28章 許されない罪
果て無き大宇宙に浮かぶのは、数多の惑星と、障壁によって守られた学園と、大切な人を失ったハル。
彼女は一騎打ちに勝利し、己の望む世界を手に入れたはずだった。
しかし記憶を失っていた彼女は、自身が何を望んでいたのかを忘れていて……引き返せないところまで来てしまったのだ。
幸せな世界とは、クロと共にいられる世界。あの場所が自分にとって大切なものになったのは、全てクロのおかげだったのだから。
勝利すれば大切な人を失い、敗北すれば大切な世界を失う。……クロが自身の命を差し出した時点で、彼女にとっての本当の勝利は失われていたのだ。
「…………」
ハルに残されたものは……クロのいない世界だけ。
大事な人を失って、永遠に続く世界で生き続けることしか許されない。
そこは委員長の用意した楽しい世界、誰もが子供時代を永久に過ごせる理想郷。
……理想郷?
誰よりも一緒にいたい人と居られない世界が、理想郷……?
「……全部……私の所為か……」
操られ、暴走した末路だとしても、地球を破壊したのは己。クロを殺したのも己。
全て自分が巻き起こした結末。……理想郷を壊したのは、他の誰でもない自分自身。
だから……カタを付けられるのは自分しかいない。
ハルは空を見上げた。本来、四方八方を銀河で囲まれたこの空間に空という概念はない。しかし彼女はかつて空の存在した方向を見上げる。
あの空を取り戻す為なら、許されない罪くらい容易いものだった。
「今、行くよ。クロ」
彼女はゆっくりと――躊躇う様子もなく――己の頭に手を宛てる。
その掌から放たれる電流が彼女の脳を侵していく。極細のシナプスを通って神経細胞を巡り、宇宙のように精密な世界に潜っていった。
それは己の脳を辿る旅、遠大に続く針路を虱潰しに探っていく旅路――。
「――――ッ!」
彼女は己の脳の中を探る。そこにあるはずの人格を求めて。
脳が焼かれるかのような激痛の中で、朧げな記憶だけが頼りなく薄らいでいた。
『自ら……不幸になると分かっていて……向こうの世界に帰るなんておかしな話だからね……。彼女の脳を弄って……僕の一部を少しだけ紛れさせたんだ……』
委員長の一部が自分の意識を侵していたというならば。彼女から分離した意識が暴走の根源であるとするならば。
この意識の中に、東松山咲希という意識は確かに存在する。
「寄越せッ! ……お前の意識をッ、全部! 私に!」
ハルの精神が、己の脳内を歩きながら委員長の痕跡を探していく。
それは記憶を巡る道。生まれてから今までの――化物としての日々を、クロと過ごした日々を、学園生活を楽しんだ日々を――思い出しながら、己の世界を探る。
ねえ、クロ。
思い出したよ、全部。
貴方と過ごした幸福な世界を、人生で一番幸せだった毎日を。
わたしだって言う勇気がなかったけど――。
本当はね、わたしも貴方と一緒に、ダンスパーティーに行きたかったの。
今更、もう、遅いかもしれないけど。
わたしたちは、きっと、同じ気持ちだったんだよ……。
――――そして、脳の奥に佇む影を目視する。
クロとの記憶によって焼き朽ち果てられて、もはや残骸としか呼べないような委員長の意識を、遂に見つけ出す。
「意識も! 記憶も! 能力も! ……お前の持つ全てを私に差し出せッ!」
そしてその意識を拾い上げて――取り込んでいく。
「東松山咲希! お前の禁術を、私にッ! 寄越せええぇッ!」
欲求を増大化させていた委員長の意識は、ハルの意識内に溶け、薄らぎ――その役目を終えた。
――そして、彼女は――知る。
委員長が持っていた記憶を、その能力の全てを。
彼女の持つ、禁術の全てを。
「……世界を終わらせてたまるもんかッ!」
今までで一番大仰に、ハルが杖を振るう。
彼女の魔力が解放されて、全ての魔力が杖から溢れ出る。その魔力は宇宙空間に広がっていき、世界に干渉し始める。
そのドス黒い閃光の色は、委員長が放ったものと全く同一で――。
「クロを失うくらいならッ! クロと一緒にいられる世界を失うくらいならッ! ……どんな罪だろうと受け入れてやる!」
彼女の咆哮と共に、止まった世界が動き出す。……周囲に散らばった地球の欠片が、僅かずつ脈動を始めていた。
それは、まるで再び時を刻み始めたかのよう。
でも違う。それは不自然な世界、全ての理が逆転した世界。
時が可逆性を以て――逆行していく。
破壊された地球が少しずつ蘇り、眼下に地平線が広がっていく……。
化物と呼ばれた存在が己の全てを注ぎ込み、禁術を発動していた。
それは時に干渉する禁断の魔法。……しかし、委員長の紡いだ停止の魔法ではない。
時の逆行。……世界を流転させる、許されざる罪の魔法だった。
だが――化物とて、禁断の領域に足を踏み入れることはできない。
「はぁ……ッ! ……ぐ……ッ!」
彼女の顔に焦りの色が浮かぶ。
時を止める禁術は、クロやハルの魔力を凌駕する魔力で執り行われていた。……そう、彼女の体内に存在する魔力では、禁術を完遂するには及ばないのだ。
だから、全てを注ぎ込んだとしても、世界を完全に修復させるまでには至らなくて……彼女の息が荒くなり、その魔力の限界を示し始める……。
「私がどうなったっていい! 例え向かう先が地獄であっても構わない!」
それでも彼女は、己の全てをかけて世界に魔法をかけ続ける。
「世界が蘇るなら! クロが蘇るなら! 私の全てをくれてやるッ! だから返せッ! ……世界の全てを私に返せッ!」
そして、彼女の体に限界が訪れる――、
――その直前。
僅かに罅割れ始めた彼女の手に……誰かの手が重ねられた。
その誰かは……彼女を後ろから抱きしめながら、膨大な魔力を放つ。
彼女の魔法に共鳴するように、己の魔力を加えていく……。
「クロ……!」
……そこには、時の逆行によって蘇ったクロがいた。
未だ腹に大穴を開けて血を撒き散らしているが、それでも意識だけは取り戻している。
「……一人でダメなら、二人で力を合わせるしかねぇだろ……」
彼は――いや、俺は――彼女と共に、世界を巻き戻し始めた。
二人で一つの杖を使い、魔力を開放する。
化物二人の魔力を全て注ぎ、世界をあるべき形へと変えていく――。
「……でもっ! 禁術を発動したことが魔法界に知られたら……クロも……!」
「……いいんだよ」
魔法界の法も倫理も、そんなの些末な問題だった。
「お前に課せられる罪なら俺も背負おう。……絶対に許されない罪を二人で背負おう。だから……最後までお前の手を引いて……一緒にいさせてくれ……」
きっとこれは、二人の許されない罪。
いつかは魔法界に知られて、その罪を問われるだろう。
それでも……二人なら、怖くなんかない。
未来も罪も二人で背負えば、きっと、離れ離れになることはないはずだから。
……死ぬまで一緒にいられるだろうから。
「帰ろう、俺たちの世界へ」
「……うんっ!」
化物二人分の魔力が、世界を眩く照らす。
生命を蘇らせて、星を生き返らせて、何もかもが在りし日の光景を取り戻していく――。
そして――宇宙に舞った破片が全て紡がれて――地球が蘇る。
青い星は何事もなかったように、再び、穏やかな日々を刻み始めていた。
「……………………」
全てをやり終えた俺たちは、大空からその世界を見下ろしていた。遥か眼下に存在する学園を見つめ、ただ静かに息を吐く。
時刻は――午前九時。
全ては学園祭が始まったばかりの頃に巻き戻っていた。
「これで……世界は、正しく……動き始める……」
魔力を使い果たしたせいか、全身から力が抜けていく。意識も半分混濁した状態で、俺はただ彼女にしがみついていることしかできない。
……それは俺だけではなかった。ハルも全てを使い果たし、もう、僅かな力を振り絞ることさえできやしない。
だから……それは必然だった。
「――――」
俺たちの体が、大地に向かって落ちていく。
時の逆行に全ての魔力を継ぎ込んだ俺たちは、浮遊するための魔力すら持たず、空に居ることさえも許されない。
魔法を使えないただの人間として、地上に落下していく。
世界は無慈悲に平等に――落下する俺たちを受け入れていた。その運命を迎え入れているかのように、地球が俺たちを引き寄せ続けて――。
「……諦める……もんか……」
地上に落下するまで、あと僅かしかないだろう。この場で魔力を手に入れる手段など存在しないので、再び空を舞うことなどできやしない。
それでも可能性は一つだけある。ささやかな望みは残されている。
俺は力の入らない手で、懐から携帯電話を取り出して、登録された番号に通話をかけた。
もしも、息子をほんの少しでも案じているならば……どうか逡巡することなく、すぐに呼びかけに応じてくれ……!
『……何の用だ?』
声が返ってきたのは2コール目だった。すぐに出たのは偶然だったのか、それとも珍しく息子からかかってきた電話に悪い予感を覚えてくれたのか。
「――父さんッ。今すぐ俺たちをそっちに転送してくれ! ……時間がない! 早くッ!」
語気が荒くなるほど焦りを込めて、全力で電話口に向かって叫んだ。強くハルを抱きしめたまま、雲を突き抜けながら――。
『……転送準備ッ! 速やかに転送しろッ、急げ!』
緊急事態だと察した親父が、問い詰めることもなく部下へ転送命令を出している。
雲を抜けると、少しずつ地表が鮮明になっていく。地上に面並ぶ建物の姿形が認識できるようになり、自分たちがあとどれくらいで墜落するかがはっきりと分かる――。
『――クロスエッジ! 魔力反応が探知できないッ! ……何をした、何故お前の魔力が認識できないッ!?』
「あ……ッ。……くそ……ッ」
――個々人の魔力を検知して転移する仕組みだから、応用すればそっちの世界に紛れ込んだ魔法使いを捜せるかもしんないけど、実用化はまだ先だって――。
数日前の母親の声が、頭の中に響く。
魔力を全て使い果たした俺たちは、転移装置によって魔力を検知することができない。
転移によって生き延びることは……できない。
『おいクロスエッジ! ……何があった、状況を――』
このまま通話を続けていれば、息子が絶命する音を聞かせることになるだろう。……折り合いの悪い親父だが、さすがにそんな音を聞かせることなどできないので通話を切る。
世界が蘇ったのに、全ては元に戻ったというのに。
まるで禁忌を犯した俺たちを受け入れられないと言うように、ただ抗うこともできず地上に落下していく。
「……いいよ、クロ」
切り裂くような風を浴びながら、ハルは静かにそう言った。
「わたしたちの迎える末路が死であっても……クロと一緒ならそれでいい。……この世界を戻して……時の流れを戻して死ねるなら……わたしは満足だよ」
「……ハル……」
彼女が強く俺の体を抱きしめる。俺も負けじと、彼女の体をできるだけ強く抱きしめた。
例え地上に墜落して肉に成り果てたとしても、二人で一緒にいられるように。
地上が近づいてくる。死の時が迫ってくる。
「最後まで……わたしたちは、一緒だよ……」
例え向かう先が地獄であっても。
二人で一緒に、地獄を生きよう。
……そして、俺たちは……全てを受け入れる……。
――その刹那、俺は確かに見た。
黒い影が学校の窓から飛び出してきて、弾丸のような速度で迫りくる。
それは真っ直ぐ一直線に俺たちの方へ向かってきて――そして――。
「――まさか、君たちも同じ存在だったとは」
俺たちを、受け止める。
……望む世界を真っ当できず消えた彼女が……そこにいた。
「委員長……!」
……東松山咲希が、虚空で俺たちを抱えていた。
その顔は罅割れていないし、魔力の枯渇で人の形を失ってはいない。学園祭が始まったばかりの時間軸の委員長が、ここに確かに存在している。
「……魔力が……」
そして彼女は、抱えた俺たちを見据えながら言う。
「地下の魔力が消えていたんだ。……君たちが……僕の計画を打ち破ったんだね?」
「………………ああ」
例え時間を巻き戻しても、時空に干渉する為に消費した魔力は戻らない。俺たちの体に宿る魔力も戻ったりはしないし、地下に眠る莫大な魔力も蘇らない。もし蘇るのであれば何度でも時に干渉し続けられるのだから、当然の制約と言えよう。
だからこの世界には、もう、委員長の計画を遂行するための手段など存在しない。
「……そうか。……僕の世界は叶わなかったんだ……」
淋しそうにそう呟いて、それでも彼女は俺たちの体を抱え続けていた。
今の彼女には、俺たちをどうすることだってできるだろう。この空中から再び落とすことも、魔法を使って辛苦を極めた拷問をすることも、彼女に許された選択肢なのだ。
しかし、彼女は自身に不可視の魔法をかけて、誰にも見えないようにしてから地上へと向かって降りていく。
俺はその最中、彼女に問いかけた。
「どうして俺たちを助けるんだ……? 委員長の計画を台無しにしたのは俺たちなんだぞ……!」
「……朝に言ったことを、もう忘れているようだね」
――彼女は、敵に対して浮かべるはずのない表情で笑う。
「言ったじゃないか。愛する生徒に危機が迫った時は学園外でも大空でも地中深くでも、どこにいたって助けに参じるって」
「……例え、それが……敵だとしても?」
「敵なんかじゃないさ。……君たちも愛する仲間だもの」
俺には、委員長の考えていることが全く分からなかった。
今ここで手を離せば俺たちは落下して、簡単に殺せるというのに。どうして俺たちを助ける必要がある? 敵視しない理由がどこにある……?
「僕に幸せを教えてくれたこの学園の生徒と、離れ離れになりたくない。……全ての根幹は、そんな愛情だよ。だから……愛する君たちを見殺すなんて僕にはできないんだ」
「……愛ってなんだよ……なんで敵まで愛しているんだよ……」
「愛なんて簡単だよ。……どんなことがあっても相手と一緒にいたい想い、それが愛さ。例え計画を打ち壊されても、僕は君たちと一緒にいたい。……それが僕の全てだよ」
委員長の表情には、負けた悔しさなど微塵もありはしなくて。
ただ愛する人を慈しむ、そんな表情だけが浮かんでいた。
「だから、君たちを助けたい。……今の僕が抱いている計画なんて、もう、それだけだ」




