17章 ババア現る
形容しがたいほどの心境変化があったにしても、見かけの日常は大して変化しない。
家に帰ってご飯を食べればいつもの通り、俺とハルは男女のようで家族のようで友達のようで、決して敵とは言えず喧嘩相手とも言えないような間柄に戻っていた。
あんなことがあったからってドギマギとかオギオギしてもそれはそれでやりにくいし、やっぱりいつものこういう空気が好きで一緒にいるのだから、双方が今までのように接するのは当たり前なのだろう。
「ハルー、風呂沸いたからさっさと入っちまえー」
夕食後、各々携帯やテレビを見ながらまったりと余暇を過ごしていたら、風呂炊き完了のメロディーが鳴り始めたので入浴するよう促す。
しかしせっかく一番風呂を譲ってやったというのに、携帯に意識を向けているハルは「えー」と不満げな声を上げた。
「今人生楽しんでるからキリのいいところまで待って?」
「人生におけるキリのいい部分ってどこだよ。ウダウダ言わずにすぐ入れ、お前その無駄にクソ長い髪を洗うのにいっつも時間かけてんだから早く入るかもしくはハゲてくれ」
「いや、だってごはんの後にお風呂入ったらなんかちょっと気持ち悪くなるし。今入ったら胃に負荷かかってさっき食べたご飯もどしちゃう。稲まで」
「戻し過ぎるな」
夕食後すぐの入浴にイヤそうな顔をしていたハルだが、あの手この手奥の手で説得をしたところなんとか入る気になったようで、腰をいわしたナマケモノのような動作で立ち上がった。
「じゃーそこまで言うなら入ってくるけど……委員会の人たちとメッセージ交わしてたとこだから、もし返信来たら代わりに返しといて?」
「プライバシーとかないのかお前」
とめどなく億劫そうにのそのそ歩き、洗面所へと向かうハル。俺はその背を見送ってから再びテレビに意識を集中させようとし――ハルの置いていった携帯が震えたのでちょっと驚く。
え、ほんとに返したほうがいいの?と思いながら画面を見ると、確かにハルの言う通り委員会の人からメッセージが返ってきていた。見た感じ、やり取りをしているのは一人じゃない。
多分きっと、委員会のみんなとだ。
今日雰囲気を悪くしたことと先に帰ったことを、ハルはちゃんと一人一人に謝っているようだった。もう俺が謝罪メッセージ入れといたから別に大丈夫だぞって夕飯前に言ったのにも関わらず。律儀にも彼女は謝意を述べたらしい。
「……こういうのは自分の言葉で返しなさい。あほめ」
今はここにいない彼女に優しくそう言って、今度こそテレビの続きを見ようとしたら――今度は俺の携帯が震えだす。
「ワオ」
画面に映った名前を見て咄嗟にわけのわからん反応をしてしまう。
表示されている文字列はシロガラ・G・ストゥレスト。
親の顔くらい見た名前、というか母親の名前だ。
「もしもし」
『やっほ~~~~~! 王子、ババアだよ~~~~~!』
通話ボタンを押すなりクソ能天気な声が響きわたり、思わず携帯電話を耳からめいっぱい離してしまう。
携帯電話越しなのに驚くべき声量だ、多分スピーカー機能をオンにしたらスタングレネード並の音が轟くだろう。実の母ながら驚くべき人間兵器と言える。
「そっちの世界から魔法で無理矢理電話かけてくるとチャド共和国と国際通話した時くらいの通話料金発生するから控えてほしいんだけど」
『どこだよそれ。そんなことよりさあ、どーよそっちの世界の暮らしは。ババアに色々お話聞かせてみ? そろそろハルモニア王女に手ぇ出した?』
「なんで積極的に国際問題勃発させたがるの。清純で真っ当な学生生活送ってますが何か」
『ケツのブルーハワイなガキじゃあるまいし、何もしないほうが不純な気もするけどねえ。いつから我が息子はこんな甲斐性無しになったもんやら、親の綺麗な顔が見てみたい』
「さりげなく自負しないで。俺甲斐性ありまくりなんで、むしろ甲斐性の塊なんで」
『性の塊?』
「一部分だけ抜き取らないでもらえる?」
俺が人生で初めて出会った奇人、シロガラ国王妃にして実母。自分のことをババアと呼ぶわりにはまだ36歳であり、高校生の子持ちにしては中々に若めだ。まあ、こっちの世界の感覚ではという話だが。
一国の王族とは思えないフランクさと突飛さは俺に対変人処理能力を学ばせたほどだが、実は一対一で接したことがほとんどない。人間兵器に育ての親など必要ない――みたいなクソ親父の号があり、シロガラ軍を親代わりとして化物らしく育てられてきたのだ。
それでもある程度やんちゃ盛りだった俺は、夜な夜な兵舎を抜け出して何度か会いに行ったことがある。
……少しの家事も人らしい遊びも、そんな僅かな時間で覚えたものだった。
『はー、我が子息ながら老いさらばえたセーシュン送ってんなー。学生時代なんて人生でいっちゃん楽しい時なんだし、好き放題とか触り放題とかしたら?』
「無茶苦茶言わないで。結局、何の用件で電話かけてきたの」
『せっかちだなー息子ぉ。や、用件は二点あってさ。一つはアレ、中立国家の諜報員さんからそっちの世界に魔法使いがいるって聞いてね、危ない目に遭ってないかな~って』
「ああ……まあ、そっちは今のところ被害なし。目下調査中って感じかな」
『お~、あんま危ないとこまで深入りするんじゃないぞ~。ほんでもう一つはね、空間転移装置が修復し終わったって伝えようとしたの。テスト環境で動作確認できたらもう平気だってさ』
「え……!?」
突然の報告に思わず携帯を取り落としかけ、慌てて掴み直す。
『正常動作したなら開通は大体三日後ぐらいらしいよ~~~~。だからその日までトラブルがないように超祈っといてね』
「………………………………」
思わず俺は言葉を失って、誰もいないはずの隣を見て――静かに息を呑む。
この世界を去る日が突如訪れて、動揺しないはずもない。
……いや、動揺する方がおかしいのかもしれない。
この世界に来たばかりの頃ならば、きっと胸を撫で下ろして安堵していただろう。魔法使いだということが露呈したら一巻の終わりで、早くこんなに危険な世界から去ってしまいたいと思っていたのだから。
でも……ハルとの日々を知って、学園生活を知って、心はいつしか変わっていた。
特に今日――ハルとすれ違いかけて、一番身近にいる人だと理解してから。
『個々人の魔力を検知して転移する仕組みだから、応用すればそっちの世界に紛れ込んだ魔法使いを捜せるかもしんないけど、実用化はまだ先だって。でも王子の魔力を使えばなんとかなるかもしれないからみんな期待してるよ、王殿もね』
「……そりゃ期待するだろうよ……」
クソ親父は俺を息子としてではなく、国家の行使する兵器としてしか認識していないのだから。役に立ちそうなら期待もするだろう、人に寄せるにはあまりにも冷たい期待を。
『ま、帰ってきたらどーにかこーにか王殿の目ぇ盗んでアップルパイでも焼いたるよ。アンタ子供の頃好きだっ――あっ、やっば、待って王殿これには浅い訳が――』
電話口の向こうが慌ただしくなり、雑音まみれで聞き取れない声が聞こえてきた。多分電波出力機を誰かが――もう正体は明白だが――奪っているのだろう。
しばらくノイズ混ざりの音ばかりが聞こえ、やがてそれが消えた時。
……俺がこの世で一番聞きたくない、低くて威圧するような声が響く。
『聞いているか、クロスエッジ咒術軍大将』
「……感度良好です、マッサークル国王。壮健そうで何よりです」
息子としてではなく、わざわざ階級をつけて軍人として呼ばれる。いつだってそうだった、クソ親父は俺を息子としてではなく軍事力としてしか見ていない……。
『貴様の帰還は三日後だ。しかし徒手で帰国するのは断じて許されない、理解しているな?』
「はい、こちらの世界に存在する魔法使いの情報を全力で入手致します。……計画を知る人物とのコンタクトには成功済。必ず有益な情報を国家に献上することを、我が誇り高き徽章に誓います」
明日、アイが語ると言っていた内容如何で今後の動きは変わるだろう。人物の特定、計画のシノプシスを持ち帰ることができれば俺の任務は完了だ。
『……理解が足りないようだな』
しかし、親父は吐き捨てるようにそう言った。
『その情報を持ち帰るのは前提条件だ。我が国に必要なのはメース国の王女を確実に抹消する為術、再決闘が行われた場合に確たる勝利を収める為の手立てだろう。貴様、よもや正々堂々と、公明正大な一騎打ちに一縷の望みをかけたわけではあるまいな……?』
「………………えっ」
『何の為に、貴様を敵国の王女と同居させるような真似をしたと思っている。全ては敵の弱点を知るための手段に過ぎない、理解しているな?』
「え……だってそれは、諜報員にそんな資金がないからって理由で……」
思わずただの子供のような口調になってしまい、慌てて取り繕おうとする。
いや、でも、俺はそう聞かされて……だからハルと同居することになったのだと思っていて……。
『大愚か貴様は』
混乱する頭に冷水をぶっかけるように、親父の冷ややかすぎる声が突き刺さる。俺は呼吸することすら忘れ、残酷にも時を刻み続ける時計を無意識的に見つめることしかできない。
『貴様が学園に通うことを許可したのも、無人界の文明水準を把握する為の諜報行為に過ぎん。中立国家などという胡散臭い団体への協力を要請したのも、奴らの遣り口と無人界における行動の自由度を探る為だ。……貴様は己に課された責務を何一つ自覚せず、遊惰放逸を尽くしていたのか?』
「………………………………」
『努々忘れるな、貴様は任務を与えられし兵士だ。まさに今この時も、貴様は我が軍の利益を追求せねばならぬ。メース国の王女を殺す方法を思案し続けろ、無人界と中立国家の禁穴を探り続けろ。それが出来ぬと宣うならば……貴様を生かす理由など無い』
容赦のない一言で心を抉られ、不意に電話は切れた。これ以上伝えるべきことなど何もないと告げるかのように。
電話が切れても、しばらく俺はそのまま動けなかった。
移転装置の復旧、同居の真相。雪崩れ込んできた情報はあまりにも過積載で、処理できないまま言葉を反芻し続けることしかできない。
(……俺は、ハルを殺す準備をさせられていたのか……?)
でも――考えてみれば至極当然のことだ。戦争中の王子王女を同居させるなんて凶行、裏で姦計が蠢いていなければありえない。
……いや、違う。ただの策謀じゃない。
だってシロガラ国がそれを企んでいたとしても、メース国が拒絶するだろう。真っ当な神経を持つ国家ならば断固拒否するはずだ。
じゃあ……メース国も同じことを考えているからという結論にしか帰結しなくて。
お互いの国はそれを理解していて、この期間は決闘の前哨戦でしかなくて……それに気づかなかったのは、渦中にいる俺たちだけで……。
「…………くそッ、何が決闘だよッ! ふざけやがって……!」
携帯電話をソファーに叩きつけて、ここにはいない父親に暴言を吐き捨てる。
いつだって、どこまでも、人を戦うための道具としか見ていない最低の父親だ。曲がりなりにも血が繋がった息子を何だと思っていやがる……!
義憤で渦巻く目の前で、音を立てながら震える機器が一つあった。
ハルの置いて行った携帯電話が、着信音と共に振動している。俺に掛かってきた電話と同じく、誰かがハルに何かを語ろうとしていた。
そのディスプレイに表示されているのは、メース国軍の兵長の名前。ハルの母であり女王であるメース・M・コンコルディアからの勅命を伝えようとしているのだろう。
この部屋に戻ってきたら、きっとハルは知るだろう。もうすぐこの世界を去らなくちゃならない事実を、そしてもしかしたら、俺たちが今ここにいる理由を。
俺たちがこの世界を去るまで、残り七十二時間未満。
幸せになるために残された時間など、もう、ない。




