20章 君に委ねる物語
地上に出た俺たちは、何はともあれ学校外に脱出した。
そのまま学校から距離を――できるだけ距離を取るよう逃げて――ひと気の無い公園へと辿り着く。
俺たちは息を整えながら……いや、息を整えるふりをして、しばらく言葉を発さなかった。
今見た光景を受け入れるには時間を要すると悟ったアイたちも、その推測通り未だ現状を受け入れがたい俺とハルも……そして、何かを考えるように月を見つめる諜報員も。
決して短くない静寂と沈黙を経て、最初に口を開いたのはハルだった。
「……大人にならない……大人になれない、世界……か……」
大人になることを拒んだ子供、永遠に子供で居続けられる世界。
きっとそれは叶う願いなのだろう。地下に蓄えられた魔力を使えば世界は変わる、時間が止まるのだ。
生徒たちは学園内で悠久の時を過ごし、何にも干渉されず、ただひたすらに学園生活を続ける。一見永遠の苦痛に思えるが、魔法を行使すれば何でも生み出せる。
いつまでも、万華鏡のように変わりゆくことができる世界……。
「あたしは……そんな世界を生きるつもりなんてない」
アイが言い落した言葉は、まるで胡乱な夢の中に居るかのよう。どこか夢心地で現実味がなくて、それでも確かな意思を感じる声。
「大人にならないと叶わない夢もある、未来を生きなくちゃ叶えられない夢があるもん。永遠に学生を繰り返していたら、手に入れられないものだってたくさんある」
「でも、大人になれば失うものも数多くある。俺たちが当たり前のように過ごしている毎日も、いつか手放さなきゃいけない日が来るだろう」
鳳輔がそう言っても、アイは表情を変えなかった。
「例え世界の全てを敵に回してでも、絶対に失いたくないものがあるんだよ」
なにを説いてもアイには届かないと悟ったのだろう。鳳輔は俺たちのほうに視線を向けてきた。
「委員長は……お前たちも仲間に引き入れるつもりだったんだぜ。クロ、お前には少し心当たりがあるんじゃないか?」
「………………」
思い起こせば、確かに――備品の買い出しを行った時に、違和感のある会話が多かった。
大人にならなくていい世界が欲しいかと突如訪ねてきた鳳輔。戦闘を目撃したなどと言って、魔法使いの存在を仄めかせた委員長。そうやって魔法の存在を色濃くしていって、最終的に目の前で魔法を披露して、仲間に引き込むといった算段だったのだろう。
俺が『そんな世界なんていらない』と言わなければ、今頃はあの集会に誘われていたに違いない。
「委員長はな、お前たちとも幸せになろうとしたんだよ」
そう言って、鳳輔は一歩を踏み出した。伝えるべきことは全て伝え終えたと言うように、彼はこの場を立ち去ろうとする。
「アイの頼み通り、お前たちに計画の全貌を垣間見せた。その代わり、お前たちを委員会に入れて東松山咲希という人間を理解させた。……俺の役目はこれで終わりだ」
振り返り際に見せた笑顔は、少しだけ悲しそうだった。
「俺は委員長の志す未来を支持するが、アイの期待は裏切れない。だから俺は、お前たちの選択を受け入れるつもりだ」
ポケットの中からコインを取り出し、鳳輔は伏し目がちにそれを見つめる。そこに刻まれているのは黒ずむ王冠……先ほど目撃したフェンネル国の紋章だ。
きっと、仲間の証として委員長が与えたものなのだろう。
「……でも、未来を選ぶ前に考えてやってくれ。委員長が何を考えて、何を想い……何を経て復讐を拒み、幸せな世界を造ろうとしているかを」
そうして、鳳輔は暗闇の中に消えていく。
姿が消えても足音だけは色濃く響いていたが、やがてそれも薄まり……再び公園内に沈黙が戻っていった。
二度目の沈黙は、そう長くは続かなかった。月を見上げるアイが、静かな声で語り始める。
「……あたしが委員長の計画を知ったのは、鳳輔よりもっと前。実はね、鳳輔よりも先に勧誘されていたんだよ」
アイもポケットの中から、紋章のメダルを取り出して見せる。
鳳輔のメダルは何度も握り締められて劣化していたが、アイのメダルは新品同然で、日頃は全く持ち歩いていないことが見て取れた。
「最初はね、少しだけいいなって思ってたの。永遠に楽しい学生生活が送れるなんて、ほら……夢みたいでしょ? それに……この先大人になっていったら、私のお兄ちゃんの事件を知る人に出会って、また酷いことをされるんじゃないかな……って」
ぽつりぽつりと彼女が零す言葉は、俺たちに聞かせるようにというよりは、自分に言い聞かせているかのよう。
そして同時に、鳳輔と同じく、自分の意思を委ねるような口調だ。
「でもね、そんなの逃げだもん。大人になれなかったら一番叶えたい夢も叶わないし。……だからあたしは委員長の思想に賛同するふりをして、いつかどうにかして計画を壊してやろうって思ってた」
それでもまだ、委員長の選んだ未来を拒むと公言しても尚、彼女は逡巡を捨てきれないような表情だった。心のどこかではきっと、大人にならなくていい未来への未練があるのかもしれない。
「……でも、当たり前のことだけど……三千年間復讐を誓い続けた一家が、委員長の行動を許すはずもない。……だから二週間前、彼女は自分の親を打ち負かして……その果てに、学園へ膨大な魔力を移動させた。永遠の学園という幸せな世界を作るために。……そこまでして得たかった幸せな未来を、頭ごなしに否定することはできないの」
そして、鳳輔と同じようにアイも歩き出した。
でも口調は同じではなかった。彼女の言葉は委ねるというよりは、まるで、祈るかのようで。
「あたしも……この後どうするかは二人に委ねる。委員長を止めるのか止めないのか、それとも別の選択肢を選ぶのか……全ては、同じ魔法使いの二人に任せる。あたしたちはそれまで何も知らない無垢な学生として生きていくことにするよ」
虚勢と呼ぶにすら値しない、空虚な笑顔を見せながら。
「ばいばい、また明日」
「……なあ!」
立ち去ろうとするアイの背中に、思わず言葉をかけてしまう。
「アイが今言っていた、一番叶えたい夢って……」
「……」
音も無く彼女は笑った。
「バカな子供が見た、バカな夢だよ」
彼女の瞳に映るのは、あの懐かしき中学時代の思い出。
苦難苦境の学生生活に、終わりが訪れた時のこと。
「あたしが一番苦しんでる時に、その手を汚してでも助けてくれた幼馴染と、いつか一緒になりたい……っていう、ガキ臭い夢。その幼馴染は、自分に恋愛する資格なんてないって言ってるけど……あたしにとってはそれが、それだけが唯一、手に入れたかった未来の刻なんだよ」
それ以上、俺はアイに何も言えなくて、彼女が去っていくのを見送ることしかできなくて。
ハルも全く俺と同じなのだろう、彼女も黙って去り行く背を見続けた。
……再び訪れた静寂は、今度こそ永く続いていた。
委ねた二人と違って、委ねられた俺たちは選択しなくてはならない。この世界の結末を選ばなければならないのだ。
委員長は……幼い頃から仇敵を殺すことばかりを教え込まれ、生きる楽しみを見いだせなかった。
その痛みはよく分かる。だってそれは俺たちが味わってきた生き地獄と似ているのだから。
それでも彼女はこの学園で、生きる理由を知った。
『――顔がよくて目立つからって理由でクラスメートたちから半ば強引に推薦されて入ったんだけどね、これが中々面白くて――』
生徒会への推薦は彼女が言う通り、容姿のせいだったのかもしれない。けれどもしかしたら、心を殺し続けていた彼女に生きる意味を見つけてもらう為の、クラスメート達からの計らいだったのかもしれない。
きっかけはきっと、なんでもよかった。
そこで彼女は友と過ごす楽しさを知り、生きる理由を知った。
誰かを殺すための道具ではなくて、ただ誰かと共に生きる存在に成れて――それでも、大人になれば魔法界へ侵攻することになると理解していながら、両親の望むように彼女は毎日少しずつ大人に近づいていく。
抗うために、両親を倒して魔力を手に入れて。
生きる喜びを教えてくれた友と永遠を過ごすため、時を止めて子供のままになろうとして。
今が一番楽しい時だと説いて、大人にならないことを望む生徒たちを仲間に引き入れて。
……あらゆるしがらみから逃れた、理想郷を完成させようとしていた。
だからこの計画を止めることは、彼女がようやく手に入れた生きる理由を奪うことにも等しくて――。
「……お二人とも。所期の目的達成、心よりお慶び申し上げます」
いつまでも逡巡を続ける俺たちに、諜報員はそう告げた。
「敵の正体を暴き、計画を知り、本拠地を把握しました。……計画の始動が卒業の日、来春だと知った今、お二人が巻き込まれる懸念はなくなったのでありましょう。後はこの情報を祖国へ伝え、明日を以て帰還することでお二人は元の日々へ戻れるはずです」
「…………そう、だな…………」
明日、俺たちは魔法界へ帰る。
委員長がどんなに壮大な計画を立てていたとしても、それは俺たちには関係のない話で――彼女の持つ魔力をどうするかは俺たちの両親が決めることで――俺たちにすべきことはこれ以上何もないはずで――。
「これで……本当にいいのかな……」
ハルが無意識に呟いた言葉は、俺の心中と全く同じだった。
これでいいのだろうか。
委員長の計画を潰すのか、それとも看過するのか。
アイと鳳輔に託されたというのに……国王の判断に全てを委ねて選択を放棄するのは、果たして正しい行いなのだろうか……?
「……祖国への連絡は一日だけ待ってもらえるか」
この場で全てを、未来を決めることなどできるはずもない。だから俺は諜報員にそう言った。
「帰還までに、俺とハルで選択する。……少しだけ時間が欲しい」
「……シロガラ国王子の命令であれば拒む理由などありません。どうか『ご賢明』な判断を御願いしたく存じます」
諜報員は恭しく頭を下げて、それでも言葉に意図を込めながらそう言った。
……もしかしたら、俺が考えている別の選択肢に気付いているのかもしれない。
委員長の計画を黙認することでもない。情報を持ち帰って、祖国の軍事力で彼女の計画を頓挫させるわけでもない。
――あの魔力で、三千年に亘る戦いの終止符を打てるかもしれない。
そんな篝火のような、細い可能性の未来を。




