが好きなんじゃないの?」


 確証もなく、原拠も薄く――ハルの言葉は憶測や推測でしかないだろう。


 しかしそんな言葉を浴びた委員長の表情は、世迷言を聞くような軽薄さを僅かたりとも含んではいなかった。まるで占い師に自分でも知らない一面を告げられた時のように、呆然と驚愕が入り混じって不安定に揺れている。


「先生になれば、ずーっと学校にいられるわ。そして毎年、委員長の設立した学園祭実行委員会に人が入ってくる。……それを導いていくのも、ほら、結構楽しそうに思わない?」

「今更……そんな変化を受け入れろと?」


 教師になって毎年生徒を育てていくことは、彼女が望んだ時の静止とは真逆の生き様だ。時が流れなければ成長の兆しは見えない、だから彼女は否が応でも前に進んでいくしかない。

 何年も停滞を渇望していた彼女に、それは酷薄なことではないのか――。


「うん! やってみたらいいわ。多分向いてると思う、私が保証してあげる!」

「えぇ……」


 あまりにも裏付けのない断言を聞いて混乱する俺を尻目に、委員長はというと――。

 突然言い放たれた訳の分からないくせにどこか説得力のある一言に、一瞬狼狽し、納得しかけて、それでも悩み、受け入れがたい表情を浮かべ、天を仰ぎ、終いには――。


 爆笑していた。


 腹の底から湧き出るような大爆笑は、なんだか聞いているこっちまでもがスカッとするくらいの勢いだ。それを見たハルが満足そうな笑みを浮かべていて何とも言えない気持ちになる。


「大人になってもこの学校に居続ければいい、か……」


 そんなことを呟いて、委員長は大きく息を吐いた。大人になりたくないという思いのせいで見落としていた行く末を知って、その未来に意義があるのかを推し量っているかのように。


「……それも……未来の子供たちの幸せに繋がるね……」


 咲希は空を見上げて――いや、学園祭で華やいでいる学校を見上げた。


 華やかな学園祭に酔いしれて、誰もが笑い、思う存分に祭を楽しんでいる。いつまでも続くかのようにあどけなく、時が経てば失われていく一瞬だという自覚もないままに。


 来年、委員長はこの学園から卒業する。けれどもきっと彼女が作った委員会は残り続けて、翌年の学園祭も多くの笑顔が溢れるだろう。

 時を止めることは、その幸せを奪うこと。時が進むことは、その幸せを享受すること。


 委員長が学園を去り、大好きな友と別つ未来が来ても……彼女がかつてここに居て、誰かを幸福にし続けていく事実は変わらない。


 ……そんな光景を見て、委員長は少しだけ笑った。


「もしかしたら……きっと、楽しい未来なのかもしれないね……」


 そう呟いて、委員長は手に持っていた杖を俺たちに投げて寄越した。杖の表面に埋め込まれた絢爛豪華な装飾は、時が戻る前とは微妙に異なっている。


 ……元々委員長が所持していた杖はハルが時を戻すために使用していたため、そのまま時を戻せば逆行の途中で杖が委員長の元に戻ってしまう。それでは時を最後まで戻せないので、逆行する時の中で地下に祀られた杖と役割を入れ替えておいたのだ。


「君たちにあげるよ。……僕にはもう、魔法なんて必要ないだろうから」

「委員長……」

「大丈夫、安心して。……君たちの前から消えやしないさ。ただ少し……これからどう生きていくかを考えたいだけなんだ」


 そして今度こそ、彼女は立ち去って行った。


 自分の中に生まれた疑問を考えるような仕草で、本当に子供時代が終われば価値のない人生になるかを考えているかのように。

 その姿は、先程よりは……まだ少しだけ、生きる気力を持っているように見えた。


 そして、彼女と入れ替わるようにして、とある人物が俺たちに近づいてくる。


「お二人ともー! 空を見上げたらなんかお二人が落ちていて、気が付いたら消えていたんですけどあれは何でありますかー!」


 諜報員だった。どうやら俺たちの姿を目撃していたらしく、如何なる時でも冷静に諜報する立場としては許されないほど滅茶苦茶に焦っていた。そりゃ突然そんな光景を目撃したら焦るどころではないレベルだろう。


「いや……なんか落ちちゃって……」

「人はなんかとかいうファジーな単語では落下しないものでありますが!?」

「一応経緯はあるんだけど……」


 少しだけ考えてから、諜報員に今までの流れを説明していく。無論、俺とハルが禁術を発動したことは伏せて、虚実を交えながらの説明だ。


 時間停止の魔法が発動したので黒幕と戦って、何とか対抗していったがとんでもない天空戦になって、最終的に打ち倒して時の流れを再開させることには成功したが、魔力を失った俺たちは落下したという流れ。

 ……ものすごく怪訝な顔をされたが、二人がかりでパワー極まりない主張をしまくって何とか納得させた。


「……成程。で、黒幕はどうするつもりでありますか。禁術を使用したからには然るべき罰を与える必要があると進言しますが」

「本人が所持していた杖は奪った、彼女はもうただの人間だよ。……罪に問うのは止めてやってほしい。多分、彼女も被害者の一人なのだから」


 シロガラ国とメース国に攻め込まれて、居場所を失って……委員長の先祖は魔法界に復讐を誓っていたが、彼女自身はそんなことを望んでなんかいなくて。


 ……実質、彼女は復讐を止めた立場の人間と言えるだろう。

 もし罪を問いただして罰を与えるならば、その火種を作った両国にも与えられるべきだ。


「……ん?」


 その時、俺のポケットの中で携帯が震えだして少し驚く。隣にいるハルもビビっているので同じく携帯が震えたのだろう。


 携帯のディスプレイに表示されていた文字は俺の父親の名前。落下と委員長に気を取られて気付いていなかったが、何件も不在着信が入っていた。そりゃあんなタイミングで切られたら問いただしたくもなるだろう。


「……先程は失礼致しました、マッサークル国王」

『何をした?』


 開口一番がそれだった。当然の反応なので頷く他ない。


『不意に貴様から転送しろという連絡を受けたが、奇妙なことに転移装置から貴様の魔力反応が消えていたな。……何をしでかした。貴様が魔力を失うなど想定外の出来事だぞ』

「……ええと……実はこっちでも色々想定外の出来事がありまして……」


 しどろもどろになりながら、諜報員に話したあらすじと同じ内容を父親に報告する。


 父親は終始無言だったが、俺が全てを話し終えると深いため息を吐いた。どんな罰を与えられるんだろう、なんだか死刑宣告を待つ囚人のような気持ちになってしまう。


『……つまり、自己防衛のために魔力を行使する必要性があったと、そういうわけか』

「はい。……敵を打ち破らなければ時は停止したまま、魔法界とのコンタクトも取れない状況でした。止むを得ない状況であったと考えています」


 父親はもう一度沈痛なため息を吐き、近くにいるであろう側近に何かを伝えている。距離があるせいか話の内容までは聞こえなかった。


『……今、メース国の王族と中立国家に確認を取っている。貴様の言葉が本当であるならば然るべき対処を取る必要があるからな』

「然るべき対処って何ですか。死刑とか……死刑とかですか? もしかしたら死刑かも……」

『戯けが、王族を殺すわけにいくか。メース国との休戦を維持するよう仕向けるだけだ。……諸外国を誤魔化すにも限界がある。魔力が溜まり次第、即刻帰還しろ。いいな』


「え、じゃあそれまでは……」

『戻ることができない以上、止むを得まい。そちらの世界で隠遁生活を続けろ。……無論、メース国王女の弱点を探すことは絶対条件だがな』

「マジすか! サンキュー! 探しちゃう探しちゃう! 超探しちゃう!」

『貴様、不敬な口調やめろ』


 ブツ、と毎度のことながら前置きもなく電話を切られた。


 電話を終えた俺は、丁度同じタイミングで通話を切ったハルと目を合わせる。

 彼女だってきっと今、俺たちがこの世界に留まらざるを得ない事実を知ったのだろう。


 そして……どちらともなく手を取り合って、子供のように喜んだ。


 今日で終わると思っていた日常だった、もう手に入れられない日々だと思っていた未来だった。

 それでも……そんな日常は、もう少しだけ続いていく。

 二人の日々はまだ続く、二人の日常へまた進む。

 俺たち二人の世界は、まだ終わらない。


「あーあ、こんな場面見たらどっちの国の王も卒倒するでありますなあ……」


 そんなことを呟きながら、諜報員が俺たちの手から二本の杖を奪っていった。そしてその杖をくるくる回し、己の肩に立てかける。


「こっちにも今しがた祖国からお達しが来て、後処理として本件に関わった人間の記憶をぜーんぶ消せって言われたんでありますよ。地下も当然封鎖。証拠隠滅です、証拠隠滅。……信者どもの記憶を弄って、矛盾が無いように置き換える作業がどれだけ大変か! しかもあの信者たち全員分! 手当出ないとやってられないでありますよ!」


 ぷりぷり怒りながら諜報員がその場に座り込んで、誰にも邪魔されないよう不可視の魔法を唱え始める。

 ただでさえ人が密集した学園祭なのに、その中から本件に関わった人物を炙り出して記憶を弄るのは相当に大変な作業だろう。もう既にかなり不機嫌だった。


「さ、こっちのことなんか放っておいてお二人は楽しく学園祭デートでもしてくればいいであります! くっそ、一年四組のプラネタリウム楽しみにしてたのになー!」

「いやいや、さすがに手伝いますって」


 俺とハルは諜報員の隣に座り込む。


「魔力がない私たちじゃ記憶に干渉はできないけど、どうやって矛盾なく記憶を置き換えるかの案くらいは出せるわ。ささっと済ませましょ、早く処理しないと委員長が信者たちに解散を伝えて混乱が起きかねないし」

「……よいのですか? せっかくの学園祭なのに楽しまなくても」

「いいんだよ。記憶の件については、一つ頼みたいこともあるし」


 俺とハルは、顔を見合わせて笑った。


 だってもう、学園祭は楽しんだのだから。

 ……なんて、消えた未来の話は、二人の秘密だけれども。


「さ、始めましょ。……私たちの最後の仕事を」


 校舎から聞こえてくる楽しげな声を聞きながら。

 俺たちは、全ての後片付けを始めるのだった。

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