10章 合宿
12月13日、土曜日。学校泊まり込み合宿一日目だ。
全員が親の承諾を得たらしく、演劇部の総員が揃い踏んでいた。尤も、家が厳しい鳳輔はメチャクチャ苦労したらしいし、親との折り合いが悪い葵先輩は何も言わずに承諾を得たことにしたらしいが。
そんな苦労はあれど、ともかく俺たちは土曜の早朝から学校に集合し、演劇の練習に励んでいた。
今までは少々手狭な演劇部の部室にて練習していたのだが、学校を自由に使っていいということもあって、体育館を使って本番さながらの通し稽古をしている。体育館の舞台を演劇舞台の代わりとし、上手や下手を区別しながら最後の追い込みをかけていた。
……そして気づけば、時刻は夕方の18時。真冬ということもあり学校の外は暗く沈み、暖房のない体育館はどこまでも冷ややかな冷気に包まれていた。
『……そんなこと言うの、ずるいです。明日どんな結果に終わっても、後悔しないつもりだったのに。例え失敗したとしても満足して明日を終えられそうだったのに……』
舞台上では俺とハルが向かい合い、台本の終盤を熱演していた。ハルに与えられたキャラクターが少々淑やかな役回りなので、いつものハルを知っている俺からすると大層違和感を覚えていたが、練習に練習を重ねた今はもはや何も気にならなくなっていた。
そしてハルが一歩を踏み出し、勢いよく俺の身体を抱きしめる。
『もっと素敵な未来に連れていってやるなんて言われたら……絶対、後悔しちゃうじゃないですか。……生きて貴方と幸せにならなきゃ……って、思っちゃうじゃないですか……』
知らぬ間に身に付けていた好きなタイミングで涙を流せる特殊能力を遺憾なく発揮しながら、ハルがとんでもなく震えた声で台本に綴られた台詞を放つ。どうして自由自在に涙を出せるのだろう、女って怖い。
抱きしめられた俺は、台詞を返そうとして――。
「ァー、ストップ! ハルチャン、ちょーっと台詞に対して抱き着き方がタックル過ぎ! 交通事故みたいな音が客席まで轟いてきた!」
「あらやだ」
どこから拝借したのかは分からないが、古風な映画監督が持っていそうなメガホンを片手に綴流がNGを出した。一方のハルはあまり悪びれもせず舌を出している。
「ふわりと優しく抱き着くのって難しいのねぇ。私、基本的にブレーキオイルが切れてるからどう足掻いても悪質なショルダーチャージをかましちゃうわ」
「あの、それはどうでもいいから早く離れてくんない。いつまで人の胴にしがみ付いてんの、無駄に声でかいのも相まってセミみたいだなお前」
あんまり好きな人に引っ付かれ続けると顔面が鮮やか色になってしまいかねないので、ハルの両肩を押して引き剥がそうとするが、させぬと言いたげに奴はどこに秘めていたのかよく分からん腕力で離れまいし、いつまでも人の胴に絡みついてくる。
「おー、心臓のⅠ音とⅡ音がはっきりと聞こえる……」
「学術的に人の心臓をレビューすんな」
「あとⅢ音とⅣ音も聞こえる……」
「え、心臓病のサインじゃん」
ブチ切れコアラのような腕力のハルをどうにか引き剥がしていると、綴流が「クロチャンたちは一旦休憩して良いぞぉ~。もう少し自然に抱き着けるような流れを考えてみるからよぉ」と、俺たちに休憩命令を出してくる。
1時間半ほどぶっ続けで立ち稽古をしていた俺たちはその場に座り込みそうになったが、別に俺たちが休憩に入っても他の面々が休憩できるわけじゃない。舞台上を空けるために、ハルと一緒に体育館の端っこへと向かう。
「おいハル、忖度抜きで俺の演技はどんな感じだ? 忌憚ない意見を求む」
「んふふん……んふふん……」
演技の質を聞いてみたところ、ハルはこの世の終わりみたいな愛想笑いを浮かべながら返答を拒否しやがった。その態度だけでもはや返答代わりになるだろう。
練習を重ねるたびにメキメキと上達していくハルと違って、俺は成長曲線があまり優秀ではないタイプらしい。大器晩成型ならまだ救われるが、このまま没落する可能性も無ではないのが悲しいところだ。
「そういえば、ホースケとアイはどこ行ったのかしら。さっきからどこにもいないわ、サボり?」
「お前は人のスケジュールをとことん憶えん奴だな。部室で衣装の最終調整してるって言われたろ。次は俺たちの番だからな」
「あら、今のうちに半脱ぎになって待ってた方がいいかしら」
「男子の欲情を煽るのはやめてくれ」
胸元をパタパタとさせながらふざけた提案をしているバカを窘めていると、丁度話に上がっていたアイと鳳輔が体育館に戻ってきて、こちらに駆けてくる。
その身に纏った衣装は絢爛豪華なお姫様衣装、ファッションウィークを威風堂々と歩けるような逸品だ。
「クロくん見て見て、なんか可愛い衣装あった! 思わず着ちゃったよ!」
「愛くるしいなぁ」
「俺も着ちゃったよ!」
「くるしいなぁ」
アイが令嬢みたいになるのは七五三みたいで得心が行くが、鳳輔が深窓の御嬢に扮したところでこの世の誰も助かりはしないだろう。どうせなら葵先輩とかに着てもらえる方が衣装も浮かばれるというものだ。
「そういえば二人にも聞きたいんだけど、忖度抜きで俺の演技はどんな感じだ? 忌憚ない意見を求む」
「あ、そういえば葵先輩から二人に伝言だよ。衣装合わせは夕飯の後にするから休んでていいって。夜ご飯が何なのか気になるねー」
「そうだね、気になるね。俺としては演技がどうなのかも気になるところだけど、どうだ?」
「うむ、どうやらまもり先生が腕を振るってメシ作ってくれるらしいぞ。30代女教師の手作り料理なんて、性癖が海より深い俺にとっては媚薬入りと変わらんな、今から楽しみだ」
「そうだね、楽しみだね。俺としては演技の評価が貰えるのも楽しみなんだけど、どうだ?」
「へ~、まもり先生って料理できるのね。ガサツなタイプだし買った野菜を冷蔵庫の中で死ぬまで寝かせておくタチだと思ってたから意外だわ。これで絶品だったらギャップでキュンときちゃうわね。ねぇクロ」
「俺、拗ねるね」
どいつもこいつも俺の演技に評価を与えてくれないので思う存分拗ねていると、まもり先生が体育館に入ってきて、「うわクッソ寒ィ」と気温に引いていた。
そして大声を出すのが面倒くさいのか、どこかから仕入れてきた拡声器で体育館全体に声をお届けする。
「オーイ、オメーらメシ作る時間だぞー。料理の心得がある奴はぜひ手伝えー」
「お、私の出番ね」
なぜ料理の心得がある奴と言われてハルがやる気を出しているのかは定かではないが、恐らく俺が立候補すべき案件だろう。別に得意というわけではないが経験だけは半年近くあるのだ、頭数くらいには入るはず。
「料理できねぇってヤツらも、皿並べたりとか雑用あっから調理室まで来いや。つか朝からずっと練習してんだろ、そろそろ休めよ明日もあんだぞ」
「そだなァー、野郎どもメシ休憩じゃ! 糧食かっ喰らって英気を養うぞォ」
部長である綴流にも促され、部員たちは伸びをしたり肩を回したりしながら体育館の出口に向かって歩いていく。誰もが疲労の色を隠せない中、一番演劇慣れしている葵先輩だけは涼しげな表情でアクビをしていた。
……昨日、顧問に言われたことが原因かは分からないが、今日の葵先輩は指導はしても一度たりとも演技をしていなかった。
どうして演劇部なのに演技が許されないのか。……その理由だけが、今もずっと気になっていた。
調理室にカレーの刺激的な芳芬が漂っている。好き嫌いが少なく、大勢の分を一気に作りやすいメニューとしてカレーが選ばれたのだ。
意外にも料理のスキルが高いまもり先生を中心とし、料理回数だけは重ねている俺と、母親があんまり家事をしないので料理経験が多いアイ、マジで意外なのだが料理に精通している坂浦が補佐役となって夕食作りを進めていく。
その他の料理素人組は皿やテーブルの用意をしたり、テーブルを拭いたり、体育館をモップで拭いたりしている。要するに料理以外の雑務を担当しているのだ。
補佐として精力的にカレー作りに勤しんでいる俺の隣に、よからぬことを考えていそうな表情のハルが近づいてくる。
「ね、クロ、ちょっとだけ隠し球入れてもいい?」
「隠し味な。どんなん入れんの」
「学校の隅に自生してた美味しそうなキノコ……」
「去れ」
食中毒騒ぎで我が高校を世に憚らせようとしやがったハルに一喝し、反省してくれと言わんばかりに強かな視線を向けようとして――そもそもどうしてハルがこんな呑気な顔で無法なお願いをしに来たのかに引っ掛かった。
「あれ、お前雑務は? なんか皿並べたりとか色々タスクがあるんじゃないのか?」
「やんわりとクビを宣告されたわ。平たく言えば諭旨解雇ね」
「マジかよ、なんで戦力外通告を受けたのにこんな飄々としていられるんだこいつ」
後々聞いた話では、どうやら綴流と紙皿を手裏剣のように投げ合って遊んでいるのを坂浦に目撃されてひどく叱られたようだ。勧告を受けるのも止む無しと言えよう。
このままハルを遊ばせておくと労働比率の偏りによって不平不満が発生しかねない上に働かざる者食うべからずなので、何か仕事を与えられないかと考えを巡らせる。
「じゃあ俺の仕事を手伝ってくれ。どうやら付け合わせにサラダを作るみたいなんだけど、まだ野菜を切ってないんだよ。今度は真面目に取り組んでくれよな」
「任せなさいな! 真面目だけが取り柄!」
「え、嘘じゃん」
水洗いしたまな板の上に人参を置き、ハルに包丁を持たせてみる。似合わない、隣に立たれると何故か自衛の必要性を感じてしまう。
「とりあえずその人参を1cmくらいの角切りにしてくれ」
「角刈り!?」
「角切り」
そろそろこいつの耳を耳鼻咽喉科とかで品評してもらったほうがいいかもしれないな、と思いつつ手際を見ていくも、意外と丁寧に食材を切り分けているようだった。もちろん一般人からするとふざけているのかと問いただしたくなるような出来栄えではあるが、不器用な彼女からすると一生懸命さが伝わるような完成形だ。
「切れた! みて! 登録美術品制度の基準を満たすほどの出来栄え!」
度重なるお手伝いの成果がじわじわと出てきているなぁとホンワカしていると、鼓膜に優しくないハルの大声量を聞いて我に返る。そして妙に誇らしげな顔で食材を指さす彼女へと向き直った。
「やるじゃん、これはもう手放しで褒めちゃう。その調子で成長して毎日料理の担当をしてくれない?」
「毎日はさすがに外部ユニオンへ駆け込むわ」
日頃家事全般を預かっている俺からするとそれくらいで労組に加盟してほしくないが、ハルに高望みを抱いても無駄なことは重々承知だ。諦めて人参をボウルに入れ、次の食材を冷蔵庫から出していく。
「んじゃ、次はコレな。そのやんごとなき包丁捌きで一網打尽にしてくれ」
「まかせよ!」
日々成長しつつあるハルを祖父母みたいな目で見てから、まもり先生が担当しているカレー鍋の方に視線を向ける。
そろそろカレーが出来上がる頃だよな、と思いながら様子を伺うと、まもり先生が一升瓶を片手に持ってグビグビと酒を煽りながら夕食を煮込んでいた。
「え、先生、なんで酒飲んでるんですか。正気とか失ったりしてます?」
「あー? 料理なんてめんどくせぇもんシラフで出来ッかよ。休日は教師じゃなくて一人のオンナ、メシくらい好きに作らせろ」
「だとしても大吟醸をそんだけ大量に煽るのはどうなんですかね……」
「バッカ、まだ半分しか飲んでねぇから中吟醸だよ。セーフだ」
全く以て何がセーフなのかは分からないが、そう言うまもり先生は顔を赤くしたりもしていないし、酩酊者特有の蕩けた目もしていない。恐らくほとんど酔いが進行していないのだろう、酒に強すぎて日頃から苦労していると見た。
「つかオメー、期末テストの点数終わり散らかしてたくせに、マジ伸び伸びと演劇部の合宿に来てンなオイ。もうちょい勉強しろや勉強、オメ、社会人に出たら勉強できる時間ガッツリと減んぞこれ本気で」
「いやー……積極的に勉強したい気持ちはあるんですけどね、基礎があまり盤石じゃないのですぐ行き詰ってしまいましてね……」
「あァ? 分かってんじゃねーかよ自分の弱みを。そこだよ、オメーら二人には基礎学習が足りてねぇんだよ。中学ン時の教科書とか読んで学びなおせ、今度オススメの参考書見繕ってやっから是非励めよ」
「えぇ、まあ……」
俺が今まで学んできたのは、小学生が習うような基礎的学習と、戦争で役立ちそうな尖った知識ばかり。中学生の勉強範囲は完璧ではなく多孔状態だ。
それでも教科次第ではなんとか平均点を取れているだけ、俺はマシなほうだろう。ハルなんて基礎の基礎すら履修していないのだ、むしろ高校の勉強に少しだけでも食らいついていけているのが奇跡なくらいだ。
「あんなぁ、テストでいい点取ることだけが勉強の意義じゃねぇからな。履き違えンなよ。勉強の経験は大人になった後も色々と役立つから今のうちに学ぶ姿勢作れよ」
「すげえ、日本酒を飲みながらでなきゃ心に染み渡ってたのに説得力が散り失せてる……」
大人になった後、俺たちはどんな風に生きているのだろう?
いつ魔法界に帰還するか分からない身分からすると、そんな先々のことまで考えている余裕なんてない。目先の出来事に一生懸命になることがせいぜいだ。
……そう思うと、葵先輩と綴流も俺たちと同じような立場なのかもしれない。
もうすぐ留学によって日常が終わり、別離の日々が訪れる。約束されたピリオドに向かって続いていく日常は一体どんな肌触りなのだろうか。
近しい立場としてもう少しだけ話を聞いてみたい、そう思った。




