9-1.
フランスのシャルル・ド・ゴール空港に到着したのは現地時間一五時五〇分。
私の体内時計は日本時間の二三時五〇分。眠くてぼーっとしている。
「藤森玲奈さんですね?」
渉の会社のIDを示す日本女性。
ローミングのテストを兼ねて渉へ尋ねれば、当人とテレビ通話して私に言う。
「心配ない。私が手配した現地社員だよ。説明するの忘れていた、済まん」
ツアーコンダクターまで付けた心配性な渉。
エコノミーで良いと言う私に、貯まる一方のマイレージを使えとビジネスクラス。清潔で、セキュリティがしっかりして、足回りが良ければ、星なしホテルの狭いシングルで構わないと伝えていた。
「到着しました。期間中のホテルはこちらです」
渉が仕事でヨーロッパを巡る際に同行する海外秘書さんが示すホテルの
エントランス。
「ぐぇ……?」
モンテーニュ通りに面した五つ星の更に上のランク、パラス。
秘書さんが明朝迎えに来ますと帰った後は、全部英語で押し切ろうとした。
翻訳機は役立たずで、一部通じても大概はこう返される。
「Je ne sais pas.」
駄目だ、分からねぇらしい。何でだよ、どぉにもならんぞ!
「――んで、私は何すれば良いの?」
異国の地で追い詰められた私は女神に縋った。
電話の向こうの咲紗にスピーカーモードで同時通訳して貰い乗り切った。
安心したいから、弱気になる私を叱って貰いたかったから、咲紗を連れて
来たかった。
いずれ専業モデルに、個人事業主になれば一人で何でも出来ないと務まらない。
世界を駆け回るトップモデルになる為に乗り越えないとならないのに。
「ありがとう。本当ゴメンね、咲紗」
電話を切った私は反省した。
パリ。午後七時。ロビーの外には人々が行き交う煌めく街の夜景。
日本の方角を向いて手を合わせると感謝とお詫びの祈りを捧げた。
午前三時の真夜中に、本当ゴメン、咲紗。
メゾンのオーディション当日。
私が挑戦するのは新人モデルが抜擢される事の多いトップバッター、ファーストルック。
枠は五人、コレクション全体で二十人。控室にはライバルがざっと百人以上。
奴らも緊張しているに違いないが、それ以上に緊張している私はテレビ電話で泣き言を零した。
冗談の応酬でリラックスさせてくれた咲紗に言われた。
「望んでも挑戦の機会すら与えられなかった不遇な奴も数多くいるんだ。幸運に恵まれた事を感謝して道を切り拓きなさい。開き直ったあんたのクソ度胸と集中力なら出来るよ」
モバイル経由で控室のアナウンスを聞留めた咲紗が、さぁ、そろそろ出番だよと言う。ディスプレイの向こうで手を振る二人に笑顔で応えてバッグに仕舞った。
これからの僅か数分のオーディションで私のこれからが決まる。
私の番号が呼ばれた。
ページを捲る音しかしないメゾンの大広間。
高い天井。光が落ちている。
審査会場に一歩踏み出す。
竦みそうな脚。
腰から押し出す。
コツ、コツ、コツ。
寄木の床にヒールの音。
ターンからポージング。
表情の変わらない審査員。
長いテーブルの向こう側。
黒い服の審査員たち。
手だけ動き私を品定めする。
控室に戻る。
終わった。
大きく長く息を吐いた。
誰もいなかったならしゃがみ込みたい。
Je ne sais pas.(フランス語)
訳「分かりません」= I don't know.(英語)




