11章 聖職者との邂逅
「こんちはー。遅れてすいませーん」
翌日の放課後、俺たちは通例通り学園祭実行委員会の本部へと顔を出していた。
三度目ともなればこの委員会にも慣れてきて、あまり躊躇うことなく立ち入ることができる。
「遅ェーよジャリガキ」
「アッ」
だが、本部に立ち入るなりドスの利いた声と共にアイアンクローを仕掛けられた。多分今後は躊躇って立ち入ることになるだろう。
突如としてプロレス技をかけてきたのは委員会のメンバーではなかった。出会い頭に脳天締めを放てる一般生徒などいるはずもない。
そこにいたのは、我がクラスの教師である成田まもりだった。死体も思わず心臓発作を起こしそうなくらい鋭い三白眼と、文部科学省が知ったら卒倒しそうなプリン頭、茶色く塗ることで菓子に偽装している禁煙グッズ。教育委員会はよくこの人に教員免許を発行したなと思わず感心してしまう。
「せ、先生、どしたんですかこんなところで」
「学園祭の運営にゃ教師側も深く関わってッからな、アタシが委員会とのパイプ役やってんの。……んでオゥコラ、遅刻とはいい度胸だなァ」
「すいません……あといつまでも鷲掴みされてるのは恥辱の限りなのでアイアンクローやめてください……」
「クク……口ではそんなこと言ってッけど、口は正直じゃねえか」
「口以外の描写もしっかりしてください」
遅刻したのには理由がある。焼却炉地下へ続く別のルートがないかを調べる為、学園内を虱潰しに探し回っていたのだ。結局成果はボウズ、何の手がかりも掴めなかったわけだが。
ようやく教師の束縛から解放された俺は、事務作業を進めている委員長に近づいて行った。
「委員長、公務員にいじめられたので訴訟から始めます。あと遅れてすいません」
「鳳輔君だったなら顔の形が長野県みたいになるほど握られると喜ぶんだけどねぇ。……まあ時間もそんなに無いことだし、お二人には早速職務をこなしてもらおうか」
委員長が俺たちに与えた仕事は、後学の為に鳳輔とアイの打ち合わせを見学することだった。
二人は本部の隅っこで何やら外部の人と話している。上履きの色を見るに相手は三年生なのだろう。何やら分厚い資料を持っており、歓談というよりは商談と言った方が適切な雰囲気だ。
主に会話をしているのはアイで、鳳輔は後ろで色々な資料を抱えて立っている。いきなり会話に交じることはできないので、俺たちは何も考えてなさそうな表情の鳳輔に近づいて行った。
「ホースケ、これって何の打ち合わせなの?」
「おー、二人とも来たか。今丁度、学園祭当日の進行について生徒会と打ち合わせ中だな。生徒会も何だかんだで学園祭には関わってくるから、しっかりディスカッションしておかなきゃならんのだ」
アイと合議している生徒会の男の顔を見る。アイと喜色満面に話ができて大層楽しそうだ。
そりゃ明るくて笑顔が眩しい女子と話していると楽しいのは分かる。愛らしさでいえばアイは委員会メンバーの中でも飛びぬけているし、会話すると和むのだろう。
「よしハル、お前のいつ役に立つのか不明だった容姿を活かす時が来たぞ。アイが愛らしさを売って好評を得ているんだから、お前も名前にかけて春を売ってこい」
「ただの売春じゃないのそれ」
余計なことを言ってしまいハルにケツを蹴られている間にも、アイは笑顔を絶やすことなく会話を続けていく。
「そうですね、当日は我々が学園祭を中心にやりますので、生徒会の皆さんは後夜祭をメインにお願いします。それとダンスパーティーの部分ですけど――」
と、アイが言ったところで、タイミングよく鳳輔が資料を差し出している。
その連携は熟年夫婦並、ツーカーの仲と言っても過言ではない程だ。多分餅つきとかも上手にできるだろう。
そんな感じで打ち合わせが続いていく。さすがに外部との調整ともなれば鳳輔がふざけることもなく、不浄ネタの飛び交わない和気藹々とした打ち合わせが続いていた。
「じゃあこんなところですね。また何かありましたら適宜連絡しましょう」
そんな言葉で締められて、生徒会との打ち合わせは恙なく終了した。
立ち去っていく生徒会会員をアイは百カラットの笑顔で見送り(その後ろで鳳輔も不敬罪で捕まりそうな笑顔を浮かべていた)、一仕事をやり終えたアイは気だるげに椅子へ倒れ込む。
「つっ……かれたあああぁ……向こう三ヶ月分くらいの笑顔費やしたわぁ……」
「お疲れ様だ。もしよろしければ乳でもお揉み致しましょうか、お揉み致しますね」
「肩以外に触れたら次は法廷で会うことになるぞバカタレ」
鳳輔から繰り出されたアペリティフのようなセクハラを躱しつつ、アイは肩を揉まれて恍惚そうな表情を浮かべている。ちなみに俺の隣でハルが己の肩を叩いて何かをねだってきたので、とりあえずショルダータックルしておいた。
仕事を終えて油断しているのだろう、アイは無防備な表情で鳳輔を見上げる。
「ねえばかたれー、つかれたー。労ってー」
「仕方ねぇなあ。飲み差しで良ければ気の利いたドリンクがあるぞ」
「おー、分けてくれるなんて優しいじゃん」
「知らないのか、俺は意外と情に厚い男だぞ、劣情とか欲情とか」
「さてはきさま言葉をフィーリングで覚えるタイプだな?」
大いに仲良しな二人を遠巻きから眺める。……幼馴染とは聞いていたが噂に違わぬ仲のようだ。なんというか、我々の入る余地がない。
委員長に与えられた仕事が二人を視姦(認識の齟齬)することなので、クラスメートに見られたら囃し立てられそうな彼らの間柄を観察し続ける。
しばらくハルと共に仲睦まじい様子を見ていると、後ろから何者かに肩を引っ掴まれた。
仄かに薫る紫煙の香り、振り返らずともまもり先生だと判別できる。煙の臭いが漂っている時点で禁煙グッズの意味がない気もするがどうなのだろう。
「いい具合に仲良しさんじゃねーの、ああいう思春期はそっとしとくに限るってもんだなァ。安易に触れちゃヘンに意識して進展しねーし」
「え、あの二人ってそういうアレなんですか」
「アレにしか見えねーだろ。じゃあなんだ、お前にはアレじゃなくてソレに見えるってのかよエェオイ。どう見ても赤飯炊くべき二人だろーが」
「いや……自分、そういうの分からないんで……」
お前もそうだろ?と言うようにハルのほうを見ると、ヤツはコウノトリが赤ちゃんを運んでくるのとでも言いそうなくらいピュアな目で首を傾げていた。同類がいて安心する。
「かーッ、オメェ毛も生えるような年してウブなネンネみてぇなことぬかすなよ。第二次性徴履修し忘れたんか、なァ」
「まあその、初恋もまだなんで自分……」
初恋を迎える前に命日を迎える方が先だろうな、と心中で自嘲してしまう。
戦時中は恋に落ちたり子を拵えたりする男女ができやすいと言うが、我々王族兼化物にはそんな吊橋ロマンスなんて縁のない出来事だ。多分、今後も一生知ることのない感情だろう。
「オメェよ、学生ン時なんて一番恋愛が盛んなんだから歯磨きと同頻度で自分磨きしろや。アタシなんてしみったれた島暮らしだったけど、オメェくらいの年にもなりゃ初恋ぐらいしてたわ」
恋愛ねぇ……と目を細めながら鳳輔とアイの様子を窺う。確かにそう言われてみればよく小耳に挟むような恋愛っぽい甘酸っぱさを備えてるような気がしないでもない。
……言われるまで気づけない程、そのテの話題には疎いからよく分からないが。
友情と家族愛と恋愛の境目なんて、それなりの情操教育を施されなければ理解できないシロモノだ。ナチュラルボーン化物には遠い世界の気持ちだろう。
「おいテメなァに他人事みてぇな顔してんだ、全てを自分事として生きろや。学生時代が人生で一番楽しい時なんだからしっかり楽しめよなァ。大人になってつまらない毎日を始める前に今しかない時間を楽しんどけよ、これマジで」
「そう言われましても、なにぶんイロハのイすら知らない分際なので困っちゃうわけでして……」
「はァー? なッさけねぇボクちゃんだなオイ。オメ、一緒に転校してきたんだから幼馴染と仲いいんだろォ。もう付き合っちゃえよ、イッパツ既成事実作る方法ならいくらでも教えてやっからよォ」
「これが聖職者のモラルなのか……?」
あまりにも公徳心のない発言に、本都道府県の教員採用試験に重大な瑕疵があるのではないかとつくづく思っていると、首に腕を回されてまもり先生に引き寄せられる。
「イモ引いてんじゃねぇよ、なァ若者ォ。実るかどうかは知んねぇが、温めなきゃ卵は孵らねぇんだ。やるだけやってみろ、年喰った頃に後悔すっぞ」
口調こそはいつもの粗暴さに満ちているが、教えを説くような含みを持っている。教師らしく先人としてのアドバイスをしているのだろう。
言いたいことは重々分かるが、俺とハルの立場は一般生徒とは大きく異なるし、いつでも荒れ球なこの教師の言葉を羅針盤にして生きていくことに対しての不安は禁じ得ない。いい人なのは分かるのだが、如何せん教員としてはアナーキー過ぎだ。
そんな風に箴言を浴びていると、視界の先にいるアイが立ち上がった。
「あーだいぶ楽になったわー。お仕事一段落したよー」
打ち合わせの後始末を鳳輔が引き受けてくれることになったらしく、手の空いたアイが腕を回しながら俺たちの方にやってくる。
「アイも大変ねぇ、私たちと同じ一年坊なのに矢面に立って打ち合わせして。私があんなのに参加させられたら寝ちゃう、例え一対一のタイマン会議だとしても寝る」
「いやいやー。話の大筋に関して委員長からカンペを貰ってたからね、必要なのは笑顔だけ! この学校は色欲揃いだから、大体のことは笑顔を浮かべてればなんとかなるよん」
それはそれで浅ましさを禁じ得ない。この学園の生徒には学業より先に学ばせるべき社会のイロハがある気がする。
「それで、アイは一体どんな交渉をしていたんだ? 生徒会にご足労願ったんだから、それなりに重要な案件だと思うが」
俺がそう問いかけるも、アイはすまし顔で首を横に振る。
「別に大した内容じゃないよ。学園祭本番はこっちで頑張るから、後夜祭の運営は生徒会メインで頑張りやーって盟約結んだだけ。まあ学園祭実行委員会なんだし、学園祭のほうで本気出さなきゃ名前詐欺だからねぇ」
「後夜祭?」
全く聞いたことのない催しものだった。確か転入前に読んだパンフレットにも掲載はなかったはず。名前からして文化最後に開かれる祭典か何かだろうか。
「あー、クロくんたちは後夜祭知らないか。あのね、学園祭が終わって来訪者がいなくなったら、生徒たちへの労わりとして自由参加の後夜祭が開かれるの。体育館に軽食を配膳してまったり過ごす緩い感じで、バンド演奏とか漫談ライブとか色々なプログラムが催されるんだよ。まあ大体が学園祭で披露したもののリバイバルらしいけど」
まだ参加したことないから噂で聞いた話だけどね――と付け加えて、アイは手に持っていた資料を渡してくる。綴られている文字列は後夜祭の要項、恐らく生徒会側と話をするにあたって作った資料だろう。
アイの言う通りバンドに漫談、それ以外にもミュージカルやらカラオケコンテストやらダンスパーティーやらクイズショーやらアカペラやら。学園祭後でくたびれているはずの逢魔が時だというのに、ここぞとばかりに催し者が詰め込まれまくっていた。
「特にダンスパーティーがイチオシらしいヨ! クロくんもべっぴんさんを誘って踊り狂ったらどう? イベント事の熱に浮かされた女子たちを狙っちゃおう!」
「俺の見下げた積極性を甘く見るなよ、誘うだけでゲロ吐くほど緊張しちゃう。……それより、愛を育むならアイは鳳輔を誘ったらどうだ? 傍から見ると極めて親密なアレに見えるし」
……って先生が言ってたぞ、と内心で付け加えておく。
そんなたわごとを言われたアイは驚いて跳ね、さっきの鳳輔を真似っこしてアイの肩を揉んでいたハルの下顎に頭を強打しながら、韓紅色の顔で慌て始める。
「ぅえっ!? ……ばっ、ばかたれ。鳳輔なんて誘うもんかい。じゃ、じゃがいもみたいな頭した男は恋愛対象外なのだ、まいったか」
焦らせないでよ全くもう……とぶつくさ言いながら、アイは抱えていた資料の一部を俺とハルに渡してくる。
「じゃ、じゃあ、打ち合わせも終わったし資料のまとめっこしよっか。二人とも委員会での仕分けルール知らないよね? 手取り足取り教えたげるから一緒にやろう!」
「俺はそういうの得意だけど、ハルはゴミの分別すらできないから不安しかないぞ」
「照れるわね……」
果たしてどういう感情が錯綜してハルが照れているのかは分からないが、アイは大丈夫大丈夫とカラカラ笑いながら懇切丁寧に教えてくれる。
日頃から鳳輔に勉学を叩き込んでいるせいかアイの教え方は慣れていて、恐らくボノボとの知能勝負で負けるであろうハルでもちゃんと作業内容を理解することができていた。
雑談を交えながら作業を始めると、それを眺めていた教師が腕時計を見てから動き出す。
「よーし、そろそろ戻っとすっか。しっかり気張れよォ若者」
「先生、もう戻るんですか」
「アタシもそこまで暇じゃねーの、こう見えて多忙な身なんでな」
用件が終わっていたなら、俺たちの作業を眺めずに早く戻るべきだったのでは……というような目で教師を見ていると、アイに肩を叩かれてイタズラっぽい表情で言われる。
「ほんとはね、二人がちゃんと委員会に馴染めてるか見に来たんだよ。本当の要件はとっくに終わってたけど、それを確かめる為に残ってたの」
「えっ、先生意外と良いところあるじゃないですか」
俺がスタンディングオベーションで讃えると、先生はむず痒そうな顔をして視線を逸らす。
「バッカ、アタシの良いところなんか星の数程しかねえよ」
照れ隠しにしては自負が過ぎる言葉を残し、先生は本部を出て行った。
……見た目は乱雑極まりない教師だが、案外生徒想いの教師なのかもしれない。本当に生徒想いなら出会い頭に攻撃を繰り出してこない気もするが。
そんな風にして、委員会の活動が続いていく。普通と呼べる日常が続いていく。
たったそれだけのことでも、俺たちにとっては新鮮味のあることだ。
……そんな毎日に転機が訪れたのは、学園祭の前々日のことだった。




