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恋する二人は許されない ~敵国王子と化物王女の現世青春~【毎日更新】  作者: 雪林りん
シーズン4 ~人生という名のエチュード~
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Interlude ~決して叶わない夢~

 遠くからキジバトの声が聞こえていた。

 この断続的かつ規則的な声を聞くたびに、夜の訪れを感じる。蝉時雨が真夏の情景を思い浮かばせてくれるように、キジバトたちは夜の情緒を思い出させてくれるのだ。


 ……そんな夜更けの学校を綴流が歩いている。冷え切った廊下と上履きが擦れ合う音が反響し、まるで幾人もの生徒たちが歩いているように錯覚してしまう。

 彼女が向かっていたのは3年2組の教室だった。現在1年生である彼女は3年生のクラスが並ぶ3階に来たことが少ない。だから誰にも糾弾されることがない夜中の学校だとしても、形容しがたい緊張感がその背に走っていた。


「……」


 3年2組に到着した彼女は、一瞬躊躇してから扉を開け放つ。

 電気も何も点いておらず、教室の中を照らすのは仄青い月明りだけ。海面と深海の狭間にいるような光と闇の混ざり合いがどこか幻想的で、そしてどこか寂寥感を帯びていた。


 そんな教室には――葵がいた。

 恐らく自分のものと思われる机に腰かけて、小癪なことに窓から寒月を眺めている。顔がいいおかげで写真コンテストにでも出せば何らかの賞がいただけそうなほど絵になっており、声をかけるのが憚られてしまいそう。

 しかしそんなこと、綴流にとっては慣れっこだ。幼馴染の良すぎるツラなんてもはや反吐が出るほど見続けてきた。今更そこに価値なんて見出すわけがない。


「おー、んだよぉ、こんな夜更けにいたいけな女子を呼びつけやがってよぉ。ハルちゃんなんておへそ出しておねんねしてるくらいの夜更けだぜぇ」


 そんな憎まれ口を叩きながら綴流が歩みを進め、葵の隣までやってくる。彼の顔を覗き込んで、目が合って――葵は赤子に微笑みかけるように柔らかく笑った。

 そして手タレに抜擢されそうなほど美しい指を天に向け、空に浮かぶ月を指さした。


「月。……綺麗やなぁって思ってな。綴流と一緒に見よう思てん」

「はァー? 詩人かオメーは。そんな要件で呼んだのかよ、おぉい」


 十分ほど前、葵は綴流の携帯に3年2組の教室に来るようにメッセージを入れた。布団の中で半分寝落ちていた綴流はメッセージを見て、既にすっぴんだった顔に最低限の化粧を施し、ここまで来たのだ。

 そんな面倒臭い工程を踏んだというのに、要件は一緒に月を見ようぜという平安時代のナンパみたいな内容。さすがの綴流もおぉいと言いたくなるだろう。


 しかし……同時に、彼女の胸中には少しだけ暖かい感情が芽生えていた。

 一緒に空を見ようだなんて提案、よっぽど好きな相手でもなければしないだろう。むしろ――綺麗なものを見つけた時に、いの一番に共有したい相手だと明言されるようなものだ。元来乙女気質な綴流は、そういうちょっとした恋の矢印に敏感で、尚且つまんざらでもない様子だった。


「仕方ねぇなぁ~。この綴流チャンが雅なムーンウォッチングに浸ってやろうじゃネーノ。ウチの浸り力を甘く見んなよぉ」

「ん、助かるわ。一人で風景見てても寂しいだけやもん」


 綴流が葵の膝によじ登り、子供のように背を預けて座る。そんな彼女を後ろから抱きしめ、葵の顎が彼女の頭の上に乗せられた。


 二人揃って天を仰ぎ、月光と星芒の海を見つめて、ただ同じ時を過ごしていく。

 風と共に雲が流れ、時には月を覆い隠し、時には緞帳を開くかのように月を現し、時間と共に空の形は変化していく。目の前に広がるのは変哲のない夜空だというのに、刻々と姿を変えていく様が妙に心に沁みて、まるで万華鏡のよう。


 刻限という邪魔者さえなければ、永遠にこの空を眺め続けることができるだろう。

 ……そう。もし刻限さえなければ――永遠にこのまま寄り添っていられるというのに。


「…………」

「…………」


 二人の間に会話は無い。長き時を共に過ごしてきた彼らは、付き合いたての初々しい恋人たちとは異なり、無言の心地よさを知っている。

 ただこうして寄り添えることの価値を、もう彼らは誰よりも理解しているのだ。


 ――しかし、いつまでも無言で居続けることはできない。言葉という無粋なものによって空気を汚さなければ、きっと永遠にこうしているだろうから。


「……明後日か」

「そやね。明後日の内部発表がみんなの初舞台になるなぁ」

「助っ人のみんなも、門外漢なのに色々頑張ってくれてよー……有難いことこの上ないわな。アイツらがいなくちゃ劇に臨むことすらできなかったんだしよぉ」

「十分に感謝せんとあかんね。……とはいえ、まだスタートラインに立っただけ」

「ん。内部発表が終わっても本番があっからなぁ。感慨深く思ってるヒマねぇや」


 ……歯切れよく続いていた言葉のラリーが、不意に途切れる。

 内部発表に受かれば本番進出。しかし内部発表を通過できる確証なんてどこにもない。その最悪の未来を無意識的に思い浮かべてしまって――会話を邪魔していた。


 役者の大半が助っ人、脚本は数週間前に出来上がったばかり、そして演劇部で最も実力のある葵は参加を許されていない。……こんな悪条件が揃っているのだ、誰だって不安を覚えて然るべしだろう。

 しかし、それでも――その劇が、葵に送る最後の餞になるかもしれないのだ。


「見とけよぉ、葵が感涙して脱水症状起こすようなスゲェ劇を見せてやるからよ。ハンカチ忘れんなよ、全米と一緒に泣いてくれや」

「そらもう、そん時は土砂災害を起こすほど泣いたるわ。演技じゃない涙を久々に見せたる」

「おう。……だから、ちゃんと見とけよ。葵のための劇なんだからな」


 次かその次、確実に最後の時がやってくる。内部発表か本番か――どちらにしても、葵に劇を見せられるのはこの機会が最後なのだ。


 離別の結末は変えられない。だから、最後に晴れ舞台を見せて別れを告げる。

 ただそれだけのために、今の綴流は生きているのだ。


「……………………ホントはさ、今さらこんなこと言うのはバカらしいけどさ」

「うん」

「……ただ、葵と一緒に劇がしたかっただけなんだけどな……」

「…………………………」


 思い返せば――全ての始まりは物心ついたばかりのあの頃。


 まだ親同士の仲が良好だった頃に出会い、疑問を持つことなく同じ時を過ごして、気づけば幼馴染として互いに信頼を寄せていた。

 その時はまだ恋なんてものを自覚していなくて。ただそれでも今まで出会ってきた人の中でも一番、一緒にいて楽しくて、安心して、心が落ち着いて。


 ――やがて小学生となった彼らは演劇というものを知り、その魅力にとりつかれていく。

 親の変貌、家庭内の不和。心を圧迫する出来事の裏で、彼らは共に演劇の世界を作り出していた。


 父に憧れた綴流が脚本を書き、二人でその物語を演じる。

 二人の為だけに綴られた物語は、彼らだけを内包した暖かな世界。この世界には何十億人もの人間が存在しているが、物語を演じている時だけは――確かに二人きりの世界だった。


 書いて、演じて、笑って、そして恋をして。

 いつからだろう。……家族同然だった幼馴染に、恋心を寄せていたのは。


 不用意なボディタッチも、習慣付いた一緒の登下校も、ただなんとなく寂しいという理由だけでかける電話も、全てが恋によって色付いていく。

 こんなにも、世界が美しかったなんて。


「……そうやね。……一緒に劇をすることだけを考えていられたら、どんなに楽やったろうか」


 しかし、芝原衛が衛を管理し始めたあの日から――全ては過去となった。

 葵は自由に演劇をすることも、恋をすることも許されていない。それどころか自分が父親の代用品であることを知り、己の殻に塞ぎ込むばかりだ。


 ……純粋に演劇を楽しんでいたあの頃の葵は、もうどこにもいない。


「あん時が一番楽しかったなぁ。葵がまだ純粋でさ、自分のことを僕とか言っててさ……なんも難しいこと考えなくてよかったし、未来のことなんて、なんもさ……」


 人が人として生きる限り、必ず別れは訪れる。それを拒否するというならば、無理矢理にでも傍に居続けなければならない。

 しかし留学によって物理的な距離を取らざるを得ない彼らは、もう抗うことなどできない。少しずつ少しずつ想い人の顔と声を忘れていって、懐かしき想い出が薄らいでいくのを受け入れていくしかないのだ。


「…………もう、夢を捨てる年なのかもな」


 もう一度、葵と一緒に劇がしたい。全てが壊れてしまったあの日から、彼女はそんな夢を抱き続けてきた。父親の作り出した物語を蘇らせたいという原初の夢と同じくらい大切で、いつか叶えたかった夢だ。


 でも、もう、きっと叶わない。

 それは幼子がいつか捨てるような、決して叶わぬ夢なのだ。どれだけ願えども、人には叶えられない願いがある。これもきっとそうなのだ。


 終わりを迎えたその先で、夢はいつか思い出になる。……それだけのことだった。


「なあ、葵さぁ」

「ん」

「縁起でもねぇ話だけど、親っつーもんは子供より早く消えちまうもんだろ。ウチらが事故にでも遭わない限りそれが道理だろ?」

「そうやね、それが自然の摂理や」

「……そん時は……いつになるか分からねぇけど、一度くらい顔を見せに来いよ。立派なレディーになったウチの姿をお披露目してやるよ」

「………………」


 綴流も葵も分かっている。留学によって一たび引き離されてしまえば、もう再会することはないだろうと。芝原衛は綴流という存在を認めていないのだ、再会などさせるはずがない。

 それに綴流が己の夢を追いかける限り、外国へ押しかけることも難しい。彼女の本懐は異形犯罪譚の復活、その夢の成就までは遠く険しいのだから。

 無から企画を立ち上げた文隆と衛とは異なり、綴流が試みているのは『一度死んだ作品の復活』。しかも暴力事件によって主役が降板し、更には別の監督によって大不評の中で没落して終わったという曰く付きだ。地位やコネなどをフル活用し、長きに亘る時間をかけなければ復活は望めない。


 だから彼らが再び出会えるのは、親という呪縛が解かれる遥か先のこと。きっとその頃には、彼らは別々の人生で出会った誰かと家庭を持っているはずだ。


 半年後――桜舞い散る春和の刻が、彼らの恋の終着点。

 失恋を経て、彼らは大人になっていく。


「――おい、葵。目ぇ閉じな」

「……」


 有無を言わさぬ口調でそう言って、綴流が膝の上から飛び降りた。


 そして、振り返って愛しき人の顔を見つめ――その頬に手を添え、唇を重ねる。

 ただ触れ合わせるだけの子供みたいなキス。しかしやがて彼女の唇が、葵の下唇を優しく挟み込んだ。葵も彼女の腰に手を添えて、その小さな体を引き寄せる。


 ……僅かずつ開いていく唇。

 そして己を刻み込むような深い接吻。

 薄暗い教室の中に、口付けの水音が響いていく。


 口呼吸が封じられて鼻呼吸だけでは酸素が足りないせいか、それとも心臓が想いを形に表したのか。……どちらかは分からないが、今の綴流は頬を林檎のように赤く染め上げて。

 互いを求めし2つの体は、闇の中で縒り合い、1つになったかのよう。それほどまでに密着して、ただただ恋を刻んでいく。

 相手の恋心が、己の心に滲んでいって。一たび桜色に染められてしまえば、後はもう相手のこと以外考えられなくなる。


「んぁ……」


 葵は重なり合っていた口を離し、綴流の手を子供のような力で握る。そして彼女の首筋に唇を添えて、小さく食んだ。

 まるで小鳥に啄まれるようなくすぐったさに、綴流が少しだけ身を捩る。しかし葵はどこまでも綴流を追い詰めて、今度はその耳たぶに、そして頬にキスをした。


「…………」

「……ばーか。……ここ学校だぞ?」

「……ん。…………知っとるよ」

「そっか。………………うん」

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