2章 魔法の痕跡
翌日、俺たちはいつものように教室へ到着した。どこかに魔法使いが潜んでいるとも知らずに誰もが賑々しく、今日の平穏が永久に続くとでも思い込んでいるような能天気っぷりだ。
それはいつも通りの光景。しかし、いつも通りではない女が一人、ここにいた。
「……………………」
それはハルだ。昨日スーパーで変な素振りを見せたかと思えば、それ以降ずっと神妙な顔をして何かを考え込んでいる。あれから夜が明けた今でも、彼女の表情は浮かないままだった。
俺たちの姿を見つけて近寄ってきた鳳輔も、ハルの顔を見て不可解そうに首を傾げている。
「んん? どうしたハルちゃん。そんなクロみたいな顔をして」
「え、俺の顔ってこんないけ好かないの?」
しかし問いかけられたはずのハルには届かなかったのか、彼女は相変わらず考え事に没頭するばかりだ。
……いや、相変わらずではない。この学校に来てから、彼女の表情は不穏になる一方。
今まで――学園に通い始めてからは見せなかった、戦場にいる時にハルが浮かべていた表情で……。
やがて、ハルは呟いた。
「……やっぱりこの場所だ……」
そして彼女は俺の手を掴み、有無を言わさぬ勢いで腕を引っ張ってくる。
俺は蹈鞴を踏みながら、彼女に引かれるがままついていくことしかできない。教室を飛び出して廊下に出ても、彼女の歩調は強気な姿勢を見せ続けていた。
「ハル……!? どうした、何に気付いたんだ……?」
「この学校、多分やばい。……想像を絶するくらいに」
「何のことだ……?」
HR開始前の予鈴が鳴っても彼女は歩みを止めない。そそくさと教室に戻っていく生徒たちの流れに逆らいながら、彼女はどこかへ向かって歩を進める。転校してまだ日が浅いというのにHRをブッチするなんて、教師からどんな評価を下されるか分からない。
けれどもそんなことを咎められない程、ハルの顔は真剣そのものだった。のんべんたらりと平穏を過ごしている時のハルではなく、戦場で悠々と魔法を炸裂させていた時のハルでもない。
長きに亘る戦いでさえ見ることの叶わなかった、焦燥の表情がそこにはあった。
彼女は上履きのまま校舎を出て、学校裏へと向かう。もう完全にHRが開始した今、生徒どころか教師ですらこの場所にはいない。
学校裏には駐輪場と幾つかの倉庫、そして前世紀の遺物である朽ちた焼却炉が佇んでいる。外界とを繋ぐ裏門も聳えているが、始業時間を迎えた今は完全に締め切られていた。
ハルは一瞬辺りを見回し、アタリを付けたかのように焼却炉へと近づいて行った。
ここまで近づいてようやく、ハルが得ていた違和感を理解する。
焼却炉から漂う異様な雰囲気、五感では感じ得ることのできない異質な気配。きっとそれはただの人間には理解できない感覚だろう。ここを通りがかった一般人はきっと何にも気づかず平然としていられたはずだ。
……でも、魔力を持ち、魔法を行使したことのある人間の見解は違う……。
目の前に爆発魔法入りの手榴弾が転がってきた時のような、脊髄の中を蛆虫が這い廻っているような感覚。
多分、人はそれを原始的な恐怖と呼ぶのだろう。
「……クロも気づいた?」
「ああ、遅まきながらな。……焼却炉の中からだな、この嫌な感じは……」
お互いに頷き……古ぼけた焼却炉を開く。
長年の放置によって経年劣化していた外見とは違い、焼却炉の中は違和感が残るほどに小綺麗だった。まるで、誰かが何かの用途で使うため丹念に掃除したかのような印象を受ける。
……そして焼却炉の奥には、地下へ続くと思われる扉があった。南京錠で何重にも封印され、誰であっても奥へ往かせないという強い意志を感じる。
でもそれは見せかけの施錠だった。本当の施錠は目に見えない形、魔法による厳重封印で完全密閉されている。
魔法の存在しないこの世界では決して開けない、難攻不落の施錠方法だ。
「まさか、一昨日に目撃した魔法使いの仕業か……?」
「情報が出揃わない段階で、犯人の推測をしても無意味だわ。……重要視すべきなのはこの扉の奥でしょ」
「……扉の奥には何が眠ってるってんだ……」
異質な威圧感はこの身を刺すほどだ。この扉が伏魔殿に繋がっていることは疑いようもない。
それでも中に何があるかは、この目で見なくては悟ることなど――。
「莫大な魔力が滞留してる」
俺には感じ得ない何かを把握しながら、ハルは独り言ちるように呟いた。
「この世界を変えられるだけの魔力が、この奥にはある」
「なんだと……?」
「世界の理を変えることも、世界を掌握することも、世界を破壊することも。ありとあらゆることが意のままに弄べる、そんな途方もない魔力……」
それは個体の魔法使いには到底成し得ないことだ。
俺やハルのような規格外の、戦争の為だけに生み出された化物でなくては持ち得ない魔力。我々と同水準の魔力を持つ存在は魔法界には存在しない、王家が門外不出の技術で奇跡的に作りだした破壊の力なのだから。
この扉の奥には、化物が眠っている……?
「……単独犯じゃないわ、複数の色が混じってる。多分幾人もの魔法使いが蓄え続けた魔力なんだと思う。でも……組織じゃない……? 歴史を刻むように色が順序良く劣化してる……これは多分……一族が継承し蓄え続けた力……?」
ハルには、一体何が見えているのだろう。俺には知覚することのできない第六感を働かせながら、彼女は世界の奥に眠る何かを見通そうとしている。
けれどもそれ以上の情報を得ることはできなかったらしく、彼女は額に浮かんだ汗を拭い、大儀そうに息を吐いた。
「クロ。……多分、この世界はもうじき終わるわ」
「世界の変貌を目論む輩がこの力を行使したら、全ては変わるか」
「でもどうしてこんな……普通の魔法使いじゃ絶対無理なのに……」
再び考えこもうとするハルだが、俺はその肩を掴んで止めさせた。こんな場所で暢気に考え事をしていられる状況でもないのだ。
「考え事は後だ、逃げるぞ。俺たちが焼却炉に近づいたことを犯人に気取られたら、何をされるか分かったもんじゃない」
「……ええ」
必要以上に警戒しながら、その場を立ち去っていく。
その間ハルが自分の考えを色々と喋っていたが、俺の頭にその言葉は入ってこなかった。
ただ脳内に浮かぶのは、先程ハルが見せた姿だけ。俺には見通せなかった情報を、次々と感じ取っていった彼女の力だ。
今日だけじゃない、昨日の時点でハルはこの違和感に気付いていた。
俺にはできないことを、こいつは為すことができる。
(まさか……)
本気を出せば世界を滅ぼすことができるほどの化物である我々は、世界を終焉に導かないよう常に手加減をしながら戦場に君臨していた。その時の勝敗はイーブン、魔法が交錯し合う時はいつも相打ちで終わっていた。
……だから国の誰もが、好敵手だった俺でさえもが、我々の力関係は平等に近しいものだと信じていた。
けれども……それは勘違いなのかもしれない。
手加減を止めたハルの力は、俺の実力を上回っている……?
(転移装置が直って、一騎打ちが再開されたら……その時は……)
どんな結末が待ち受けているのか。
それは、考えたくもない哀れな末路なのかもしれない……。




