Interlude ~化物の雛~
※Interludeは登場人物の心情をより深く理解するための番外編です。
こちらを読まなくても、本編が支障なくお楽しみいただけるような作りになっております。
シロガラ・G・クロスエッジは思い出す。
まだ齢も10歳そこらの幼少だった頃、自分の境遇が惨憺たるものであると自覚すらしていなかった時のことを。
彼の部屋は、シロガラ国咒術軍の隊舎の別棟にあった。
別棟とは中々に真意を誤魔化した呼称だろう。実際のところは、化物が暴走した時のことを考えて隔離用の別棟を作らせただけに過ぎない。
彼に与えられたのは四畳にも満たない小さな部屋で、家具は片手で数えられるほどしか置かれていない。睡眠用のベッドと軍事学を勉強するための机と椅子、そして本を収納するための本棚が一つだけだ。
10歳の子供ならば遊具の一つくらいは持っていてもおかしくはないはずなのだが、人ならざる化物にわざわざ余暇を潰す道具を与える必要もない。だから、その時のクロは教科書以外の本が存在することすら知らなかった。
生まれた時から彼は兵士として、そして化物としての日々を送ってきた。無人界なら幼稚園で遊んでいるような年齢であっても、教官から軍事のイロハを叩き込まれ、魔法の修行に明け暮れてきたのだ。
当然、家族と仲良く暮らすなんてことは一切ない。彼は物心ついた時から宿舎で寝食を重ねており、身の回りのことは全て世話人が行っていたのだ。この年頃の子供なら当たり前のように享受する家族の愛など、彼にはほとんど与えられていない。
誕生日を祝ってもらったことも、家族で旅行に行ったことも、絵本を読み聞かせてもらったこともない。
代わりに、血反吐をぶちまけかねないような訓練と、この年代の子供には詰め込み過ぎな教育と、戦場で命の削り合いをする経験なら与えられている。そして軍から唯一与えられたプレゼントは耳孔内に装着する爆破装置だけ。シロガラ軍に反旗を翻した瞬間、彼の頭部は柘榴が弾けるかの如く醜悪な中身を撒き散らすだろう。
それだけが、彼にとっての全てだった。
だけどたった1つだけ、彼が自分の意思で持っている物がある。
それは、かつて母に貰った写真だった。
当然クロは許可なく部屋を出てはいけないのだが、夜中に何度か脱走し、母の元へと向かったことがあった。この写真はその時に手に入れたものだった。
その写真に写っているのは、若かりし頃の両親と、母の腕の中で涎を垂らしながら眠りこけている自分の写真だ。王座で撮られたものなので恐らく何らかの式典用の写真なのだろうが、彼にとっては唯一の家族の集合写真なのだ。
化物として産まれた自分に存在する、唯一の人らしいもの。それは家族がいるということだ。
家族がいるから、こんな劣悪な環境下でも耐えられる。母に愛されている事実を知っているから、化物として扱われても人としての心を失わないでいられる。
……それともう1つ、彼には自分の心の支えとなっている事があった。
「……………………」
クロはベッドから起き上がり、窓から外の世界を眺める。
真冬のシロガラ国は厳しく、時には人の身長を越えるほどの積雪が発生する。今年はまだそこまでの降雪量ではないが、これで3日続けての雪だった。
一面の銀世界を見ながら、彼は異国の化物を想う。
戦争相手であるメース国には、自分と同じ化物がいるという。まだ戦場で会ったことはないが、彼女の存在はシロガラ軍でも噂になっていた。
メース・M・ハルモニア。
自分よりも酷い境遇だという彼女がいるから、まだ自分はマシなのだと思える。彼女の存在が、クロに生きる気力を与えてくれる。
「……」
もし、ハルモニアと出会えたならば、殺し合いをしなくてはならないのだろうか。
同じ化物同士、仲良くすることはできないのか。
そんな在り得ない夢想をすることが、彼に許された唯一の抵抗。化物同士を殺し合わせようとする戦争への抗いだ。
雪の舞う空を見上げながら、クロはいつまでも、ハルニモアのことを考えていた――。
――遠く遠く、遥か遠く。
何度も戦闘が繰り返された平野を越えて、国境を越えたその先にメース国はある。
どちらかと言えば牧歌的なシロガラ国に対して、こちらは建造物が多く建築された人工物の国だ。畜産や水産に恵まれない立地だからこそ、工業に長けた国にせざるを得なかった背景がある。
円状に打ち立てられた防壁の中心地に、メース国の王宮はあった。更にその周辺にはメース国軍が配置されており、王宮を守るための障壁としての役割を担っている。
……そんなメース国軍の武器庫の奥に、ハルの部屋はある。
いや、それを部屋と呼んでいいのかは分からない。一面温もりの無い石で作られており、窓には厳重な鉄格子が嵌められ、ベッドどころか毛布が一枚置かれているだけ。机も椅子も本棚もなく、人が生活を営むには絶対に適していない環境だ。
もし誰かがそれを見たならば、独房と呼ぶだろう。しかし独房にだって、もう少し設備があるに違いない。これは独房未満と呼ぶのが相応しい。
しかしそれも当然のことなのだ。
ハルはメース国にとっては兵器で、人間ではないのだから。
他の兵器と同じく、冷たい武器庫にしまっておくのが当然の存在なのだから……。
人扱いされていることと言えば、その独房にはトイレが設置されていることと、1日2回食料が支給されることだろうか。最低限を大幅に下回る境遇だが、それでもハルの母親であるメース・M・コンコルディアにとっては温情な待遇に違いない。
……そう考えるとクロは、兵士扱いを受けているだけマシなのだろう。完全に兵器扱いで人としての権利を与えられていない化物がここにいるのだから。
「………………」
寒くて震える指先を毛布の中にしまいながら、何度拭っても垂れてくる鼻水を再び拭う。
今日はメース国も雪模様で、鉄格子の隙間からは純白の雪が吹き込み、ハルの部屋を容赦なく凍えさせていく。ハルは毛布に包まり、夜が明けて暖かくなるのを待ち続けることしかできない。
鉄格子の隙間から脱出することはできるかもしれないが、彼女の耳孔にもクロと同じ爆破装置が取り付けられている。……しかしその威力はクロのものよりも大幅に下げられ、爆発しても気絶する程度だ。
一思いに殺すつもりはない。もし脱走を試みたならば……ハル自身には想像も及ばないほどの拷問で地獄の苦痛を与えてから、処分する腹積もりなのだ。
彼女の境遇を哀れだと思う者は、きっと大勢いる。しかし女王であるコンコルディアが定めたのだから、誰も異を唱えることができないのだ。
唯一コンコルディアと同じ権限を持つはずの男、国王であり父でもあるメース・M・トランクィは妻の言いなりで、自分の意見を唱えられるような人物ではない。
だから、誰も現状を変えられない。……彼女に与えられた地獄は、いつまでも終わらない。
「……?」
そんな時、鉄格子の向こうから歌のようなものが聞こえてきた。
楽し気で陽気で賑やかで、こんな厳しい気温とは正反対。ハルは毛布に包まったまま鉄格子に近寄り、背伸びをして外の景色を眺めた。
ホワイトアウトした景色の奥に、魔法で作り出された炎が揺らめいている。そこに映る黒い人影は、きっとメース軍の兵士たちだろう。
そう、今日はクリスマス。兵士たちは酒を片手に、主に祈りし聖夜歌を高らかに歌う。
今日だけは戦争のことなど忘れて、肩を組んで歌い明かそう。酒に溺れて顔を赤くし、胡乱な世界で生存を肯定しよう。
今日も自分は生きている。明日は生きているか分からないけど、少なくとも今日だけはこうして生き延びている。
祈ろう、歌おう、喜ぼう。友と此処に在ることを、今年も無事に今日を迎えた事実を、世界に生まれ落ちた奇跡を……。
「………………」
そんな陽気な歌を聞いて、ハルも小さな声で聖夜歌を歌う。
不器用で不安定で無作法な、か細い声のジングルベル。
それでも楽しかった。化物の自分が人間になれた気がして、兵士たちと同じ存在になれた気がして、嬉しかった。
今日だけは、自分を人間だと思ってもいいよね。
誰も答えない白き闇に向かって、彼女はそう問いかけた。
……彼女には、一つだけ希望がある。
それは、シロガラ国にも自分と同じ化物がいるという事実だ。
同じ化物なら、何かを分かり合えるかもしれない。お互いを肯定し合い、認め合うことができるかもしれない。
自分を、人間扱いしてくれるかもしれない。
それは化物同士が慰め合っているだけかもしれないけれども……それでもよかった。
彼女が無人界で暮らし始めるまで、残り6年。
そして、無人界を滅亡させるまで、残り――。




