9章 いつか終わる日常で
携帯で中立国家の諜報員に報告した俺たちは、ひとまず普通の日常生活に戻ることとなった。
無論、学園に通うことのリスクは承知だ。しかし魔力が出現した直後に登校拒否すれば明らかに不審だし、それがこの世界に潜伏した魔法使いに知られたならば、あの巨大な魔力に勘付いたと思われるかもしれない。
それに家に引きこもって危機回避しようにも、あの魔力が解き放たれたら世界中に影響が及ぶだろう。事が始まってしまえば、家にいようが学校にいようが何も変わらない。
結局一番賢いのは、魔法界へ脱出するまで目立たないように日常を送ること。そして可能であれば黒幕である魔法使いの正体を暴き、その計画を把握すること。
そのために最も有用な手段は、諜報員に頼んで意味深なことを言うアイを尋問することだが、もしアイが魔法使いと繋がっていた場合は諜報員もろとも俺たちまで消されかねない。
幸か不幸かアイは俺たちと友好的な関係を築こうとしているようなので、波風を立てないようにして歩み寄っていくのが一番クレバーだろう。
そんな結論に達した俺たちは、至極真っ当な学生らしく授業を受け、俺、ハル、鳳輔が提出した宿題が全く同じ個所で全く同じ間違いをしていたので教師に怒られ、昼食を食べ、午睡と共に授業を受け、そして放課後に至った。
「つっ……かれたぁ……」
六時間目の授業が終わるなり、無意識的にそんな言葉が喉から漏れ出ていた。どうして学生諸君はこんなに長い間座って授業なんぞ受けられるのか、昨日も思ったが今日も心の底から思う。無人界の学生はまんじりともせず虎視眈々と機を狙う狙撃手とか向いてそうな気もする。
隣を見てみればハルは体を支える力すら残っておらず、もうなんか軟体生物みたいに机に突っ伏していた。時々野生の畜生みたいな唸り声をあげているが、本人が望んで得た学生生活なのだから同情の余地はない。
「ハルちゃーん! クロくーん! いいんかい行くよー! 入会届もう書いた?」
授業後だというのに元気なアイは、平熱が高そうなテンションで教室に入ってきている。
俺とハルはイキのいい返事を返そうとしたが、喉から漏れ出る声量は寝息よりも小さなもの。春機発動を迎えた猫並に猛々しいアイとは雲泥の差だった。
そんな俺たちを見て、鳳輔がロクデナシ系の親戚のおっさんみたいな表情で笑う。
「はっは、クロもハルちゃんもスタミナが足りんな。仕方ねえ、アイはクロを本部まで運べ。俺はハルちゃんを運ぶふりをして空き教室に連れ込んでお泊り保育するから」
「分かった。じゃあとりあえずあたしは鳳輔をぶちのめすね」
俺は鳳輔に、ハルはアイに肩を貸され、学園祭実行委員会の本部へと運ばれていった。
その途中、ふと鳳輔に尋ねてみる。
「そういえばお前ホントにサッカー部はいいのか? あんまりサボると千本ノック受けるんじゃないか」
「サッカーボールで千本ノックしたら体グチャグチャになるだろ。今はいいんだよ、学園祭が終わるまでは練習も試合も免除。元々先に委員会のほうに入ってたからなぁ」
「いいのかそれで、なんかこう、先輩方に目ぇ付けられて陰湿な嫌がらせ受けるんじゃないか。もしそうなったら遠慮なく呼んでくれよ、声援発すのは得意だから」
「できれば武力で援護してくれねえか」
まあ顔と性欲と勉強以外は大体優秀(本人公認)の鳳輔なのだから、恐らくサッカー部でも上手くやっているのだろう。少なくともハルよりは如才ないはずだ。
「……ていうか鳳輔、お前が委員会を優先してるのってアイがいるからじゃ……」
「ばっ、バカ言うんじゃねえ。おお俺はそんな乳離れできてない男じゃない」
割と慌てて否定されたのでちょっと驚く。高校という新天地に来たのだから竹馬の友と一緒にいれば安心するだろう、くらいの意味合いで言ったのだが鳳輔的にはもっと突っ込んだ事情があるのかもしれない。
ちらりと後ろを見れば、アイとハルは楽しそうにお喋りをしていて、こちらの会話になんか耳を傾けちゃいなかった。ちょっと目を離した隙にすぐ仲良くなるから女子は侮れない。
俺とハルが一人で満足な歩行を行えるほど回復した頃、ようやく学園祭実行委員会の本部に辿り着く。
昨日は正味ただの見学だったが、入会届を提出する今日からは正式に委員会の一員。気を引き締めてかからないと。
俺は数度ノックをしてから、本部への扉を開く。
「学校と結婚したい……」
部屋の中には、物凄く沈痛な表情をしてわけの分からないことを呟く委員長がいた。ついでに床に顔をこすりつけ、リノリウムの匂いを嗅いでいる。
これには思わず俺も目頭を押さえ、神妙な面持ちで俯いてしまう。
「悪いなアイ。俺、引退するよ」
「……むっ」
思わずアイに入会届を返却しそうになった時、学園堪能中だった委員長が俺たちの来訪に気づき、両手を広げて近づいてくる。
「学校!(挨拶) 一年生がみんなお揃いだね」
そして謎の挨拶をおみまいしてくれたが、平然と挨拶し返せるほど俺は人間ができちゃいない。
新手の変態に俺もハルも躊躇するが、鳳輔とアイは平然と立ち入っていく。
「お邪魔しまーす。どしたんスか委員長、また学校に告って無残にフラれたんスか」
「実はそのまさかでね……」
委員長は沈んでいた。揺蕩う負のオーラは部屋の気温を三度くらい下げるレベルだが、アイが存在するだけで三度くらい温まるから多分相殺している。
「くそう、顔以外の何がいけなかったんだ……」
「落ち込みつつも自信がすげえ」
思わず素で言ってしまう。なんだか委員長からはハルと同じ雰囲気を感じられる、容姿は端麗だけど致命的に残念な部分があるような感じ。
同情的な表情を浮かべた鳳輔が、委員長の肩をぽんと叩く。まるで同じ悩みを抱えた同士のような雰囲気だが、全然全くそうではないのが悲しい。
「委員長、学校じゃなくて異性を口説けば瞬く間に恋人できるスよ。学校はホラ、あれ、お堅いし」
「でも僕は! 僕は学校が好きなんだ! 学校になら抱かれてもいいと断言できる」
「マジすか! 俺、学校になります」
委員会に加入することを本気で後悔し始めている俺の裾を掴み、アイが耳を貸せと手招きしてくる。
「委員長はね、本気で学校が好きなんだよ。なんでもこの学校に恩があるみたいでね。この前なんか学校にいるだけで途轍もないつわり来てた」
「それ病院で不定愁訴と診断される系のアレでは……?」
委員長のヘキについてはよく分からないが、俺が学校にならない限りは実害がなさそうなので気にしないことにする。というより深く突っ込むと非常に面倒臭そうだ。
可哀想なものを見る目で委員長を見ていると、隣のハルがおずおずと近づいていった。
「そう落ち込まないで委員長、ほら恋愛は時の運って言うし、多分その内いい族に巡り合えるから。あとこれ入会届」
ハルがすごく適当な慰めを口にしながら入会届を渡していた。すげえ、空気読まずさっさと入会しようとするその胆力がすげえ。
「なんで巡り合える相手が族限定なのかは分からないけど、ありがとうハルさん……よければ今度の休日に教育施設向け家具メーカーの見学に行く?」
「あっ、嫌です」
こんなにしっかりNOが言える子に育ってよかったとしみじみ思いながら、俺も委員長の肩を優しく叩いた。
「若いうちは見が最適解ですよ、流れに身を任せればいつの間にか子宝に恵まれて人生に満足するものです。その日を座して待ちましょう。あとこれ入会届」
「なんでデキ婚を想定した慰めなのかは分からないけど、ありがとうクロくん……ちょっと心臓がドキドキしてきたよ」
「学校以外にトキメかないでもらえますか」
「あと息切れと冷や汗とめまいと胸痛」
「心臓発作ですねそれ」
後輩に慰められて少しずつ元気を取り戻したのか、しけた委員長から昨日のような委員長に戻ってきていた。そうか、委員会に入ると委員長のメンタルケアも業務の一環になるのか……。
やんややんやと話している内に、続々と女子の先輩方が本部へと入ってくる。
「おー? 昨日の美少女と少年君じゃん。もう来るなんて士気たけーなオイ」
「そんな美少女だなんて照れ……痛っ、痛いっ!」
美少女扱いを受けるとハルが図に乗るので先手を打ってインターセプトしてみたが、先輩にヘッドロックをかけられてタップをすることしかできなくなる。
「んじゃ今日からセーシキな委員っつーことみたいだし、新入り共ちょっと借りてっていい? 昼休みにちびっと進めたけど、ペンキ塗装が若干遅れ気味でさぁ」
俺を絞め続けながらも(若干力を緩めてくれたが)、先輩は委員長にそう聞いた。
「あー、それ今日まででしたっけ……そうしてください。できれば優しく教えてあげてくださいね」
「うーい、結果に繋がらないだろうけど努力しまーす」
本当に優しく教えてくれるのか不安になるようなことを言いながら、女子先輩は俺とハルを本部の端っこへと連れて行く。
本部端の床には新聞紙が敷き詰められ、俺たちより年上だと確信できるほど古ぼけたガードレールが幾つか並べられている。その小脇には色とりどりのペンキ缶と色のこびり付いたハケとローラー、そしてまだ何色も染まっていない水入りバケツが置かれていた。
「学園祭の時さぁ、来校者が入っちゃいけないエリアがあんじゃん。そこにいつもガードレール置くんだけど足りなくてさぁ、近くの工場から廃棄予定のモンを譲り受けたんだよ。んでもやっぱきったないからさ、ペンキで見栄えよくしなきゃいけねってわけ」
「ははあ、なるほど」
どこか気怠そうに経緯を話し、先輩は俺たちに塗装道具を渡してくる。何か別の用途で使う予定でもあったのか、用意されているペンキ缶の色は多岐に渡っていた。
「ほんじゃあたしぁ右のヤツからやってくから、二人は左から塗ってけな。別に色とかムラとかどーでもいいよ、錆びた部分が覆い隠せりゃそれでいーから」
頑張れよ若者ーと言いながら先輩も用具を手に持ち、さっさと色を塗り始める。
その手際はマジモンの塗装屋と思える程手慣れていた。上履きの色が三年生用のものだから、きっと既に二回同じ作業を繰り返してきたのだろう。
「わ、すごい手ばさき!」
「手さばきだろ」
脳を家に忘れてきたかのようなハルの一言を正しつつ、ハケとペンキ缶を用意していく。
「ふふ……この私の美的センスで、外国に生息する毒のあるカラフルな虫さえも驚くようなガードレールにしてやるわ……」
とハルがかなり自信満々だが、案の定目が破壊されそうなくらい眩しいショッキングピンクを使おうとしたので押しとどめ、無難な色を使うよう指示。二人で着々と色を塗っていった。
「なーんだ、かんたんね。これなら目を抉られてもできるわ」
「せめて目を閉じるくらいの仮定にしてくんないかな」
そう言うハルは楽しげに鼻歌なんか歌っているが、彼女の使っているハケからはペンキが滴っていて床の新聞紙が大変なことになっている。誠心誠意不器用かお前は。
「おーす、初仕事の調子はどうだ?」
粛々と色塗りを続けていると、軽い調子で鳳輔が登場した。そして奴は俺たちが心を込めて色塗りしているガードレールを見て「あー」と高評価なのか低評価なのかいまいちわからない声を上げる。
「おう鳳輔か。ハルが二色を混ぜて老人の衣服みたいなシブい色を作ってあたふたしてるから決して良いとは言えないな」
「はー、ハルちゃんは不器用なのなー。仕方ねえ、結納しよう」
「突飛すぎて会話中に人格が変わったかのと思ったわ」
そんな軽口を叩きながらも、鳳輔はローラーを持ってきて我々の作業を手伝ってくれる。別の作業を途中でほっぽり出されたアイが怒っているけどそれはいいのか。
ガードレールを取り囲み、三人でリンチするようにペンキを塗りたくっていく。俺が茶色、ハルが深緑色、鳳輔がマゼンタなので、おどろおどろしいガードレールができあがっており、時々そのアンバランスさに委員長がなにか言いたげに立ち上がりかけていたが、最終的にはもはやなにも言うまいと悟ったような表情をしていた。
「おー、進んでんなぁ新入り。あくせく頑張れよー」
そんなことを言いながら、先輩は既に二つ目のガードレールへと取り掛かっていた。見てみれば既に一つ目のガードレールは完成しており、しかも色ムラも掠れもない完璧な出来だ。
「しっかり頼むぞ新入りぃ、今のうちに手腕磨いとけ。あたしら三年がいなくなったら、次の主力はあんたたちになるんだからなぁ」
「え、今の二年がメインになるんじゃ?」
「二年が少ねーんだよなぁうち。委員長入れて三年が六人、二年が二人。だから四人いる一年坊が将来的な主力になるってワケ。だから今のうちにあたしらから技術盗んどけ、でも男子二人はあんまりジロジロ見るとセクハラになるから目を盗んで技術を目で盗め」
「話の本筋見逃すので似たような表現重ねるのやめてもらっていいですか」
話をしながらも、先輩の手は止まることなく動き続けていた。少し目を離しただけでどんどん塗装領域が広がっていく。もし二年後までここにいたとしても、彼女ほどの技巧を身に付けられる自信はない。
だというのに隣のハルときたら、ふんふんと鼻息荒く先輩の手元を観察し、技術盗んだわ!とでも言いたげな顔で頷いている。
「分かったわ! ハケよ、ハケの角度! 一定の角度を保ちながら同じ方向に塗っていけばムラが出ないわ! それと力は均一にして、焦らずゆっくりと塗っていくの! ハケにつけるペンキの量にも秘密があるわね、滴るのは論外として壁面でこそぎ落とし過ぎても掠れの原因に――」
「うっせ、口だけじゃなくて手も動かせ」
「なにっ、ハルちゃんが口と手を動かしてくれるだと!?」
「しばくぞ」
バカ三人でワイワイ言いながらペンキを塗りたくっていく。
そんな俺たちを見て、先輩は小さなため息を吐いた。少しだけ淋しそうな色が吐息に乗っている。
「……楽しそうだねぇ、一年生。酸いも辛いも知らないような顔してさ」
先輩は、俺たちに過去の自分を重ね合わせたような口調で言う。
「これからまだまだ楽しいことが山ほどあってさ、受験とか就活とかに頭悩ませなくてもいい立場。大人にならなくちゃいけない辛さなんかなーんにも知らない顔してさぁ。くっそ羨ましいわ、こいつめ、こいつめ」
「未使用のハケで顔面を撫で擦るのやめてください……」
進学にせよ就職にせよ、先輩はあと半年もすればこの学園を去って新天地へと赴くだろう。行くべき場所が変わればどうしても自分を変えざるを得ない。それが彼女の言う大人になることなのかもしれない。
先輩と同じ悩みを、俺たちはきっと抱えない。
数年間もこの世界にいることなんてできない、いずれは元の世界へ帰るべき存在なのだから。
それでも、同じ悩みではないけれど、同じような悩みは背負っている。
俺たちはいつか学生身分を捨て、大人として、そして化物として国を背負う存在。否応が無しに大人になって、モラトリアムなんて捨て去らなきゃならない。
例え一騎打ちに勝ったとしても、敵国を滅ぼして絶対者として君臨しても、今のような日々はもう二度と戻ってこない。
「大人になんかなるもんじゃないよ、若者。今が一番楽しい時なんだから」
そう言いながら先輩は笑った。委員会の先輩としてだけではなく、人生の先輩として。
……その話を聞いて、少しだけハルは考え込むような表情をしていた。
しがらみから抜け出して今の日々を謳歌したいハル、その終わりはいつか来ると寂し気に言う先輩。もしかしたら、ハルも俺と同じように未来の構図を夢想しているのかもしれない。
こんな毎日が過ぎ去って、いつか、血溜まりの征野に帰らなくてはならないその時を。




