14章 世界は闇の中にある-2
12月15日。世間はもうすぐやってくるクリスマスに浮足立ち、お屠蘇気分とは真逆の静かな熱気に包まれた時期。商戦に鋭い駅前やスーパーは一足早いクリスマス装飾にまみれ、日常とは乖離した熱気が盛んに立ち込めていた。
……それとは別の理由で、熱気を放つ建物が一つ。
都心から少し離れた立地に聳える、浅川大学の酒井キャンパスだ。本日は一部授業の補講がある以外は特に講義があるわけではないのだが、謎のやる気に満ちた若者たちが続々と姿を現し、芸術学部の建物と隣接している中ホールへと立ち入っていく。
今日は演劇フェスティバルの内部発表が行われる日だ。今日、この中ホールで行われる発表会に通過しなくては本番に進むことはできない。今までの努力が全て無に帰すことになる。
普通の演劇グループにとっても決戦の日だが――部員の大半が病床に付し、半数が代打で構成された綴流たちの演劇部にとっては、他のグループよりもよっぽど困難な試練に違いない……。
俺は浅川大学酒井キャンパスの門の前に、校門指導を行う教員のように突っ立っていた。12月の空っ風を全身に受けて凍えつつ、ポケットに手を突っ込んでひたすら待ち人を待つ。
俺の隣には寒気に強いハルと、台本のチェックに余念がない綴流が並んでいる。既に他のグループは暖房の利いた室内に入っているというのに、どうして三人雁首揃えて門の前なんかに立っているのかと言えば――。
「学!(挨)」
切り付けるようなタイヤの嘶きが張り詰めた空気を揺らし、同時に謎の一文字が選挙カー顔負けの声量で空に響き渡る。
「校!(拶)」
そして俺たちの目の前に一台の軽自動車が止まった。中古車特有の拭い去れない使用感を全身に纏い、マフラーからは車自身がもう限界だと叫んでいるような音が鳴り響いている。そしてキュルキュルという異音を発しながらフロントサイドウィンドウが開いていき、久しぶりの大声で、
「学校!(挨拶) 久しぶりじゃないか、愛しき我が後輩たち……!」
委員長こと、東松山咲希が親愛なる挨拶をかました。
随分長らく会っていなかったが相変わらずの宝塚系激甘フェイス、ファンサ全振りアイドル顔負けの投げキッス、そして我が高校の生徒全員に向けている微熱の如き熱愛視線。運転用のサングラスを外す仕草はもはやハリウッド顔負けだ。
「あら委員長! 時間ぴったり!」
久しぶり~! と言いながらハルが車に駆け寄り、下車した委員長に親愛のハグをかましていた。熱烈な歓迎を受けた委員長はハルの背中をぽんぽんと優しく叩き、蚊の羽音のような声量で蕩けるような愛の言葉を囁いていた。
「おォ~、いいんちょおひさじゃね~の! 悪ィな荷物運ばせちまって、この礼はウチとクロチャンが体で清算するぜェ」
え、俺? と謂われなき任命にまごつく俺を他所に、綴流も委員長にラブ&ピースなハグをぶちかましていた。
ガキ二人にハグられた委員長は、何故か俺に向かって効果音でも付きそうなほどイキがいいウィンクをかましてくる。恐らく、君も来るかい?と言いたいのだろうが、若者四人が門の前で抱き合うのは極めて異様な光景なので謹んで遠慮しておいた。
抱擁の代わりに深々と一礼し、荷物の運搬なんていう面倒な役回りを引き受けてくれたことに対して御礼申し上げた。しかし委員長は水くさいとでも言いたげに軽やかな笑いをするばかりだ。
「お久しぶりです、委員長。……最後に会った時より元気そうで何よりです」
俺と委員長が最後に会ったのは、あの懐かしき学園祭の日だ。当時は野望を打ち砕かれたばかりで憔悴しきっていたが、今はあの頃のような元気を取り戻しているように見える。
「はは……まあ、正直なところ6割ほどが虚勢さ。……しかしね、虚勢も重ねていけばいつかは威勢になるさ。己を鼓舞するためにもまずは取り繕うところから始めなきゃね」
「……なるほど」
俗に言う『病は気から』の亜種みたいな考え方なのかもしれない。しかし一人で塞ぎ込んでいるよりはよっぽど体に良さそうな心持ちに見えた。
「さあ、この凛々しき腕で運搬を手伝おうじゃないか。どこまで運べばいいんだい?」
車の後部座席とトランクルームを開け、そこに詰め込まれている衣装類を取り出しながら委員長が訪ねてくる。荷物の内訳はセットが半分、衣装が3割、小物が2割くらいだ。照明器具などが完備されている場所での演劇なので、今回はいつもより荷物が少ないらしい。
「おー、助かるぜぇ。でも先に車を駐車場に移動させねぇと駐禁ステッカー張られちま……」
その時。
喜色満面に指示を出そうとしていた綴流の表情が固まり、その視線が一人の男に向かって注がれる。
タクシーから降車したその男は、浅川大学の門を潜ろうとして――綴流に気づき、少しだけ表情を変える。親愛の色など微塵も浮かんでいない、部屋の片隅に小汚い虫ケラ風情を見つけた時のような目だ。
巳を思わせるような鋭い目、懐から拳銃でも取り出しそうな物々しい雰囲気、少し頬がこけた顔はインテリヤクザのよう。ただそこにいるだけで周囲の人間を威圧する様は、誰がどう見たってカタギとは思えない。
しかし――雰囲気はまるで異なるが、目元や髪の質に葵先輩との共通点を見出した。……初めてその顔を拝む俺たちにも血縁が悟れるほどに。
彼が――葵先輩を管理している父親、芝原衛なのだ。
「……」
「……」
互いを知る衛と綴流が、決して友好的ではない視線を通い合わせる。
衛にとって彼女は息子にまとわりつく邪魔者、綴流にとって彼は想い人との恋路を断ち切ろうとする邪魔者。決して分かり合えない二人が、今、互いを認識する。
「……………………」
当然、会話などなく――衛は有無を言わさぬ歩調で門を抜け、キャンパス内へと立ち入っていく。そのあまりのヒールな気配に、周囲の誰もが半径3メートル以内に近づこうとしなかった。
あまりにも突然な、それでいて当然の出会いだ。彼が葵先輩を管理している以上、演劇部の活動を警戒するのも当然。つまりは、息子が良からぬことをしでかさないように監視しに来たのだ。
それは――監視を必要とする程度には、息子のことも、綴流のことも信じていないという証左でもある。
「……ハ」
衛の発した物々しい雰囲気が滞留し、空気が淀む中、綴流が開き直るように鼻で笑った。
「監視がいようが何だろうが、なァんも関係ねぇや。ウチらの本分は葵に晴れ姿を見せること、それ以外のこた全部どうでもいいよなァ」
「そうね。いくらあの人があれだけ敵愾心を向けてきても、私たちの劇とは何の関係もない。むしろ見せつけてやるチャンスよ」
前向きフィロソフィに溢れたハルが同調し、自信に満ち溢れた様相で胸を張る。
「世界で一番楽しそうに演じて、あのオジサンに後悔させてやりましょ。……この演劇部で息子に演技させてやればよかったって」
「おォ、いいこと言うじゃネーノ。それだよそれ、そン気持ちでやりゃ内部発表くらいガバガバに通らぁ」
今日の内部発表に通過できなければ全てが終わる。演劇部の本年度の活動も、葵先輩が演劇部員として過ごす時間も、葵先輩と綴流の物語も。
全ての分水嶺は、今日だ。
集合時間を過ぎ、各自が演劇の準備する時間。
徐々に校内は賑々しくなり、若かりし者たちの活気に溢れていく。台本を読み合わせたり、小道具の点検をしたり、いつも使っている物とは違う照明設備に悪戦苦闘したり。
各自に控室が割り振られているわけではないので、待機している演劇部一同はタコ部屋のように三つの大教室に詰め込まれていた。どうやら今回の参加は29グループ、つまり一部屋につき大体10グループが犇めいているわけで、そりゃ騒がしくなるのも当然と言えよう。
「例年のパンフを見る限り、どうやら演フェス本番に出られるのは最大22グループなんだって」
「じゃあ少なくとも下位7グループがここで脱落するのか。やだなぁ、なんか周りにいる奴ら全員めちゃくちゃ上手く見えてきた。サッカーの県大会の時もこんな感じだぜ」
アイと鳳輔がパンフレットを見ながらそんな会話をしている。そして同じ部屋の中にいる他の演劇部たちを見て、若干自信を喪失しているようだった。
どれだけ努力しても、下位7グループに入ってしまえばその場でおしまい。……ただ演じるだけではなく、ある程度の評価をされないと生き残ることはできないのだ。
本来ならこんなフェスに出るほどの実力が備わっていない俺たちは、その険しき壁を今更ながら実感し、初心者らしく尻込みするばかり。
「ま、そこまで悲観的になるこたないだろ」
しかしそこで余裕そうな声を発したのは俺だ。内心そこまで余裕があるわけではないが、先ほど委員長がそうしていたようにいつか威勢になることを信じて虚勢を張っている。
「俺たちは元々補充要員だから端役、そこまで本番に影響を与える立場じゃない。それに俺たちには心強いイカサマがあるんだぞ」
「おお、まあ、そうだな……」
俺たちだけが利用できるファンタジーなイカサマ、それは魔精反応によるプロンプターだ。台詞も立ち位置も何もかもを空間内に描写し、素人であっても最低限トチることが無いようにするセーフティネット。
最低保証が為されているのだから、俺たちはただ演技が素人臭くならないことだけを考えて演じていればいい。台詞忘れも動作忘れも何もない、強力な後押しがあるのだから。
「ねークロ、そろそろ仕込みに行かないと舞台に上がれなくなっちゃうわ。バミる場所を確認するフリをしつつ魔精反応を置きに行きましょ」
俺の服を引っ張ってイカサマの仕込みに誘ってくるハル。それに頷き、荷物の中からこっそりと杖を取り出してふところに仕舞い込んだ。
魔精反応を配置するだけなら簡単だ、杖を体に隠したまま手で地面に触れるだけ。台詞を空中に仕込むのは杖を一度振るだけでいい。後は劇の流れに沿って文字を切り替えるだけで事足りる。
「さて、コイツを外して――」
数週間前に諜報員から受け取ったバングルに手をかける。これを付けている限り魔法に関することが一切行使できない。だからいつも、劇の練習をする際はこのバングルを外していた。
いつものようにバングルを外そうとして――。
「……?」
外れない。
もう一度、先ほどより力を込めて外そうとしても、全く外れる気配を見せなかった。……それどころかバングルの表面が紅く光り、まるで何かを警告しているかのよう。
「……ハル……お前、このバングル……」
じわじわと背筋を這い上がる焦りを堪えながら、ハルのほうに視線を向けると――彼女も同じように焦燥の表情を浮かべ、韓紅の光を発するバングルを外そうと躍起になっていた。
まるで手首と癒着したかのように微動だにせず、赤と黒の光を明滅させて、如何なる手段を用いてもバングルは外れない。
……魔力が使えない……。
「なん……だよッ、これ……!」
焦慮、苛立ち、切迫感。ありとあらゆる種類の焦りを感じ、全身を流れる冷汗が体を冷やしきった頃、俺のポケットの中で携帯電話が震えた。
ディスプレイに表示されている名前は『諜報員』。今一番、事態の説明を求めたい相手だ。
「何をした?」
電話に出るなり挨拶も無しにそう尋ねる。まるで実の父親であるマッサークル国王のような詰問口調にほとほと嫌気がさしたが、そんな自己嫌悪を感じているような余裕すらない。
俺たちの出番は先頭から3番目、本番まであと1時間程度しかないのだ。
『いやぁおはようございます、王子。けたたましいブザーで目が醒めましたよ……』
「寝ぼけてる暇はない、今すぐ説明してくれ。突如バングルが光を発して外れなくなった、中立国家の技術が使用されているなら原因を知っているだろう?」
『えーとですね、それはロック機能というヤツですな。捕虜を無力化する際に使用する機能であります。バングルの管理者が施錠を命じれば、解除命令が出るまで二度と外せなくなるのです。急に施錠命令のブザーが鳴ってたまげました……』
「ロック機能……!? 誰が施錠を命じたんだ、今すぐ解除命令を――」
『管理者として設定してあるのはシロガラ国のマッサークル国王とメース国のコンコルディア王妃、その二名です。えーと……ログを見る限り、王妃が施錠を命じたようですな』
メース・M・コンコルディア。ハルの母親にしてメース国の王妃。極めて冷淡かつ慈悲のない性格で、実の娘であるハルに対して人間扱いをしない女だ。当然だが話が通じるタイプではないので、解除命令を要求したところで承服するわけがない。
『ここ最近、ちょくちょくバングルが外されていたと記録に出ていますからなぁ。強硬策に出たのでしょう、お二人の帰還まで解除するつもりは無いと思いますな』
「……!」
練習の際にバングルを外していたのは確かだが、だからといってこんなタイミングで強硬手段に出るとはあまりにも不運すぎる。フェス本番の24日まで、いやせめて今日だけでも解除できなければ一巻の終わりだ。
「管理者が解除命令を出せばいいんだよなっ!? それじゃもう一人の管理者である親父が命令を出せば――」
『あー、生憎ですが、施錠命令を出した者にしか解除命令は出せないのであります。コンコルディア王妃を説得できるなら解除も可能でしょうが、その自信はおありですか?』
……あるわけがない。元々堅物気質の王妃な上に、俺は敵国の王子なのだ。
肉親であるハルのほうに視線を向けるも、彼女とてあまりにも不安そうな顔をして首を横に振るばかりだ。……王妃はハルを化物、いや、もはや人ならざる兵器としか思っていない。その懇願に耳を貸すわけもないのだ。
「他に方法は……!?」
『……どうやら随分と切羽詰まっている御様子』
俺の声色を聞いてただ事ではないと察した諜報員が、元々寝起きで低かった声を更に一段低くして、定時報告をする時のような真面目な口調にシフトする。
『元々、我々中立国家の技術ですから誤作動を起こした際の対策も熟知しております。施錠命令が出たバングルを無理矢理外すすべもありますが――ふむ……』
「……? 歯切れが悪いな……」
『先に深謝致しますが、解除に相応の時間を要します。大体2時間半前後ほど見積もってもらってよいでしょう。……どうやら火急の要件に追われているご様子ですが、間に合いますか?』
「……………………」
本番までは残り1時間前後。……2時間前後も費やせば、もう緞帳は下りてしまう。
そう、つまり……俺たちは魔力に頼らずに、己の力だけでやり遂げるしかないのだ。
「く、クロくん、まさか……」
俺たちの顔色を見て、心配そうに近づいてきていたアイと鳳輔が言葉を失っていた。
俺たち素人組は魔法というイカサマの下駄を履いて、ようやく舞台に上がることができる程度の実力しかない。そのまやかしが霧散してしまった以上、俺たちに残されているのはたった二週間程度の練習の成果だけ。
この無残な有様で、下位7グループが消える内部発表を勝ち上がらなくてはならない……。
「………………」
視界が黒に染まる。まるで世界が闇に包まれたかのよう。
未来もない、展望もない。今の俺たちにあるのは、どこまでも続く深い絶望だけ。
……開幕を前にして、全ての希望は闇に消え去った。




