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14章 過ぎ去りしあの罪

「ちょっと俺が暴力事件起こしてな」


 ……なんてことを、鳳輔が自ら口にした。


 目の前にいるアイと女子たちが焦っているが、はっきりと言ってしまった以上、もう取り消すことはできない。


「中学の時、クラスメートをぶん殴って怪我させたんだよ。結構問題になって、サッカー部もやめさせられてなあ。……ま、そんなトコだ」


 それは……と、思わず俺も言葉を失う。

 正直なところ、あの鳳輔がクラスメートに暴行を加えるなんて信じられなかった。セクハラは日常的に浴びせかけども、誰かを拳で傷つけるなんて想像できなかったのだ。


 しかし鳳輔の表情を見る限り、それは冗談でも伊達でも酔狂でもないのだろう。虚実が混じり込むことの無い、純然たる真実の話なのだ。


「いや、違、違うよ! 鳳輔が悪いんじゃなくて!」


 慌てて訂正を入れたのはアイだった。身振り手振りで何かを表現しつつ、少しだけ混乱しながら言葉を続ける。


「元々はあたしの……お兄ちゃんが……んん……」


 そして言いにくそうに口をもごもごさせて、あからさまに言い淀んだが、それでも意を決する。


「あの……犯罪、しちゃって……いろんな人に被害を与えちゃったの。それで、クラスメートの中に、その被害を受けた家族がいて……」


 途切れ途切れに続いていく言葉を紡いでいくと、鳳輔がクラスメートを殴るまでの背景がはっきりと描かれていく。まとめると、こうだ。


 被害を受けたクラスメートは、当然アイに怒りをぶつけた。彼が被害者であることは分かっていたので、周りの人も中々止めることができなかった。アイも、彼の怒りは尤もだとして叱責に耐えていた。


 でも、一度怒りをぶつけて終わりではなかった。連日も連日も彼はアイに怒り、そしてその言葉は次第に強くなっていき、やがては人格否定と呼べるものにまで達していく。

 しかも陰湿なのが、最初以外は周囲の人間には悟られぬよう裏で憎悪をぶつけていたのだ。自分は言い返す立場ではないとアイが耐えれば耐える程、彼は増長して語気を荒くしていく。やがてアイの目はどろりと曇り、その明るさは夜を迎えた向日葵のように消えていった。


 そんな幼馴染の姿を見て、鳳輔は――。


「殴るしかなかったって、わけか……」


 俺はそう呟き、確かにアイを救いたいならそうするしかないなと頷いた。


 アイ自身に責はない。しかしその男がアイに怒りをぶつけ続けるなら、新しい捌け口が必要だ。暴力事件を起こせば鳳輔に怒りの矛先が向く。少々強引な手ではあるが、アイを助ける手段としては最短距離であると言えるだろう。


 世間的な加害者と被害者、その関係性がある限り、強引な手段に出ざるを得ないのだ。静止や教師への告げ口で止まるのは一瞬、より巧みに責め苦は続いていくだろう。


「違うな。そんな御大層な理由じゃねえ」


 寂しげな自嘲を口にしながら、鳳輔は言い捨てる。


「あの時はただ、怒りで我を忘れたんだよ。幼馴染が毎日毎日責められ続けて、人生面白くねえってツラになってるんだぜ。……正直、二度と学校に来られなくなるまでぶん殴ってやるつもりだった」


 だからな、と言葉を切って、鳳輔は手持ちの水を一口煽った。本当に喉が渇いて掠れていたのか、それともその言葉を口にするのに一瞬の勇気を必要としたのかは、誰にも分からない。


「恋愛とか、俺がしていいもんじゃないんだよ。暴力事件起こした曰く付きの男だぜ、隣にいる女としちゃあんまり箔のねえヤツだろ」

「でも! ……鳳輔は、あたしを守るためにそんなことをしたんでしょ! そんなん曰く付きでも何でも……!」

「違うんだよ」


 アイの言葉を一言で止め、鳳輔は目を閉じて語る。


「守るためじゃない、怒りに身を任せただけだ。それに考えてみろ、この一件で『俺はキレると暴力を振るう人間』だって証明されただろ? そんな男が恋愛なんてしたら、将来のDV旦那になるぜ。だからよ、かつて悪いことをしちまった人間は……幸せになっちゃいけねえんだ」

「……そんなこと……」


 何かを反論しようとしたアイだが、鳳輔の表情を見て言葉が消えていった。

 今の彼に何を言っても、考えを変えさせることなどできないと悟って――。


「や、でもそれ、ぶん殴って正解じゃないの?」


 ……空気を読まずに、あっけらかんとそんなことが言えるのは、誰がどう考えてもハルしかいない。

 既知の豆知識を自慢げに言われた時のような、そんなん当たり前だろとでも言いたげな口調だ。想定外の口調で言葉を返されて、鳳輔も思わず驚きの表情を浮かべている。


「だって言うこと聞かないヤツを黙らせる四手順って、宥める、叱る、殴る、殺すでしょ? 宥めても叱っても言うこと聞いてくんないなら、もう殴るしかないじゃないの。相手の考えが変わるまで殴ればいいと思うわ。強情なら手に石を握り込んで殴るのがキクわよ。それでもダメなら火炙りとかすればいいわね、ベリーウェルダンでこんがりといきましょう」

「…………………………」


 当然のことなのだが、全員が呆気に取られてハルの顔を見ていた。ちなみに俺はあちゃーみたいな表情で天を仰いでいる。


 言うこと聞かないヤツを黙らせる四手順ってそれ、メース軍で使われている部下教育マニュアルから抜粋してんだろ。よく見るよ、お前らの軍の指揮官が部下殴ってるの。多分あいつら宥めたりしてないから三手順だぞ。

 とはいえ俺だって物騒な戦争地帯出身なので、平和主義者のみんなには悪いが、ハルの言葉に賛成だ。全員が動きを止める中で率先して頷き、ハルに同調した。


「そうだな、それは殴っていいな。大体、心無い言葉だって拳みたいなもんだろ。相手が暴言吐いてるなら、そりゃもうどんどん殴れ。俺も後方から声援で応援してやる」

「い、いやでも、一応アイの兄が発端でもあるし……あんまり相手のことを責めるのも……」

「や、それ暴言がエスカレートした段階で、もうどうでもいいから。兄とアイは別の人間だろ、家族相手にずーっと責め続けたってどーしようもない。八つ当たりそのもの」


 魔法界でも、ちょっとした手違いでの被害に対して、大仰なまでに報復攻撃を行う国があったりする。大体それはお互いが「相手が悪い」と言いながら正義を気取って戦争になってしまうパターンだ。そんなんじゃいつまでも争いなんかなくならない。


「……お前ら、転校前はどんだけ修羅の学校にいたんだよ」


 鳳輔は苦笑しながらそう言って、久しぶりに生気の宿った表情を浮かべた。


「でもなんか、ちょっとだけ気が楽になったかもしれんな」


 それを聞いたハルは嬉しそうに、かつ誇らしげにふんぞり返り、幼児向けの積み木くらいなら余裕で倒してしまいそうな鼻息を一発ブレスした。日ごろ褒められることが少ないから喜んでいらっしゃる。


「でしょうでしょう! ま、今後は積極的にぶん殴ってスカッとしていきなさいな。もし入用ならクロ派遣してあげるから。一発ウン千円たらずの格安殴られ嬢だけど」

「いや俺、高級嬢だから」

「訂正は果たしてそこだけなのかな、クロくん……」


 呆れた口調でアイが呟くが、どことなく喜んでいるようにも聞こえた。見れば周りの女子たちや委員長も、雰囲気が好転したことに安堵しているようだ。

 バカと王女は使いようか。バカの王女って言った方が適切かもしれないが、とにかくハルの前向きフィロソフィーには学ぶべきところがあるかもしれない。


「だからホラ、昔にワルいことしたからって、幸せになっちゃいけないなんて事はないの。好きに恋をして好きにつがいになればいいの。ね、クロ!」


 ハルにそう同意を持ちかけられ、俺はもちろんスペシャルな笑顔を浮かべながら返事を――。


「…………」


 ――返事をしようとしたが、喉笛を握り潰されたように苦しくなり、言葉が出てこない。


 そうだな、と言うだけだ。間違いない、と言ってもいい。どちらにしても、たった一言を口にするだけなのだ。


 でも……俺の首には血濡れの手が絡みついて、言葉を発せられないように締め上げている。

 それは俺が今まで殺してきた者たちの、怨嗟を込めた手だ。

 もちろん、単なる幻覚だ。しかし呪いでもある。


 多くの人間の命を奪った身分で、恋なんてものを享受していいわけがない。恋をして幸せになることなんて、かつての犠牲者たちが許さない。

 瞳を閉じると、いつだって、自分の背後に幾つもの視線を感じてきた。かつて打ち倒されてきた人々が、俺の一挙手一投足を監視し続けている。

 甲斐なきまま消えていった者たちの怨念が、幸せになることを許さない。


「……もちろん、そうだよな。そうに決まってる」


 喉を潰される苦しみに耐えながら、そう返事をした。


 言葉が返せなかった時間は、きっと一秒にも満たない僅かなものだっただろう。

 しかしハルは……ハルだけは、俺の様子を見て、音もなく息を呑んでいた。


「そうともさ! 恋無き学生生活なんてチェリーのないサンデーさ。あ、予餞会のない学校さ!」

「うっかり乙女な喩えが出たからって言い尚さなくていいですよ」


 俺たちの慰めに同調する委員長と、その発言に笑うアイ。それにつられて女子たちも、鳳輔も笑う。

 ようやく場に和やかな雰囲気が戻ってきて、姦しき学生たちは再び会話に花を咲かせていく。


 その中で俺だけが、まるで風邪のような喉の掠れを感じていて。

 その中でハルだけが、俺の顔から視線を外そうとはしなかった。

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