18章 陰謀の中核
「どうしたクロ、顔が悪いぞ」
「顔色が悪いと毎回言われるのか? それ」
翌日、教室に着いた俺にちょっと失礼なことを言ったのは鳳輔だった。
今朝に鏡越しの顔を見た時、自分でも相当ヤバい顔色だなと思ったので、他人から見たらさぞかしマッドネスな色になっているに違いない。
顔色が優れないのは俺だけじゃなく、ハルもだった。理由はもう語る必要すらないだろうが、あの後両親から帰還の件と同居の真相を聞いたハルが再び泣きに泣いて――ぶつけどころのない感情を抱えたまま朝を迎える他なかったからだ。
「昨日は悪いな、迷惑かけて」
俺は鞄を自席にポイ捨てしながら、鳳輔に詫びを入れる。
「気にすんな、どーせ買うもん買い終わってたから支障はなかったしな。……で、ちゃんと仲は修繕できたのか?」
「ああ、バッチリだ」
俺とハルがそれぞれ自分の席に座ると、何故かクラスの男子たちが蒔き絵に群がる魚群のように駆け寄ってくる。今日はやたら熱烈な歓迎だなと思ったが、どうやら男子たちの目的は俺なんかではなくハルのようだった。
寄って集ってハルの机に集まり、口々に何かを語り掛けている。幾重もの声が飛び交っているのでもはや何を言っているんだか判別できない。渦中にいるハルは大層ビビっているだろう。
「今日はクラスのみんなが発情期だな」
「今朝方、学園祭のプログラムが掲載されてなー。今年も後夜祭でダンスパーティーがあるって知ったから、みんなハルちゃんを誘いたがってんだろう」
ああ、なるほど……ハルは見て呉れだけなら抜群だし、俺や鳳輔くらい距離が近い相手じゃなきゃそこまで突飛な行動や発言はしないもんな。クラスの男子共から高嶺の花とか思われていても不思議ではない。寄って集って花を毟りにかかるのはいかがなものかと思うが。
「………………」
なんか気に入らない。
いや別に誰がハルを誘ってもいいんだけど、本当のハルを知らずにつがいになろうとしてるのがなんかこう、すげえやるせない気持ちになる。いいのかみんな、その女は想像の十倍ぐらいぐうたらしていて、想像の百倍ぐらい不器用で無鉄砲で――。
……想像以上に頑張り屋で……想像以上に感謝してくれて……。
「ふっふーん?」
そんな俺を見てアイが意味深そうに笑っていた。そんな艶めかしい流し目で見られてもお代を払うことしかできないんですけど。
「ハルちゃん人気だね、誘われまくりだね。クロくん的にはどうなの、家族同然の相手が人気者で嬉しい? それとも取られたようでジェラシー?」
「……俺にもよく分からんな。ただなんか意味深に不快なだけだよ」
化物生活十五年目、男子生活数週間目。まだ家族愛以外の愛の形なんて分からないし、どこに境目があるかなんて学んでいない。
そして、それをゆっくり学ぶ時間もありはしない。
「ふーん……ま、とにかく仲直りできたようでよかったよ!」
「お陰様でな。……で、昨日の話の続きなんだけど」
「うん、分かってるよ。放課後になったら全部話す」
急に話してもいいと心変わりした理由はよく分からないが、過程はどうあれ結末さえあればそれでいい。
俺たちは今日全てを知るだろう。
知って、そして、故郷へと帰る。
もうそのカウントダウンは始まっているのだ。
……時は否応が無しに流れ、世界と共に終端へと向かっていた。
*
「――これですべて終わり、かな」
夕刻、十七時半。いつもよりも少し早く、委員長は活動の終わりを告げた。
明日の学園祭に向けて済ませられることは全てやり終えた。立入禁止エリアは封鎖したし、パンフレットの作成も終わった。各クラスの申請した経費の管理も済ませて、校外へのPR活動としてサイト更新も終えた。ステージを使用する各部活とのリハーサルも終了し、当日流す校内放送の内容も承認済み。
前準備は全て終わり、あとは当日、何事も無いよう目を光らせることだけ。
「みんな、今日までお疲れ様! 我々の活動も残すところ明日のみ、最後まで気を抜かず学園祭を成功させようじゃないか。……ま! といっても、当日が一番トラブル発生してるんで、今感傷に浸ると地獄を見るのが毎年の常なんだけどね」
昨年度までの学園祭を知る二、三年生はすごく微妙な表情で曖昧に笑った。対する一年生は脅し過ぎですよーと言いたげな顔だが、実態を知れば上級生と同じような表情になるのだろう。
「いいかい親愛なる諸君、明日は後夜祭があるから無理だけど、明後日の片づけ作業の後は打ち上げだよ! 忘れて帰るなんて許さないからね、ちょっと引くくらい泣くからね」
何故か俺たちに視線を注がれている気もするが、さすがにそんなミスをするのはハルくらいだろう。と思いながらハルの顔を見たら似たような表情で俺を見ていやがった。不服だ。
告げるべきことを告げ終えた委員長がバッグを手に取る。
追随するように一人、また一人とスクールバッグを肩に下げ、委員長の顔を見据えた。
「それじゃあ……帰ろうじゃないか」
そうして俺たちは、学園祭実行委員会本部を後にした。
茜色に染まった廊下をみんなで話しながら歩いて行く。
いつもは嫌になるくらい響き渡っている運動部の掛け声も、今日だけは聞こえてこない。同じ曲ばかり練習するせいでノイローゼになりそうだった吹奏楽部の旋律も響かない。
今日は学園祭前日、各クラスと部活は当日の出し物に勤しむ日だ。我々のように学園祭実行委員会に属さない者たちは、今日だけは部活に精を出さず、明日に備えて入念な準備を行っていた。
そんな彼らも、もう準備をやり遂げて一足先に解散している。
だから、学校内はいつも以上に静かで、いつも以上に寂しげな空気に満ちていた。
……思い返してみれば結局、委員会活動にかまけてクラスの出し物に何一つ協力できなかった。うちのクラスは四人も実行委員会に出ていたのだから相応の苦労をしただろう。
当日時間があったなら、みんながどれだけ頑張ったか、ちゃんとこの目で見届けるのもいいかもしれない。
「………………」
まだ何も終わっちゃいないのに……心の中には寂寥感があった。
明日、全てが終わる。明後日の打ち上げなんか参加する暇もなく、俺たちの日常生活は終わりを告げる。
こんな夕焼けを拝めるのも明日が最後。これから見ていくのは、戦火の煙に揺らぐ煤けた太陽だけ。
快活な朝も、緩やかな昼下がりも、平和な夜も――明日を終えれば全てが過去になる。
少しだけ、泣きたくなった。
「クロくん」
隣を歩く委員長が、不意に名前を呼んだ。
「短い間だったけど、委員会に入ってよかったかい?」
上級生らしい頼り甲斐も、王子のような凛々しさも捨てて、彼女はまるで普通の友人のように訊く。
たった二週間の委員会活動だった、ようやく日々の雑務に慣れてきたところだった。繁雑な業務に忙殺されて仮死状態に陥りかねない事態も多々あった、期限遅れの稟議書に腹を立てることもあった。思い返せば、苦い思い出はたくさんあって――。
それでも全部振り返ってみれば、楽しかった思い出の方が圧倒的に多かった。
酸いも甘いも噛み分けて、それでも至った結論は一言で告げられる。
「……毎日楽しかったです。この委員会に入ってよかったと思えるくらいに」
「そう言ってもらえてよかった」
もしも俺がこの世にいられたならば、きっと来年もこの委員会を続けていただろう。
それだけは、嘘偽りのない真実だった。
*
校門前で一度は解散した我々だが、今日の本願はまだ終わっちゃいない。
アイから送られてきたメッセージを受け取った俺は、ハルを連れて学校へと戻ってきていた。
見上げた校舎は先程までと打って変わり、闇を纏った鉄黒の楼閣と化している。夕焼けに染め上げられていたあの時とは違う、夜の漆黒に塗り潰された禍々しい様相だ。
明日本当に学園祭が開かれるのか疑わしくなる程までに、今の学校は昏く沈んでいた。
「――人の気配無し、通行人無し。お二人とも、今なら侵入可能であります」
此度の激白を聞く為に随伴した諜報員が、周囲を警戒しながらそう告げる。それを聞いた俺たちは固く閉ざされた校門を乗り越え、音も活気も無い学校へと立ち入った。
無論、諜報員が同席することはアイへ伝えてある。こちらの世界に存在する魔法使いについて話すのならば、諜報員の存在も必要不可欠だからだ。
それにもしかすると、焼却炉に隠されたアレが――世界を揺るがすほどの強大な魔力が話の中枢になるかもしれないのだ。どちらかの国家がそれを独占しないよう、第三者である外部機関の立ち合いが求められるのは必至だろう。
俺たちはアイの指定した集合場所へと向かって歩いていく。
指定された場所はあの謎多き場所、校舎裏の焼却炉前だ。
「……来たね」
俺たちが辿り着いた時、もう既にアイは約束の場所で待ち構えていた。彼女が背にしている焼却炉の戸口は開き、地下へと続く扉が姿を見せている。
……その隣には、鳳輔の姿もあった。今まで本件に関わっていることを示唆してこなかった彼だが、アイの幼馴染として幾分かは事情を知っているのだろう。
「前置きを言いたい気持ちは山々だけど、早くしないと集会が終わっちゃうからね。……経緯は地獄に降りながら話すよ」
アイが視線を向けたのは焼却炉――乃至、その奥にある扉。
しかしその扉は――と思った時、俺より早く諜報員が事実を述べる。
「僭越ながら申し上げますと、その扉からは魔法による封印措置の痕跡が見られます。開錠には魔法の行使が必須ですが、我々にはその力が無いので不可能ですな」
「……敵が一派を率いているならば、本人限りではないでしょう」
そう言いながらアイは鳳輔の肩を叩く。そして語る言葉は、どこか他人行儀な敬語を纏わせていた。
「ここにいる鶴ヶ島鳳輔は敵の徒党に所属しており、扉の開錠権を与えられております。即ち、我々の敵です」
「え……」
思わず、今まで友と呼んでいた男の顔を見る。鳳輔は何にも動じず、ただ腕を組んで話の流れに身を任せていた。
「鳳輔が敵なら……どうして……」
「疑問への解答は、全部この地中深くにあるよ。……行くよ、クロくん、ハルちゃん。敵が望んだ新たな世界を見に行こう」
アイが目配せをすると、鳳輔は焼却炉の中に手を突っ込んだ。
彼が触れると、扉の鍵が陽炎のように揺らぎ、砂のように霧散していく。
そして開け放った扉の先には、永く深い階段が続いていた。奥からは地鳴りのような風の音が響き、まるで魑魅魍魎の呻きのよう。
「一人ずつ入っていけ。頭ぶつけんなよ」
そう言い放ち、鳳輔が先陣を切って焼却炉の中に飛び込んだ。それを追ってアイが入り、僅かに躊躇して――俺もこの身を投じる。
扉の中に入った瞬間、悪寒と戦慄が俺の体を通り抜けた。濃厚な魔力の洗礼、息をするだけで肺が侵されそうなほどまでに漂う、色濃い咒力の香――。
アイたちを追って、闇の奥へと進んでいく。
どこかでも続くかのような階段を下り、下り、下り続け――それでも最深部へは至らない。
階段を進みながら、アイは声を潜めて、これまで辿ってきた物語を話し始めた。




