10章 責務と希望の境目
「ふへえ満腹……いっぱいたべた、胃四つ分くらいたべたー……」
「牛しか共感できない感想を述べるな」
委員会の仕事を終えて帰宅した俺たちは、夕食を平らげて万悦状態だった。
今日の夕食は中々面白そうなレシピを見つけたので調子に乗って作りすぎてしまったのだが、ハルが高校球児ばりの食欲を見せてくれたおかげでなんとか完食できて満足だ。
「クロぉ、今日の夕食はすっごくよかったわ。今までで一番。サイコー」
「お前、もはや致死量だろってくらい食ってたもんな。いいぞその調子だ、おいしく食べた上に感想も言ってもらえたらモチベーションに繋がる」
料理自体はネットで見かけた簡単レシピだし、俺も初心者なので荒い仕上がりではあったのだが、それでもハルは刑務所上がりみたいな勢いで食べてくれる。こういうタイプが家族に一人いると料理のやりがいがあるね。
中々に和やかな雰囲気になって、どうせならこのままハルを抱えてソファーにダイブして一緒にテレビでも見たい欲に駆られる。しかし誠に残念ながらシンクには調理器具と食器が待機していて、皿洗いの重圧が満腹感の幸福を色褪せさせていた。
嫌気を堪えながら、渋々流し台へ向かおうとすると――。
「あ! あ! まってクロ! おまち! 私、洗い物やる!」
ぺん!と尻を叩かれて制止される。もし俺が馬なら全力で走り出す止め方なので今後は控えてほしい。
「どうした急に」
「クロがめたくそ洗い物面倒臭そうだからね、私が一肌脱いだり下着脱いだりしちゃろっかなって」
「積極的に風紀を乱すな。いいよいいよ俺やるから。だってお前、この前洗い物任せてみたら中華鍋カチ割ったじゃん。カラテの達人でも割れなさそうなのにどうやって割ったのアレ」
「もう大丈夫! だから任せて!」
久しぶりにハルのやりたいモードが爆発し始めたので、とりあえず腕を組んで思案する。
多分、ハルに一から十まで任せると戦争地帯かってくらいの炸裂音が響き渡るハメになるだろう。かといって無碍にすれば、むくれられそうだし……。
「……じゃ、俺が洗剤とすすぎの工程踏むから、ハルは布巾で拭いて元の場所に戻してくれる? 丁寧にな」
「お任せあれ!」
ハルの同意を得たので、役割分担しながら皿洗いを進めていく。俺のすすぎが終わるまではハルの出番がなかったので、親戚の子供みたく足に纏わりついてきて大層煩わしかったが、すすぎ終わって仕事が発生するなり彼女は水を得た魚のように水を得た皿を拭き始めた。
その手付きは危なっかしくて肝を冷やし続けていたが、ハル基準で考えてみれば結構丁寧に作業をしているようだった。いつもみたいに手を滑らせてナックルボールの軌道で皿が飛んでいくこともない、保育園児から小学生くらいにはレベルアップしたかのような手際。
さすがのハルとて日進月歩の兆しを見せるもんなんだな……と俺の中にある親心がちょっとだけ感動しているうちに、何事も無く皿洗いは終了した。
「これで全部?」
「ああ、終わりだよ。お疲れ」
「やった被害額ゼロ! イエーイ!」
二人同時にハイタッチしようとして手を振りかぶったが、目測を見誤って手が触れ合わずお互いの顔面に張り手をぶちこんでしまう。
「さて……ちょっくらテレビでも見て休憩するか。ハルも見るか? 今日は小さい子供が両親に日頃の感謝を伝えるタイプのドキュメンタリーだぞ」
「それ見てる時のクロ、隣人が警察に通報するほど盛大に泣くからやだ」
ソファーに座ってテレビを点ける俺を尻目に、ハルは小躍りしながら自室へ戻っていく。
「ん? なにしに行ったんだアイツ」
ハルは構われたい&構いたい欲求が全面的に出ているタイプなので、俺がいる場所に大体引っ付いてきている。俺がリビングにいればリビングに居座るし、俺が自室に戻れば押しかけてきて寛いでくる。ハルが自分の部屋にいるのは寝る直前くらいなのだが、今日は珍しく自室へと戻っていってしまった。
そろそろ一人の時間が欲しくなる年頃になってきたのかな、とか適当な所見を浮かべながら思う存分テレビに食いついていると、やがて廊下から足音が近づいてきた。
ご飯を食べた後はいつも元気いっぱいになるから小うるさくやってくるんだろうと踏んでいたのだが、聞こえてきたのは予想と裏腹、控えめに扉を開ける音と全くドタバタしていない歩調。
そしてハルは、ソファーに座る俺の隣へ控えめに座り、愛想笑いのようなものをしてくる。いきなりそんな顔をされてもどんな反応を示したらいいのか分からないので、とりあえずノースリーブの女性を見た時の鳳輔みたいな表情をしておいた。
「あのー……ね? ちょっと、ね? クロにお願いがあるんだけどー……実は行ってみたいところがあってー……ダメ?」
「俺この流れ知ってる。以前この流れの後に学校行ってみたいんだけどって言われたことある」
「ちょっとそれに近いかもだけど……こことか、こことか行ってみたいの」
ハルが見せてきたのは携帯電話の画面だった。映し出されているのはこの地域周辺の遊び場、県内に点在しているパークだ。
定番モノでいえば水族館や動物園、博物館に遊園地。植物園とか花鳥園とか果樹園とか運動公園など……。
どれもこれも、こちらの世界では珍しくないような場所。幼い頃は両親に連れられて、ある程度成長したら友達と一緒に行くような場所だ。
でも、俺たちが魔法界にいる限りは決して行けない場所でもある。戦争のために作り出された化物がレジャーランドに行けるわけもないのだ。
「あのねー、あのねー、この水族館がすごいらしくてね! チューブ状になってて周り全部水槽なんだって! こっちの動物園にはものそい大きなアメリカバイソンがいるらしくてね! 多分ちびるけどもうそのド迫力を超体感してみたいっていうか――」
「待て待て落ち着け。シャブの使用を疑うほどテンション上げてるところ悪いけど、まず見るべきところはそこじゃない」
ハルの携帯を借りて、各施設のチケット情報を見てみる。
……高校生料金とはいえそれなりの値段だ。乗り継ぐ電車代も含めれば結構な出費になるだろう。
制服代、授業料、教科書代。高校入学する為に相当のお金を継ぎ込んだのだ。諜報員から支給された資金も割と困窮気味、気軽にホリディレジャーを謳歌できる余裕はなかった。
「資金面的に厳しいな。……それに俺たち、遊んでる余裕なんてほとんどないだろ。場合によっちゃ明日にもこの世界が終わるかもしれないんだ。遊ぶより今後どうしていくかを考えたほうが建設的な気もする」
テレビを見て一人で盛り上がっていた男が言うのも白々しいが、実際そういう状況なのだ。
魔法使いの存在、学校に隠された膨大な魔力。解決の糸口も見えず、アイの暴露を待つしかない状況だとしても、暢気にお外へ遊びに行っているような気の緩み方は心がけとして良くないだろう。
「でも行きたいんだもん……」
しかしハルは俺の胴に絡みついて顔を埋め、ぐずぐずと半べそ状態になりながら訴えかけてくる。反応が既にもう幼子のソレだ。
そうやってしばらくぐずついていたが、やがてぽつりと言葉を零す。
「……クロは今をどう思ってるの?」
ちょっとだけ虚ろにも聞こえるその言葉は、いつもの様子とは少し違っていた。
「戦場から逃れて平和な国に来て……私たちが自由に生きられるのは今しかないって思わない? この世界が終わっても、転移装置が直っても、もう私たちは楽しいテーマパークなんかに行けないんだよ? またあんな世界に戻れても、無意味に祭り上げられて、敵を殺すことだけを求められ続けるんだよ……?」
「……」
「私たちの楽しい時間は、今しかないんだよ……」
僅かな時間を要して、今日耳にした同じ意味合いの言葉を思い出す。
『大人になんかなるもんじゃないよ、若者。今が一番楽しい時なんだから』
そんな先輩の言葉を聞いた時、ハルは神妙な顔をしていた。
きっとそれは、今彼女が口にした言葉が理由。
楽しい学園生活なんて、きっと自分が想像しているよりもあっという間に終焉するだろう。それを実体験した先輩の話を聞いて、ハルも少しだけ焦り始めたのだ。
この世界で過ごすことのできる僅かな間に、やりたいことをやり切りたいと願った。
そんなただの子供のような無垢なる願いは、彼女にとっては人生最後の希望でしかなくて。
……俺が、彼女に対して言うべき言葉は……。
「……うおっ」
その時、ソファーの片隅で俺の携帯電話が震えだす。
画面に表示されているのは諜報員という文字列、そして揺れる電話のマークだ。そういえば今日は諜報員との定期報告の日だったのだが、迂闊にも忘れていた。
手を伸ばして携帯を掴み、慌てて電話に出る。
久方ぶりに魔法界へ帰ったような気持ちになりながら、諜報員からの報告を聞いていく。交わされる言葉は事務的なものばかり、王子相手にウィットに富んだジョークを放つ一般兵がいるはずもない。
結論から言えば、新しい情報など何もなかった。むしろ諜報員は実質的な潜入捜査官である俺たちに対して、新たな情報がないかと期待しているようだ。期待を寄せられても、こちらとてまだ何も掴めていないのだから期待を裏切ることしかできない。
無論、娯楽施設に行くから融資してほしいなんて言える雰囲気でもなく、淡々と報告は続いていく。その間、ハルはずっと黙りこくっていた。
『……王子殿、勝手な期待を寄せて申し訳ありませんが、我々にとっては貴方様が希望です。我々も方々手は尽くしますが、学園に潜入している貴方様が最も真相に近い位置にいるのですから』
「ああ……分かっている。可能な限り調査を進める所存だ」
永世中立国出身の諜報員はシロガラ国とメース国の両陣営に肩入れするつもりはない。緊急事態なので要請によって我々の援助を務めてはいるが、基本的には両国家には一切関与しない立場の人間だ。
だが援助役ということで我々とは接点を持ち、必然的にハルのアンポンタンさを知っているので、かなり逼迫した声で俺に期待を寄せている。賢明な判断だと思う。
『お願い致します。……貴方のお父様……いえ、シロガラ国王殿は真相究明に努めろと仰っていましたが、くれぐれも御自分の身を優先してほしいであります』
「……承知した、進展があれば連絡する」
通話を切って――視線を天に向けた。
真相究明に努めろ、か。……俺を兵器扱いし続けていたあの父親のことだ、遊び惚けるなって釘を刺してきたんだろう。
……致命傷になるタイミングで忠告しやがって、クソ親父め。
「ハル。……遊んでる余裕なんか、ないってさ」
「…………」
もうぐずることもなく、ハルは黙って俺の体に顔を埋め続けていた。
「……今が一番楽しい時だから、か」
俺は先輩の言った言葉を反芻して――ハルには聞こえないように自嘲した。
今が一番楽しい時で、未来に待ち受けているのが楽しさなどない未来なのだとして。
それなら俺たちは何のために大人になって、何のために生きていくのだろう?
何を想い、何を育み、何のために死ぬのだろう?
墓に納める遺骸さえ残らず消滅した戦友たちの姿を、死の瞬間を自覚することなく殉職した同士たちの死に様を、俺は今までになく生々しく思い出していた――。




