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19章 世界を変える者

「一人ずつ入っていけ。頭ぶつけんなよ」


 そう言い放ち、鳳輔が先陣を切って焼却炉の中に飛び込んだ。それを追ってアイが入り、僅かに躊躇して――俺もこの身を投じる。

 扉の中に入った瞬間、悪寒と戦慄が俺の体を通り抜けた。濃厚な魔力の洗礼、息をするだけで肺が侵されそうなほどまでに漂う、色濃い咒力の香――。


 アイたちを追って、闇の奥へと進んでいく。

 どこかでも続くかのような階段を下り、下り、下り続け――それでも最深部へは至らない。

 階段を進みながら、アイは声を潜めて、これまで辿ってきた物語を話し始めた。


「……あたしが二人の正体に気付いたのは、何週間か前の――魔法使いたちが天空で戦っていた時。あの時、クロくんたちの会話を偶然聞いて、二人が魔法使いだと知ったの」

「……本当に偶然だったんだな?」

「それは本当。実はそれ以前からあたしは魔法使いの存在も、この焼却炉の下にある魔力のことも知っていてね、二人が本当に魔法使いであることは疑いもしなかった。……それでね、二人に賭けてみようって思ったの」

「賭ける?」

「このバカげた計画を止めてくれるかもしれない、ってことに」


 本当に小さな音だったが、誰かのため息が聞こえた気がした。この流れでため息を零す奴なんて、敵サイドである鳳輔しかいないだろう。


「ただね、計画を知っていたとしても軽々と話すわけにはいかない。二人が悪人ならこの地下にある力を使って世界を滅ぼそうと企むかもしれないからね。……でもあたしは二人に縋るしかなかった。魔法使いに対抗するには、魔法使いの力を借りるしかなかったから」

「危険な賭けだな。俺たちの正体に気付いていると暗に示せば、もしかすると俺たちに消されていたかもしれないのに」


 実際、あの時の俺たちが魔法を使える立場だったなら、彼女を拘束して情報を吐かせていただろう。もちろん命を奪うことなんて望まないが――魔力を持たない人間にどれくらいの尋問をしたらいいか分からない。場合によっては最悪の事態に繋がった可能性もある。


「……委ねた、ってことだね。学園祭当日を迎える前に二人を委員会に入れなきゃならない、でもただの勧誘だと拒否される可能性がある。……だから、危険を犯してでも二人を委員会に入れなければならなかったの」

「どうしてそこまでして俺たちを委員会に……?」

「それはあたしの選んだ選択肢じゃない。鳳輔の決めた意志」


 鳳輔が……? と彼の顔を見ようとするが、光一つない階段は目の前にいるアイの姿すら示さない。

 俺たちはただ漆黒の中で、錆びた手すりを頼りに進むことしかできなかった。


「……ともかく、あたしは二人を見極めようとした。この二週間どう過ごしてきたか、敵なのか味方なのか、悪なのか善なのか。……結果は言うまでもないね、ちゃんと友達になりたいって思った二人だもん」


 それは痛いほど分かっている。ただの監視相手ならば、俺とハルが決別しかけた日にあんなに慌てることはなかったし、俺にハルの本心を伝えたりはしなかっただろう。

 あれはアイの本心、友人を想う心だったはずだ。


「そして、クロくんは大人になれない世界なんかいらないって言った。……だから、全部話そうって決めたの。きっとこの世界を救ってくれると信じたから……」


 やがて闇に一筋の光が差し込む。階段の奥から仄かな薄橙色の光が漏れ出ていた。

 きっとそれは光源としては頼りないものだろう。しかし長きに亘る晦冥を往く我々にとっては縋りたくなるほど欲した光。


 でも安堵してはいられない。暗闇の最中に光がある時、それは何者かがそこに居ることを示す。

 敵の腹中であるならば、ここで出会う人間は全て敵手。それを再度改めながら、俺たちは光の中へ溶けていく――。


「――これが、世界を変える者達だよ」


 光の先には荘厳なる大聖堂があった。地下が故にそれ自身が輝くステンドグラス、祭壇の聳えるサンクチュアリと、その背面で遠大な時を刻み続ける天文時計。天井に刻まれたシュロの葉と創世記の絵画。ビザンティン様式に則った四円柱式内接十字型、学校が丸々一つ入るほど巨大で圧倒的なカセドラル。

 その規模はあまりにも壮大で、魔法でしか到底成し得ない芸当だ。


 我々が闇を抜けた先は、大聖堂の柱を取り巻き、天井部から床まで続く螺旋階段に繋がっていた。天井部側から出てきた俺たちは、柱の陰に隠れながら大聖堂の中を見渡す。


 ……聖堂の中には、制服を身に纏った高校生が何人も、何十人も蠢いている。その制服は飽きるほどに毎日見てきたのだから見間違えるはずもない、この学園のものだった。

 無論、全生徒が集結しているわけではない。しかし悠に百名を超える生徒がそこにいて、救世主でも現れるかのように祭壇を見つめている。


 祭壇を観察すると、その上に一本の杖が乗っていることに気付く。供えられし百花繚乱に囲まれたそれは、国宝の如き宝石を幾つも纏っていた。

 ……この世界で作られた紛い物じゃない、正真正銘、魔力の出力が可能な魔法の杖だ。


 そしてその魔法の杖を祀った祭壇には、黒ずむ王冠の紋章が刻まれていた。

 例えるならそれは国章、誇り高き自国の証を示しているかのようで――。


「……フェンネル国の者共でありますか」


 その紋章を見た諜報員が、絶滅したはずの動物を目撃したかのような物珍しさを纏った口調で呟いた。


「フェンネル国……? 聞いたことない国だな」

「存じ上げていないのも無理なきことでありますな、なんせ三千年前に滅んだ国家ですから。……メース国とシロガラ国から同時に開戦されて、瞬く間に滅亡した中規模国家でありますよ」


 三千年間戦争を続けている両国家が、丁度三千年前に滅ぼした国。

 これを偶然だと言うならば、運命なんて言葉は要らない。


「フェンネル国は禁術と呼ばれるような違法魔術を密かに研究していた軍事国家でした。彼らはある日、体内にしか存在できないはずの魔力を物体に溜め込む術を編み出したのです。魔力聚合術という名称のそれは極めて強力な軍事技術とされ、フェンネル国は口外無用として箝口令を敷き、独自で魔力を蓄え続けておりました。……この辺りはメース国とシロガラ国、及びその属国では抹消された歴史です。お二人が知らないのも無理ないでありましょう」


 諜報員が語るその歴史は……俺たちの知らない――きっと俺たちの親世代すら知らない物語。

 歴史の闇に封印された、禁じられた過去だった。


 曰く……廻者によってその技術を知ったメース国とシロガラ国は、フェンネル国に技術の開示を要求。固辞したフェンネル国に対して、両国は兵糧攻め、政治的圧力で強圧をかけた。

 それでも技術を黙秘し続けたので、軍事的圧力を用いて物理的接収を目論み――。

 両国から同時に攻め込まれたフェンネル国は、最後の抵抗として技術的資料を抹消しながら壊滅した。だが国民に対しての尋問、各資料の復元化が行われ、両国はその魔力聚合術の一端を理解した。完全にとは言えないが、その一部を再現することが可能になったのだ。


 ……そして元々関係性が良くなかった両国は、同時に行われたフェンネル国への武力制圧が引き金となり戦争状態に突入。敵国を滅ぼす為、両国は魔力聚合術を使い、ある実験を開始する。

 兵士として属さない国民、植民地化した属国から魔力を接収し、軍事的利用を行う実験。


 だが単純に兵士が強くなれば反逆、革命の危険性は上がる。

 だから、王族が強大な力を持つことが安寧の担保として効果的だった。


 大量の妻、妾に子を孕ませ、産ませた子供を人体実験にかける。王族が老いれば後継者用の子を作り、その子孫に実験を継がせ続ける――。


「幾千もの犠牲者を出しながら続けられた実験は、三千年の時を経て偶然、二国同時に実ったのであります。……完成した存在は、戦況を変える一騎当千のつわものとなりました。彼らは幼い頃から戦場に引っ張り出され、数多の兵士を殺し続ける運命を背負わされたのです」


 そうして完成した化物が、シロガラ・G・クロスエッジ。そしてメース・M・ハルモニア。

 俺たちは人体実験という揺り籠の上で育まれた、呪われし二人御子。


「……恐らくフェンネル国の者共は、滅亡直前にこの世界へ亡命したのであります。そして三千年間、この世界で生き延び続けてきたのでしょう」

「じゃあ……この世界の魔法使いは……俺たちの先祖が滅ぼした一族の末裔……」

「そうです。そしてお二人が生まれるきっかけを作った、親とも呼べる存在でしょう。……貴方達の存在も、三千年間の戦争も、全てはフェンネル国が原点となるのであります」


 俺たちは絶句して、ただその紋章を見つめることしかできない。

 だって、それが本当ならば……この世界に眠る莫大な魔力は、滅亡の一族が蓄え続けた三千年間の怨讐。我々の国家が生み出した、意志を持たない意趣遺恨の化物。


 俺たちと同じ――悪意を持って生み出された兵器なのだ。


「……何の因果だよ、クソッタレ……」


 しばらく聖堂内は静寂を保っていたが、突如生徒たちが万感の拍手と共に歓声を上げる。

 それは本来、荘厳な大聖堂の中では微々たる音だろう。しかし聖堂各所に配置された拡声魔法が彼らの歓喜を増幅させ、建物内全域に轟かせる。

 まるで幾万の群衆が鬨の声を上げているかのように、聖堂内は大歓声に包まれていた。

 入り混じる喜びの声、聖歌、福音書の一節。それぞれが思い思いの言葉と共に、何かを歓迎していた。


 この世界を変える救世主が、顕現する。


 それは魔法使いと呼ぶにはあまりにも普通、杖こそ所持しているがローブを羽織っていないのだから。神と呼ぶにはあまりにも普通、黒き蔓草の頭飾りも脛巾も纏っていないのだから。

 彼らにとっての信仰主は、学生服に身を包んでいた。


 でも……服装なんて見なくても、彼女が学生だということは分かる。

 だってその顔は――。


「……東松山、咲希……」


 いつもは持っていなかった咒法の杖を持って、いつもとは違うこの場所で。

 いつもと変わらない笑顔を湛えた委員長が、そこに居た。


「――ありがとう。みんな、ありがとう――」


 サンクチュアリの中心に立つ咲希は、身廊から歓声を発す生徒たちに何度も礼を述べていた。

 鳴りやまぬ喝采、繰り返される謝儀。


 ……それは神と人と呼ぶよりは、レジスタンスの筆頭と傭兵のような距離感。上下を明確に区分けした関係性ではなく、相集う同志として同じ立ち位置にいるかのよう。

 幾分もの間それが繰り返され、やがて静まり返った聖堂内に、委員長の声が響く。


「……大人になれば人生は終わる」


 それは張り上げた声ではなく、高らかな叫びでもない。委員長が語る言葉は静かに、謡うような語調で唱えられる。

 しかし、この大聖堂が拡声化していた。蝸牛どころか脳髄にまで侵入するかの如く、彼女の言葉が聖堂内に反響する。


「世の大人は口を揃えてこう言うだろう、『学生時代が人生で一番楽しい時代だった』と。数多のしがらみに囚われず、自身の思うが儘に無限大の世界を生きていける若者こそが人生を最も謳歌しているのだと。……無論、大人になってからこそが人生の最高潮と謳う者もいるだろう。だがそれは酒を麻酔代わりに思考を鈍らせ、純朴さの欠片も無く財力を振り翳した末路に過ぎない。楽しいから楽しむわけではない、費やしたから楽しいのだと自己欺瞞に努めているだけ――」


 誰かを、何かを嘲笑うかのように委員長は笑った。


「……今が人生で最も楽しい時間で、大人になってからはそれを懐古し平坦な人生を生きていくのであれば……我々は何のために大人になって、何のために生きていくのだろう? 何を想い、何を育み、何のために死ぬのだろう……?」


 胸の奥で心臓が音を刻んだ。いつもより強く、平時より激しく。

 その言葉は、かつて俺が想ったことと全く同じ。大人になりたくないという言葉を聞いた時に浮かべた、ささやかなる疑問。


「僕は……大人になるつもりなどない。生命を浪費するだけの無意味な存在に堕ちるつもりはない。……この愛すべき学園で永遠の幸福を手に入れ、愛すべき君たちと永劫の安寧を得る! 僕が手にしたものはその為の力だ!」


 委員長が杖を振るうと――彼女の後ろに聳える天文時計が――いや、その内側に封じられた禁断の魔力が脈動する。

 それは魔力を持たない人間でも察知できるほどの力を秘めた、この世界を変える力の凝固体。


 鼓動を刻む度に大聖堂が揺れる、四次元空間に干渉する力が時までも揺り動かす。

 力の心拍が時を揺らすごとに、俺たちは時間間隔を失い、こうしている時間が1時間のようにも――1秒のようにも――無限大のようにも感じられる……。


 大いなる力が博動する度、生徒たちは歓声を上げていた。訪れる最後の審判が救済であると信じて、これから世界に訪れるラグナロクが望むべき未来だと信仰して――。


「計画に対敵した我が両親を打ち倒し、その杖を鹵獲して無力化した。これでもう、僕以外に魔法使いなどいない。計画を妨げる敵などいない!」


 祭壇に祀られた杖に視線を向けて、委員長が一瞬だけ憂いの表情を見せた。

 祭壇の杖にも委員長が持つ杖にも、激しい戦いを交わしたかのような傷が無数に刻まれている。その傷が、計画を遂行する為どれほどの激闘が繰り広げられたかを言葉なく物語っていた。


(我が両親を打ち倒しって……まさか……!)


 あの始まりの日、天空で戦闘を繰り広げる魔法使いたちの姿を思い出す。

 戦っていたのは3人。ハルの感覚が正しいならば男が1人に女が2人だ。もしも委員長と両親が戦闘をしていたならば、人数も、性別比もぴったり一致する。

 あれは……大いなる魔力を巡った東松山家の戦闘だったのだ。


「ここに集いし同胞達に! そして今日を境に、我が救いに寄り添う導かれし者に! 世界が迎える未来の終着点を啓示しよう!」


 両手を広げて、全ての者の期待を抱え込むように――生徒たちの救世主は、告げる。


「我が身が卒業するその時! ……その時こそが宿願たる佳日! 世界が静止する日となるだろう! 世界の時は止まる、この学園外は全て物言わぬ無象へと変わる! 何もかもが止まった世界の中で我々だけが生き続け、時の流れに逆らって永遠の黄金時代を手にする! そうだ、この学園内は理想郷になるだろう!」

「時を止める……魔法……」


 俺とハルが静かに息を呑む。


 ……時に干渉する魔法。四次元空間への介入を行う為の魔法は、古くより伝承として語られてきた。

 一次元から四次元までを掌握するその魔法は、他世界からの干渉すら受けなくさせる最強最悪の魔法。


 しかしそれは当然の如く禁術、世界の因果を崩壊させる禁じられし方術。

 個人が行使することなど言語道断――いや、不可能と言うべきか。その禁術を完遂させるには、人知を超えた魔力が必要なのだから。


 だが委員長の背面で蠢くその魔力は、化物である俺の魔力すら凌駕している。

 世界を停止させることも、そしてこの学園内を時の流れない空間に変貌させることも可能となるだろう。


 フェンネル家の編み出した魔力聚合術。そして永く、永く――永すぎる程までに、魔法界から亡命してきた一族が蓄え続けてきた古の魔力。

 ……その発端は我々の一族がその技術を欲したが故。だから、今この事態は我々が元凶でもある……。


「……三千年間、僕の一族は魔力を蓄え続けてきた。魔法界という別世界に存在する宿敵を打ち倒すために、怨嗟の魔力を込め続けてきた。そしてそれが満ち足りた今、両親は僕が大人になったその時に、魔法界へ攻め込むことを決意したんだ。だから何度も何度も刻み込むように、大人になれ、大人になれと呪詛のような言葉を吐き続けていた――」


 彼女の言葉は拡声魔法で直接脳に響き渡り、まるで自分がそう洗脳され続けているようにも思えた。彼女の辿った苦しみが再現性を持ったかのように、言葉が何度もリフレインされる。


「この学園に来るまでは、敵の殺し方ばかりを教わってきたものだ。その為の存在なのだと説き続けられてきたし、僕も親自身も復讐のための道具でしかないのだと言われ続けていた。だから中学の頃まで生きることへの楽しさなんか知らなかったんだ。……生きる目的は、三千年前の因縁を断ち切ることだけだって信じ込んできたんだよ」


 述懐するように委員長が目を閉じて、しばらく在りし日を思い出してから、目の前にいる同志たちを優しい目で見据える。


「――でも、三千年前の因縁なんて、僕には何の関係もない。復讐なんてするつもりもない。……僕の一族が亡命したおかげで、この学園と君たちに会えたのだから。生きる喜びを、友と生きる楽しさを知ったのだから! 感謝こそすれど憤懣を覚えるはずもないさ」


 魔法界への――シロガラ国とメース国への感情を少しも見せず――千々に乱れる様子も無く、ただ楽しい日々を謳歌するかのように、彼女は歓喜の意を込めて言う。


「再び殺戮の悲劇を繰り返すつもりはない、親の望むような大人になるつもりもない。僕は僕の人生を、いや僕たちの人生を生きたい。……幸せな世界を続けていきたいだけなんだ」


 だから――と言葉を切って、世界の全てを愛するような声で謂う。


「最高の時は終わらせない。僕たちの幸福を永遠にしよう」


 彼女を讃える万感の拍手が響き渡る。彼女の偉業を称賛する為に、誰もが掌の感覚が無くなるまで打ち鳴らし続ける。

 いつまでもいつまでも止むことのない賞揚が、大聖堂中に響き渡り続けて――。


 アイが俺の袖を引っ張って、潮時だと伝えてくるまで――その光景から目を離せなかった。

 再び階段を上って闇の世界に戻っても、拍手の音は絶えることなく聞こえ続けていた……。

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