7章 かつて彼女は化物と呼ばれた
その後、帰路が真逆だったアイとは校門で別れ、俺はハルと二人で下校していた。
既に空は黒く染まり、太陽は地に伏し月が覇権を握る刻。設置された蛍光灯の灯りがみすぼらしく思えるほど月明かりの強い夜だ。僅かなルクスの光に彩られる世界は心地よく沈んでいて、戦火にまみれる母国とは比べ物にならないほど静かだった。
だがそれは夜道の話。今俺たちがいる場所――いわゆる業務用スーパーは店内BGMと来客のざわめきによって騒々しく、月明かりなんて目じゃないほどの照明に照らされている。
食材を買い込むべくスーパーに来た俺たちは、携帯に保存してある格安レシピを見ながら目当ての材料を探して練り歩いていた。といっても探しているのは主に俺。ハルは致命的に家事ができないのでレシピを見ても何も分からず、ただカルガモのように俺の後をついてきているような感じだ。
というような状態だというのに、
「ねー、ねークロー、今日の夕食はどっちが作るの?」
袖をくいくい引っ張ってきながらハルがそんなことを聞いてくる。
「……逆に聞きたいんだけど料理の自信あるのか? もうこの際気の向くままに作るシェフの気まぐれランチ的なものでいいから一任しても平気なのか……?」
「よし来た、シェフのまぐれランチ作ったる」
「一か八かで料理しようとするな」
ちょっと背伸びした子供のように時折ハルは家事を手伝いたがるが、大体自分でやったほうが被害は最小に食い止められるのでソファーに連行してテレビでも見させることが多い。
「でもほら、あれ、成長を促すならやらせたほうがいいんじゃないかしら。わたしも料理してみたい、なんかおもしろそう」
「フワッとした理由で料理やりたがる人は、大体成長の糸口掴めないまま大失敗して終わるからダメ。女子力極めたいなら実家で成長してくれ、キッチンのコンロで抜けた髪の毛焼いてイヤな臭いを出させるのが趣味のヤツには台所など預けられん」
「なんだと、ダメ親みたいなこと言いよって。保護者失格! 父性を失った者!」
「勝手に保護者扱いするなよ。俺の股から産まれたわけでもないのに父性を感じるわけないだろ」
「股から出せるもんなら出してみやがれー!」
ぷんすこ怒りながら背中をぽこぽこ叩いてくるがノーダメージ、マトモな料理が出てくる確率が三連単級だから却下だ。背中に感じる幼児の如き圧力を無視し、俺は平然と買い物を続ける。
「クロのばーか! いずれ虎になれ!」
「山月記に則って罵らないでくれ」
ハルは肩を怒らせながらお菓子コーナーへ向かって歩いて行った。後でこっそり買い物かごに菓子を放り込む算段なのだろう、行動が六歳児くらいと同じなのが悲しいところだ。
(……ま、役立ちたかったんだろうし菓子くらいなら見過ごすか)
ハルに家事をさせない理由はもう一つある。
ありとあらゆる家事が苦手なハルに任せれば、もしかすれば取り返しのつかない怪我をするかもしれない。ハルはメース国にとっては国宝級の存在、万が一のことがあれば国際問題が起こりかねん立場なのだ。
メース国内でのハルの立場を一言で表すなら、『化物』。彼女は王女という立場こそ持っているが、実際はただの殺戮兵器。全てを滅する化物のような扱いを家族や国民から受けている。
戦うことだけを使命とされ、余暇や趣味など持つこともなく、ただ戦場に生まれ戦場に生きる化物としての働きだけを要求されていた。生まれてからずっとそんな日々、生きていたのはそんな世界。
そんな国家兵器を傷つけたとなれば、メース国の王族が怒り狂うのも容易に想像できる。娘を案じる気持ちではなく、国防を侵害したとして驚くほどの激怒を見せてくれるだろう。
俺も彼女と似たような立場ではあるが、ある程度は人間扱いされて生きてきた。無論、化物のような扱いを受けることはよくあるが、幼い頃に母親から多少の家事を習ったこともあるし、シロガラ軍の人たちと交流をすることもあった。
ハルとは立場が異なり、一部の人々は俺を化物ではなく一人の人間として扱ってくれていた。まだマシな扱いだったのだ。
……だから、今こうして束の間の平和を過ごしていることは、彼女にとって初めての日常。
何もかもが新鮮で、楽しくて、興味深くて。……彼女は、本来手に入れるはずだった子供時代を、今ようやく謳歌できている。
無茶なんかさせられない、でも、彼女の過ごす僅かな安寧を無碍にするわけにもいかない。
(戦場で殺し合っていた俺が慮るのもおかしいかもしれないけど――)
少しでも楽しい思い出を持ち帰ってくれればいいな。
そう思った。
「クロー! こっそりカゴに入れようと思ったお菓子が両手じゃ抱えきれない!」
「こっそりにしては大胆な犯行過ぎる」
村を接収した山賊みたいなレベルで菓子を持ってきやがったので、相応の粛清をしてから戻させた。
*
夜も更け過ぎた日付変更直前、俺はハルの部屋をノックした。もしかすると寝ている可能性があったので、破城槌で城門をド突く時と同じくらいの強さで殴りつける。
部屋の中からドタドタと何度か音を発してから、ヘソ出し寝間着というラフな格好をしたハルが現れる。
「夜這いなら明日にしてもらえる?」
「明日ならちょっといいかなって雰囲気出すな」
なんで毎回俺が部屋に来るたび夜這いの疑いをかけられるんだろう。その疑いを確信に変えてやろうかな。
完全にハルはオフモードに入っている――というよりはなんかもう半分寝かけていたようで、若干目がとろんとしていた。しかも寝る時にいつも聴いている音楽機器を片手に持っている。
試しに彼女の手首を握ってみたら、寝そうになっている子供のようにぽかぽかしていた。
「え……夜中にいきなり現れて痴漢……?」
「ちがわい。どうせお前宿題してないだろ、監視しに来たんだよ監視。お前が宿題終えるまで居座るから、ちょっくら部屋にお邪魔するぞ」
「じゃあ私はクロが入って来れないよう邪魔するね」
部屋の前で大相撲みたいな立ち合いを行った末、ハルの部屋に押し入った。
ハルの部屋は割と荒れ放題だが、机周辺だけは最低限人類が生活しうるレベルの環境が整っていた。これなら宿題に取り組むことができるだろう。
「よーしよし机周辺が片付いてるのは偉いな。褒めたる」
「ふふん! もっと褒めてもよいのよ」
形式として一応褒めてやったが、恐らくこの箇所だけ直前に片付けたのだろう。部屋をノックした時にドタドタうるさかったのが多分ソレだ。
「そんじゃ教科書とノート出せ、俺も目の前で一緒にやるから分からないトコあれば熟考の末に聞いてくれよ」
自室から持参した勉強道具を折り畳み机の上に広げる。ハルも渋々ながら真正面に座り、宿題をする準備を整えていった。
「てゆか、目の前で一緒にやるって、クロも宿題してないのね。やぁい、おんなじ」
「お前ね、洗濯物干してソファーで眠りこけるお前に毛布かけてやって風呂掃除してちょっと一息茶ァしばいて皿洗いして、宿題する暇なんかなかったっての。できることなら延べ棒的なお礼を貰ってもいいレベルの働きだと思われるが?」
「よっしゃ、ホースケに連絡して明日おはようのキスをさせるからよろこべ」
「そんなことしたらお前におはようのキルをくれてやるぞ」
あまりにも無駄過ぎる無駄口を無駄に叩きつつも宿題を進めていく。
……が、正直ハルの手がスムーズに動いているとは言い難い。高齢者の散歩のように休んでは少しだけ動きを繰り返していくその様は、今宵で宿題が終えられるとは到底思えないレベル。
戦争においてもある程度の学術は必要なので、それなりの教育を受けてきた俺たちだが、さすがにここまで詳しく掘り下げたことはなかった。より戦力に直結する魔法学とかの勉強が中心で、その他の部門は大体浅く狭くが基本。多分こっちの世界でいえば中学教育レベルが精々といったところだろう。
だから正直、俺にとっても宿題は難しい。シャーペンなんか投げ捨てて一心不乱に踊ることで現実逃避がしたい。けれども逃れられない学生の責務は苦痛以外の何物でもなかった。
しばらく悪戦苦闘していたが、俺もハルも表情は芳しくない。そんな中ハルがぽつりと呟いた。
「そういえば今日、学校を出てアイと別れた時に連絡先交換したじゃない?」
「そうだな」
別れ際、アイが「これあたしの連絡先! よかったら連絡してね!」とフツーの女の子みたいに繋がりを形成してきたのだ。積極的な女子は嫌いじゃないです。
「アイに答え聞いたら今日はもう健やかに眠れると思うの。ほら、私たちって相互監視する仲じゃない?」
「違うね、相互監視はお互いの解答欄まで監視し合う仲じゃないね」
しかしこのまま悩んでいても前へ進めないのも事実。鳳輔に聞けばいいのではという案も浮上したが、奴とて我々と同じくオツムに不安を覚える勢であるのもまた事実。
どう考えても、頼れる相手なんてアイくらいしかいないか……。
「……仕方ない、不本意だがアイに尋ねてみるか」
携帯電話を取り出してアイに電話をかけてみる。コール音が何度か繰り返され、もう寝てる時間なのかなと電話を切りかけた頃、ようやく通話が繋がった。
『あっ、クロくん? どしたん?』
「実は重大な話があるんだけど」
『えー? いやまだ我々、肚の内を明かすような間柄じゃあ……』
「宿題の答え教えてもらえる?」
『今日の流れでよくその質問できたね!?』
当然ながら電話口でおったまげられてしまった。
『えっ、なに、クロくんもそういうタイプ? なんであたしの身の回りって一人じゃ宿題できない子ばっかりなの……? まことに遺憾……』
「なんだ俺もって、他に頭の弱い子でもいるのか?」
と問いかけた瞬間、電話の向こうから「アイー……俺もう無理だよ、数学とは協議離婚するよ……」という鳳輔の哀し気な声が聞こえてきた。それに対してアイが「えー? どこが分かんないのさ、後で教えたげるから待っててよ」と返している。
こんな夜分遅くに男女が二人きりとなると、それは電話するにはあまりにも無粋すぎる関係性でしかなく――。
「……お取込み中か。大変申し訳ない」
『ななななに勘違いしてるの。鳳輔が幼馴染権限使って宿題教わりに来ただけだわ他意無いよ! もし他意があったら電話出てないやろがい!』
方言が出るほど慌てているアイの言葉の向こうで、鳳輔が「クロー! ハルちゃんの胸が何オンスあるか教えてくれー!」と叫んでいる。なるほど確かにそんなことをぬけぬけと訊いてくるってことはロマンスではなさそうだ。
「誤解が解けたところで、話の続きなんだけど……」
『もー! しょーがないなぁクロくんは。あたしも基本頭ゆるふわ系のIQ低い族だから正解の保証はできないよ? で、分からない箇所ってどこ、まずどのあたり?』
「うん、まず全部なんだけど」
『その「まず」がどういう働きを持ってるか分からないんだけど! うそお、なにこの状況。頼られるのは嬉しいけど自分でも複雑な感情……』
しばらくアイは数学公式の辺りから説明しようとして、俺たちのダメっぷりに臓物を引っ掻かれたような苦悶の声を上げ、観念したのか諦めたような声で言う。
『あの……答えの画像送るんで、もう丸写しでいい……?』
「お手数をお掛け致しました……ありがとうございます……」
さすがにちょっと気の毒に思ったので大変申し訳なさそうな声を出し、アイからの通話を終了した。その後続々と送られてくるノートの写真を見てまた申し訳ない気持ちになる。
「おいハル、アイが画像送ってくれたから写すぞ。公式証明を理解するのは明日の夜みっちりやるから。……ハル?」
俺が情けない電話をしている間に、ハルは窓辺へ移動していた。そして家猫のように窓から外を見ている。
でも好奇心や探求心で外界を眺めているような表情ではない。気を引く何かを見つけたような、不審なものを見かけたような、そんな驚きと不安が入り混じったような顔――。
「なんだ、何か見えるのか?」
ハルの後ろから窓の外を眺めてみたが、そこには面白みのない夜町が広がっているばかり。いくら眺め続けても変わり映えしないであろう景色を、それでもハルは見続けていた。
「……どうした」
「何か……胸の奥がざわってしたの」
「恋か」
「戦場でクロと遭遇した時みたいに……なんか、不穏な感じ」
不穏って思われてたのかとちょっとショックを受ける。俺もハルが出陣した時は被害が甚大になるから嫌で嫌で仕方なかったけれども。
「……」
しばらくハルは外を眺め続けていた。
彼女は何を感じて何を思っているのか、そんなこと一つも分かるはずがないまま――。




