9-6.
「どうして……、どうして動かないのよ!」
リハビリについて学友達に聞かれた咲紗は順調だよと答えているが、病院の機能回復室で見守っている俺には、見た事を決して口外しない様にと願い出ている。
「Quelle idiote…!」
言葉の意味は分からないが、声と表情から罵りと思われる言葉を吐き続けている。
「焦らなくても大丈夫ですよ」
「何が足りないの?」
療法士の声掛けに反応せず、転ぶ度に自分を罵る言葉を
吐き捨て続けている。
「くっ……! Je suis une connasse!」
時間ですよと声が掛かっても止めない。
「Non, non! Bouge! Bouge!」
止めさせて下さいと療法士から促された俺は、声を大きく呼び掛けた。
「咲紗、終わりの時間だよ」
「Ferme là……」
咲紗は射貫くような視線で声掛けした者を睨んだ。だが、次の数秒は色を失い、コマ落ちした映像のようだった。寄って吊り上がっていた眉の力が落ち、一文字に結ばれていた唇がほどけ、歯を噛み締め張っていた頬が緩む。小さく息が乱れ、揺れた目から涙が湧き出した。
「ごめんなさい――」
震える涙声で言い終わらない内に、咲紗は糸が切れた操り人形のように膝から
崩れた。
苛立ち、不安、焦り、悲しみ、様々な思いが押し寄せるまま自分を追い詰めて、昂ったままの感情が崩壊したであろう咲紗。
傍に寄り、抱き上げると椅子に座らせた。
「ごめんなさい、酷い事言って。いつまでも迷惑掛けて、良くなれなくて。
ごめんなさい」
「気にしていないよ。頑張って汗かいたね。着替えて帰ろう」
訓練で酷使した為か、咲紗の身体は力が入らず、手を引いても立ち上がれない。咲紗を抱き上げるとバリアフリーの更衣室に運ぶ。
シャワーで汗を流し、取り出したタオルで全身を手早く拭う。左側の肘や腰に残る紫色、黄色、暗赤色の皮下出血の跡を見なかった振りをして、着替えさせた。
「和泉さん。これ、お父様に渡してご検討頂くようにお伝え下さい」
帰り際に病院職員から手渡された封筒入りのパンフレットと小冊子。口を広げて覗き込んだタイトルとイラストで内容を理解した俺は、咲紗に見せずに仕舞った。
「今日も良く頑張ったね。晩御飯は俺が作るから。何食べたい?」
リハビリ棟から送迎バス乗場まで車椅子を押しながら訊ねる。
「気遣いさせてしまい、申し訳ありません。私なんか――、こんな私なんか」
これが最近の咲紗の悪い癖だ。負い目を感じたか二人だけになると卑屈になる。
ブレーキをロックすると前に回り込んでしゃがみ、俯いたままの咲紗と視線を
合わせた。
「やるべきことに忠実過ぎて、上手くいかないと脆くなるのかな。懸命に頑張っている自分を責めたら駄目だよ」
「ですが、和泉家の皆さんにご迷惑を」「何言っているの?」「えっ?」
「咲紗は俺達の大切な家族だよ。迷惑掛けたり掛けられたりは当たり前だろう?」
「――はい。 ごめんなさい」
泣き声になっていた咲紗の頭を撫でた。壊れ物に触れる様にそっと撫でた。
その晩、疲れた咲紗を先に寝かせると、帰宅した父に冊子を渡した。
“住まいのバリアフリー化ガイドブック”
日常生活を送る為必要な介助設備の追加と改修を勧める内容のそれは、受け入れた者には至極全うだと思う。認めたくない、諦めていない者には、これらを使わないと生活は不便なままですと伝えるだけでなく、これ以上は機能回復しませんと
最終宣告されたと受け取られてしまう。
状態の説明は療法士から父にも行われているとの事で、咲紗への対応をどのようにすべきか、いらぬ負い目を感じさせない為にはどうすべきかを父と話し合った。
Quelle idiote…! 馬鹿者め!
Je suis une connasse! なんて使えない女だ! (下品で攻撃的な罵倒語)
Non, non! Bouge! Bouge! 駄目、駄目! 動け! 動けよ!
Ferme là 黙れ、この……(乱暴な言い方)




