2章 クリスマス・(イブ×24)
例年に比べて、今年の冬は特別寒くなるようだ。
まだ12月になって間もないというのに、世間は本格的な寒気対策に追われている。人々はクローゼットから厚めのアウターを取り出し、エアコンなどの暖房器具をフル稼働させ、外界と断絶した室内でぬくぬくと穏やかな時を過ごしていた。
世界が寒気に包まれれば、屋外に出たくなくなるのは当然の摂理。誰もが温暖な空間で過ごしたいはず。
しかしどういうわけか、無人界の年末はどこか浮かれた様相で、まるでお祭り前のような賑やかさに溢れていた。家にささやかなイルミネーションを巻き付けて装飾したり、デパートでは今後訪れるイベントに向けて販促活動を活発化させたり、どこか非日常的な雰囲気だ。
そんな浮ついた駅前を、俺とハルは並んで歩いていた。その手に持っているのは業務用スーパーのロゴがデカデカと入ったレジ袋、我が家の家計を支えているのはいつだってお勤め品を惜しげなく提供してくれる良心的なスーパーだった。
「……」
人の出入りによって開け放たれた飲食店から、聞き覚えのあるクリスマスソングが聞こえていた。脳裏に過るは数ヵ月前のダンスパーティー。ジングルベルを原曲としたどこか懐かしいメロディーを聞くと、いつでもあの時の一瞬を思い出すことができる。
俺たちが無人界に来てから約6ヵ月半、学校に通い始めてから5ヵ月、あのダンスパーティーから3ヵ月、デースマースの一騒動から2ヵ月、神成島を訪れてから1ヵ月――もとい半月くらい。
まだ半年くらいしか経っていないというのに、随分と色々なことがあった。何度も命の危機に瀕しながらも(魔法界にいた時のほうが瀕することは多かったが)、俺たちは無事に今年を終えようとしていた。
……いや、正直に言えば期末テスト直前だということを忘れて貴重な4連休を神成島旅行に費やしたせいでボロクソな点数になったのだが、そこを除けば無事に今年を終えようとしていると言えるだろう。
「……なに無事に今年を終えようとしていた、みたいな顔してんの」
隣を歩いていたハルが怪訝そうな表情を浮かべながら、俺の顔を覗き込んでくる。あまりにも勘が鋭すぎていささか不気味さを禁じ得ない。
「まだ今年は一ヶ月も残ってるんだからね! 気を抜くのが早すぎ! こっから怒涛のイベント尽くしよ、終業式に冬休み、クリスマスにお正月! はああ、浮かれそう!」
「無断で浮かれないでくれ。あのな、イベントごとは金がかかるの。お前絶対に七面鳥とか要求して我が家の財政破綻を引き起こすじゃん」
11月までは迫りくる寒波になんとか気合で乗り切ってきた俺たちだが、12月に差し掛かってしまえばそうは言っていられない。備え付けられていたエアコンを最近初めて起動したのだが、一度魔の手に落ちてしまえばもう終わり、今や手放せない日常の最重要品と化している。
更に追撃として冬服を買う必要性が出てきてしまったことで、今の我が家は財政再建が必要な状態。このままでは中立国家側から正式な書面で苦言を呈されてしまう。
「今言っとくけど、お前食いすぎ。思春期の男児を育てる母の気持ちになるわ。そのうち未曽有の節米運動に突入するぞ」
「縦横無尽に育ち盛ってる私に自制を要求するのやめて! ストレスでクロみたいになっちゃう! そんなのいや!」
なぜストレスのその先が俺になるのかは分からないが、とりあえず暴言として受理することにした。こいつを裁くためだけに刑法を勉強したいところだ。
俺から悪鬼羅刹のような視線を受けながらもハルは涼し気に口笛を吹き、先ほどスーパーで買った一本80円程度の小さな缶ジュースをちゃぷちゃぷと揺らす。そして急にいいことでも思いついたかのように指を突き付けてきた。
「そんなにお金のことが気になるならさー、短期でバイトでもしてみちゃう? 制服が可愛ければいくらでも滅私奉公しちゃうわよ。こう見えて私、俗だから!」
「よせ、短気がバイトをするな。お前の勤労力は乳幼児を軽々と下回る。まずはお家のお手伝いができるようになってくれ」
「ハ、分かってないわね。私の大それた見た目なら座っているだけで集客力を発揮するわ。何もせずニコニコしているだけのバイトなら百戦錬磨よ」
「すげえ、なんでこいつこんなに強かな自負を見せつけられんの」
とはいえ確かに見た目だけならイデア界に存在してもおかしくないほどのレベルなので悔しい。もう少し恥じらいとか奥ゆかしさを持ってくれれば文句ないのだが。
「しかし、バイトか……」
ハルが勤労に精を出せば過去に類を見ない大惨事が起こるのは当然だが、そろそろ家事に慣れ親しんできた俺ならある程度の労働力になるのではないだろうか。皿を洗った回数なら時々家事を手伝う程度の同年代に負けたりはしない。
しかし、いつ魔法界に帰還することになるか分からない身が労働契約を結んでも良いのだろうか。恐らく後始末は中立国家が何とかしてくれるのだとは思うのだが、それも申し訳ないし、第一お店に迷惑がかかることは避けられない。
それにバイト中はハルが家で独りぼっちだ。いつボヤが発生しても不思議ではない。
「うーん……」
今の俺たちに与えられた本分は金稼ぎでも学問でもなく、今も祖国で燻り続けている戦争を止めるすべを見つけることだ。一時的に停戦状態になっているとはいえ俺たちが魔法界へと戻れば再び火種は燃え上がるだろう。再度一騎打ちを提案するか、それとも従来通り泥臭い戦争行為に戻るのか。どちらが待ち受けているかは分からないが、とにかく血生臭い現実がやってくることだけは避けられない。
しかし……戦争の止め方について有力な情報を得たとしても、今の俺たちに何ができるのだろうか? ゼロという組織が扇動していると分かったところで情報収集のあてがない。俺たちが接触できる相手なんてせいぜい中立国家とオリジンくらいだが、正直色々助けられているとはいえ思い通りに動かされている感が否めないのだ。
他に残った道としては、ゼロが黒幕であるという情報を祖国に流して調査を誘発させることだが……アルドフッドの証言だけでは、戦争に関わっている証拠としては弱いだろう。むしろ魔法界から姿を消したアルドフッドと接触したことのほうが一騒動起きそうだ。
今の俺たちには動くことすらままならない。だからバイトくらいなら――という気持ちもなくはないが……。
……やっぱりダメだな。ハルを働かせられないことと、ハルを一人にさせられないことが重なってどうしようもない。
「おいハル、切に願うけどマジで家事洗濯を身に付けてくれ。ちょっとした三拝九拝なら披露してあげるから是非検討のうえ快い回答を――」
隣を歩いているハルに半ば平身低頭しながら頼みごとをしてみたのだが、俺の横にはハルどころか誰の姿も見つけられなかった。慌てて反対側に首を捻ったが当然いるはずもなく、再び逆サイドに首を回して先ほどまでハルがいた場所をじっと眺める。
鍵を落とした時のように静かな焦りを覚えながら周囲を見回すと、バカガキのようにショーウィンドウにぴったりと張り付いて展示物を眺めているバカの姿を発見した。俺は地面に転がるゴミをつま先で跳ね飛ばしながら大股で近づいていき、ハルの後頭部に見た目だけはクリティカルな手刀を叩き込んだ。
「急に姿を消すなバカタレ。ちょっとお前アレ、心細くなっちゃっただろ」
「え、ごめん。今度からはゆっくり消えるから」
「消える速度の話じゃないんだけど」
ハルが見上げていたのは大人の色香がムンムンに漂うクリスマスコーデを纏ったマネキンだった。もしもクリスマスにこんなゲロマブな服を着た女性が現れたなら勢いよくワインをカチンとかち合わせちゃうね、と俺の中の鳳輔が深く評論している。
そういえば、意外なことにハルは中々のオシャレ気質なのだ。無論、金がないので流行を先取りした最先端ファッションを纏うことはできないが、古着屋やフリマサービスなどから格安かつ洒落た服を取り寄せることがある。イヤリングやネックレスなんかのアクセサリーも同様、小学生のお小遣いでも買えるような品物に工夫を加えて、違和感なく日常使いができるように仕立てていたりもする。
「なに、こういう服買いたいの? 俺も値段以外はいいと思うよ」
「そーじゃなくて、いや可愛いとは思うけど、クリスマスコーデの勉強したかっただけ。年末近くの女子たちはもこもこ可愛いからね、負けてらんないわ」
いくら服がダサかろうと、そのご自慢の顔だけでもう御釣りが出るほどだと思うが、図に乗らせると面倒くさいことになりそうなので他愛もない顔をする他ない。
「せっかくのクリスマスなんだし、たまにはクロもオシャレしてみたら? 小学生男子に着せ替えゲームをさせたような服装だとこの時期アレでしょ」
念のため釘を刺すどころか五寸釘を刺しておくが、俺の服装はここまで酷評されるほど嘆かわしくはない。ただ諜報員経由で中立国家から適当な服を貰っているので時々着合わせが悪くなってしまうだけだ。この前は偶然の賜物で上下がネズミ色の工作員みたいな服装になっていたが、それもまた巡り合わせとしか言いようがない。
「いいか、軽々しく言うがオシャレには金がかかる。そこんとこ肝に銘じておけ小娘」
「小娘じゃない!」
「肝に銘じておけ大娘」
「心得た」
大娘呼ばわりは別にいいのかとたまげる俺に一歩近づき、ハルが急に両手を伸ばしてくる。そして広げた十指を俺の髪にまとわりつかせ、毛を後ろに持ち上げて疑似オールバックを作り始めた。
吐息がかかるような至近距離で見つめられた俺は、え、なに、とどこかぶっきらぼうに聞こえるような短文を発することしかできなくて。
「服をナントカしなくても、髪形を変えて眉毛に気合入れるだけで男の子はだいぶ変わると思うのよねぇ。あともみあげをいじってスキンケアをガチれば、まあ、うん、クラスメートには勝てそう」
「品評しないでくれ」
「あとは姿勢を直して透明マニキュアで爪を保護してー、産毛剃ってコンシーラーでクマをどうにかしてー、もーちょっと髪を梳いてメンズ香水纏ってリップで血色感付けて穴開き靴下穿くのをやめてー」
「直すとこ多くね?」
そこまで大胆な改造を施せば俺が俺でなくなってしまう気もするが、どうせ中身はいつも通りの素朴男児なので大して変わりはしないのだろう。ハルを豪華絢爛に飾り付けたところで中身が利かん坊ならあんまり淑やかさを感じないのと同じだ。
その後も美容談義をウキウキと続けるハルの言葉をなんとなく聞き流しながら歩いていく。日頃どこから情報を得ているんだよ、と疑問を呈したくなるほどスキンケアと化粧について滔々と語られるが、出てくる単語が軒並み理解できないのが悲しいところ。
「……」
過ぎ行く景色は冬色満開、まるで色とりどりの花が咲くかのようにイルミネーションで彩られて、少しだけ特別な感じがする。夏頃とは世界が変わってしまったかのように、世間は光にまみれていた。
気温低下によって張りつめた空気をものともせず、人々は息を白くけぶらせながら、街灯の光を浴びて何処かへ往く。人々の大半は寄せ繰る波のように一定の方向へと進んでいるようだった。
周囲の人々の向かう先を見てみると――青白い電飾を巻いたケヤキ並木が連綿と続いていた。夜の道は青一色に染まり、伸びた梢が空を覆って天まで青く色づけて。諸人は挙りて木々を仰ぎ、カメラを構えて今しか見られない光景を記録していく。
それは12月の頭頃からクリスマス頃まで展示されている、都会のイルミネーションロードだ。なんでも結構有名な催しらしく、光を求めて県外からやってくるカップルもいるとかいないとか。
「あ! なんか面白そうなことやってる! 行くわよ!」
こういうことには目ざといハルがイルミネーションの賑わいを見つけ、テーマパークに来た子供のような足取りで突撃しようとする。俺は慌ててその肩を引っ掴み、釣った魚を落ち着かせる時のように彼女の目元を隠して闇を作った。
「落ち着けバカタレ、今俺たちの手にあるのはなんだ? そうだ冷凍食品だ、道草食ってたら帰る頃にはお前の熱が食材を溶かしていく。寄り道してる余裕はないぞ、お前が買ったミルクアイスも帰る頃には牛乳だ」
「えー!? 目の前に面白そうなものが広がっているというのに!」
「今度にしてくれ、今度に。次来た時にはちゃんと行くから」
「ホントね! 約束ね! 嘘ついたらハリセンボン飲ますから! 海水魚の!」
「ちょっと嫌」
ハルと謎の指切りを交わしながら、イルミネーションの誘惑を振り切って帰路を行く。過ぎ去っていく光の海を尻目に、俺は鳳輔がかつて語っていた言葉を思い出していた。
『でも! ほら! もうすぐクリスマスだろ? こう見えて俺も男だからな、そろそろ攻勢を仕掛けたいとは思っている所存』
クリスマスイブは恋人たちの日。365日の中で最も愛の雰囲気が漂い、この上なく幸せなムードに酔い痴れる一日だ。
恋人同士ならイチャつくのにうってつけの日。
そして、恋人になるのにもうってつけの日。
「………………」
俺たちがこうしていられるのも束の間でしかなく、やがて日常は消え去ってしまうだろう。
それならば、全てが終わってしまう前に想いを伝えなければならない。
クリスマスイブ、恋人たちの日。告白するには最高のタイミングだ。
……想いを伝えよう。
あの赫々たるイルミネーションの下で。




